⑨風呂め 松の湯の秘密
『アリマ……起きろ』
どこからか声が聞こえてくる。それは俺に優しく語りかけるように。まるで若くして命を落とした悲しい青年をいたわるように。そうか……俺は死んだのか。ということは転生して新たな生活が始まるのか。や……やったー! 平凡だった俺の人生は終わりだっ! 今日からはファンタジー世界で冒険者として生きるぞっ!
『何を一人でバタバタしてんだよっ! 目を開けてこっちを見ろ!』
女神なんかじゃない現実的な問いかけに俺は我に返る。夢の妄想時間は瞬時に終わり、ゆっくり目を開ける。
視界がゆらいでいる。例えるならプールの中でゴーグルをはずしたようだ。そんな感覚の中で声のしたほうに頭を向けると金髪の女性が水槽の中にいた。
「あんたは誰だ?」
『誰って……そうか……あたしが殴っちまったんだよな……あたしだよ、アルミスだ』
「ア、アルミス……? エルフ……アルミス!?」
その時の感覚はあれに似ている……デジャブ! いつの日か夢で見た光景が脳裏にフラッシュバックするようにアルミスと出会ってからの記憶が次々思い出されていく。
ふいに後頭部が痛む。そうだ、俺は渾身の一撃を受けたんだ。
「アルミス……おまえ……」
『言いたいことはわかる。すまない、話はさっきデーモンから聞いたよ。でも信じてほしい。あたしは操られていたんだ』
「なんで裸なんだ?」
『そこかよ! このド変態が! ……これはデーモンの治癒魔法だ。あたしたちは治癒効果のある長方形の水の中に体を沈めてるんだよ。まぁ、あたしの場合は前科があるからな、ここに閉じ込めておくって役割もあるんだろうな。治癒魔法を発動したやつが解除しない限りここから自力で出るのは不可能だ』
「そうか……それで操られてたって?」
『ああ、あたしはアリマに自分に酔ってるって言われたあの日この商店街を出てしばらく街をさまよっていたんだ。そしたらあの魔王に襲われた。取り押さえられて気が付いたら目の前にあたしと同じエルフがいたんだ』
「エルフ? それって誰だよ? アルミスとデーモン以外にこの世界に来た異世界の住人がいたってのか?」
『いや、それはないはずだ。魔法道具のジェムを使えばその巨大な魔力でいかにあたしたちが遠くにいたとしてもその魔力に反応するはずだからな。だがあたしは見たんだよ。巨大な水槽の中にいるエルフを』
治癒魔法の中でぼやけたアルミスは三人目の異世界人の存在を明かした。なんてことだ、と思った俺だったが心の中では歓喜の声を張り上げていた。
「じゃあアルミスは敵じゃなかったんだな!」
『信じてくれるのか?』
「あたりまえだろ! 俺はうれしいんだ! ずっと後悔してた……あの日タイラーから俺を守ってくれたのにひどいこと言って……」
『ば、バカ野郎! なに恥ずかしいこと言ってんだよ! あんなこともう気にしてねーよ! それよりもうちょっと人を疑ったほうがいいんじゃねーの? デーモンなんかあたしのこの話をいまだに信じてねーんだから』
「えっ? デーモンは信じてないのか?」
『ま、それが普通だろうよ。自分が殺されかけたやつの言葉をすぐに鵜呑みにできるほうがおかしいんだ。たぶんやつはあたしをここから出す気はないと思うぜ』
「そんな……」
――少しの間が空いて外から爆発音が響いた。
「なんだ?」
『外が騒がしいな。どれ、今なら治癒魔法の中だから外の様子をうかがうことぐらいはできる……あーヤバい。敵が攻めてきたぞ。それも今度は実態をもたないやつだな。やっぱ敵にもいるぞ、あたしたちと同じ世界から来たエルフが』
寝返りをうってアルミスは外の様子をうかがった。でも俺たちは治癒魔法に守られていて外に出ることはできない。アルミスと違って外の様子が分からない俺は爺ちゃんや父さんが気がかりでしょうがない。そしてデーモンもだ。
「みんなは無事なのか?」
『かなりヤバいな。爺さんとエロ親父が強化されて奮闘してるがまるで歯が立ってない。そりゃそうだろうな。この敵に肉弾戦は無理だろ」
「爺ちゃんと父さんがやられてるのか? 強化されてるのに?」
『なんでもそうだけどよ、相性がある。例えるなら水の化け物にどれだけ砲弾や石をぶつけても無駄ってことだ』
「なんだよそれ……どうすることもできないのかよ、このままじゃみんな殺される……」
『手段ならある』
絶望しきっていた俺にアルミスは希望をもたらした。
「おお! なんだ手段って?」
『あたしが風呂に入ってデーモンが代わりに敵をたたく。あたしと違ってあいつは魔法が専門の戦い方をするだろうから今の敵にはうってつけだ。……ただ、問題はあいつがあたしをここから解放するかだけどな』
「わかった。アルミス、俺をデーモンとつないでくれないか。いつの日かに父さんにやってみせたテレパシーの魔法で」
