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G  作者: こむぎ
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墨で細部まで精巧に描き込まれたその地図は、おごそかなオーラを放っていた。かなり古い物であること、そしてそれはあたし達のいる奈良の地図である。

「これ、、なっ奈良の地図やん!」あたしの口をついた言葉は、吃音奈良弁。自分を呪った。

「あんな、あたしの言葉、きっきっ聞き取りにくいやろ?かっかっ関西弁やし。」胸が空回りしながら喋るせいか自分が思ってるより大きな声が出てしまう。この場から逃げ出したくなった。

「そんなことどうでもいいよ。」篠崎クンは無表情に言いながらもその瞳からはこれ以上のない温かさが漏れていた。

「そう、この地図はここ奈良の地図さ。300年前のね。」

「天神山を中心に半径2kmの地図なんだ。この4km四方のどこかに答えがあるんだ。ヘンな風にとらないで欲しいんだけど、僕はその答えに招待されてる。誰だかわからないけど夢の中で確かに僕を呼び起こすんだ、奈良へ引っ越して来たその夜から。多分、手にした地図がハヤクコイって言ってるんだ。」

篠崎クンは真っすぐな眼差しで冷静に、完璧な口調で言う。

あたしは肩が強張った。まるで虚構の糸に縛られた操り人形のように。篠崎クンの完璧な口調、眼差し、それら全てがあたしの想像を遥かに超越している。あたしの心臓はそのエネルギーに押し倒され、トコトコと小刻みな脈を打っているようだ。

古地図を見つめ、ふと思いついた事を言ってみた。

「何でそんなことあたしに話すん?」あ、つまらずに言えた。あたしの脳に住む小人達が歓喜の舞を魅せた。

篠崎クンは続ける、「忍耐力のある女の子がどうしても必要だった。お父さんに言われたんだ、忍耐力のある少女と探せって。」

目がすぼんだ気がした。

「土屋さん、いつもいじめらてるのに反抗もしなければ歯向かいもしないし、だから。」

そうか。いじめられてるからか。その上登校拒否はしないし、人前では泣いた事もない。反抗しないのは悪化を恐れてるからだ。いじめられてる人間にしかわからないだろう。忍耐力があるんじゃない、余裕なんてない。あたしは無力で弱い人間なんだ。

頭がつーんと熱くなった。涙が溢れた。悲しいんじゃない。嬉しかった。ちゃんとあたしを見ていた人が居た。

しばらく涙が止まらなかった。雨のように溢れ、鼻水は滝のように流れた。あたしはハンカチを持っておらず、手で涙を拭い、懸命に鼻を啜った。恥ずかしい、これほど酷い姿はない。よりにもよって男子の前で。

篠崎クンは何も言わず冷静に、ポケットからハンカチを出してくれたがあたしはそれを受け取れなかった。あたしには篠崎クンが眩しすぎた。

「ごっごめん、もう大丈夫。」鼻を鳴らしながら言った。

「そっそれで、あたしはどうすればいいん?にっ、忍耐力はない方やと思うねんけど、、、。」考えてみれば、同い年の男子と普通に話すのは初めてだ。いささか緊張はしてるが、ちゃんと話してる。ごく自然に。それにとても気分が良い。

「一緒に、探しに行こう。」篠崎クンはイメージ通りの口調で言った。

「う、うん。わかった。」先ほど意識したからなのか声が少し震えた。泣いたからなのか唾を飲み込んだら塩っぱかった。

夕日が滲んで篠崎クンの肩越しにあたしの未来が少しだけ見えそうな気がした。




宝物のように預かった古地図を抱え走って帰った。今日は大変な一日だった。まだ頭が混乱している。直ぐさまお風呂へ入り湯槽に浸かる。心は高ぶり頭はボーッとして腑抜けになった手足は溶けそうだ。そのうち湯気で息苦しくなった。

勉強机の椅子に腰を下ろし扇風機を回す。カルピスを飲みひと息ついた。えっと、頭の中を整理しよう。手紙をもらって、、夕方まで待って、、政府がどうのこうので、、不思議な地図を見て、、あたしの忍耐力が必要で、、一緒に答えを探しに行く、、、、篠崎クンとあたしが。、、、、あたしと篠崎クンが。、、、2人で。

