25 女神詣
目の前には深い森が広がっていた。
外側は若々しい緑色をしているが、外側にいくにつれ、まるで燃えカスのように黒い群れになってしまっている。その色が変色している中心部こそ、混沌の森と呼ばれる穢れ地だ。
そんな生い茂る木々を灰色の女神が見つめていた。右手は天を、左手は森を指しながら。
これが三百年を超えた女神像。
大魔術師が施した結界。象の内部には魔法図と呼ばれる魔力を凝縮した紙が入っており、それらが大魔術師亡き後も当時と変わらぬまま五つ村を守ってくれている。
その女神像の前にて。猫王子は肩を落としながら呆れた声を上げ、私の傍に佇んでいた。
「まさか本当に全部回るとは……」
「だってここまで来たんだもの。さぁ、早速私達もお供え物を上げましょう」
私はそう唇に言葉を乗せると、女神像の傍へと屈みこんだ。
酸性雨の影響なのか、彼女の瞳から白い涙の痕が窺える。
それ以外には劣化が見当たらない。
とても三百年前から存在するとは思えないのは、修復士によるこまめなメンテナンスのお蔭なのだろう。
女神像の周りには花冠やお菓子の類が山のように積まれている。
身長は私ぐらいなのに、すっかり膝が隠れてしまっていた。
このお供え物も三日に一度のペースで回収するそうだが、それでもこの量。信仰心の現れだろう。
私は鞄からお供え物用の入った巾着を取り出した。そう。先日あの三毛猫の雑貨屋さんで購入したものだ。
周りでお祈りを捧げようとしている人々と同じように、それを地面へと飾った。
白と桃色の猫が綺麗に二体並んでいる。まるで夫婦みたい。
「なぁ、これ中身どっちも願い事の紙が入っているのか?」
「え、ちょっと……!?」
すっと目の前に細くて可愛いふわふわの手が伸びてきてしまい、私の心臓が大きく飛び跳ねた。
――中は駄目!
咄嗟に彼の手を取り、それを阻止。
実はこの中身、猫王子との縁結び祈願が書かれた紙ではなく、この女神の結界を一時的に遮断する魔法図が入っている。
何故そんなものを仕組んでいるのか? それは私が混沌の魔女と戦うのに利用させて貰うため。この膨大な魔力を――
勿論、ランク六の私一人では、巨大な力すぎて扱い切れないというのは、ちゃんとわかっている。けれどもあのカーツィア家の魔法具を使えば、私でもこの魔力を扱う事が出来るはず。
「は? なんだよ?」
私の過剰なまでの反応に対して怪訝そうな猫王子。
それを誤魔化そうと、私は無理やり笑みを浮かべた。
強張った頬の感覚に、きっとこれは引き攣っているなぁと過ぎったが、それを封印。
「お前、怪しさ全開だぞ」
「なんでもないわ」
「なら、それ見せろって」
もう片方の手を伸ばしてあの置物を取ろうとしているのを、なんとか体で押しとめる。
こういう時、身長差って便利だ。
「駄目よ」
「なんで頑なに拒むんだよ。まさか、他の男の名前でも書いているんじゃないだろうな」
「え? どういう事?」
「……違うのか?」
「よくわからないけど、中を他人が見たら叶わなくなってしまいそうで嫌だから。貴方との縁結びは成就させなければならいわ。だってこの世界で一番愛しい人なんですもの」
「……っ」
猫王子はそれに対して、言葉にならない声を上げ、頬を桃色に染めている。
それは私が飾ったあの猫ちゃんのように。
「安心して。猫の時限定よ」
「はぁ!? ときめきを返せ。何度も言うがな、人間の俺はめちゃくちゃカッコいいんだぞ。お前だって絶対俺に惚れ……――あ」
「どうしたの?」
突然猫王子は唇の動きを止めると、ふと顔を右側へ向け凝望。
私もすかさずその視線を追った。
けれどもそこには、めぼしいものは何もない。
ただ移動式の土産物店などが立ち並んでいるだけ。
その少し奥には入口の門が。ピーク時なのだろうか、人の群れが押し寄せる波のようにこちらに流れて来ている。
「どうしたの?」
「いや、今ルドルフの匂いが……あっ! やっぱり居たぞ!」
母親を見つけた子供の様に、猫王子は腕を上げ左右に振りながら入り口へと駆けて行く。
こちらにやって来ている人々を縫うように、流れに逆らっていく姿が気がかり。
ふと、人の影に彼が消え、私の心臓は氷に包まれたかのようになってしまう。
あの時――混沌の魔女と対峙した時が浮かび上がり、戦慄が走った。
「……まさか」
足に力を入れ駆けだそうとした瞬間、人の波が避けられ、猫王子達の姿が現れた。
猫王子を抱き上げたまま、こちらに足を進めているルドルフ様。
彼は猫王子と顔を見合わせながら、何か話しているようだ。
「あら? 本当にルドルフ様がいらっしゃったなんて」
以前リヴォルツ帝国に訪れた時のように、今日も薬師の衣装に身を包んでいる。
そのため旅装束姿の観光客から浮いているようだ。
……まぁ、それは私もだけど。しかし、ルドルフ様は、何をしにやって来たのかしら?
まさか、何か新しい進展が?
あれこれと事情を考えるけれども、彼が私達を追って来た理由は想像も出来ない。
それが、なんだか燻っているような気がして気持ちが悪い。
なんと言えばいいのだろうか。
具体的にこれだ! という事は明確ではない。
それをいち早く振り払いたいために、私も猫王子達の元へと駆けだした。




