10 謎の猫と謎の空間
「それに……今のストリッド兄上は何を言っても信じてくれません」
「どういうこと?」
「兄上の腹心の部下である、ルカが何者かに襲撃され意識不明なんです」
「もしかして男装の麗人である彼女かい?」
「えぇ。本当に我が国の事をよくご存じですね」
ルドルフ様は、すっかり感心した様子でお兄様を見ている。
「彼……いや、彼女の事はかなり有名だからね。とても凛々しく、凄腕の剣術の使い手であると同時に、魔力もランク四で団長クラスだと。彼女がやられるなんて、そうとうの腕の持ち主のようだ」
「それも頭が痛い案件の一つなんだ。ストリッドは俺達が混沌の魔女を雇い、襲わせたと思っているらしい」
「何故?」
「ルカは城の廊下で倒れていたんだが、そこに血文字で残してくれていたんだ。『混沌の魔女が全て』ってな」
「……ふぅん。なんだか、ややこしいのね。それで貴方のお兄様は、大事な部下を傷つけられ怒り狂って話を聞かないと。しかし、どちらも混沌の魔女が関係しているかもしれないなんて不思議だわ。もしかして、名を語った第三者による関与?」
「わからない。とにかく人間に戻らないことには何も出来ないから、一刻も早く戻りたいんだ。だから、頼む。俺を元に戻してくれ」
そう言って深く頭を下げる猫王子に、ルドルフ様も続いた。
私はそれに対して不信感を隠そうともせずに、彼らを注視する。
当然だ。私と彼らには全く接点がないのだから。
それなのにいきなりやって来て助けて欲しいというのは、ちょっと疑問に思う。
「どうして私なの?」
「それは……ルドルフがランク六の持ち主で相当な猫好きがいるから、頼めば聞いてくれるかもしれないって……混沌の魔女が相手なんて、誰も手を貸してくれないだろうし……」
ちらりとルドルフ様の方へと視線を向ければ、大きく体をビクつかられた。
別に怒っているわけじゃないのに、「ひぃっ」と情けない声を上げながら、クッションで顔を隠している。
「俺を元に戻してくれ」
「それが可能かは、今すぐこの場で断言する事は出来ない。でも、取りあえず何が原因か探ってみるわ。その可愛い姿見られたし」
「可愛いって言うな!」
「だって本当の事だもの。……まぁ、いいわ。ちょっと待っていて。今、貴方の魔力を視るから」
私はそう告げると、深めの深呼吸を二、三度繰り返す。
そして猫王子の周辺へと視線と意識を集中させた。
すると彼の後方にぼんやりとした淡い光が現れはじめる。
人魂のようなそれは、段々と姿形を作り、やがて結晶化しふわふわと浮いている。
掌サイズのそれは、汚れなき真白。
これは、魔力を具現化したもので私の能力の一つだ。
意外とこれは便利。例えば魔力を使った犯罪があったとする。
その犯行現場に残留思念のように、残されている。
雪の結晶のように、これは同じ形はこの世に存在しない。
そのため、犯人の魔力と照合することが可能。
ただし永続的なものではなく、時間の経過により消滅してしまうが……
「あぁ、これね」
猫王子のやつを見る限り、形も色も問題がないレギュラーな物。
ただ――彼の体のラインに沿うように、何か黄金の淡い光が見えるのが気がかりだ。こんなもの今まで見たことがない。
それはまるで太陽のように、彼を優しく包み込んでいた。
小首を傾げながらそれをひたすら凝視していると、まるで時空が歪むように波打ち始めてしまう。
こちらが視えているのが嬉しいかのように、最初は小さかったのにどんどんその反応は大きくなっていった。
「ちょっと抱きしめていいかしら?」
「あのな! 今は、その猫好き置いておけよ」
「貴方の周りに何か流れているの。ほら、たまにオーラが見える! って、占い師とかいるでしょ? そんな感じのものだと思うわ」
そう私が告げれば、猫王子は一瞬考え混んだ素振りを見せ、立ち上がりこちらにやってきた。
そして私の前に佇むと、「ん」と言いながら両手を広げはじめる。
まるで抱きしめろと言わんばかりのそれに、顔が緩みきって仕方が無い。
「……可愛い。即、教会に連行したいわ」
「おい」
「わかっているわ。本当に残念」
両手を伸ばして彼を抱き抱えるようにして膝の上に乗せると、ゆっくりと瞼を閉じ、その流れに意識を合わせた。そしてその周りに覆っているものへ、血管を通すようなイメージで私と繋ぐ。
どくりと彼に触れている所から鼓動のように伝わるのを感じ、その正体を探っていく。
すると、『にゃー』という愛らしく甘えるような声に、私の体の力と集中力が切断。
猫好きな私がその誘惑から逃げられるわけがない。
その姿を捉え、目に焼き付けたくなるに決まっているではないか。
私はゆっくりと目を開け、言葉を唇に乗せた。
「可愛い声を上げてくれるのは嬉しいけれども、少し我慢してちょうだい。でないと、私はここで貴方を全力で可愛がってしまうわ」
「はぁ? 俺、何も言ってないけれど」
「え?」
辺りを見回せば、猫王子の言葉を肯定するような仕草を全員している。
という事は、私の幻聴だろうか。猫好き過ぎて? いや、でも……
「大丈夫か?」
「えぇ。もう一度やってみるわ」
そう告げ、私は再度瞳を閉じ、再びイメージをする。
するとまた同じような現象に苛まれてしまった。
でも、今度は先ほどと違う。
真っ暗な視界の中にいたのだから。かと思えば何者かに腕を掴まれ、おもいっきり後方へと引きずり込まれる。
不思議な事に後方にはソファがあったはずなのに、そのまま障害物なく、私の体はぐらりとよろめき浮遊した。
まるで魂だけ抜き取られたかのようなその妙な感覚に咄嗟に目を開ければ、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……どこ、ここ?」
真っ暗闇に浮かぶのは、ぼんやりとした濃いシルエットを持つ城だった。
不思議な事に、自分の足もと等ははっきりと見える。
しかも、色まで。それなのに、その城は幻のように存在が曖昧。
「何、これ」
その時だった。がさりと後方から物音がしたのは。
反射的に振り返り目に飛び込んできた光景に、私は咄嗟に手が伸びた。
「猫―っ!」
『破壊の魔女は本当に噂通り、猫が好きなんだのぅ』
秋の収穫時期を迎えたような小麦色の毛を持つその猫は、私の腕に包まれながらぽつりとそう漏らした。
「可愛い。可愛い。可愛い」
抱き心地もいい! しかも大人しくて紳士的。いじっぱりの猫も好きだけど。
というか、猫なら全て受け止め愛する。
『……うん。あのさ、少しだけ話そう? な?』
困惑気味の声が耳朶に触れた。それも愛おしい。ずっと聞いていたい。耳の奥まで伝わり至福。
猫が言葉を話すなんて滅多にない。初めて聞いたのは、つい先ほど。あの猫王子に出会ってからだ。




