2 猫好きご令嬢こと破壊の魔女
「もうおやつの時間なのね」
「何を呑気に! 宰相様とのお約束は?」
「……まだよ」
その返答にシェリーの堪忍袋の緒が切れたのか、「サアラ様っ!」と怒号を上げた。
二つに結い上げている髪が、悪魔の角の様。
手に持っているおやつが乗っている銀のトレイへ、シェリーの荒ぶる炎のような心情が伝わっているようで、小刻みにカタカタと音を鳴らしながら不規則に震えている。
「だって仕方がないじゃない。私、猫以外興味ないんだもの」
「もっと感情の沸点低くして下さい。それよりも、今は宰相様の呼び出しの方が先です。今更急いで馬車を飛ばしても、間に合わないどころかとっくに時間が過ぎていますし……しかし、今度は何の件で呼び出されたのですか?」
「たぶん、見合いの件ね。私としてはいたって緊張もせずに挑めたのだけれども」
十五歳。この国では、「やれ結婚だ」「やれ婚約だ」と桃色的な穏やか空気を纏うそんな年頃。
四つ上の姉も私ぐらいの年には、かねてより婚約していた相手と式を挙げ、今でも夫婦揃うと熱いハートの塊を周りに乱れ振りまくっている。
でも、私にはそんな甘々の新婚生活より重要な夢がある。
無論言わずもがな猫だ。猫とひっそりと生活を営みたい。戯れたい。モフモフしたい。
けれども貴族令嬢なため、周りがそれを許さず縁談が舞い込んでくる。
なんせお父様が皇帝の右腕として名高い宰相・『黒鷲の鉄翼』。
その名の由来はここリヴォルツ帝国の皇族の紋章・黒鷲に関係がある。
我がカーツィア家は始祖帝と呼ばれる初代の皇帝よりの縁。
そのため一番古株貴族であり、信頼も厚く宰相という重要な役職に毎回任命を受けている。
鳥は翼が無ければ自由に飛べないように、皇族もカーツィア家という常に傍で支えてくれる者がいたからこそ、政を行ってこられた。
……と言ってくれている、民衆により『黒鷲の翼』という呼名が広がっていったそうだ。
そう想われた祖先を誇りに思うし有り難い。
けれども、『鉄翼』と呼ばれているのはお父様だけ。
きっと鉄仮面のように表情が無く、不愛想という事だろう。
恐ろしげな顔立ちのため、笑っていた赤子が泣く。
むしろ大人でも初対面では表情も体も氷の彫刻のように固めてしまう。
それはもう、威圧感が半端ないのだ。
そんな家系のため是非、皇族との縁を……そう望む家は数えきれない。
だがしかし、そんな優良物件の私でも、何度見合いしてもあちらから断られてしまう。
その理由は未だ分からず。
「今回はどちらの貴族様と?」
「ハッシュ伯爵家の第一子息。食事中に回虫について話したら、吐かれたわ。猫好きって言ったくせに嘘つきよね」
「よりによって、食事中ですかっ!? 銀月を溶かしたような緩やかな髪に、朝露を浴びた森林をくり抜いたような純真な瞳。それから薔薇色のふっくらとした唇を持つ、誰もがあこがれる容姿なのに……」
「随分詩的ね。流石は作家志望だわ」
「残念美女じゃないですか。その見目を生かしてもっと可愛らしくて夢のある話を殿方にして差し上げて下さい。絶対に百発百中相手の心を撃ち落とせますよ」
「でもね、猫を飼う上で寄生虫や病気は避けては通れないのよ」
「えぇ、確かに。ですが、見合い中……いえ、せめて食事中は絶対に辞めて下さい」
「だって私は結婚後、猫は絶対に飼いたいの。だから私と同類の人を伴侶に。そう思っているのだけれども、なかなかね」
「猫好きな方はいらっしゃいますよ。ですが、サアラ様レベルになると、この国ではリンクス様ぐらいじゃないですか? あぁ、そうですよ! リンクス様ならお似合いです。庶民出身ながら、その能力にて魔術師団長を就任なさっていますし」
「リンクス様? それは無いわ。だって、彼はお兄様のご友人。私とも幼き頃から面識があるから、お互い兄妹のようにしか思ってないわ」
「でしたら、何もそんなに無理にご結婚相手を探さずとも良いのでは?」
「そうはいかないわ。一応貴族の娘だから。お姉様は十五で結婚したのよ?」
「あぁ、先読みの姫君! とてもお美しいお姉様ですよね。リラ様に憧れる娘達は多いですよ」
嬉々とシェリーが話す人物は、旧姓リラ=カーツィア。
