プロローグ3
おまたせしました、第3の序章です。
2018/0121改稿
-迷いの森南西部-
そこは、狼の<魔獣>の群れが統べる縄張りであった。狼達の頂点は、他の狼と比べ物にならない程の巨体を持ち、高度な知性を備えた<魔物>である。
大狼はその昔、狼魔獣の群れの末端であった。決して周りと違わぬ狼の姿をもち、強者に従う程度の知性しかなかった。
しかしある時、群れ全体でかかる程の強大な敵と対峙した。
狼達の縄張りを奪いに来たそれは、屈強な山羊の胴体に猛る獅子の頭を持つ、しかし尾は山羊と獅子のそれ。<リトルキマイラ>だ。
強大な魔物<キマイラ>の子供とも言われるそれは、だが狼の魔獣達にとっては、生物的階級の遥か高みの存在だ。しかし、この縄張りを失うことはつまり、種の絶滅と言っても過言ではなかった。だからこそ命がけの戦いに挑んだ。
人族―主に人間―は、魔獣や魔物に階級を別けて、危険度の参考としている。この狼の魔獣は、人族の名付けではあるが、榛摺色の身体を持つことから<榛摺狼>と言い、階級は「青銅下級」である。
青銅下級とは、人族の狩りなどを専門とする職業の、「駆け出し程度の能力」の者が六人いれば一匹を確実に倒す事ができる。という尺度である。
しかし、リトルキマイラは「黒鉄下級」。間に「一般的な能力」の「鉄級」を挟む、大きな区分が二階級上位の存在だ。
黒鉄級は、小規模の村に一つの単位がいるかいないか、と言う程である。
つまり、逃げたところで、逃げた先にも上位者がごろごろといるのだ。種の存続とは、決して言い過ぎではない。
この時、同じように種の存続をかけた魔獣は多数あった。
<白橡蛇>と呼ばれる蛇の青銅下級魔獣、<榛摺犬>と呼ばれる犬の錫中級魔獣、<煤竹梟>と呼ばれる梟の青銅下級魔獣。最後に、<橡の魔樹>と呼ばれる橡の樹の青銅中級魔物とその眷族<葉苔犬>達。
恐らく、最後の二つの種族については想像が難いものであるため、ここで説明を行いたい。
橡の魔樹、それは橡の木に意思が宿り、他の頭脳を持った動物のように思考をするようになった魔物のことである。詳細は割愛をするが、根を器用に動かすことで移動をすることも可能であり、通常の木に紛れて他を襲うことができる。ちなみに橡とは読んで字の如くクヌギのことである。
葉苔犬、<魔法>により生み出される犬のこと。橡の葉や、その木に生した苔からなる仮初の命だ。彼らは動物というよりも、人形である。魔樹に行うことのできないような動作を補完するためにしばしば生成される。
そして話が戻るが。彼らの中では優れた知能を持つ橡の魔樹の長老のもと、総勢七十余りの魔獣達は団結し強敵へ向かっていった。
キマイラは腹を空かせていた。親元を離れ、一人立ちをしたものの、初めて一人で行う狩りは上手くいかなかった。
むしろ油断をすれば自分が狩られる、そんな極限の状態でここ数日は食事をしていない。もともと、一度に多量の食事をすれば、一週間程度は食べずにいられる身体を持つが。だが、空腹感はある。
そんな時だ、自分よりも弱者しかいないこの場所を見つけたのは。
まだ幼かった、魔物とぎりぎり区分されるほどの知性しか持たなかった彼は、そこが人族によって強力な魔物が討伐された場所だとは知らない。
空腹が考える邪魔をしたのかもしれない。通常であれば、魔獣特有の魔力の流れを見逃すことなど無い。だからこそ、ここまで生きて流れ着いたのだから。
早く何かを食べたいと彼の本能が訴えるなか、不意に背中にちくり、と痛みが走る。
攻撃を受けたと認識したキマイラは、素早く、同時に激しく身体を動かし振り向く。
そこにいたのは三匹の白橡蛇だった。いつの間にか自分の隣に橡の木があるが、その上から奇襲をしてきたのだろう。だが、恐らく失敗したのだ。「蛇は巻きつき、締め上げることで敵を弱らせ捕食する。離れたと言うことはそう言うことだ」とキマイラは考えた。
餌が自ら足を運んだのだ、キマイラは鋭い目付きで蛇を睨むと、猛る獅子の顔から、他を圧倒する獅子の咆哮を放つ。
よく見れば蛇の一匹は、振り払われた際に、ダメージを受けたのだろう、弱々しく頭を垂れている。まずはその蛇からと、弓矢か弾丸もかくやと駆け出す。
二匹は文字通りバネのように跳躍し、突進を避ける。しかし、弱った蛇はキマイラの牙に捕らえられ、後にその姿は大きな口の中に消えていった。しかし、キマイラは満たされることはなかった。
口の中の蛇だったそれを飲み込むと、残る二匹に襲いかかる。その動きは、先程とはかけ離れ、まさに駿足と呼ぶに相応しく、一瞬の内に距離を詰める。
蹄ではあるが、その動きは獅子のそれであった。魔力によって強化された身体から放たれる叩き付けは、土や草を巻き上げながら蛇を絶命させた。生き残っていた片割れは吹き飛ばされたのか、姿が見えない。しかし、小さかったそれを無視し、叩き付けを直撃をさせた大きな蛇に食らい付く。