駄目だ、混乱してる。どうしたっていうんだ。考えようとすればするほど混乱する。疲れた。細胞が疲れている。考えるのは明日だ。明日、考えればいい。

ベッドで横になると静寂と闇が素早くカンタンにあたしを覆った。その闇に溶けるように落ちていった。


目が覚めたら朝の7時だった。お腹が空いていた。お母さんが作ってくれたホットドックを2個も食べ、カルピスも2杯飲んだ。

部屋に戻って古地図を開いた。地元のそれも家の近所の地図である。越してきて半年あまりの篠崎クンよりあたしの方が何か読み取れるかもしれないということになったのだ。

ジッと目を凝らして答えを求めた。でも読み取れなかった。300年の前の地図なので細部が現在と殆ど変わっている。

ただ眺めてるだけでは答えの欠片は降ってきそうになかった。古地図に掌を滑らせてみる。この感触は和紙だ。それも上質な。しかし多くの人がこの古地図に触れたんだろう、所々がシワになり折れ目が入っている。あたしは古地図に文珍を幾度も這わせ、シワを伸ばした。そして勉強机に付いている電球で照らしてみた。何もない。窓を開け放ち太陽の光で透かしてみた。何も出ない。集中して見つめる。やはり何も出ない。あたりまえか、政府でさえ何も読み取れなかったのだ。

この地図には必ず何かトリックが仕掛けてある筈だ。微々たる思考を巡らす。そうだ、肉眼ではなくサングラスで見てみようではないか。

台所に立つお母さんの目を盗み、電話横に雑然と置いてある車のキーを握り締めた。ちゃりん。キーホルダーが受話器に触れた。

「あ、理恵ちゃん、どっか行くの?」お母さんはシンクに突っ込んだ手を動かしながらこちらを見た。

「う、ううん。別に。」あたしは慌てて車のキーを背後に隠した。

お母さんは少し首をかしげたが、特に気にする様子はなかった。あたしは足音を立てぬよう慎み深く歩きガレージに止めてある車まで辿り着いた。恐々とキーを差し込んだ。勝手にこんな事をするのは初めてだ。運転座席の上に付いてある日除けのようなものにサングラスは吊り下げてあった。素早く拝借し、ドアを閉めた。

急いて自分の部屋へ戻り、早速サングラスをかけて古地図を見つめる。5分、10分、、。少しも変化はなく何も見つけられなかった。

床に座りベッドに背をもたせかけた。少し不安になった。どうすれば良いんだろう。そもそもあたしなんかが読み取れるものなのか。

しばらく意気消沈していたが、お母さんの騒がしい声で我に返った。

「理恵ちゃーん、車の鍵がなくなったんやけど知らんー?ちょっと来てー。」

げっ、やばい、、、。鍵、どうしたっけ。。あぁっ!運転座席の上に置いたまま忘れてきた!どうしよう、バレるのは時間の問題だ。どう言い訳するべきか。兎に角、鍵を返さなければ。あたしは張り詰めた心でリビングへ行った。

「理恵ちゃん、さっき何してたん?」訝しげな面持でお母さんは言う。あたしは答えられずに居た。

「なぁ、聞いてんの?」お母さんは急かす。

「ご、ごめん。くっ、車の中に忘れた。」

「どういうこと?」お母さんはオクターブ低い声で溜め息混じりに聞く。ヤバい状況だ。古地図の事は何が何でも言えるわけがない。

「んあっ、、向かいの佳美ちゃん達と志村けんのだいじょうぶだぁごっこをやる約束でさ、あたしは田代まさしの役やから小道具にサングラスが欲しかってんっ!せやから借りてんっ!」咄嗟の出鱈目な言い訳だった。

「そんならちゃんとお母さんに言うてから借りればいいやろ、車乗られへんやんか。合鍵もないねんで。お母さん仕事行かなあかんのに。今日は夜勤やのに。」いやはやと言わんばかりにお母さんは呆れ果てた様子。(ちなみに土屋家ではお母さんしか車の運転をしないのだ。)

取り敢えずあたしはこの場から逃れる事ができた。思いの外、気の利いた言い訳だったかもしれない。しかし車の中に鍵を置き忘れたミスは反省だ。

お母さんは電話機の下の棚からタウンページを取り出した。車屋に電話するそうだ。

あたしは小さく頭を下げて謝り、自分の部屋へ戻った。そしてまた古地図を眺めた。

、、、そうだ、火で炙ってみるのはどうだろう。こないだ理科の実験でもそのような事をやった。だが火を使うとなると1人で試すのは少し危険。

あたしは篠崎クンに相談してみようと思った。昨日、電話番号を教わり手の甲に書いておいたんだ。左腕を持ち上げる。番号が半分薄れていた。一瞬焦ったが、よくよく見ると消えてるのは市外局番の方だった。

あたしは引き出しから小銭を取りスカートのポケットに入れ、公衆電話に向った。鼓動は高く鳴り響き、浮き足立っていた。

あたしは篠崎クンと秘密を共有しているんだ。これまであたしの中のどこかで停止していた歯車が動き出し始めているように感じた。足元にある道は果てしなくどこかへ続いてる。こんなあたしでも歩けないはずはない。

