6 見つけた私の運命の猫王子っ!
不可解な面持ちでいると、「父上?」という、唄うような軽やかな声音が扉越しに飛んできた。
それは私の全身をリラックスさせてくれるには十分な人物によるもの。
それは私もお父様も耳に馴染んでいる。あの人の声だ。
「なんだ、セヴァか。入れ」
「失礼致します」
その声の持ち主の手により、扉が開かれ廊下側の世界が広がっていく。
そこにいたのはアプリコットオレンジ色の長い髪を一つに結い、琥珀色の瞳を持つ青年だった。
私のお兄様――黒鷲の鉄翼の第一子であるセヴァ。
お父様に続き次期皇帝を支え宰相へ望む声が高く、アカデミーも主席で卒業した頭脳明晰なお兄様。
川の流れのように感情も一定に保つため、そういうところも評価されるのかもしれない。
今はお父様の下で見習いとして下積みをしていらっしゃる。
「サアラ、おかえり。お仕事ご苦労様」
お兄様は私の傍まで足を進めると、誰もが見惚れるぐらいの微笑みを浮かべた。
この顔を見て心を奪われない女性なんていないと思う。それぐらいに魅力的すぎる。
実際にモテるため、時々女性同士の戦いの火種になってしまう。
この間の夜会ではお兄様へのダンスの誘いで、殴り合いの喧嘩まで発展。
あの時、初めて貴族令嬢達の闇を見たっけ……
「もしかして、またヴィルヘルム様の所に?」
「あぁ……」
お兄様は眉を顰め、心底うんざりとした表情で嘆息を漏らした。
ヴィルヘルム様に関するといつもこうだ。
「あいつも少し大げさなんだよ。今日もさっきまでグチグチと。たかが、別荘の一つ二つぐらいで。僕の可愛い妹――サアラは、国のために一生懸命仕事をしてくれているのに」
「その件でお伺いしたいのですが、どうやら私は破壊の魔女という微妙な異名で呼ばれているそうなのです。それ、猫狂いの魔女に変更して頂きたいのですが」
「破壊の魔女……? あぁ、あのバカが発端のか。僕の可愛いサアラになんて不名誉な。気にしないでいいんだよ。そんな噂、すぐに無くしてあげるからね」
お兄様は手を伸ばし、私の頭を撫で労ってくれた。
私達の中でも誰よりも家族想いで、皆に優しい。
ただし、ヴィルヘルム様以外にという条件が付く。辛辣。その二言。
「おい、それよりどうしたんだ?」
お父様は話しが途中で遮られたせいか、ソファの肘掛をトントンと人差し指で叩きながら尋ねた。
「あぁ、そうでした。コンクェスト国よりサアラに来客が」
「私にですか?」
「何故またそこが? 我が国と百五十年前に婚姻で大揉め、国交はないはずだろ。しかもよりにもよって、サアラに?」
「……お父様。今、よりによってとおっしゃいましたか? どういう意味です?」
「いや、それは言葉の綾だ。それより、セヴァ」
「えぇ。先ほど城にいらっしゃったのですが、用事があるのが可愛い妹にということでご案内致しました。位の高いお方なので、失礼のないようにメイドには言いつけてあります。話次第では、これからの付き合いがありますからね。あそこは貿易都市としても世界で一・二を争う国。利用価値は多々あります」
「さすがだ。では、待たせるのも悪い。私も行こう」
「いいえ。父上はいらっしゃらない方が……」
そんなお兄様の制止に、お父様が腰を中途半端にソファから上げたまま、訝しげに顔を向けた。
それに対して、私は眉を顰めてしまう。
私は政治的な駆け引きが苦手だ。というか、範囲外。
そのため、この国に有利に話を進めたい場合は、私は適任者ではない。宰相のお父様が適任。
それともまさかお兄様がお一人で……?
小首を傾げながらお兄様を探るように凝視する。
すると、お兄様は肩を竦めながら唇に言葉を乗せた。
「猫アレルギーですよね?」
「まさか猫を連れてきたのか!? この屋敷は猫禁止だろうが!」
その言葉にお父様は激昂。立ち上がると肩を震わせながら、目を細めている。
それもそうだろう。軽度のアレルギー持ち。
そのため私も屋敷に戻ればちゃんと着替えなどをして、毛をお父様の周りに持ち込まぬようにしている。
それに対してお兄様は首を左右に振ると、
「いいえ。来客が猫なんです」
と、淡々と告げた。
その言葉に、私もお父様も不自然さを覚えずにはいられず。お互い顔を見合わせながら、「は?」と、間の抜けた言葉を漏らしてしまう羽目に。
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私を訪ねて来た来客とは珍しい。しかも、コンクェスト国という異国だなんて。
はるばるそんな遠い場所から、海を越え大陸を越えてやってくるなんて一体何の用なのだろうか?
コンクェスト国とは、ここリヴォルツ帝国があるポースゥ大陸より海を越え、東ジン大陸沿いにあるフルール海に浮かんだ島だ。
大小十つの島が真珠のように本島を繋ぎ、各大陸への拠点地として、その恵まれた立地から貿易国としての名を上げている。
……と、つい先ほど簡単にお兄様から伺った。
そもそもそんな国があったなんて知らなかった。
だから私としては、「へー」としか言葉が出ない。
そのため、来客と言われても頭に引っかかる人物が皆無。
その上、相手が猫。コンクェストという馴染みが無い国。
きっとこの先もその存在の薄さは変わらないとそう思っていたのに――
「……っ」
真逆になった。
まるで水中を優雅に泳いでいる魚が、陸地で肺呼吸出来ましたというように、私は今までのコンクェストに対する評価が反転。
それはお兄様の手により、開かれた応接間の扉。
そこから垣間見られた、室内の風景。いや、そこで私を待っていた王子様を見た瞬間。
「そんな……っ!」
私の体は、時間という概念を忘却の彼方へと飛ばしてしまったらしい。
透明な糸でぐるぐる巻きにされたようにその場に縛られ、視線はとある者へ釘づけに。
何かが自分の中で爆ぜて駆け巡っていき、溢れ出し周りに花となりそれが咲き誇る。
そのためお兄様に扉を開けて頂いたまま、私は呆然とその人物を見詰めていた。
まるで異国にでも連れ去れたかのように、適切な言葉が出て来ない。
この感情を表したい。それなのに、全く口から言葉が出て来ないのだ。
そんな状況に気持ちだけが先走り唇を震わせながら、何とか言葉を紡ごうと抗っている。
「お前が、破壊の魔女か?」
室内の丁度中央。
赤い絨毯の上に設置されている応接セットのソファに座っている彼は、青い瞳を細め探るようにこちらへ視線を固定させている。
その様子さえ、切り取って絵画として飾ってしまいたいぐらいに芸術的だ。
「……お兄様。私、運命の相手を見つけてしまいましたわっ!」
「サアラならそう言うと思ったよ。寂しいなぁ。でも、君が一番幸せになるのが僕の願い。やはり教会かい?」
「勿論! 即、入籍よっ!」
そう叫ぶように告げると、そのまま真っ直ぐに目標に向かって駆け出していく。
逃げられる前に今はまず、捕えるのが先決だ。淑女なんて捨ててやる。絶対に逃がさない。離さない。