8 人間の貴方では興味が湧かない
私は左手にある窓へと顔を向けた。
そこには庭師にしっかりと手入れして貰い整えられている庭園が広がっている。
そして硝子にべったりと張り付いているお父様の姿も。
猫アレルギーのためやむなく外で話を聞く事にしたらしく、第三者が見ればただの覗きで即刻捕えられるだろう。
「お父様」
「やっと気づいたのか!」
ちょっとだけ安心したのか、お父様はほっと胸を撫で下ろしている。
本当はずっと気づいていたが、あえて触れなかっただけです。
……とは言いづらい。そのため、私はその件をさらりと流すことに。
「先ほどから窓をノックしていたのに、誰一人としてこちらを気にかける者がおらぬから、心配になったぞ」
「そんな事よりも、この方と結婚します。なので、持てるコネを全て使って下さいませんか?」
「ちょっと待て! 猫とは許さん。お前はちゃんとした所に嫁に行くんだ。そんなどこの馬の骨とも知らぬ者に渡せるか!」
「やだ、お父様。馬ではなく猫ですわ」
「そんな事はどうでもいい! とにかく許可せぬ」
「先ほどのお話の通り、この方は王子です。私が嫁に行けば、コンクェストとの縁を政治に利用出来るかと」
「ほぅ、確かに」
顎に手を添え、お父様はじっと私の傍にいる未来の旦那様を静かに見つめた。
そして何かしらの脳内シュミレーションがあったのか、一度だけ深く頷く。
「構わぬ。許可するぞ」
「ありがとうございます」
「――って、待て! 俺を抜きにして勝手に進めるな。俺の気持ちはどうなる!?」
先ほどまで離れていたのに、今度はこちらにやってきて私の腕を掴んで揺すっている。
小さくて可愛らしい手。あぁ、肉球触りたい。
澄んだ湖のようなその瞳に、私を映し出してくれている。
たったそれだけなのに、こんなにも至福だなんて。まるで天にも昇りそうだ。
「障害物って、あればある程恋愛って盛り上がるわよね。初めは邪険に扱っていたのに、気が付けばあいつの事が好きになっていたとか」
「お前、結構面倒な性格だろ」
「私の性格をわかってくれたの? この短時間で。まぁ、嬉しい。さぁ、お父様の許可もおりたし、結婚できるわね。あぁ、でも私とした事が大事な事を忘れてしまっていたわ」
「やっと気づいたのか」
「えぇ」
私はそう告げると、指をパチンとならす。
するとテーブルの上に霧のようなものが一瞬現れ覆ったかと思えば、そこには一枚の紙と羽ペンが。
逃げられないように早めの対策を。
お父様の気が変わって全力で反対されると、私としては諦めざるを得なくなってしまう。
なんだかんだで、この家族で一番偉いのはお父様だから。
怖いのはお母様だけれども。
「さぁ、婚姻契約書にサインしてね」
「アホか! そもそも人の話を聞け。どうしても結婚したいならばしてやる。だが、俺が人間に戻ってからだ」
「え? 人間に?」
その言葉に、私の気分は急速に降下。百年の恋が一瞬にして覚めたかのように、どんどんと熱が逃げていく。
「当たり前だろうが。俺は元々人間だって言っただろ」
「……なら、ずっとこのままでいいじゃない。私、その姿が好きなんだし」
「良くない。戻る。絶対に。だから協力しろ」
「嫌よ。今の方が可愛いもの。それに人間の貴方では興味が全く湧かないわ」
「お前、本当に猫以外興味ないんだな。俺を人間に戻してくれたら、猫祭りを王族専用席で見せてやるぞ」
「……猫祭り? 何それ」
「猫好きなのに知らないのか。初心者め」
意外そうな顔をした未来の旦那様に、私は「知らないわ」と告げた。
そんな素敵なお祭りがあるなら、是非に行きたい。
それと同時に自分の勉強不足を深く嘆きたくなった。
猫に関する事ならば、全部知っているつもりだったのに。私としたことが、不甲斐ない。
「サアラ。コンクェスト国は、猫を神様として祀っているんだよ。海に浮かぶ島国で国益はほとんど貿易が主なんだ。漁業も盛んだから、ネズミ取りなどをしてくれる猫はありがたい存在。だから、神様として奉るっているんだよ」
扉付近の壁に背をもたれかけさせるような格好のお兄様は、私の方を眺めながら穏やかな表情を浮かべている。
慈悲深いその瞳は、この世に生きる全ての者達を見守っているかのよう。
「お兄様ったら、相変わらずの博識でいらっしゃいますのね。ですが、ご存知でしたらもっと早く教えて下さい」
「ごめんね。もう知っているかと思って。でも、猫を崇めている国は結構あるよ」
「そうなんですか。私はまだまだ勉強不足のようです」
「サアラのそういう所、可愛いよ」
「お兄様の知性豊かな所、とても素敵ですわ」
お互いの視線を交わせたまま、私とお兄様は微笑み合った。その時だった。
「あ、あのっ……」
ぽつりと零れてきたその声。
控えめで遠慮がちなそれに、私とお兄様の意識はそちらに向けられてしまう。
それはいままで静かに事の成り行きを見守っていたと言えば聞こえはいいが、存在自体が影になってしまっていたルドルフ様。
片手を上げ、「よろしいですか?」と震えながら声を上げた。
「本題の方は……その……?」
その言葉に、私の肩がぴくりと大きく反応した。