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34 だから私が好きなのは猫の王子様バージョンだってば!

その声は、細長い空間に響き渡るぐらいの音量。

しかも、私が恋焦がれている人物によるものだった。

今、逢いたいと思いを馳せていたあの人物と同じ。そのため、心臓が波に揺られるように激しく上下し始めてしまう。


「猫王子っ!?」

弾かれたように私はその声の発生源へと視線を向ける。

そこは私が進もうとしていた皇帝やお父様の執務室の方向だ。


「あぁ、そうだったわ……」

こちらに駆け寄って来ている黒髪の青年を視界に捉え私は溜息を零す。

確かに彼だ。あの混沌の森で一度だけ見たフィテス王子だ。

あの時はぼやける意識の中だったせいか、視界がはっきりしていなかった。

だが、今はちゃんと認識出来ている。

たしかに自分で己惚れて、「俺はかっこいい」というだけはある。


シャープな輪郭にすっとした高い鼻。言葉を紡ぐ唇は薄く口角が上がり、好青年という印象を受ける。

全く猫だった面影がない。 

あえて告げるなら、アーモンドのようなアイスブルーの瞳と、艶のある漆黒の髪ぐらいだろう。

体つきも猫の時とは違い、衣装の上からでも鍛えているのがわかる。

率直に感想を述べるならば、端正な顔立ちをした青年。

でも、私が求めているのは、あの可愛いふわふわの毛を持つ猫だ。 


瞳がかち合うと、フィテス王子は顔を緩め、右手を上げ左右へ振った。

彼が身に纏っているのは、柔らかな純白の衣装。

胴衣の襟元と袖口には、金と銀の刺繍が施されているようで、日の光によってキラキラと輝いている。


「どうしてここに……?」

私は段々と距離を詰めてくる彼を見て小首を傾げる。

こちらへ訪れる理由なんてないはず。

「サアラ! 久しぶりだな!」

彼は私の前へと佇むと、声を弾ませ唇へ言葉を乗せた。

面識があるはずなんだけれども、全く見ず知らずの他人のように感じる。

それはきっと猫王子と人間のフィテス王子を同一にして考えられないせいだろう。

猫王子は猫王子、フィテス王子はフィテス王子として接してしまっているのだ。


「どうだ? 人間の俺はかっこいいだろう」

「そうね。でも、私は猫以外興味がないから心底どうでもいい。それよりも、どうしてここに?」

「はぁ!? 心底どうでもいいだと!? お前、俺がわざわざ来てやったんだぞ!」

「わざわざって言われても……私は呼んでないわ。それに、貴方もう猫じゃないからそそられない」

「相変わらず本当に枯れているというか、なんというか……まぁ、でもサアラらしいかもな」

「それで何か用? 私、これから報告書提出しに行かなきゃいけないんだけど」

混沌の魔女との問題は無事解決。

そのため、差し当たって彼がわざわざ訪れる理由に心当たりがない。

むしろ縁が切れたと思っていたレベル。あれ以来全く私の心を掠めもしなかった彼。猫王子ならば、毎日思いを募らせていたかれども。


「ただ純粋にお前に逢いたかったからって、理由は考え付かないのか!」

ここ、廊下なんですが? とつい口を挟みたくなるぐらいのボリュームで怒鳴られ、私は咄嗟に耳を押さえたが時すでに遅し。

キーンと耳の奥深くで、嫌な音がしてしまった。


「まだ残務処理残っているのを無理やり調整して、やっと会いに来たのにこれかよ」

「え? 貴方、私に逢いたかったの?」

彼の口から出た意外な台詞に、私はついそう唇を開いてしまった。

それにはフィテス王子の顔が染まっていく。秋から冬に移りゆく木々達のように真っ赤に。

じわりと鼻の頭に汗もかいているようだ。

それを隠す様に彼は口元を手で覆いそっぽを向くと、しどろもどろな口調で「べっ。別に……っ!」とかなんとか粒子状の呟きを漏らし始めた。


「よくわからないけれども、私は皇帝に報告があるの。だから、用が無いなら失礼するわ」

当初の目的地である皇帝の執務室まで足を進め、彼の横を素通りした瞬間、視界の端に目を大きく見開き、口をぽかんと開けている彼の横顔が映し出された。そして、「は?」という弱々しい呟きも。


それがほんの少しだけ心を細い針で刺されたかのように一瞬感じたが、私に用事がないのならば報告書を提出に向かうべきだ。一応仕事中なのだから。

そう判断し、私は足を止めず彼に背を向け歩き続けていく。だが、突如体に異変が生じてしまい、私は目的地にたどり着く事が出来なくなってしまう。


「え、ちょっと! 何っ!?」

激しくブレる視点。それが止んだかと思えば、何故か執務室の方向ではなく、反対側の回廊の先に目線が……

それは私の体に純白の衣に腕を通した手が絡み、持ち上げられてしまったせいだ。

いつもは大壁画を見上げる視点なのに、今はベストポジションで鑑賞できるぐらいの高さだ。


「おい、ちょっと待て! じゃあってなんだよ。もっとあるだろうが!」

勿論それはこの声の持ち主――フィテス王子のせい。おかげで私はまるで大袋に入れられた小麦粉のように、彼の肩に担がれている。

そのため咄嗟にフィテス王子の首元にしがみ付いたら、何故か喉を鳴らしながら笑われてしまったのが癪に障る。


「離しなさい! この変態っ!」

「そっくりそのまま返してやる。俺が猫の時、嫌がっているのに抱きしめたよな? 可愛いからとか言って」

「あ」

心当たりがありまくる。そのため、私の言葉が途切れた。まさか、ブーメランのように戻ってくるなんて。

けれども、これとそれは違うに決まっている。

これはアレだろうか? あの時の仕返しとか? だがしかし、後半は何も言わずに抱きしめさせてくれていたはず。


「俺は確かに言ったはずだ。あの時にな。人間に戻ったら、サアラにも同じことするって。お前は、あの時『どうぞ?』って了承したはずだ」

それには体中の血液が抜けてしまったかのように、手足の力が入らなくなってしまった。

そのため私は暴れる事が出来ず。

確かにそんな事言ったけれども、あれはもう二度と会わないと思っていたからだ。

縁は切れ私と人間に戻ったフィテス王子は、全く接点がなくなる予定だったのだ。

あの時の私だって知る由もない。まさかこんな事になるなんて!


「あぁ、そうだ。お前と俺、婚約するから」

「なんですって!?」

「お前、自分で言った台詞を忘れたのか? 宰相に持てるコネ使って縁談をって口にしたくせに」

「……え? もしかしてまさかお父様ってば、あれを……」

「あぁ、すっげぇ乗り気。今度改めて場を設けて書面にサインだ」

「お父様―っ!!」

「猫好きなお前に、人間の男の良さも教えてやるから覚悟しろ。取りあえず教会だったか? それとも添い寝か?」

耳朶に触れるその優しく甘い言葉に、私は現実から目を背けたくなった。






お読みいただきありがとうございました!これにて完結です。

また他の作品と同じように気まぐれ番外編を書くかもしれないので、

その時はサアラ達をよろしくお願いします。


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