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31 フィテスの想い

「リンクス様!」

「やぁ。ちょっとセヴァが面白い謎を暴き出したんだ。だから報告しに来たんだけど、どうやらそっちもわかったみたいだね」

片手を上げ、まるでご近所で遭遇したかのように実に気軽。

だがすぐに浮かべていた穏やかな笑みを消し、魔法の杖を構えた。

ざわりと肌を引っ掻くような強い風が、私達の間を吹き抜ける。


「さすがは全世界に名を知らしめるカーツィア家の嫡男。十七年も騙されていた秘密をこの数日で解き明かしたのね」

「あぁ。でもまだアリーヌ様の殺害は解明されてない」

そう言って目を伏せるリンクス様は一度深い息を漏らした。


「君の境遇には同情するよ。でも、もういいじゃないか。これ以上は無意味だ」

「そうね。貴方の言う通りだわ。だから私は自由になりたいの。あの邪魔な母親の呪縛から。お兄様達を殺して」

「そんな事をしても君にはずっと足枷が付き纏うはずだよ。ルドルフという、作られた存在を捨て新しく生きよう」

「今更? 無理よ。私の憎しみは消えない。貴方達にはわからないわ。お兄様を王位につけるために犠牲になった私のことなんて」

「でもだからと言って男と偽る事に意味が?」

「簡単よ。だって、王女ではいつか嫁いでしまう。しかも魔力が強力なら政治的に利用価値がある。だから、私の魔力をこの魔法具で封じたのよ」

そう言って掲げたのは、先程まで掲げていたあの貝のブレスレット。

やはりそうだったのか。あれは古代魔法具。


「そして医師に大金を掴ませ性別を偽った。あの人はお兄様が王になると信じていたもの。似ているものね。あのお方に」

「……父上か」

「私の事は王となったお兄様をサポートし支える駒にしか思ってなかったのよ」

「だから、自分の母上を殺したのか?」

「さぁ?」

彼女は、はぐらかすように肩を竦めた。飄々としているため、感情が読み取りにくい。


「さぁ、終わりにしましょう。安心してみんな一緒に逝かせてあげるから。本当は港町でと思ったけれども、纏めての方が楽だもの」

「私は生憎と貴方に殺さるわけにはいかないの。猫達が待っていてくれるから」

「なら、後を追わせてあげる」

「うちの可愛い子達に手出したら、絶対に許さないわ」

そう告げ左手へと魔力を込めると、そこに光の粒子が現れはじめる。

眩い太陽のように放ち杖へと変化。それは細長く頭の方には猫が彫られている。

私はそれを強く握り締めた。

魔術師達は杖が無くても魔法の使用が可能。

けれども、魔力を媒介し持ち主の魔力を上げて魔法を発動させてくれるので今回は使用する。

前回見せられた圧倒的な力の差を少しでも埋めるべく足掻いてやる。


「私、弱い者いじめって好きじゃないの。だから助けてあげてもいいわよ?」

口元に手を当て、ふふっと笑う混沌の魔女に私は顔を顰めた。

突然何を言い出すというのだろうか。理解出来ない彼女の思考に背筋を妙な汗が伝う。 

目の前に佇んでいるのは、人間ではない。化け物に思えて仕方が無い。


「この状況で貴方、何を言っているの?」

「これ、誰かが一人飲んだら見逃してあげる。勿論、ただの毒よ」

そう言って彼女が懐から取り出したのは細長い瓶。それを宙へと投げ出した。するとそれは波の上を漂うように、ゆらゆらと空中を漂っている。


「毒ですって? そんなの誰が飲むと――……って、ちょっと!」

視界の端に黒い影が飛び出したので私は声を荒げた。

それは瓶へ向かって高く跳ね、それを奪うと地面へと着地。

それは猫王子。真っ白な腕には、あの瓶が。透明な液体が、彼の姿を映し出している。


「本当に見逃してくれるのか?」

「えぇ、お兄様。私はここで静かに暮らすわ」

猫王子はこちらを振り向くと、悲しそうな表情をして微笑んだ。

「俺さ、サアラと出会えて良かった。どん引きするぐらい猫好きだし、人間の男に興味ない枯れた女だけど。一緒にいて楽しかったよ。こんな縁もない俺に対して、ここまでやってくれた。出来れば人間の姿で逢いたかったけど……」

