⑤風呂め 二日酔い戦士
汗がベタっとシーツに張り付く……気持ち悪い……俺は目を覚ました。
ミーン! ミンミンミンミンミーン! ミミミミミーンミンミン……。
分かりやすいぐらいの蝉の声。真夏の朝は容赦なく俺を布団から追い出したいらしい。だけど、もう少し寝かしてくれないかね夏の太陽と蝉よ。なぜか? そんなの昨日の夜にどんちゃん騒ぎをしたあいつらに聞いてくれ。
「アリマ! いつまで寝てんのよ! 早く起きなさい!」
俺の部屋のふすまを勢いよく開けたのは獣耳のかわいい女の子。かわいいのは外見だけで容赦ない性格とデーモンという名前には一切のかわいさは感じられない。
「うっ……お、おはようデーモン……なんだその恰好は……」
「何って、こっちの世界ではこれが料理をするときの衣装でしょう?」
昨夜の姿をくつがえすようにデーモンは純白を基調としたセーラー服をなびかせていた。それに獣耳……は、通常時もついているんだったな。ま、誰に騙されたのかは一瞬で検討がつく。こんな変態まっしぐらのイタズラをするのは父さんしかいない……とりあえず言わないでおこう、似合っているし、それ以上に俺が好みだからだ。
「ま、いいか。それでなに? なんの騒ぎよ朝から」
「いや、朝はこれが普通でしょ。規則正しい生活をするのよ。なんてったってこの家にいそうろうしてるわけなんだから当然よ。ダラダラしていられるわけないでしょ」
「それもそうか。父さんたちももう起きてるのか?」
「ドウグさんは……アタミさんはあたしより早起きだったのよ。頭が上がらないわ」
そりゃあ、ご老体は早起きだろうよ。俺はまだ若いんだからもう少し寝ても誰も何も言わないだろうに。しかも昨日の夜は最悪だったしな。いや、昨日じゃない、正確には今日の朝が正しい。さっきの彼女の反応を見るからにその元凶たちは起きてないんだろうな。
「さ、朝ごはんできてるわよ。みんなで食べましょうよ!」
獣耳女の子のとびきりの笑顔。
うわっ、いかん、顔がニヤついてしまったではないか。悪くない、悪くないぞこの朝の起こされ方。そして一日の始まり。
ニヤケ顔をデーモンに悟られないように俺は布団から体を起こした。
「やっと来たか有馬。よし、じゃあデーモンちゃんが丹精込めて作ってくれた朝ごはんをいただくとしようかの、それではいただきます」
「いただきます」
「イ、イタダキ、マス」
むこうの世界では食べる時の挨拶がないのか、はたまた違うのか、少しカタコトでデーモンは手を合わせて俺たちの真似をしてから食べ始めた。
日本古来の食卓にあるなじみの大きなちゃぶ台に並んだのは異世界のとんでもない料理の数々……ではなく、ふっくら黄金色に仕上がった卵焼き、焼きすぎず生焼けでもなくほどよく火の通ったホッケ、パックのままじゃなく茶碗に入れ替えられた納豆、それに合う白米、そしていい香りのするお味噌汁という、最強の朝ごはんがそこにはあった。
「えっ? これをデーモンが作ったのか?」
「そうよ? なに? なんで疑問形なわけ?」
「異世界から来たって言ったらふつう紫色のスープ飲まされたり、なんの肉かわからないもの食わされたりだな」
「それどういう普通よ。私以外にも異世界から誰か来たの?」
「いや、なんでもない」
二次元の知識はここではふせておこう。
「そりゃあ、作る前にこの世界の一般的な朝ごはんを知ろうと本とか読んだわよ。けっこうこの家に料理の本が揃ってて助かったわ」
俺は悟った。そうか、爺ちゃんとかが母さんや婆ちゃんがいなからって料理をするために必死になってたころの本か。爺ちゃん、こんな時だけどありがとう。
「い、いい匂いがする~……ここか~……」
朝の良い風景に場違いな人間が乱入してきた。昨日のどんちゃん騒ぎの主犯格の一人である松野道後四十五歳である。酒くさっ! どんだけ飲んだんだよ!