やはりキマイラは、決して満たされなかった。それもそのはず、そもそもキマイラの一度の食事は、牛や豚を数匹食べるのだ。多少大きいとはいえ、蛇を二匹食らったところで満たされるはずがない。
この一画に住む白橡蛇は、全部で七匹いる。大きな番の蛇とその子らである。まだ生まれたての四匹は、戦う術を持たず、同じ様な若い橡の木とともに隠れている。
さて、気づいたものもいるだろうが、既に番の蛇は食われ、長兄の蛇も満身創痍。つまり、蛇はこの戦いから脱落した。だが、その役割は果たされている。
白橡蛇の毒は、遅効性の神経毒であり、身体全体に行き渡りさえすれば、「鋼鉄下級」の魔獣ですら身体を動かすことが困難になるほどの猛毒だ。
特に、雌の蛇の持つそれは、巣を守るためのそれであり、敵の命を確実に奪うため濃縮されている。しかし、そうなった肉は、蛇ですら食べられぬほど汚染されている。つまり、狩りに向かないのだ。
彼らの命懸けの奇襲は成功していた。しかし、キマイラがそれを知ることはなかった。
キマイラと言えど、生物だ。身体を動かせば血流が良くなる。少しでも激しく、長時間に渡って彼を運動させることで、蛇の猛毒を行き渡らせる。それが魔獣達の作戦であった。
キマイラは歓喜していた。蛇の次には、犬が来た。その数三十三。錫中級とはいえ、かなりの数だ。だが、キマイラは「食べきればどれだけ腹が膨れるだろう」としか考えていなかった。
榛摺犬は賢い、常に八匹で一つの集団となり、狩りを行う。賢いと言っても、榛摺狼が同じことをしているので、真似をしているだけだが、真似をする程度の賢さはあると言うことだ。
榛摺犬は二つの集団で走り回った。小さな牙は、キマイラの強固な皮膚を貫けるとは、お世辞にも言えない。脚力ですらキマイラに劣る。しかし、懸命に走った。いつも獲物を譲ってくれる、優しい蛇達の命を無駄にしないよう。怖い狼達の言いつけを守るよう。命を散らしながら駆ける。一匹、また一匹と数が減る。その度に、隠れていたもう一つの集団の犬が駆け出す。間断無くキマイラの視界に入るように。
最後まで隠れていた、群れの長が駆け出したとき、異変は起きた。先程まで、数歩で追い付かれていた脚力の差が、今では数十歩逃げることが出来るのだ。
キマイラは犬を食べながらふと、身体が重くなるように感じていた。この時やっと、蛇の真意に気付いたのだ。だが、その程度だ。現在も、犬に追い付くことは出来るし、これまで、毒以外まともな傷を負っていないのだ。
慢心にも似た、強者の絶対の自信を持って、狩りと言う名の蹂躙を続けた。
榛摺犬の胃腸は強かった。生物的弱者故に、ハイエナのように残飯を食らう事もあった、どうしようもなく魚を食らう事もあった。生きるためならと、木の実や草で空腹を紛れさせる事もあった。故に、この一画の特殊な木の実、橡の魔樹の実を食らった事がある。橡の魔樹の実は、不思議な毒を持つ。血液になんらかの作用をし、筋肉などの身体の構成を柔らかくほぐすのだ。
橡に限らず、魔樹は枝、幹や根を自在に動かし、捕食する。とは言っても、根を巻き付け、魔力や肉の養分を吸うだけであるが。しかし、根を巻き付けるために、対象の身体をほぐしておけば、力無き魔樹にも容易に食事が出来ると言うもの。
そんな魔樹の実を、お腹いっぱいに溜め込んだ犬を二十余り食らい、今もまた幾匹を食らうキマイラ。間接とはいえ多量の実を食らっているのだ。
ふとした拍子に、抵抗した犬の爪がキマイラの顔に傷を付ける。キマイラに痛みはなかった、しかし、驚愕はあった。たかだが犬に、自慢の皮膚を傷つけられたのだ。怒りとともに咆哮をあげる。
懸命に駆ける犬達であったが、若かった。世代を担う若い犬をなるだけ多く生き残らせるために、老齢な犬から順に食われていったのだ。多少狩りの経験があるとは言え、強敵のいないこの森で育った彼らは、圧倒的強者の咆哮に身を竦めてしまった。
その隙にまた、一匹、二匹と食われていった。
怒るキマイラはだが同時に、新たな餌の気配を察知し、眼を向ける。
そこにいたのは、先程から食らっている犬よりも二回りほど大きな犬だった。キマイラの様な強者にとって、犬と狼の違いなどはあってないような物だ。しかし、その無知が、また彼に不利に働く。
榛摺狼は勿論、榛摺犬の上位の存在だ、顎の力も脚力も、比べ物にならないほど強い。だからこそ、彼らが駆け出したとき、キマイラは眼を見張った。
知性も犬のそれとは大きく異なり、使用する魔力も桁が違う。強化されたその四脚は、本来のキマイラには劣るが、弱った彼とであれば、張り合えるほどのそれはある。
数にして二十八の狼。彼らは犬と違い、一つの集団に一匹の長をつけ、それらの集団を統べる長が頂点にいる。
キマイラが狼に気取られている内に、犬は狼の間に紛れ、姿を隠していた。攻勢に転じた魔獣達。
森の一画の戦いは、佳境を迎えようとしていた。
ご閲覧ありがとうございました。