「何を考えているの!? そんなの嘘に決まっているわ」

「そうかもしれない。でも、少しでも可能性があるなら、賭けてみたいんだ。それに、異母弟……いや、妹か。ずっと一緒にいたんだ。色々思い出もあるし、助けられた事もある。だから、これで全て終わるかもしれないなら、俺が過去に終止符を打つ」

「何言っているの!?」

「それから、ストリッド。疑って悪かった」

猫王子はそう言って、今度はストリッド王子の方へ顔を向けると弱々しく微笑んだ。


「おい、止めろ!」

「駄目よ!」

「止めなさい」

私達が止める間もなく彼はそれを一気に飲み干せば、苦しそうに喉元を押さえ、崩れるように倒れ込む猫王子。それをリンクス様は、地面に崩れ落ちる前に抱き留めてくれた。


「フィテス!」

ストリッド様の悲鳴に似た叫びが場に木霊する。

「解毒しなきゃ。息は……」

私は彼の元へ駆け出し、口元に耳を近づければ呼吸が荒い。ふわりと漂うのは、ほのかに甘くあのハーブ園で嗅いだ事のある香り。


「グレスザン!」

真っ暗な未来に、私は一つの希望を持った。

幸いな事に解毒剤が手元にある。お母様のお土産にここで摘んだあの白き花。

急ぎ鞄から先ほど摘んだばかりのミャールを取り出し、口に含み噛んでいく。

苦みと青臭さが口の中に広がり、咄嗟に吐き出そうとしてしまったが、なんとか堪え、顔を猫王子へと近づけていく。

本来なら乳鉢と乳棒ですり潰すが、今は時間がない。応急処置だ。

そのまま唇を合わせ押し込むように流し込んだ。


「サアラ、解毒剤を持っていたのか」

「えぇ。先ほど採ったの。効いてくれればいいのだけれども……」

祈るように猫王子の頬に触れる。まだ温かい。小さな体も荒いが上下に動いていた。

絶対にこの命を尽きさせない。そう固く決心すると同時に、混沌の魔女に対しての憎しみが爆発する。

立ち上がると彼女と真正面から向かい合うように対峙した。瞳がかち合うと、肩を竦められてしまう。


「本当に馬鹿よね。フィテス兄様は。いつも私の事を気にかけ手を差し伸べてくれていたのに、実は裏切られていたなんて。でも、約束通り見逃してあげる。一刻だけ」

「性格、あまり良くないわね」

「そう? 結構好きなんだけど?」

睨みつける私を彼女は軽くあしらうと指をパチンと鳴らした。

すると混沌の魔女を包むように風が舞い姿を隠したかと思えば、それが消えウッドチェアに座っている彼女が姿を現した。


「どうぞ? 逃げて結構よ。なんなら、時間延長にして差し上げましょうか?」

混沌の魔女は、ゆっくりと瞳を閉じた。

まるで日光浴でもしているかのようなぐらい、ゆったりと寛いでいる。


「リンクス様。彼らを連れて逃げて。ここは私がなんとかします」

「サアラ……」

「正直言うと、この人数を守りながら戦うのは厳しいです。ランク一つ違うだけで、天と地ほどの差があるので」

「……あぁ」

「だから彼らはお任せします。必ず助けて下さい。勿論、猫王子も」

「魔術師団長の名にかけて了承する。君も気をつけて」

「えぇ」

「武運を」

リンクス様は猫王子を抱きかかえると、縄で縛られているストリッド様の元へと向かう。

そして詠唱を紡ぐと、やがて現れた光の粒子と共に消えていった。

それを見届けて、少しだけ心が軽くなる。これで思う存分戦える――


「あら、偽善者ね」

「そうかもしれないわ。でも、勝算はある」

「へー。それは楽しそうね。貴方とは面白く遊べそう」

ゆっくりとウッドチェアから立ち上がると、彼女はそれへ触れる。

すると炎天下に放置した氷のように、どろどろに溶けていく。

やがてそれは地面へと広がっていくと、蒸発するように消えていった。

それが合図のように、私は杖を構え詠唱を口ずさむ。


「黒き世界の覇王よ。我の力となりて、敵を滅し我を守りたまえ。鋼鉄の檻」

詠唱の途中から地面に黒い光を放つ魔方陣が現れ、この広場全体覆っていく。

それは天にも描かれ、そこから黒い鉄柱が天から降り出し、混沌の魔女の周りに幾つも組み合わさり刺さって檻になっていく。

けれどもこれぐらいでは、混沌の魔女には赤子のようなものなのだろう。

黒い鉄柱の隙間から覗く彼女は現に微動もせずその場に佇んだままだ。






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