私の姉であり、宰相・フォーゲルの第二子。
今はブロウゲン公爵の元へ嫁いで、可愛い姪っ子を生み育てている。
お姉様はその美しさから独身時代には求婚者が殺到。
中には恋煩いの果てに悪質な男も何人かいた。
ある者は屋敷に忍び込もうとして。そしてまたある者は、お姉様の馬車を奇襲し攫おうとしたり……
それをお父様がまるで子ウサギを追い込める狼のように、根こそぎ潰していったのが懐かしい。庭先で響く断末魔の声が日常になっていた事も良い思い出。あんな出来事なかなか遭遇出来ないし。
そんな男性達を虜にした美しきお姉様は、巷では『先読みの姫君』の異名で知られている。
それは、特技というか、能力のせい。その名の通り、先が読める。
つまり未来を予知し的中させる事が出来るのだ。
ただしそれは酷く抽象的で、本人にも解読不可能。
なんでも突然ペンを持ちたくなる衝動に駆られ、無意識のうちに腕が勝手に動き文字を綴ってしまうらしい。ある時はテーブルに、そのまたある時は壁に。だから、自動書記。私達はそう呼んでいる。
当の本人はそれを理解しがたい現象と認識しているものの、あまり気にも留めてないらしい。
お母様譲りの晴れ晴れとした午後のティータイムのような穏やかな心を持っているため、「またやっちゃったわ」と、いつもまったりとしている。
そしてこれまた大海のように全てを包み込むぐらい懐の広いのが義理兄様。
彼はいつぞやお姉様が玄関ホールに予言を書いた時にも、「綺麗な文字だね。このまま残しておこうか。屋敷を訪れた人々に見て貰おうよ」、なんておっしゃる始末。
愛妻家でもある彼は、お姉様を溺愛。さすがは恋愛結婚。
そのため二人にとってはその能力も取るに足らない問題らしい。
「あっ! そう言えば、そのお姉様から手紙が届いていたんだったわ。お返事まだなのよね」
すっかりと忘却の彼方へと飛ばしていたその存在。ふと話が出たので、私はやっと思い出した。
「まぁ! もしかして予言ですか? まさかご結婚に関する!?」
「それがシェリーも知っている通り、お姉様の先読みは難解なの。ちょっと待っていて」
私は自分の体を包んでくれている、猫のフード付きローブの胸ポケットから手紙を取り出した。
元々は上質な紙だったのだが、今では見るも無残な塊に。
恐らく、これが床に落ちていれば必ずゴミ箱へと放り込まれるだろう。ちなみに封筒は邪魔だから部屋に。中身が妙に引っかかって仕方がないので、これだけいつも眺められるように所持していたのだ。
「はい」
私がそれを差し出すと、シェリーはこちらの顔色を伺うような仕草を見せる。
「よろしいのですか?」
「どうぞ」
「では……」
手中から、ざらりとした感覚が抜き取られた。
きっと彼女にも解読は出来ないだろう。……いや。初見では、この世界の誰もが首を傾げるはず。
最も、書いた本人すら理解出来ない代物なのだ。仕方ない。
「久しぶりね、サアラ! 相変わらず猫の楽園に入り浸っているのかしら? 私も今度……って、ちょっと待っていて下さいね。本文が長くて……えーっと、肝心の予言が……あっ、ありました! えーと、『彼女が生み出した世界は幻影。暗闇に浮かぶ城すらも。その辺りに転がっている石ころと同等。黄金色に輝く使者が手中に持つ花香る毒杯。それには、未来と過去、それから今が注ぎ込まれているだろう。だから救え。守れ。渡してはならぬ。彼女がそれを手に入れてしまえば、秩序が滅び混沌の森は広がるだろう。さぁ破滅の魔女より、哀れな偽りの姫君に終焉を』って、どういう意味でしょうか?」
「さぁ? そもそもそれが私に関しての予言なのかすら怪しい所ね」
そもそもどうしてお姉様はこれを私に送ってよこしたのだろうか。
哀れな偽りの姫君に終焉を。とても不吉すぎる。ただ、猫というフレーズが出てきたのが酷く惹かれるのが猫好きの宿命。
「ね? 意味不明でしょ?」
「えぇ、ですがこれはサアラ様に関する予言ですよ。ここをご覧になって下さい」
と、シェリーは手紙をこちらに掲げながら、右手の人差し指でなぞるように示している。
それを視線で追えば、『破壊の魔女』と書かれた言葉に重なっていた。
「それと私、どうして関係があるの?」