「ドラ息子……貴様……何をしとる……」
「うん? おお親父! どうした? 怖い顔して? 食事中に総入れ歯がガポって外れたのか? ガポって?」
「たわけっ! 実の父親の前に二日酔いで現れよって! 恥を知れ!」
爺ちゃんはご飯粒を飛ばしながら怒鳴りつけた。
「あいたたた……頭に響くぜ親父……しょうがないだろ、アルミスちゃんがあんなに酒豪だとは思わなかったんだよ。それで久しぶりにエキサイトして飲んじまったんだから」
「なにがエクササイズじゃ」
「エキサイトだよ爺ちゃん」
「ドウグさん、それでアルミスはどこに?」
「おはようデーモンちゃん。アルミスちゃんなら……どこ行ったんだろうね?」
「一緒に飲んでたんじゃないんですか?」
「いや昨日飲んでた部屋でいつのまにか寝てたんだけど、さっき起きたらいなかったんだよ。早朝マラソンでも行ったのかな?」
あの時間まで飲んだ人間が早朝マラソンには行かないだろう。酒飲んだことはないけど父さんの姿から想像できない。
「そうですか、あのバカどこに行ったのよ。居候のくせに好き勝手やって……」
「まあまあ、デーモンちゃん。アルミスちゃんも直に戻ってくるだろうし、俺にも熱い味噌汁くれる? 酒を抜くには味噌汁とかの水分と塩分が一番なんだからさ」
「あ、はーい」
デーモンはちゃぶ台にあった父さんの分のお茶碗をスッと取りお玉で味噌汁をすくい、湯気が立ち込める特性の味噌汁を差し出した。
「おおう! 美味そう! いただきます!」
ピシャッ! ガシャシャンッ! ……パリパリ……。
「なんじゃ?!」
父さんが味噌汁をすする音では説明がつかないほど大きくて何かが割れる音が玄関から俺の耳を支配した。
「反乱軍? それとも王国の革命一派?」
「この世界にそんなもんいねえよ!」
耳を逆立ててデーモンが反応するもんだから俺はきっぱりツッコミをいれる。
「あいたたた……だから大きな音はやめてくれよ……」
朝の平和な食卓が騒がしくなってきたころ、スー……っと、ふすまが開いて、朝の陽ざしに砂誇りが反射してキラキラ光りながら一人のマフィアみたいな大男が現れた。
「ふむ……良い食卓風景だ。ご老人、飲んだくれの親父、登校前の女子高生、ひきこもりかあるいはニートの青年、ここに若い妻がいれば私の好みの日本の食卓なんだが」
なんなんだこいつは……サングラスをかけてでっかい図体して何を言うのかと思えば意味不明なこと言いやがって、しかも俺のことをひきニート呼ばわりしやがったな。このやろう。
「なんじゃおまえさんは。さっきの音は何をしたんじゃ!」
「すまない爺さん。少しばかり玄関を破壊してしまった。なにせ開け方がわからん」
「なんじゃと? ……あ! ああ……どういう開けかたしたんじゃ! どう見ても引き戸じゃろうが! なんでタンクローリーが通ったみたいになっとるんじゃ!」
俺も爺ちゃんに続いて玄関を見に廊下に出ると、ものの見事に粉砕されていた。それこそ鉄球を玄関にぶち当てたみたいに。
「申し遅れた。私は上須賀コーポレーション土地売買班代表のタイラーだ。今日はあなたがた松の湯の立ち退きを正式に完了させるためにここに参上した」
「立ち退きじゃと? その話は一週間後のはずじゃろ!」
「ご老体。世界の情勢はめまぐるしく変わるんですよ。テレビをつけてニュースを視聴してみてください。天気予報以外に明日世界でおこる事態を事前に予知なんて誰もしていないでしょう? この急な立ち退きもイレギュラーとして受け入れていただきたい」
いや、このタイラーという男の言っている意味が分かるようなわからないぞ。とりあえず理不尽な立ち退きを強いられているのは確かだ。
「ちょっと待ちなさいよあんた。意味がわからないのよ。約束は一週間後のはずでしょ、それを今すぐ出てけなんて薄情よ」