『はは、たくましくなったなアリマ。この間とは別人みたいだ。じゃあ、頼んだ』
直後、俺は一切の外の世界との音が遮断された。無音――まさかもうテレパシーが始まってるのか? とりあえず名前でも呼んでみるか。
独り言を言うように俺は半信半疑で呟いてみた。
『デーモン、デーモン聞こえるか?』
五秒ほど経過したが返答はなかった。
『アルミス! なにもおきないじゃないか!』
『聞こえてるわよアリマ』
『えっ? デーモンなのか?』
『ええ、そうよ。驚いた、アルミスの言葉を信じたの?』
『信じるも何も最初からアルミスは上須賀に加担していなかったんだよ。操られていただけなんだ』
『じゃあ聞くけど、この世界に人の心を支配する魔法が存在するのかしら?』
『そんなものはない。だけどデーモンやアルミス以外にもう一人この世界におまえたちと一緒で異世界から来たやつがいたんだ。それもエルフのな』
『悪いけど信じれないわ。ジェムを使えば』
『使用した時の魔力を観測するはず、だろ。アルミスも同じこと言ってたよ。でもそんな根拠をグダグダ言ってる場合じゃないのはおまえも分かってるはずだ。外で起きてることをアルミスに聞いたよ。俺の爺ちゃんと父さんが危険なんだよ……頼む、アルミスをこの治癒魔法から解放してやってくれ』
『まさかもう忘れたの? あいつはアリマを殺そうとしたのよ? あいつが今も演技をしていたらどうするの? この世界に来た時だって演技を』
『その時はアルミスの口に一升瓶つっこんでやるよ! なんなら下の口にももう一本ぶち込んでやる! 責任は俺がとる! だから、頼むデーモン!』
『……』
やってしまった……説得するつもりが俺はエキサイトして怒鳴り声をあげてしまったじゃないか。
『バカ……』
ブッシャァァァァ!
真っ暗闇だった視界がもとに戻り俺とアルミスを保護していた液体が一気に形を崩した。周囲に水がまき散らされた。
「うげえ、体中がベトベトするぜ……よし! 交渉はうまくいったみたいだなアリマ! 早速あたしは風呂場に直行するから爺さんとエロ親父を助けに行ってこい!」
いやいや、なんというか……こんな時に不謹慎なことを承知で言わせてもらうけどさ、アルミスさん、ナイスバディすぎだろ。目の前で生まれた姿のままのエルフが両手を思いっきり天井に伸ばして伸びをしている姿は一生の思い出だ。そして勉強になったのは髪の毛が金髪だとあそこの毛も……。
「てめえ! 今の状況わかってんのか! なに人の体ジロジロ見てんだよ!」
下心マックスな俺は鼻の下を伸ばしてアホ面をさらしていたらしく横腹に強烈な蹴りをいれられた。本当にすいませんでした。
「あたしは今から風呂場に行くからいいけどアリマはスッポンポンで表に出て行ったらなにかとヤバいな。服をプレゼントしてやるから着たい服を思い浮かべろ」
「なになに? それも魔法でできるのか?」
「いまなら治癒魔法されてるあいだ魔力を注ぎ込まれてたからそれぐらいはできる。早くしろ変態、なんなら変態らしくそのままの格好で行くか?」
「絶対に嫌じゃ!」
服装か、考えてる暇はないけどこの際……着てみたいのがあるんだよな。
「よし思い浮かべたぞ!」
「それじゃ、うまくやれよ。また後でビールとやらで祝杯あげようなアリマ」
昨日おびただしい量のゲ○を吐いといてまた飲みたいと思う気持ちが俺にはわからん。
巨大な大剣を背中に装備した俺はロールプレイングの勇者さながらの格好で松の湯の外へ窓から飛び出した。
外は雨が降っていた。
濡れることを気にせずに俺は無我夢中で爺ちゃんと父さんを探した。
さすがに大剣を背負っていると走りにくいな……ゆさゆさ揺らしながらゲームの勇者達はすごいなと思いながら走ること数分。
「爺ちゃん! 父さん!」
俺は二人を発見した。二人はアルミスが言っていたように水の化け物、例えるなら四つん這いの姿をした獣に囲まれていた。体は水そのもので透明で透き通っていて、そんな見たこともない化け物にも驚いた俺だったがもっと驚いたのは二人の親子の格好だ。
全身を赤のラインと銀色のラインが鮮やかなタイツに身にまとった松野熱海さん。おそらくコンセプトはウ○トラマンだろうか。
時は世紀末、胸に七つの傷はないだろうけど両肩に肩当をつけた世紀末の救世主のような姿をした松野道後さん。
「はあ……はあ……あ、有馬か? どうしてここに来たんじゃ! 家で寝ておれ!」
「助けに来たんだよ爺ちゃん! そいつらに打撃系の攻撃は効かないんだ! はやくそこから離れて!」
「ほわたっ! ほー……わったぁ! おかしいな……経絡秘孔をつきまくってるのに全然きいてない……」
「父さん! もうやめてくれ! なんか恥ずかしいわ!」
グルルルルルルル……グォァァァッ!