「えっ……もしかしてご存じなかったのですか……?」
と、シェリーが言葉尻を弱めながらそんな台詞を漏らしたので、私は首を縦に振った。
すると彼女は、さっと視線を外してしまう。
その泳ぎ切っている瞳と、それから真一文字に結ばれた唇が戦慄いているため、あぁこれはと納得。
「私って、世間では破壊の魔女って呼ばれているの?」
そう尋ねれば、彼女の体が大きくビクつく。そして恐る恐るこちらの機嫌を窺ってきた。
まるで怒られるのが確定してしまっている子供のようだ。
固い空気で痛ましい。そんな強張っている彼女を解すかのように、私は口を開く。
「別に気にしないわ」
「申し訳ありません……最近、そんな風に呼ばれているようです。恐らく、サアラ様のお仕事『黒猫の爪』が原因かと……」
「確かに物は壊すわ。そんな破壊レベルではないと思うけれども」
「皆、わかっております。魔力のレベル・ランク六を持つサアラ様が皇帝の命を受け、民を守るために悪党達と戦って下さっていることを」
この世界では皆、生まれながらに魔力を持って生まれてくる。
生後一か月ぐらい経ち、魔力が安定した頃に測定を行い、自分のレベルを把握し国が記録する。
レベルを表すのは、測定魔道具に数字が現れる事に由来。水晶玉のような魔力の流れを測定する装置に、数値が浮かびあがってくるのだ。それをそれぞれランク分けして判別。
上がるにつれ、希少価値が高くなっていく。
通常が一または二。
殆どの人々はこれに該当する。能力レベルとしては、物を浮かせたりするだけなので、あまり日常生活で使用はしない。
生活に魔術が役立つのは、三以上。
例えば国の魔術師団の試験。参加資格者にはそれ以上の魔力保持者と注意事項の記載がある。
魔術師団長ぐらいだと四以上。
そして五以上を持つのは、現在確認されるだけでこの世に七人。五が四人。そして六が二人。最高ランクの七は一人。八以上は過去には確認された事があるが、現在は未確認。
私が住むここ――リヴォルツ帝国の上位はランク六。
それはサアラ=カーツィア。つまり私だ。
そのため皇帝直々の勅令により、編成された新しき職務・『黒猫の爪』と呼ばれる、対犯罪者撲滅の任務を受けている。これは司法も身分も何も関係ない。何をしようと全て不問。
例えば、ガサ入れなど必ず許可が必要な信仰の対象となる場所も自由に立ち入る事が可。
罪人を捕えるのならば、何をしようが自由という免罪符を手に入れているのだ。
勿論、国から給金も支給。
それを元手にして作ったのが、この猫の楽園。餌代から人件費まですべて私が支払っている。
「一体、誰が……? どうせなら猫狂い魔女とかの方が素敵なんだけど。今からでも構わないからそちらで呼んで欲しいわ」
「それはそれでちょっと……ですが、破壊の魔女呼ばわりは失礼ですよ。サアラ様のお蔭でこの施設も運営させて貰っているんです。そんな不名誉な異名を流す人物は、一体何を考えているのか……」
「まぁ、良いわ。今はそれよりもそろそろ屋敷に戻らなければ、お父様が乗り込んできそう。私、そろそろ戻るわね」
「あっ……そうでした。申し訳ありません。屋敷へ促すどころか、話し込んでしまいました」
そう言うと、シェリーは腰を折った。
「いいえ。私もシェリーと話していると楽しかったから」
苦笑いでそれに答えながら、私は立ち上がる。すると足元がくすぐったくなり、そちらへと視線を落とせば、毛玉のようなまん丸い猫が私の右足にすり寄っている所だった。
ぐりぐりと頭を押し当てるようにして、まるで「撫でろ」とでも言いたそうなそれに、私は胸を締め付けられた。
――可愛い!
あまりの衝撃的な攻撃に意志が弱くなり、またソファが私へと手招きを初めてしまう。
だがすぐに、「サアラ様っ!」とシュリーの咎める声がこの身を打ち抜き、渋々と頭を左右に振り断ち切った。名残惜しいが、立ち去る事にしよう! と、心に固く決める。
触れてしまうとその甘美に溺れてしまうから。
けれども誘惑には勝てず。一撫でだけ……と、手を伸ばせば止まらなくなってしまい、結局最終的にはシェリーに引きずられるような形で扉の外へと連れ出されてしまった。