公衆電話ボックスの扉を開けた。ここに入るのは人生で2度目だ。鍵っ子のあたしは1年前クラスメートにいじめられた時に首にぶら下げた鍵を奪われて家に入れなくなった事があった。そして公衆電話でお母さんの仕事先に電話をしたのだ。

考えてみればあたしは鍵という存在で失敗する。鍵というものは何か閉ざしているものを除き通れるようにするものだ。あたしは自らの手で蓋をしていたのかもしれない。こじ開けようとせず心まで葬っていたのかもしれない。

受話器を手に取り、声を出して喋る練習をしてみた。駄目だ。吃音パレードだ。土屋という名前も篠崎という名前もつまりやすい。

手足をバタつかせ30分近く練習していた。成果はあった。ジャンプしながら言うと比較的つまらず何回か言えたのだ。このテンションが落ちないうちに電話しよう。

ゆっくりボタンをプッシュする。手が小刻みに震える。受話器を持つ手は耳にぶつかるほど震えていた。

「はい、篠崎ですが。」落ち着いた女性の声だった。

「つ、つ、つっっっっ土屋ですがぁ、しっっしっ、ししぃ、篠崎クン、いっいっっん居ますかぁ?」

緊張がピークに達し、電話ボックス内あるだけの面積で暴れまくりジャンプしながら言ったが出た言葉がこれだった。最悪だ。さっきの練習の成果が全く発揮されておらん。

「はい、少し待っててね。」女性はあたしのさぞ聞き取りにくい声に全く動揺せず、冷静だった。やはり篠崎クンのお母さんだ。

そして電話口で’なおきー’と篠崎クンを呼んでいる声が聞こえた。あたしは全身が火照り、恐らく目は泳いでいた。

「もしもし、土屋さん?」

「もっ、もっ、んっもぉしもしぃ。つ、つ、つ、つ、土。。。。」だめだ〜駄目駄目だ。

「会って話そうよ。4丁目にあるスーパーオークワわかるよね?30分後にそこで。いい?」

「うっ、うくっ、くぅん。」まるで犬だ。

そんなわけで人生二度目の公衆電話は惨敗してしまった。ふぅ、疲れた。塞ぎ込んでいる場合じゃない。あたしは帰宅し、古地図をリュックサックに入れてお気に入りのTシャツに着替えオークワを目指した。


篠崎クンが居た。学校以外で初めて会う私服姿の篠崎クンは少し大人びて見えた。

オークワの駐車場の端にあたし達は座り込み、今までの状況を一通り説明した。火で炙る作戦に篠崎クンも賛成してくれたのでオークワでライターとうまい棒(明太子味)2本を購入した。篠崎クンが全て支払ってくれた。

「どこで作戦決行しようか?火を使うから人目に付かない場所が良いね。」篠崎クンはあたしに問う。あたしは一瞬にして閃いた。

「あ、あたし、この近所に秘密基地あるねん。そこならまず人は来やんよ。」

そう、あたしの秘密基地。4年前の夏に見つけた場所。当時大阪から引っ越してきたばかりだったあたしは学校帰り探検がてら近所を散策した。通った事のない道をぶらぶらと歩いていると一面の荒れ野原に古びたマイクロバスがぽつんと佇んでいた。あたしはそのバスがとても気に入った。

共働きの親を持つあたしは誰も居ない家に帰るのが淋しかった。そして恐かった。誰も居ない片付いた部屋に居ると孤独感にひしひしと襲われ、よりあたしを独りぼっちにさせた。まるで世界から見放されたように。

そうして頻繁にそのバスへ足を運ぶようになった。いじめられ始めた時はそこで泣くことができた。そして温めてくれた。秘密基地。

ある日、近所の公園に子猫が捨てられていた。物凄くなついてくる可愛い子猫をあたしは放って置けず家に連れて帰った。お母さんに隠して自分の部屋で飼っていたが、2日目にしてバレた。猫はずっと鳴いていた。公園ではなついていたのにどうしてだろうと思った。お母さんに元の場所に戻すよう言われたが、そこへは行かず秘密基地へ連れて行った。そこでも猫は脅え鳴いていた。2週間程はそのままバスで飼っていたが、いつの間にかいなくなってしまった。子猫の都合は考えていなかったのだ。

猫という動物は生まれ育った場所が自分の縄張りであり成長するに従い自分の足で行動範囲を広げて行く、という事を後になって知った時、心が痛んだ。だからあの子猫は脅えて鳴いていた。今も思い出すと涙が溢れ出る。

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