14 後でご褒美頂戴
領主館の玄関ホールにて。
食事に招かれたので、迎えに来てくれた馬車にてここまでやってきた。
いつも通りの服だが、猫王子は私が作ったマントを早速着てくれている。
「ようこそお越し下さいました、サアラ様」
私達を蒸しパンのようにふっくらとした恰幅の良い男性が出迎えてくれていた。
歳の頃は四十代ぐらいだろうか。
あごひげを蓄え、人を惹きつけるような柔和な表情を浮かべている。
纏っているのは上質な衣装だが、帝都の貴族の様に装飾品を一切身に付けておらず、シンプルな出で立ち。
彼はこの館の主であるポストン男爵だ。
その彼の少し斜め後方には、ドレス姿の御婦人が頭を垂れている。
男爵と比べると、かなり若いように感じる。一回り下のようにも窺えるぐらいだ。
婦人の白魚のような手は、四・五歳ぐらいの少女の小さくてぷくぷくとした弾力のある手へと繋がれている。
その少女は、私の隣にいる猫王子を好奇心で溢れさせた瞳で捉えていた。
このぐらいの年頃は、いろいろな動物に夢中になる頃だろう。
その熱意を持って見詰める眼差しに対して身の危険を感じたのか、彼は私のローブの裾へとしがみついてきた。
面識のある男爵以外は見ず知らぬ顔だが、恐らく領主の家族だろう。
そしてそのすぐ後方には使用人達の姿もあり、館全員で出迎えてくれたという印象を持つ。
「今日はわざわざ、お食事のお誘いありがとう。ポストン男爵もお元気そうね」
「えぇ。これもひとえにサアラ様が、黒猫の爪として国を守護して下さっているお蔭です」
「私ではなく男爵のお蔭よ。ご苦労様」
「いえいえ、私は……皇帝と宰相殿が騎士団の駐屯所を増設して下さったからです」
「すっかり忘れていたけれども、この国が安定しているのも皇帝のお蔭なのよねぇ。ただのテンション高いおじ様だと思っていたけれども」
「サアラ様っ!?」
不敬罪として捉えられてもおかしくない発言をした私に、目をひん剥いている男爵。
これで捕まるのならば、私は何度も地下牢に入っているだろう。
実際にあのテンションに着いていくのが大変。
国を統治する事に関しては、ずば抜けていると思う。
頭の回転も素早く、民の事を考える政治により圧倒的な人気を誇っている。
それに貴族達との関係も円滑。
けれども、一旦皇帝の仮面を脱ぎ捨てるとギャップが生じる。
プライベートでは、まるでお酒でも飲んでいるかのような勢い。
「皇帝の事に関しては大丈夫よ。いつもの事だから。それよりも念のためも私の可愛い使い魔ちゃん達に、屋敷の周辺を遊ばせても構わないかしら?」
「えぇ。勿論ご自由になさって下さいませ」
「ありがとう」
私は礼を述べると、指をパチンと鳴らした。
きぃーんと耳の奥で音がし、私の魔力を屋敷の外で感じる。
「は? それだけでいいのか?」
それに驚愕の声を上げたのが、猫王子。
納得いかないような表情でこちらを見上げている。
彼が不振に思うのも無理はないだろう。
「これぐらいなら詠唱も杖も必要ないわ」
それにこんな所でわざわざ騒動を起こすなんて馬鹿な真似はしないだろう。
だから、軽めの魔法でも問題ないはず。
ここは国境沿い。そのため、騎士団の駐屯地も近くにある。
だからここで事件でも起こせば身動きを取りにくくなる。
私が襲撃するならば、この先に進まなければならない深い森を狙う。
――……まぁ、相手が切羽詰まっていれば別だけれどもね。
「さぁ、サアラ様。どうぞこちらへ」
「えぇ。さぁ、猫王子行きましょう」
男爵に促され、私は足を進めた。
庭に感じる自分の魔力を帯びた使い魔の存在を感じつつ。
男爵に案内された食堂。その部屋の一番奥――暖炉前の席にて私達は食事を摂っていた。
左手の窓際には、男爵一家が。そしてその反対側の壁際にはメイド達が控えている。
白いクロスの掛けられた長机には、料理が盛られた銀食器やこの辺り名産の果物ジュースが並べられていた。