茶番を嫌ったのか水の化け物はしびれをきらして一斉に爺ちゃんと父さんに襲い掛かった。飛びつかれた二人は犬とじゃれるように押し倒されて襲われた。
「くっそおおおおおおおお!」
俺は大剣を力いっぱいに振り回して敵に突っ込んでいった。鋭利な刃物は多少効果があったようで斬られた水の化け物達は次々にただの水に戻り地面に浸透していった。
「はぁはぁはぁ……さ、早く松の湯に退却するよ二人とも」
「ありがとう有馬。でも退却したらこいつらはどうする?」
「そのうちデーモンが来てくれる。早く立って!」
そして親子三代は松の湯目指して一気に走り出す。途中振り返るとさきほど倒した水の獣が実体を再生してこちらを追いかけてくる。
松の湯まで百メートル……このままじゃ追いつかれる。
俺は一つの決心をした。
立ち止まり盾になる……それしかないだろ!
足を止め、大剣を構える。
「もう今までの俺じゃない……かかってこい化け物!」
「グゥルァァァァァ!」
「うぉおおおおおお!」
――ウボワァッ! ――
振った大剣は大きく空振り。俺は体勢を崩してその場に豪快に倒れ込む。
目の前で俺に飛びつこうとしていた水の獣は一瞬で消滅した。まるで蒸気に変わったかのように。
「なーに一人でカッコつけてんだか。昨日はあんなに敵と戦うの嫌がってたくせして」
後ろから声がして振り向く。真っ暗闇を象徴するような黒いロングコートに身をまとった獣耳の女の子が口元を緩めて立っていた。
「デーモン。助かったよ」
「言っとくけどあのクソエルフを信用したわけじゃないからね。アリマが心配でここに来ただけなんだから……」
「俺を心配?」
「か、勘違いしないでよね!」
熟したトマトのように頬を赤らめるデーモン。はい、いただきました。ツンデレ属性のテンプレ的名言。
「そ、そんなことよりこんな雑魚なんてとっとと片づけるわよ! 早くシャンプーしたいんだから」
「おうよ!」
「私の最高傑作のウォルタ達を雑魚とは……言ってくれるねこのオタンコナス!」
真横の建物の屋上から急に第三者の声がした。咄嗟に目を向けると、白衣の女がビニール傘をさして仁王立ちしていた。
「ドクターネメ。こんなことを言うと失礼ですがオタンコナスという表現は相手に実年齢がばれますよ」
「黙らっしゃい!」
「ほらそれもですよ」
さらに横には二日前に俺を襲ったメイドロボもいる。
「あんたたちはあの時の! これも全部あんたたちの仕業なのね!」
「いかにも! 敵地に送り込むのに実用的な生物兵器はないか考えた結果、物理的な攻撃を受けない、そして侵入も難なくこなす……それは液体に限る! どうだ! 手も足も出まい!」
――ウボァッ! ボボボボボウァッ! ――
ドクターネメの自信を持った解説を聞き終えたころ。デーモンはそれを全否定するように周りに復活し始めていたウォルタ達を火の魔法で一蹴してしまった。
「そうね、この世界ならとんでもない生物兵器かもねネメさん」
「ああ! 私の作品がああああああ!」
目の前で美術品を破壊されたコレクターのように悲鳴をあげたネメ。
「許さない……許さないぞ猫耳……」
「猫じゃないわよ! これはね! 由緒正しき」
「うるさい! 私はもう怒ったぞ。カリンちゃん! いけぇ!」
「はい……」
ついにカリンがくるのか!