デーモンがスクっと立ち上がってタイラーという大男を見上げるように反発した。
「おかしいな、住居人リストに女子高生はいないはずだが……女子高生は大人の話しに首をつっこまずに学校に行け」
「ジョシコウセイ? 誰のことよそれ。とにかく帰りなさい、契約よりも返済を早めたりするのはご法度なんだからね!」
「聞き分けのないお嬢さんだ」
「きゃっ!」
タイラーは大きな体から想像もつかないほど身をかがめてデーモンに足払いをした。父さんいわく料理を作るときの正装だった彼女はパンツ全開でずっこけた。
「デーモンちゃん! このやろう! 女の子になにしやがる! あと……ありがとう!」
「なぜ頭を下げとる! ドラ息子! はようこの男を追い出さんか!」
「無理言うなよ親父、こんな二日酔いにどうしろってんだよ」
「ほう、おまえが俺の相手をするのか。いいだろう、俺に勝てたら今日はおとなしく帰ってやろう。元グリーンベレーで戦場の最前線に何度も挑んで生きて帰ってきた俺に、元南アフリカ特殊部隊の副隊長の俺に、元アメリカ陸軍曹長の俺に、勝てたらな」
能書きを数多く言い残してタイラーは上半身の真っ黒なスーツとシャツを脱いだ。
「ムッキムキですね、本当にすいませんでした」
「恐れとる場合か! 戦わんか!」
「カモン! メーン!」
タイラーは拳をかまえると軽快にその場でステップを踏み始めた。なんか昨日の黒人ボクサーとの再戦マッチみたいだな。
「いやいや無理だって! なんで二日連続で殴られなきゃいけないんだよ!」
「ドウグさん……」
「はっ! デーモンちゃん……俺は……俺は女の子が好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
窮鼠猫を噛む。いっちゃったよ、二日酔いのオッサンが強面の男に右ストレートを浴びせに。
「ぐふぁっ!」
咄嗟に目をつぶった俺は聞こえてきた声が父さんじゃないことに驚いてすぐに目を開けた。なんと父さんの拳がタイラーの顔面をとらえ、そのままタイラーは壁を突き破ってトイレの便器に尻から突っ込んでいた。タイラーの後ろでは水道管が破裂したのか噴水のように水がピューピューあふれていた。
「えっ……俺がやったのか?」
「ドウグさん、すごい! なんてパワフルなの!」
「……落ち着け……落ち着け自分! んん! ふぅ……少し本気出しすぎてしまったようだ、おいタイラーとか言ったな、グリーンピースだか秘密警察だか知らないが、俺に歯向かうと次はこんなもんじゃねーぞ。覚えておけ」
「くっ! この俺がこんなダメージを受けるなんて、約束通り今日は見逃してやる……だが立ち退きの日にちが一日遅くなっただけだ……覚悟しておけ」
「いつでも来い。俺が相手になってやる」
決して長くない前髪を手でなびかせた父さんは完全に調子に乗っているな。どうなっても知らんぞ。
しかしタイラーという男は嘘か誠か相当のダメージを受けたらしく、かなり足腰をよろつかせながら立ち上がると生まれたての仔馬のような足取りで自分が壊した玄関を出て行った。
「行きおったか……しかし道後よ、いつからそんなに腕っぷしが強くなったのじゃ。少し見直したわい」
「すごいじゃないドウグさん! その強さならあいつらが来ても追い返せるわね!」
「今まで隠していたが……俺は本来人間が出すことのできない潜在能力の残り七十パーセントを引き出すことができるんだ。いつ使おうか迷っていたが、デーモンちゃん、君が危険にさらされていてもたってもいられなくなったのさ」
「ドウグさん。素敵……」
あれ? なにこの二人? いい雰囲気なんですけど。っていうかなんだよ残りの潜在能力を引き出せるって、漫画の読みすぎだろいい年こいて。
「よくもまぁ、そんなに嘘がベラベラ口から生産できるもんだなドウグ。私のがんばりも知らないでよ。ふぁ~、風呂上りなのに眠い。まぁ潜在能力とかはあながち間違ってないけどな」
