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「ほら、あそこが出口ですよ」
「おお、やっとかぁ」
翌朝。朝日に照らされた森の中の野営地でほぼ同時に目覚めた二人は、無言のまま野営地を後にし、またしばらく歩いた。会話らしい会話もなく、アルスは神経を研ぎ澄ませた状態のままで、龍二は大欠伸をかましながらゆったりと後ろを歩くという図で、森を抜けるべく歩いた。時としてオオカミのような獣や、昨日の熊ほどではないにしてもそれなりの巨体を誇る熊も現れたものの、全てアルスが一太刀の下に葬っていった。龍二はそれを鼻くそほじりながらただ見ていた。
そうして、朝日が昇ってから一時間ほど経った頃。前方に、森が途切れた地点が見えてきた。出口まで来ると、前方に広がるのは、所々に木がまばらに生えている大平原。遠くに見えるのは、青空に映えるかのように美しく輝く青い山脈。森の出口から伸びる砂利道の遥か先には、小さいが、確かに人が住んでいるであろう建築物がちらほら見えていた。
「お~、すごいなぁ。マジで大自然って感じだ」
「……こんな何もない光景見て感動するなんて、やっぱりあなたは変わってますね」
「そりゃ、珍しいからな」
「ふぅん……」
大して興味なさげに相槌を打ってから、アルスは歩き出す。
「ほら、こっちが西へ続く道ですよ」
立ち止まり、左手でその方向を指差す。真っ直ぐ伸びる道から枝分かれするように、砂利道が分岐していた。アルスが指差したのは、西へ続く道だった。
因みに、分岐する道の横には、木製の古びた看板が突き刺さっている。その先に何があるのかを示す看板だろう。文字は龍二は読めなかったが、矢印の絵が見て取れた。
「なるほど、こっち行けば別の村に行けるってことか」
「昨晩も言いましたけど、目的も何もないなら、西の方がおすすめですよ。まぁ、別に北へ進むならそれでも構いませんけど、ボクは一緒には行きませんので」
「あ、やっぱり一緒には行かねぇのな」
少し残念そうに言う龍二に、アルスは鬱陶しさを隠そうともせずに言い放った。
「……ボクは、好きで一人でいるんです。旅の供なんていりませんから。付いてこられるのは迷惑です」
「あぁはいはい、わぁったわぁった。恩人であるオメェの意思を尊重させてもらうよ」
露骨なまでに自分と距離を離そうとするアルスに、龍二は少し呆れつつもアルスの言う通りに従った。本人がそういうのであれば、無理強いするのは得策ではないと龍二は判断した。
「……じゃあ、ここでお別れですね。この先もう会うこともないでしょうけど、お元気で」
別れの言葉もそこそこに、アルスは龍二に軽く頭を下げてから背を向けて歩き出そうとした。
「あ、ちょい待ち」
が、龍二が声をかけて引き留める。
「……何ですか、まだ何か?」
出鼻を挫かれたような気分になり、不快感を露わにしつつ振り返るアルス。
そんなアルスに、龍二は右手を上げてニカッと笑った。
「いろいろあんがとな。武運を祈ってるぜ」
何の打算もない、純粋な言葉。それが伝わったかどうかはわからないが、少し目を見開いたアルスは、少しの沈黙の後に再び龍二に背を向けた。
「……どうも」
無愛想な返事をしてから、今度こそ歩き出す。やがてその姿は、徐々に小さくなっていき、豆粒程度の大きさにまでなっていった。
「……行っちまったなぁ」
『そうだな。最後まで心を開かなかったな』
アルスがいなくなったことで、ようやく口を開くことができたエルが、龍二の呟きに答える。やはり、どう考えてもエルにはあのアルスと先ほどまでのアルスが、同じ人物とは思えない程、性格が真逆だと感じざるをえなかった。
『……やはり、ここは単純にあいつらの故郷である世界とはまた違う世界なのだろうか。しかし、それにしても同姓同名で似たような人物がいるというのは……疑問が尽きんな』
「…………」
エルの疑問に龍二は口を出すことはなく、しばらくアルスが去っていった方角をじっと見ていた。
『……リュウジ? どうした』
「……ふーむ」
真剣な眼差しを向ける龍二。エルが声を掛けても、しばらくの間じっとそのままの態勢を続けた。
やがて、「よし」という言葉と共に、龍二は歩き出した。
そして看板の前に立ち止まった。
『……リュウジ?』
「…………」
おもむろに、龍二はズボンのポケットからある物を取り出す。それは、細長く、黒いキャップが付いた……マジックペン。
「…………」
キュポン、と音をたててキャップを外し、ペン先を露わにする。そしてペンを看板へ向けて、動かした。
キュキュキュと甲高い音をたてながら、看板にペンを走らせる龍二。しばらくしてから、龍二はペンをキャップに収め、看板から離れた。
そこには、西、北、南に引かれた矢印の他に、龍二の手で新たに日本語の文字が継ぎ足すような形で書かれていた。
←西の村 ↑北の村 ↓獣の森 ブラジル→
「…………」
『…………』
無言。
「ブラジル」
『それがしたかっただけだろう貴様』
そして龍二はその方向へと歩き出したのであった。