「おいおいおい、カリンちゃん! こっちじゃない、敵は真下だ!」
「わかっていますネメ。しかし上須賀様から命令されているのです」
「う、上須賀様から? 何を命令されたんだ……まさか」
「ペナルティが二つあります。先日の戦闘で松の湯が近距離にあるにもかかわらずグッバイランチャーを使用したこと、そしてウォルタを全滅させられたこと……」
ゆっくりとカリンはネメに歩み寄っていく。
「待て! と、止まれカリンちゃん! 命令だ!」
「あなたがなぜ私に命令する? 黙ってもらえますか、ドクターネメ」
その瞬間、カリンの口角が不気味に吊り上がりネメは頭から丸のみにされた。
「う、うわわわわわぁぁぁぁぁぁぁ!」
ムシャムシャムシャ……そんな効果音が聞こえてきそうなぐらい丸のみにされていくネメ。その光景は紛れもなくホラーだ。
あっという間に体内にネメを取り込んだカリンは赤い蒸気を体中からヤカンが沸騰するように勢いよく放出した。
「なんだ? あいつ仲間を食ったぞ?! 仲間割れか?」
「体内吸収……いや、創造魔法で創られた実体と心を持つ化け物が暴走したと言ったほうが正しいのかもね。ただ、人間と魔法の同期化であいつは……」
「対象を確認……上須賀様の命令は生死を問わない……抹殺する」
「来るわよアリマっ!」
屋上にいたカリンは一瞬で俺の目の前に瞬間移動した。素早く大剣を構えた俺はカリンの右ストレートを受け、衝撃で遥か後方に吹き飛ばされた。
「アリマっ! くっ! これでもくらえ化け物!」
デーモンは片手を上空にあげて巨大な火の玉を出現させた。デカっ! それをカリンめがけてぶつけた。
「やったか?」
「これぐらいでくたばる相手じゃないわよアリマ。次の攻撃に備えて」
そのデーモンの言葉通り火の攻撃魔法的なものが直撃したにもかかわらず、煙の中からケロッとした表情のカリンが姿を現した。
「無敵かよあいつ!」
「魔法がダメなら剣術よ! アリマ突っ込んで!」
「俺の出番か。よし! やってやるよこんちきしょうが!」
強化されて気分が高揚していたのか知らないが、俺は躊躇せずにカリンに真正面から大剣を振りかざした。スルっ……。一撃目は見事に避けられたが、まだまだぁ!
何度も何度も大剣を振るうがすべて避けられている。一撃も与えられないまま俺は肩で息をするようになっていた。
「はぁはぁはぁ……くそ、当たらない……剣術スキルゼロだなこの設定」
「今度はこっちからいきますね」
低い声でボソッと呟いたカリンは両腕をギラっと銀色に光る刃物に変貌させた。
「マジかよ、ちょ、たんま!」
「待ちません」
さっきの俺の大剣とは比べものにならない太刀筋の攻撃が俺を襲った。
なんとか受けていた俺だが一太刀一太刀がズシリと重くてもう腕が限界と嘆いていた。このまま受け続けていたら確実に斬られる。そう思った時、デーモンの援護射撃とも言える何万ボルトか計り知れない肉眼でもくっきり見える電撃がカリンの顔面にクリティカルヒットした。
「どうよ! 機械仕掛けの相手だからビリビリの魔法よ! 考えたでしょ!」
「た、助かったよ……でも俺も巻き込まれそうだったけどな」
電撃が顔面に直撃したカリンはロボむきだしの顔になった。右の頬は皮膚が溶けて銀色の鋼鉄が見えていた。それに右の眼球は赤い瞳に変貌していて完全にターミ○ーターだ。
「緊急……緊急……緊急プログラムインストール。レベルスリー」
こ、これは聞いたことがあるぞ……確かヤバい攻撃がくる前兆のやつだ。
カリンは両手を目の前に掲げ集中力を高めている。
「破壊光線がくるぞデーモン!」
「大丈夫よアリマ。あの攻撃ならアタミさんがなんなく受け止めてた――」
「グッバイ……ランチャァァァァァァァァァ!」
なにが大丈夫だよ、と思った俺は瞬間的にその光線を避けた。スタントマンさながらに俊敏な動きでかろうじて避け光線が放たれた場所に視線をやると、そこは殺風景な荒野に様変わりしていた。
「おいおい、なんだよこれ」
「いやぁ~よく避けたわねアリマ」
「てめぇ! なにが大丈夫なんだよ! 当たってたらタダじゃすまなかったぞ!」
「おかしいわね。はっ! そうだわ! あいつ人間を取り込んで以前よりも強化されてるのよ! だからさっきの攻撃も威力が増していたのね!」
「それ、今気づいたわけじゃねーよな……」
そんな茶番を演じているうちにカリンは二発目の破壊光線をうつモーションに入っていた。
