26 この世で一番信じられるのは自分だけ
「良かったです。すれ違わずにすんで。兄上達を追って、宿を一軒ずつしらみつぶしに探したんですよ。ちょうど運よく兄上達が借りた宿にあたって。そこの女将から伺ったんです」
私と猫王子の正面にいるルドルフ様は、覇気の無い声音でそう告げた。
薬師のマントから覗くのは、ちょっとした風が吹けば折れそうな程細い腕。
それだけでなく体が猫背気味なせいか、余計そう見えるのかもしれない。
相変わらず全てにおいて貧弱な印象を受ける人だ。
「何か新しい情報でもあったの?」
「いえ。僕はただ心配で……城でじっとしているなんて、耐えられなかったんです。どちらも大切な兄上達ですから」
そう告げると、彼は俯いた。
猫王子はそんなルドルフ様を痛ましげな瞳で見ると、彼の腰元部分のローブへと触れ、「ルドルフ……」と弟の名を呼び、慰めるように撫でた。
実に優しさ溢れる猫。
これにますます好感度が上がりまくりで惚れなおした。
「あの……僕もお供して宜しいでしょうか?」
「それは構わないわ。でも、いいの? 貴方のお兄様が混沌の魔女と組み、この可愛い猫王子に害をなしている可能性があるのよ?」
「はい。もしストリッド兄上が犯人なら、僕は必ず止めたいんです。信じたくはありませんが……」
「そう。ならご自由に」
「ありがとうございます。足手纏いにならないように頑張りますね」
本当に大丈夫なの? とつい尋ねたくなるぐらいに、生命力のあまり感じないその声音。ルドルフ様は。見た目通り。
戦力として当てに出来ないだろう。
でも、間に挟まれながらも、どちらも傷つけないようにという心意気は認める。
「……これから混沌の森へ向かうんですか?」
「えぇ。女神詣も終わったから」
五つの結界全てにお供え物として、結界遮断の魔法図入りの陶器の猫を置いてきた。
なので、あとは混沌の森に向かうだけだ。
「え? 女神詣?」
それを耳に入れた彼は目を大きく見開くと、足元付近にいる猫王子の方へと顔を向けた。
前髪に隠れてしまっているため、その瞳は窺う事は出来ないが、きっと「この肝心な時に?」と言いたいのだろう。
「仕方ないだろ。縁結び祈願だそうだからな」
「いえ、でも……」
「だってこんな時じゃないと来られないのよ? こんなに可愛い王子様が一緒にいるんだもの。元の姿に戻れなかったら、結婚。即結婚よ」
「……だから戻れない可能性を考えるのは、止めろって!」
「本当に猫が好きなんですね……」
猫王子の怒号とルドルフ様の憐れみを含んだ声音。
二つの相対するそれに、私は肩を竦めた。
「当然。人間の男には興味がないわ」
「もしかしたら持つかもしれないだろ! この世界で一番カッコいい王子が現れたりした時とかさ」
「ない。断言出来るわ」
見目麗しき王子なんて何度も見てきたけど、私の胸の鐘を鳴らす者はおらず。
「絶対に?」
「えぇ」
私は頷いた。力強く。
そんな私に対して、猫王子は悲壮感漂わせているし、それをルドルフ様は「兄上……」としゃがみ込んで宥めるように、何度も頭を撫でている。
「……ちょっと飲み物かってくる」
ゆらゆらと揺れる蜃気楼のように体を動かしながら、猫王子は私へと背を向けてしまう。
「そう。なら私もいくわ」
「一人にしてくれ……!」
そんな投げ捨てるような返事をし、猫王子は私達から離れた。
「どうしたのかしら?」
小首を傾げながらそう呟けば、「そっとしてあげてください」とルドルフ様に言われてしまった。
「わかったわ。貴方が言うんだから、そうなのでしょうね。私よりもはるかに、猫王子と過ごしてきた日々が多いでしょうし。でも手持無沙汰よねぇ……そうだわ! 貴方もお祈りしてみたらどうかしら?」
土産屋のある場所には、お供え物を売っている店も並んでいる。
そのため、こちらで購入する事も可。
「……願い事なんて、叶いませんよ」
「え?」
最初、空耳かと思った。
だって、耳に届いた声音には、一切の感情が籠もっていないのだから――
「どんなに強く想っても、願いなんて叶わない」
その時だった。彼の言葉が全て音となり終えるとすぐに、一陣の強い風が私達を駆け抜けていく。
誰かスカーフでも飛ばされたのか、細長い布きれが風に舞っているのを視界の端で掠めていった。
「この世で一番信じられるのは、自分だけです」
風を孕んだ髪の隙間からほんのわずか覗く金色の瞳が、冷たい雪のように陰りをおびている。
細められたそれは、刃物のように周りにいる人々すらも深く切りつけてしまいそうだ。
まるで自分以外は全て敵だと思っているかのように、憎しみに染まっている。
折角の寒空の満月のようで綺麗な瞳。
それなのにとても悲しくて胸を締め付けられる。
それと同時に、いつぞやの猫王子の話が浮かんだ。お母様であるアリーヌ様との確執の件を。
「もしかして、願い事ってお母様のこと?」
「どうしてそれを……」
弾かれたようにこちらへと顔を向けたため、さらりと彼の髪が大きく揺れ舞った。
「猫王子に、貴方の境遇を伺ったわ。もしかしたらそれかなって思って。ごめんなさい、干渉してしまったようね」
「いえ、構いません……そうですね、母上の事です。愛されたかったなんて贅沢は言いません。そんな高望みではなく、ただ、僕という存在を認めて欲しかったんです。本当の姿を」
そう言って彼はゆっくりと右手を胸元まで掲げた。掌を覗き込むようにすると、彼は
ローブの袖を捲った。露わになった血管の浮いた白磁のような手首。
そこには細長いチェーンのような物が巻かれている。どうやらブレスレットのようだ。
彼はそこへと撫でるように触れる。
ブレスレットは貝の形をしたゴールドの親指の爪ぐらいの大きさのトップが付けられているのだが、それには何か文字が刻み込まれている。ただ、あまりに細かいがために読む事は出来ないが。
「唯一、母上に頂いた物なんですよ、。チェーンだけ成長に合わせて変えてずっと付けているんです。生まれた時からずっと」