大きなあくびをしながら、体にバスタオルを巻いただけの金髪エルフが朝の散らかった食卓にいつのまにか出現した。
「アルミス! あんたなに呑気に朝風呂なんか行ってるのよ! ったく、こっちは大変だったんだからね、いましがたこの銭湯を潰そうとしてるやつが来て」
「知ってる。だから風呂からドウグに強化魔法をかけただろ。本人は勘違いしてるみたいだけど」
また大きなあくびをしながらアルミスは事実を話した。
「強化魔法? ドウグさん、さっきと同じパンチをそこの壁にしてもらいませんか」
「……ちょ、ちょっと待てよデーモンちゃん。家の壁をむやみに壊せないよ」
「いいからやってみてください。さ、早く」
「……えい。痛っ! ……へへ、あのパンチは一日一回だけの超人パンチって言ってね」
「見苦しいわい! このドラ息子がぁ!」
本当に実の父親ながら情けない。詐欺師の末路を目の前で見せられた俺は深くため息をついた。
「それにしても魔力戻ったんだアルミス。悔しいけどあたしはまだ何もできないみたい。さっきもデスサイズ出そうとしたけど全然だめだったし」
「いや、どうやらめんどくさいことになってんぞ」
「どうゆうことよ?」
「なんの冗談か知らないが、あの風呂に入らないと魔法は使えないらしい。さっき入浴してる間は魔力がみなぎっていた。でも風呂上りは、ほれ、このとおりだ」
ボウッ! アルミスは人差し指にライターで出した火ぐらいの火力を出現させた。しかしそれは次第に弱まりはじめてすぐに消えてしまった。
「なによそれ……いくら異世界でも限界領域が風呂場だけって鬼畜すぎるでしょ!」
「私にキレられてもしょうがないだろ。いいじゃないか、さっきみたいに力ずくで敵が攻めて来たらそこの嘘つき親父とご老体と引きニートに体はってもらったら。私とおまえはそれを強化魔法でサポートする。悪くない作戦だろ」
「誰が引きニートだよ! 戦えるかよ! さっきみたいなムキムキ野郎が来るんだぞ! 絞め殺されるだろ!」
「いや、待て有馬。そこのドラ息子がほんの一発殴っただけであの大男が吹っ飛んだんじゃぞ。そこの外国娘さんたちの妖術を使えば抵抗して講和にもっていけるんじゃないかの」
「爺ちゃん、外国じゃなくて異世界、それに妖術じゃなくて魔法だよ」
日本古来の考えのせいでファンタジー要素が一切会話に現れないのがなぜかおもしろいな。爺ちゃんは昔エルフに出会っているのにそこらへんが欠落してるんだな。
「そうだぞ息子。いや~、実はさっきの一撃とかキメ台詞とか正直気持ちよかったんだよな。小さいころから正義の味方とかに憧れてたんだよな~俺」
正義の味方ってあんた、どこの世界に二日酔いでスナック通いのヒーローがいるんだよ。子供の夢バスターしすぎだろ。
確かにさっきの事態を見るに強化されるのは本当らしい。嘘や偽りで父さんがあのマッチョ大男を倒せるとは到底思えない。ぞれに若干だが敵をなぎ倒していくのは興味がある、というかおもしろそうだ。無双系の主人公的なおもしろさがありそうだからな。
「爺ちゃんがやるならそれでいいけど」
「それでこそ俺の息子だ」
「でも本当にお風呂に入っている時だけ魔法力が復活するなんて、あのお湯に秘密があるのかしら……」
まだ納得いっていないのか疑いの目をしながら顎に手をやるデーモン。
「じゃあ試してみるかデーモンちゃん」
「えっ?」
「お・風・呂に入ってくればいいじゃないか。なんならおじさんが一緒に入浴してあげようか?」
「結構です! それより早くご飯食べちゃってください!」
相変わらずの変態親父だな。
デーモンの声に朝飯の途中ということを思い出す。俺は味噌汁をすすり食事を再開した。
お読みいただきありがとうございます!
感想お待ちしております!
RYO