「もう一発くるぞ、どうする!」
「そんなこと言われても、そうだわ!」
何かを思いついたデーモンは俺の手を握りカリンに背を向けて走り出した。
「ちょ、どこ行くんだよ! 敵前逃亡はダメだろ!」
「松の湯よ! あいつ言ってたじゃない、ネメのペナルティは松の湯が近距離にあるときにあのグッバイランチャ―を放ったことって。今までの襲撃も商店街内で起こったことだけど松の湯を襲撃されたことはない。敵の目的は松の湯にあるんじゃないかしら?」
「松の湯に? よし、わかった」
引っ張られるだけの俺だったが、デーモンの少しの根拠だけを信じて一緒に走り出した。
なんとか松の湯ののれん前まで来た俺たちは振り返る。カリンがグッバイランチャ―の発射ポーズをやめてこちらに歩いてきていた。
「ほうらね! やっぱりここに何かあるのよ! あいつはここを攻撃できない!」
「驚いた。敵に背を向けて走り出すとは、とんだ臆病者だな」
「はっ? なにそれ負け惜しみなわけ? 魔王に命令されたことしかできない創造物がなに言ってんだか」
「創造物だと……」
「そうよ! 人間の心をもたない哀れな機械ちゃん」
女の口の言い合い(獣人族とロボだけど)は恐ろしい。そしてかなりカリンは怒り狂っていた。その証拠にカリンはペナルティのはずなのに松の湯に向けてあのポーズをとった。
「私は創造物なんかじゃない……人としてこの世に性を受けた人間だぁ!」
カリンの掲げた両手にまばゆい光が凝縮されていく。
「最大パワーを受けて死ね……レベルファイブ! グッバイ――」
カリンの頭部がスパンっ! と宙に浮いた。
「愚か者。ペナルティだ」
聞けば谷底に堕ちていくかのような低く冷たい声が辺りを支配する。カリンの頭部を何で吹っ飛ばしたのか分からなかったが、誰がしたのか一瞬で理解した。
空から降り立ったのはエルフ。冷酷さを際立てる長い銀色の髪、そして真っ黒のワンピースを着ていて、その表情は血が通っていないほど無表情だ。
「誰よあんた? その耳……まいったわね、あいつの言ってたこと本当じゃないのよ」
「アルミスの見たっていうエルフか」
「ええ、そのようね。……今までの全部あんたがやったのね」
「……」
デーモンが問いかけているにもかかわらず銀髪エルフは何も応えようとしない。と、いうより話しかけられていることに気付いていないようだった。
「思いっきりシカトされてないか?」
「うっさい! もう、どっちにしても敵に変わりないわ! 一撃で終わりにしてあげる!」
得意の地獄の大鎌、デスサイズを手元に創造したデーモンは人間離れした跳躍力で一気に銀髪エルフとの間を詰めた。
そして銀髪エルフめがけて大鎌を振りかざした、が、黒い影がデーモンを吹っ飛ばした。
「デーモンっ!」
声を張り上げた俺は視線をデーモンから黒い影に切り替えた。
街灯でかすかに反射する金色の頭髪。見覚えのある薄ら笑いを男はしていた。
「困りますね。彼女は大事な存在なんですから」
「上須賀……」
「おや? 怖い顔をしないでくださいよ有馬君。そっちから仕掛けてきたんですから彼女も仕方なく攻撃しただけなんですから。正当防衛という言葉をご存知ですか?」
「正当防衛だと? 笑わせんな! おまえらが勝手に始めた戦争だろうが! 一歩下がって善人面すんのもいいかげんにしろや!」
「怒鳴りつけないでください。そのことで謝りに来たんですから。……少々お遊びが過ぎたようですので目的を果たさせてもらいますね」
そう言い残すと目の前にいた上須賀は姿をくらませた。
どこに消えた? あたりを見回す俺は背後から後頭部に強い衝撃を受ける。運悪く昨日殴られたところと同じ個所をものすごく硬いもので殴られたようだ。
「痛ってぇぇぇ! ……はぐっ!」
「驚きましたよ。まさか再び異世界とつながっていたとは。彼女以外にも戦士を増やそうとそちらのエルフさんにも脳内操作をほどこしたのに……極度のアルコール摂取で正気を取り戻すなんて我が社の兵器もまだまだですね」
「はぁ……はぁはぁ……なんだよ兵器って……」
「言ってませんでしたか? 私の創設した会社は表向きはレジャー施設なんてアホみたいなことほざいてますが、実態は理想国家の建国なんですよ」
