プロローグ3
2018/01/21改稿
二つの集団の狼が同時にキマイラへ襲いかかる。それぞれの集団の長が先陣を切り、駆ける。
キマイラを囲うように狼は散らばる。狼が二匹同時に距離を詰め、その強力な牙と顎で噛み付く。片方は避けられたが、一匹の狼がキマイラを捉える。
キマイラは左後ろ足に痛みを感じた。視線を向けると、犬が噛み付き、食らい付いている。さらに怒り狂ったキマイラは、これまでで一番大きな咆哮をあげると、後ろ足を跳ね上げ、地面へ叩き付ける。
爆発の様な土煙が上がる。そこには、食らい付いていた狼が、原型を無くし散らばっていた。
そこからは一方的であった。確かにキマイラの動きは鈍ってはいた、しかし怒りによって、身体を蝕む毒の効果を、半ば打ち消してしまったのだ。
蛇の親子を葬った叩き付けが、また放たれる。避けきれなかった狼が一匹、また散りばめられる。
犬達を食らった突進が狼達を襲う。逃げ切れなかった狼が、その牙に砕かれる。
キマイラの後ろを陣取った狼が反撃を行う。しかし、キマイラが後ろ足を勢いよく蹴り上げると、狼はあっけなく絶命してしまう。
-同時刻 梟の野戦病院-
煤竹梟は戦う術を持たなかった。そもそも、人間の頭程の身体しか持たない彼らである。
そんな彼らの暮らしは、狩りなどで傷を負った者を癒すことで、おこぼれを貰う。そんな優しい種族だ。
煤竹梟は、魔獣ではあるが回復魔法の使い手である。ほんの少しだけ記憶力の良い彼らは、優れた知性が無くても、回復魔法を使用することができた。
そんな梟が十二羽ほどいる。彼らは今、傷を負った者の治療を続けていた。数刻程前から、数匹の榛摺犬が梟の野戦病院へやって来ては、傷の治りきらぬうちに戦地へ赴く。痛いであろうにまた、駆けて行くのだ。
幾匹の犬を戦地へ見届けた時、戦地から爆発の様な低音が響いてきた。恐怖に身を竦めながら、梟達は犬や狼達の勝利を望んでいた。
そんな時、傷付いた一匹の狼が蛇をくわえて来た。蛇の長兄である。戦地から、命からがら逃げてきた魔樹からは、蛇は皆死んだ、と伝えられていたために、彼らは喜んだ。
しかし、蛇の容態は非常に悪かった。森の狼ですら食い破るのが困難とされる蛇の鱗。いまやばらばらに散らばり、身も革一枚で繋がっているだけ。尾の先端は失われ、自慢の牙も半ばで折れている。
この蛇の親子は不思議な存在だった。狩りを行うと、いつもいくつかの部位を残して置いていく。それは、狼に獲物を取られがちな犬達の、大事な食料であった。
梟達のもとには、直接届けに来てくれる。いつもがいつも、狩りで怪我をするわけではない。怪我を負うものが出なければ、彼らはおこぼれを貰えない。
彼らからすれば助ける相手でも無いだろうに、いつも手を差しのべてくれる。手の代わりに尾ではあるが。
そんな蛇にこれまでのお礼と、キマイラの弱体化のお礼とばかりに、彼らは倒れるまで回復魔法をかけた。過剰な魔力の消費は、魔力で身体を構築している魔獣達にとっての死である。にも関わらず、彼らは回復魔法を使った。足りない知性の中で、彼らは考えたのだ。「今ここで生きていられるのは、飢えずにいられたのは、彼らのおかげである」と。きっとこの時、梟達は魔物と区分されるに違いない知性を持っていた。彼らは魔物へ進化し、魔物としてその命を使いきった。
回復魔法とは、魔力を他者へ流し込み、行使者の記憶の通りの肉体を魔力から再構築する魔法だ。
ごく稀ではあるが、行使者の魔力とともに、多少の意思が伝わることがあると言う。
都合がいいが、この時がその稀な状況であった。
蛇は土や草に汚れていた。遠くからは爆発音が響く。そして、何かを待ち焦がれている。蛇は蛇でありながら、夢にうなされていた。いつも彼を苦しめるのは、この爆発音だ。遠くで響くその音は、少しずつ彼に近付く。遠くから、血に濡れた異形の手が蛇の元へやって来る。そして、蛇を掴みとると、握り潰すのだ。
だが、今回は違った。いつもありがとう、と声が聴こえる。...をたすけて、と声が聴こえる。
まだ、爆発音は止まない。だが、ずっと遠くに聴こえる。まだ、身体は動く。そう思うと、視界が霞んだ光を捉える。
額に浮かぶ淡く光る円形の模様がじわりじわりと薄くなり、掻き消える。魔法を行使し続け魔力が尽きた八羽目の梟が命を散らしたとき、蛇が微かに動いた。牙はまだ幾本折れたまま、鱗もまばらであるが、身体はくっつき、失われた尾もまた、その存在を示していた。
九羽目が引き継ぐと、蛇はむくり、と起き上がる。
尾を器用に動かし、九羽目の梟の頭を撫でるようにする。その動きはまるで、もういい、と言っているかのようだ。
その眼は、ぎらついていた。先程の犬達のように。
