12 二人っきりでお泊り
柔らかなオレンジ色の光が空を染め上げている。
そのため帝都より数十キロ南下し、最も隣国・ビオルドとの国境に近い村――キトではそろそろ訪れるであろう闇夜に備え、軒下に明かりを灯し始めていた。
日中には食堂だった箇所も葡萄が彫られた看板を掲げたり、到着した旅人達が大慌てで宿を探したりと、大通りだけ時間が早送りになっているようだ。
そんな村の様子を私は、天界の住人のように喧噪とは切り離された上の世界から眺めている。
この辺りで一等高価な宿の最上階にある部屋で。
そこは地上と違い静寂に包まれ、ささいや呼吸や足音等も聞き漏らさないぐらいだ。
私はこの村の名産でもあるハミルと呼ばれる細長い木で掘られた窓枠に腰を下ろしながら、窓下を覗き込んでいた。胸にはあのふかふかな、この世で一番可愛い王子を抱いて。
「やっぱり混んできたわ。部屋早めに取れて良かったわね」
「そうだな。あの時はもっと進めると思ったけれども、やっぱりお前の言う通りに……っつうか、さっさと放せよっ!」
と叫びながらつぶらな瞳を細め、肢体を踊り子のようにくねらせている彼。
それに対して、私はそっと首を左右に振って拒絶。
まるで干したての布団のような柔らかさを持つ毛、それから抱き付いてくれと言わんばかりの肢体。
その上、思わず見惚れてしまうその凛々しい顔立ち。
こんなに可愛い要素がいっぱいなのだから、王子へと愛が絶え間なく溢れ出すに決まっているではないか。それを無理矢理押し殺せというのは酷なこと。
目の前に大好きな人がいるとしたら、それを視界に入れるなというのが難題であるかのように。
それに万が一もし人間に戻ってしまったら、もうこの姿を見る事が出来なくなってしまうのだ。
だから今のうち。「子供の成長が早いから。日々目に焼き付けておかねばならないわ」……と、いつぞやのお姉様の台詞。まさにその通り。刻一刻と時は変わっていくため、同じ瞬間は存在していない。
だから猫王子を思いっきり構って抱きしめ、愛でなければならない義務が生じる。
猫王子の表情も変化していくから。
「なんて魅力的なのかしら。こんなにも理想的で微笑ましい王子様はいないわ。まさにこの世の天使」
「くそっ。お前、俺が人間に戻ったら同じ事をしてやるからな!」
「どうぞご自由に。だってもし猫王子が人に戻ったら、私とは関わりが薄くなるもの。いえ、完全に縁が途切れるわね」
「すごいな。お前の人間と猫の温度差は……」
「仕方がないわ。だって、私だし」
「あのな、俺は王子だぞ? なんだかんだ理由づけて、なんとかごり押しするに決まっているじゃないか。その時は嫌がるお前を抱きかかえて頬ずりしてやる。風呂を覗こうとしたり、部屋に忍び込んで添い寝もしてやるからな。覚悟しろ」
「……嫌だわ。なにそれ」
「なにすっとぼけているんだよ! 全部宰相邸に滞在中、俺にやった事だろうがっ!」
牙をむき出しにして吼えるように叫ぶ猫王子に、私はそれも触りたいなぁと思った。
今日で彼と出会って二日目。初日はうちに宿泊し、次の日――つまり本日より旅に出立。
皇帝の配慮にて、城から国境まで送迎をとおっしゃって下さったのだけれども、目立つと色々と問題が生じるためそれを固辞。そのため二人で辻馬車を乗り継いでここまでやってきた。
だから、今日は私と猫王子の初めて二人だけで過ごす夜。つまりは記念日。
そういう訳で部屋もこの村で一番値の張る所を取り、夕食も密かに追加でケーキを注文。
勿論、そんな大切な日だ。プレゼントの方にも抜かりはない。きちんと事前に準備をしてある。
「本当に可愛さって罪ね」
「俺は男なんだ。可愛いって言われて嬉しくないーっ!」
「そうね。雄なのよねぇ……ならカッコいいはどうかしら?」
「それなら構わない。むしろ、常日頃言われ慣れているしな」
ふんっと鼻を鳴らしながら、猫王子は顎を上げこちらを自信満々の表情を決めている。
まるでその一瞬を切り取れと言わんばかりの得意げなドヤ顔に、私は抱きかかえている腕をゆっくりと外そうと動かせば、「撫でまわすな!」との叱咤が飛んできてしまう。
どうやら先を読まれてしまっていたらしい。
「喉元撫でるなよ?」
「無理。だって私が貴方に触れたい欲求を我慢しろっていうの? それは私に息をするなと言っているようなもの。ほら、我慢するって体に悪いし」
「……全然違うだろ」
「だって貴方が言うように、格好いいんだもの。ほら見て。私を映し出すその凛々しいその瞳」
「まあな」
言われて気分がいいのか、猫王子はもじもじと体を捩らせている。
まるで告白をするような乙女のようなその仕草に、私は体の温度が急上昇。
ずっとこのまま愛でていたい。
「そして毛並も艶々で触り心地もいいわ。一番よ」
「――って、待て! 格好いいのは人間の姿の時に決まっているだろうが! いいか、コ
ンクェストのフィテス王子って言ったら、この世界でも屈指の……――」
と、そこで猫王子言葉が途切れた。
それは遮るように部屋に突然ノック音が響いてしまったせいだ。
その間の悪さに、猫王子の眉間に皺が寄ったのを私は見逃さず。
「誰かしら?」
小首を傾げながら体を半回転させ、正面先にある扉へと視線を向ける。
もしかして夕食の時間? いや、でも……
ちらりと視線を左手にある飾り棚の隣に設置されている繊細な彫金が施された黄金の置き時計へと視線を向ければ、やはり予定の夕食時刻よりも早かった。
せっかくの二人だけの時間を堪能していたというのに。
私は深い嘆息を漏らすと、猫王子を一端床へと降ろし扉の方向へ。
「サアラ様?」
その低く太い控えめな声に、私はとある人物の顔が頭に浮かんだ。
想像通りならば、彼はつい先ほどこの部屋に挨拶に来たばかりのはず。それなのに何故?
「今、開けるわ」
思う所は多々あるが、兎にも角にも私は扉の方向へ。
そして腕を銀色に光る鍵へと近づけそこを上に押せば、ガチャという金属音が響き渡る。
そしてすぐに磨き上げられた扉の取手へと手を伸ばし、それを自分側へと引いた。
するとそこには、初老の男性の姿が。
皺ひとつないシャツにジャケットを羽織り、きっちりとアイロンのかけられた紺色のズボンを履いている。その人物は、やはりこの宿の主だった。