アルミスだろうか。微量ながらも治癒魔法をほどこしてくれているおかげで後頭部の痛みが徐々に解消されていく。だが、どこからツッコめばいいんだ? 目の前にいるニヒルなやつに発言する言葉が見つからない。「創設した会社って君何歳?」「戦士にしたかったって、パーティー組んでダンジョン潜入するの?」「国家建国、マジがんばって」だめだ、どの言葉にも語尾に(笑)がついてしまうぞ。
「私の名前が春鳩だからって鳩が豆鉄砲くらったような表情をするのやめてもらいますか? 冗談だと思うならその目で今後の世界をじっくり鑑賞しててください。では、松の湯には約束どおり立ち退いてもらいますよ。おっと、まだ息がありましたか獣少女さん」
グサっと効果音が響いてきそうなほどザックリとデーモンの大鎌が上須賀の横っ腹をとらえた。
「輝きの道しるべは渡さないわよ」
「申し訳ありません獣少女さん。そんなものに興味はないんですよ。見当違いでしたね」
「違うですって? じゃあ一体……ぐはっ!」
唖然としていたデーモンは銀髪エルフに裏拳をクリティカルヒットされた。殴られたお腹を抱え込んでうずくまるデーモンに容赦なくダブルハンマーを頭部へ一撃。地面のレンガは粉塵を巻き上げて木っ端みじんに砕け散った。
いやいや、なんてパワーだよこのエルフ。
「あ、アリマ……聞こえてる?」
「デーモン! 大丈夫か?!」
「見ればわかるでしょ……悔しいけど無理。あいつ呼んできてくれない?」
「あいつ?」
「あのクソエルフに対抗するにはクソエルフでしょう……がっ!」
思いっきりジャンプしてそのままデーモンは銀髪エルフに馬乗りになった。振りほどこうとする銀髪エルフだったがデーモンは死に物狂いでしがみついてるもんだから離れない。
「早く行きなさいよ! こんなみっともない姿したくないんだから!」
「逃がしませんよ」
シュシュっと黒い閃光のようなものを手のひらに生成した上須賀は俺に向けてそれを解き放つ。だが俺の目の前で力なく閃光は消滅していった。
「大物ぶってるわりにはたいしたことないのねあんた」
「言ってくれますね獣少女さん。まずあなたから消しましょうか」
白羽の矢がデーモンに向けられ、俺は助けようと駆けつけた。
「来るなっ! 来るなアリマ……行って、松の湯に」
「そんなこと言ったって! 見捨てれるかよっ!」
「アリマが行かないと二人ともやられちゃうでしょ!」
「でも俺は……」
目の前に視線をやると、不気味な笑みを浮かべるスーツの男と強化されたデーモンをもボコボコにするほどの実力をもつ銀髪のエルフ。さっきまでの威勢は臆病風に吹かれてしまったようで俺は一歩後ずさりをしてしまう。だめだ! だめだ! ここで逃げたら男を今後名乗れないだろ!
こんな極限の葛藤をしていると俺は突風に吹き飛ばされる。
「おわっ!」
そのまま松の湯正面玄関を突き破って脱衣所まで突っ込んだ。不幸中の幸いは玄関がガラス張りの戸ではなくて段ボールで応急処置されていたことだ。血まみれにならなくてすんだ。
「有馬? 無事じゃったか! で、あの水の犬の化け物達は倒したのかの?」
「痛ててて……爺ちゃん……。はっ! デーモンが! デーモンが一人で襲われてるんだ!」
「なんだと! デーモンちゃんを早く助けに行くぞ!」
「無理だ」
気が動転している俺をよそに、バスローブ姿のアルミスは冷静な言葉を放った。
「どういうことだアルミスちゃん」
「あいつならさっきやられたよ」
「やられたって、あの水の犬っころに?」
「違うよ父さん、上須賀にだよ」
「上須賀って息子よ……うへっ? 上須賀が来たのか?!」
「そうだよ。しかも」
「まさかこの世界にデーモンとあたし以外にエルフがいたなんてな」
「エルフじゃと?」
「しかも銀髪って最悪だよ。魔力レベルトップクラスのお偉いさんじゃないか」
「銀髪じゃと! まさか……」
爺ちゃんが大声をあげた、とほぼ同時に松の湯玄関にたたずむ一人の男の存在が視界に入る。
「こんばんは。申し訳ありませんが本気でここの立ち退きを完了しに来ました。手荒なことはしたくありませんのでご理解いただきたい」
「もうしてるじゃねーか、このクソ野郎。あのエルフはどういうことだ? おまえ何者だよ」
「おやおや君は出来損ないエルフじゃないですか。あなたとお喋りをしに来たわけじゃありませんので、さようなら」
途端――、天井がぶち抜かれて『何か』が俺たちの頭上に舞い降りた。砂埃をあげて現れたのは銀髪のエルフだった。
「ケホっ! ゲホ……ったく、派手な登場の仕方しやがって」