梟達は理解した。彼もまた、戦地へ行くのだと。止めたかった、しかし止められなかった。
魔物に近い知性を持った彼らにはわかっていた、今は一人でも多くの戦力が必要だと。だからこそ、彼らは蛇を命懸けで助けたのだ。
ありがとう、と伝えながら、もう一度戦ってこい、と言わなければならない。梟達は、葛藤からもその気持ちを伝えようとした。
だが、蛇は優しく梟達の頭を撫でると、尾で狼達を指し示す。そこには、先程の蛇ほどではないものの、傷付いた狼達が横たわっていた。
梟達は彼の真意はわからないが、謝罪をする暇があれば、彼らを治せ。と言われている気がしたのだ。ほろろ、と梟は頷き、狼の治療に移る。蛇は見届けると、身を翻す。
こうして、蛇はまた戦地へ赴くのだった。
-同時刻 狼の戦場-
一時は一方的な反撃を受けた狼達であったが、なんとか拮抗状態へ持ち込むことができた。
種の存続をかけた攻防の中、狼達は急速に知性を醸成した。犬達もまた、狼に及ばないまでも高度な思考をするようになったのだ。
キマイラは、連携し、絶え間なく攻撃をする犬達に次第に焦りを感じ始めた。先程まではふつふつと湧き出る怒りに任せることで、身体の重さを誤魔化してはいたが、長時間に渡る攻防で、疲労もあいまって、身体が思った通りに動かせない。
怒りとは違う苛立ちが、彼の動きを更に鈍らせる。緩慢と言えど、一般的な実力の人間であれば容易に葬る暴力の塊だ。
狼達もまた、焦りを感じていた。キマイラが疲労に力を削がれると言うことは、狼達はその倍は疲労しているのだ。数の力を以て休憩を挟み、誤魔化している状況だ。これは、数が減れば一気に状況が悪くなることに他ならない。
多くの犠牲の上にある拮抗を崩す何かが必要であると、狼達は感じていた。互いに消耗を続けながら攻防を繰り広げる中、不意に音が響く。
遠吠えだ。それも狼達の頂点の遠吠えである。
狼は実力主義の集団だ。頂点に立つその長は、二十八の狼の中で最も強い個体だ。
キマイラを囲っていた狼達が唸りながら一気にキマイラに襲いかかる。
疲労していたキマイラは、急激な状況の変化に一瞬だけであるが、反応が遅れてしまう。
八方から襲いかかる狼の、正面を牙で砕く。後方の二体を後ろ足を蹴り上げなんとか追い払う。左右前方の二匹は、後ろ足を戻した後、前足を叩き付けることで、右側を吹き飛ばし、左側を絶命させる。すると、左右の腹に噛みつかれる。痛みを堪え、身体を激しく捻り、振り払う。
しかし、八方の処理に追われたため、上方から飛びかかるそれに気付く事ができなかった。完全な不意打ちである。その跳躍からの爪の一撃は、キマイラの左前足を捉える。鋭い痛みとともにキマイラの左前足から鮮血が舞う。
狼の頂点は苦渋の決断を下した。彼は老齢である。あと一度、狩りに出てしまえば、己の身体の魔力を使い尽くすと悟っていた。だからこそ、最上の力を持つ自分が率先してキマイラとの戦いに赴くことはなかったのだ。
だが、その結果として、多くの犠牲が出た。そして、誰よりも賢い彼は、狼の拮抗が長く続かないこともわかっていた。
自分が戦闘を行うのは、それでキマイラを討つことが確実となったとき、そう決めていた。だが、このままではキマイラを弱らせることが困難であると感じた。だからこそ、使い潰すように狼を突撃させた。それが功を奏した、それがこの不意打ちである。
長は残る僅かな手勢を以てキマイラに襲いかかる。それは、古い狩人の術である。
かつて長とともに森を旅した人間がいた。二人は、ともに様々な強敵を狩ってきた。その中で培った狩人の知恵を全力で発揮する。
長は、自分の後ろに手勢を控え、老齢の威厳を以てキマイラと正面から対峙する。
キマイラは、苦痛に顔を歪めながらも強者の風格を弱めることはない。
長が駆け出す、同時にキマイラも駆け出す。二人が接触する瞬間、キマイラが右前足を叩き付ける。
長は右へ踏み切り、その叩き付けを避けるや否や前足に噛み付く。
人間にとっては当たり前のようだが、自然界の魔獣達にとって、避けてから反撃すると言うのは画期的な発案なのだ。
キマイラは、とうとうすべての足に傷を負った。これにより、逃げることができない、逃げるつもりなど無いのだが。
それは同時に、彼の得意とする叩き付けを封じられたことも意味する。怪我を負い、走る力もその大半が失われている現在、彼に残された術は、猛る獅子の顎力だけだ。
長は、早くも限界を迎えようとしていた。たった一撃。キマイラの前足を砕くためのその一撃に、多くの魔力を使ってしまった。今まで多くの同胞を葬った前足を砕いた彼もまた、食らいつき、砕く術だけが全てとなった。