私は自分の前にある羊のソテーをナイフで切り、フォークでそれを口に運ぶ。
琥珀色のさらりとしたソースなのに、絡んで味を深ませている。
そのおいしさに溜まらずに顔が緩んでいく。
「……美味しいわ」
用意してくれていた夕餉は、この産地特有の品を中心に作ってくれたものだった。
ここは国境沿い。
そのため、リヴォルツ帝国と隣国の文化が混じりあっているので調理方法に関しても同様。
こちらでは王都ではあまり使用されない調味料を使用したりしている。
「お口にあってよかったです。使い魔殿は魚ではなく、肉で宜しかったのでしょうか?」
私の左手に座っている男爵は、心許なさげに眉を下げ私の隣へと視線を向けた。
そこにいるのは猫王子。
彼の事は、使い魔として紹介していた。
猫が二足歩行したりしゃべったりと、普通の猫で旅をするのはちょっと無理がある。
そのため、使い魔ということにした方が何かと都合がいい。
魔術師には使い魔を使役している者もいるため、なんら疑問に思う事はないだろう。
「えぇ。姿は猫だけれども中身は違うの。でも、内臓とかどうなっているのかしらね? 猫のままなら消化に悪いし……」
「解剖とかすんなよ!」
「しないわ。でも、猫のままなら中毒になるものもあるから心配なのよね」
「今まで人間と同じ物を食べてきたから問題ない。お前の屋敷でも普通に食べていただろ? とにかく中身の話はするな。あの胸糞悪い男を思い出す」
「誰?」
「俺の主治医。狂医者なんだよ」
「そうなの?」
「あぁ。とにかく問題ない。今までもそうだろ?」
「えぇ」
確かに至って人間的な生活だった。
食事をしてお風呂に入ったり、歯を磨いたり……
出来る事なら全て観察したかったのに、猫王子は「見るな! ひっかくぞ!」と爪を出して威嚇。
「猫に引っかかれるなら本望よ?」と答えたら、後ずさりしてルドルフ様の後方へ隠れてしまった。
強がっているのに、以外と恥ずかしがり屋さんのようで可愛い。
「この度のお忍びは、黒猫の爪ですか?」
「……まぁ、似たようなものね。ちょっとだけ憂虞しているわ。楽園にいる猫達が気がかりで」
「ですが、職員達がとても一生懸命と伺っておりますよ」
「そうね。彼らはよ……あっ」
その時だった。私はとある事のせいで、言葉が中途半端になってしまう羽目に。
それは親指先に起こった異変が原因。
何の前触れも無く起こった痛み。
ぴりっと静電気のような物が走ったせいで、手中をすり抜けグラスが落ちてしまい中身の葡萄ジュースが床にぶちまけてしまっている。
そのせいで、ふわりと立ち上っていく葡萄の香りが鼻腔を通り抜けていく。
「手が……ごめんなさい」
「いいえ、お気になさらずに」
男爵の言葉が耳朶に触れると共に、すぐ傍にいた給仕がすばやく落ちたグラスを拾い処理してくれている。
「おい、大丈夫か?」
「えぇ。大したことではないわ。ただ、使い魔達に反応があっただけだから」
「そうか。なら問題な……――って、お前! それ大したことだろうが。お前はなんで冷静なんだよ!?」
「貴方もお父様と似ているわね。突っ込み役というか……」
「お前と居れば誰だってこうなる!」
「場所もわかっているし、相手も捕まえているわ。私の可愛い黒猫ちゃん達が」
「は?」
「私も一応この国で最強の魔術師よ。他愛もないわ。だから後でご褒美頂戴ね。そうねぇ、口づけが欲しいわ。今度は唇に」
「なっ……」
猫王子が目をひん剥き、唖然とこちらを食い入るように見つめている。
彼の手に持っているフォークに刺さったムニエルがぽたりと皿へと落ち、水たまりへと長靴で飛び込んだようにソースがはね飛び、純白のクロスへとかかってしまう。
そんな事はお構いなしに言葉を失い、顔を真っ赤にさせた王子は、口をぱくぱくと沖へあげられた魚のようにしていた。