「レ……レト……」
「爺ちゃん?」
震える声を放っていた爺ちゃんの表情は、まるで初恋をした青年のような表情に変化していた。かすかに赤くなった頬、輝く瞳、とても六十五歳とは思えない。
「やはりレトじゃったか……わしじゃ、熱海じゃ。長い間待たせるからわしはこんなにも年老いてしもうたがの。レトは変わらんの」
「エルフは見た目そんなに変わらないんだよ爺さん。前に思い出話に出てきたエルフってのはこの銀髪のことか……あん? こいつ……よく見ればあの時水槽の中にいたやつじゃねーか!」
「水槽って、昨日捕らえられてた時の話に出てきたやつか?」
コクリと頷くアルミス。でも待ってくれよ。レトは爺ちゃんの思い出話に出てきたエルフだから……何十年もこの世界にいたってことなのかよ。
「感動の再開ですか熱海さん。いい……実にいいですね、そしてその感動の対象だったエルフが自分が守ろうとしているものを奪い去るなんて最高ですね」
「黙れ小童。金儲けにしか目がない無情なおまえにはわからない感情じゃ」
「小童とは侮辱ですね。私はあなたと同い年ですよ?」
「なんじゃと?」
「ビジネスを有利に進めるには女性を口説くのと同じで話術と一緒ぐらいに顔も必要なのでね。レトの魔法のおかげでこの容姿を保っています。――四十五年前のあの日、この銭湯に私は手拭いを忘れてしまい翌日取りに来たんですよ。その時の感動は忘れたことがありませんね。脱衣所で生まれたままの姿の銀髪のエルフが気を失って倒れていた……私は我を忘れてそのエルフを家へと運んだ。しかし彼女は何年たっても意識を取り戻すことはなく、私は当時の医学を学び必死に蘇生させるために時間を費やした。そして二十数年、彼女は目を覚ましたんですよ」
気持ち悪いぐらいに唇を震わせている上須賀は自分の言った言葉一文字一文字に酔いしれているようだった。
「レトがいなくなったあの日……あの日からわしがどんな気持ちで毎日を過ごしたかおまえにわかるか」
「わかりますよ。私も彼女に恋をした一人なのですから。ですが、目覚めた彼女からなぜあの日生死をさまようほどの魔力を放出して脱衣所で倒れていたのか、真相を聞いた瞬間に私は恋心なんかで彼女を見ることができなくなりました」
「わしの質問の答えになっとらんわっ! やっぱりおまえは小童じゃ!」
爺ちゃんはまわりくどい上須賀の発言にいらだちを覚えて正面から突っ込んでいった。強化されているので年を感じさせないほど足を高々と上げてハイキックを顔面にかました。
場は一瞬だけ時が止まった。
「恋心を別のものに支配されるほどの話しに興味はありませんか?」
目を細めた上須賀は蹴られた爺ちゃんの足を掴むとそのままハンマー投げの選手のようにグルングルンと爺ちゃんをぶん回してロッカーに投げ飛ばした。壁一面が衝撃で崩壊する。
「親父ぃっ! くそ!」
「アタミ! 待て!」
アルミスの言葉を聞かずに父さんが上須賀に襲い掛かった。殴る蹴るとかではなくてただやみくもに飛びかかった父さんは上須賀との間に入ってきたレトに返り討ちに合う。レトの右拳を突き上げたアッパーにより父さんは簡単にノックアウト。
「がはっ! ……」
「実に野蛮な一家だ。親もそうなら子もそうですか。レトとどめをさしなさい」
その場に倒れ込んだ父さんの頭部に容赦なくかかとを落とそうとレトは右足を高々とあげた。マジで殺される、そう思った俺は父さんのもとへ駆けつけようとした、けど。すぐ後ろの崩壊した壁の瓦礫から人影が俺を追い越してレトの目の前に出た。
「れ、レトよ……なぜじゃ? なぜこの男の言いなりになっておる? おまえさんは争い事が嫌いでこの世界に来たんじゃなかったのか? たしかおまえさんの世界は強大な力に支配されてしまってこの世界に迷い込んだんじゃろ? どこで道を間違ったのじゃ、レト」
「この……世界……? 強大な力……」
「そうじゃ。その反応……そうか、おまえさんもそこにおるアルミスちゃんと同じように妖術かなにかで記憶を操られておるんじゃな。わしじゃ、松野熱海じゃ」
「アタミ……セントウ……マツノユ……うっ! ぐうううううあああああ!」
ひどい叫び声をあげはじめたレトは頭をおさえて膝をついた。
彼女に爺ちゃんはそっと、手を差し伸べて頬に触れた。
「ゆっくりでいいんじゃ。思い出してほしい。あの日から止まった時間を――」
「喋りすぎですお爺さん。営業妨害」
