プロローグ
窓の外は深い地獄の底のような闇の世界に包まれている。
雲が月を隠しているせいか長い廊下には壁に備え付けられている燭台の明かりにより、一つの影がゆらゆらと映し出されていた。
それは開け放たれた窓枠に座っている少女が作り出しているものだった。
足首まであろうその長い髪に興味を惹かれるが、それよりもまず目につくのは色だ。
燃え盛る炎のように鮮やか。
それだけではない。服装もだ。身に纏っているのは体のラインを露わにさせる薄い純白の薄衣。
それは彼女の女性らしい凹凸を際立たせているのだが、まるで突然降り始めた激しい雨でも浴びたかのように所々赤い染みが広がり貼り付いていた。
「咄嗟に急所を外すなんて、さすがね。ルカ」
少女は弧を描くように優しげに目尻を下げ、口を開く。
その言葉は彼女の足元に倒れ込んでいる騎士服の人物へと降りかかった。
今は苦痛で歪んでいるが、本来ならばきっと甘い顔立ちなのだろうとわかる端正な顔立ち。それから燃え始めの墨のような少し灰を含んだ印象的な髪。
ルカ=ザミルド。守神・黄金猫コアの守護を受けしコンクェスト国。
その第一王子ストリッドの従者兼、護衛騎士である。
耳が見えるまで短く切りそろえられた髪や、身に纏っている男性用の衣服から性別を間違えられるが、れっきとした女性だ。男装の麗人と呼ばれ、普段は女性達の黄色い声援を受けている。
強く優しい彼女は乙女の憧れを具現化した王子様だろう。
だが、今の彼女にはその面影が見受けられない。ルカは仰向けになりながら、ゆっくりと左手にある窓へと目を鋭く視線を走らせ、少女を捉えていた。左手で押さえている脇腹からは、赤い液体が湧き水のように溢れ流れてくる。血の気の引いた顔をしているが、表情は弱々しさが一切感じられず。
「まさか、貴方様が裏切り者だったなんて」
むせ返りそうになるような錆びついた鉄の香り漂う中で紡がれたその台詞。それには、怒りや悲しみなど様々な感情が織り交ぜられていた。
「しかも……っ」
吐き出す言葉の代わりに苦痛の息が漏れ、先を述べる事が出来ない。それでもルカはなんとか続けようと、唇を震わせるが無情に音となる事はなく、彼女のうめき声だけが響く。
「貴方も私と似たようなものでしょ? 男装の麗人さん」
そんなルカを見詰めながら、その少女は人形のように美しい顔で微笑んだ。
そして両手で窓枠を押しながら腰を上げると、絨毯の上へと軽やかに舞い降り、倒れているルカの頭部付近へと佇んだ。その後、窓枠に置かれていた黒い手帳を手に取り掲げ、ころころと楽しそうに笑って見せた。
それには二つの頭を持つ、獅子の紋章が赤い糸で刺繍されている。
「でも、驚いたわ。貴方のお母様――第一側室アリーヌの侍女であるエヴァが、まさかこんな物を残していたなんて。危うく私の復讐に支障が出る所だったじゃないの」
「……」
「でも、ありがとう。礼を言うわ。貴方が見つけてくれたお蔭で助かったんだものね」
「……どうして……こんな真似を……っ!」
「言ったでしょ? 復讐よ。私はこの世に存在してはならない。あの女達に生まれながらにして、この身を亡き者にされたの。そして作り上げられたこの偽りの身」
「あのお方達は関係ない……やめろ」
「心配なの? 安心して。すぐにお兄様達……いえ、この憎き国は跡形もなく滅ぼして、全員逝かせてあげるから。だから、お先にどうぞ?」
そう口にするとその少女は、表情を消し左手を振り上げた。するとそこへ真っ白い光が集まり、形を作っていく。
雲が流れ廊下に月の光が差し込みそこを照らしたのは、鈍い刃の輝きだった――