爺ちゃんが語りをやめたのはかっこのいい言葉を続けて恥ずかしくなってしまったことでもなければ詰まったわけでもない。
上須賀の右手が爺ちゃんの左胸を貫いた。直後に爺ちゃんは大量の血を吐血させてその場に力なく倒れ込んだ。
「さあ、レト立ちなさい。目的を果たしますよ」
「親父ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!! てめぇえぇぇっぇえっぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!! ぶっ殺してやるっ!!!!」
あまりの怒声にびくついた。驚いたのは声の大きさだけじゃない。父さんがこんなに怒るのは生まれて初めての光景だからだ。
怒りに身を任せた父さんは何度も何度も上須賀の顔面を殴り続けた。その際に上須賀は反撃をしてこない、いや、反撃する余地もないほどに素早い連撃を父さんが繰り出していた。
「ごほっ! ……調子にのるな!」
「なんだこれ! 体が……動かねえぞ! くそっ!」
「やろうあんな高等魔法も使えんのかよ! 本当に人間か?」
黒い光を父さんに浴びせた上須賀は父さんの動きを封じた。咄嗟にそれを感じ取ったアルミスが上須賀めがけて飛び蹴りをくらわす。
「ぐっ! 不良品のくせにこのクソエルフが! レト! いつまでそうしている! 計画変更だ! いますぐに私を進化促進させろ!」
「進化促進だと?」
「なんだよそれ?」
「タイラーって男がいただろ、あいつみたいになるってことだよ」
「マジかよこいつ」
上須賀に命令されたレトはヨロヨロと立ち上がると、「くっくあああああああ!」悲鳴をあげて紫の閃光を上須賀の口にねじ伏せる。
がま口のようにそれを必死に自分の体内に押し込んだ上須賀は頭部からシカを連想させるほど大きな角を生やして強大化していく……三メートルほどの化け物に変貌した彼は着用していた黒のスーツなど面影もないほどビリビリに破け、全身は黒の体毛がおおっていた。
その姿をじっくり拝んでいる場合ではなかった。
アルミスは足を掴まれるとそのまま顔面に蹴りを何度も入れられた後で思いっきり投げ飛ばされてしまった。休む間もなく父さんが捕まり今度は細い光のようなもので体を貫かれてそのまま倒れた。
「やめてくれよ……」
見ているだけしかできなかった俺は過去最大に震えていた。見ているだけしかと言うが、実際ここまでの化け物の攻撃はほんの数秒しかたっていない。
戦意喪失を告げるべく、俺はその場で腰を抜かして座り、壁際まで後ずさった。
「臆病者め……そこで見ていろ。レト、来い」
力なく横たわるレトの足を掴んで引きずりながら浴場へ入ってく化け物。
とてつもない恐怖心の中にほんの少しの好奇心が勝り、俺は浴場へと四つん這いになって進むとレトが浴槽の中に浸かり化け物が赤く光る砂時計を手に持っている。あれは確か……間違いない、世界線の時計ジェムだ。
「長きにわたり無礼をしたことお許しください。退屈で窮屈でしたでしょう。その分、この世界はあなた様を楽しませるに違いありません! 復活の時だっ! 竜炎よ!」
化け物は長い前置きの後で浴槽の壁に向かってジェムを投げた。パリンっ! と壁にぶち当たったジェムは割れて赤い砂がキラキラと湯気で濡れていたタイルに付着する。
俺はゾッとする。この銭湯に生まれてからの謎が誰の説明も無く解けてしまったことについてだ。富士山でも江戸時代の有名画家の絵でもないタイル絵の謎、なぜファンタジー世界に出てくる竜の絵柄なのか。
頭をよぎるのは『封印』というゲ―ムでよくある設定の二文字。
付着した赤い砂の輝きが綺麗な発光から不気味な色へと変化するころ、地震を思わせるほどのものすごい地響きが松の湯を襲った。
「おお……そうですか……そうですよね、私もです竜炎。暴れたいですよね。さぁ! そんなところから出てきてくださいよ!」
宗教じみた言葉の後で壁一面のタイルは太陽のように光り輝き轟音を轟かせながら崩れ落ちた。
浴場は完全に崩壊して天井はポッカリと開いて月明かりが差し込む。
その月明かりに照らされていたのは、風呂に浸かるたびに見ていた光景。
赤い鱗と強大な翼をもつドラゴンはまるで今までもそこにいたかのような表情で松の湯に降臨した。
絶望が限界を超えて、俺は静かに目を閉じた。
そして物語はクライマックスへ……
RYO