* * *
「やっと着いた……」
森を抜けてから北の村まで目指して、ようやく目的地である村に到着したアルスは、少しの疲労感を抱えながら村の入り口に立っていた。遊牧的な雰囲気が漂うこの村は、円形の広場を中心にして、幾つかの家が建っているという構造をしている。家々の裏にはいくつか畑があり、村人数人がそれぞれの畑を耕していた。
なのだが、働いている村人も含め、見かける村人全員の表情が暗い。そして見れば、若い女性が見当たらない。時間帯的に駆け回ってるはずの子供の姿すら見えない。
さらに言えば、どの家もガラスが割れていたり、屋根や壁には穴がいくつも空いているなど、無傷の家が存在していなかった。
(これは……)
アルスは直感で、この村に何かあったに違いないと感じ取る。それを確かめるため、アルスは手近にいた村人に歩み寄った。
「すみません、少しよろしいですか?」
「……何だアンタ。旅人かい?」
声をかけた村人の中年男性は、ジロリとした目つきでアルスを睨む。対し、それに全く臆することなく、アルスは続けた。
「はい、突然声をかけて申し訳ありません。宿泊できるような施設を探しているのですが……何かありましたか?」
「アンタにゃ関係ねぇだろう。悪いが放っておいて……いや、待て」
言いかけ、男性はアルスの体の上から下を見る。見られたアルスは、鬱陶しさを感じつつも、それを表に出さず平静を装ったままじっとしていた。
「……見たところ、アンタ剣士か何か?」
「ええ……そんなところです」
特に今言う必要はなく、勇者であることは黙った。
「腕は立つのか?」
「少なくとも、ここへ来るまでに出くわしたビッグベアード程度でしたら楽に葬れます」
ビッグベアード……昨日、森の中を歩いていたら、不思議な恰好をした青年を襲おうとしていた巨大な熊の魔物。大人数人がかりでようやく相手取れるという狂暴さを持った魔物であるが、勇者であることと、鍛練を積んだアルスにかかれば、まさに赤子の手を捻るような弱さだった。アルスにしてみれば大した相手ではない。
だが、それを聞いた男性にとって、ビッグベアードを屠ったという情報は衝撃だったらしい。
「ほ、本当か!? 嘘じゃねぇんだな!?」
「嘘をつく理由がありませんよ」
徐々に熱くなっていくのが見て取れる男性に対し、アルスはあくまで淡々とした口調を崩すことなく受け答えをしていく。それが逆に信憑性を高めたらしく、男性はさらに捲し立てた。
「た、頼む! ビッグベアードを倒したっていうアンタの腕を見込んで、俺らの話を聞いてくれないか!!」
(ほら来た……)
やはり、この村でトラブルが発生したらしい。アルスは内心ため息を零し、冷やかな気持ちになりながらも、ニコリと笑顔を作った。
「ええ、構いません。お話を伺いましょう」
* * *
「ここがこの村の村長の家だ」
あのまま男性に促され、二階建てという村の中でも大きな家の前まで連れてこられたアルス。男性は、木製のドアを三回ノックした。
「村長、村長いるか!?」
声を張り上げる男性。しばらくして、家の中で誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。
扉が少し開かれ、隙間から覗き込むように、白い長い髭を蓄えた老人が顔を出した。眉をしかめ、しかし憂鬱そうな表情で応える。
「なんじゃ、お主か……何用じゃ。ワシはこれから村の連中を」
「聞いてくれ! 腕の立つ剣士様がこの村に来てくれたんだ!」
老人の言葉を遮り、男性は叫ぶ。
「剣士様が? …………わかった、入りなさい」
聞いて、少し考える素振りを見せた老人、村長に促され、男性に続いてアルスも家の中へと入る。
部屋は広く、玄関から入ってすぐ目の前がダイニングルームとなっているらしい。そこに数人、ガタイのいい男性が集まり、アルス達に一斉に視線を向けた。
視線を受けたアルスは、居心地の悪さを感じながらも、やはり顔には出さない。
「……そこの若い者が、剣士様かの?」
男達をかき分けるようにして、椅子に座る村長。その顔には、疲労感が見えた。
「はい。アルス・フィートと申します」
丁寧に頭を下げ、自己紹介をするアルス。そんな中、男達のうち一人が吐き捨てるように言葉を放った。
「はっ! こんな見るからに貧弱なガキが剣士だぁ!? 当てになるわけねぇだろうが!」
「村長! やっぱり我慢ならねぇよ! 俺らに行かせてくれよ!!」
アルスに集中していた視線が、今度は村長に向けられる。村長はそれを受け、腕を組んで呻きながらうつむいた。
「……何度も言うが、先ほどは運がよかっただけじゃ。下手に逆らえば、全員命がなかった……」
「だからって!! 何も村の食糧や作物、しかも村中の女子供を差し出すなんて!!」
「差し出さねばそれこそ皆殺しにされておった!! 連中の要求に応えたからこそ、ワシらはこうして無事でおるんじゃろうが!!」
「じゃあこのままおめおめと見過ごせってのかよ!? 俺の女房なんだぞ!?」
「見過ごせんから、国に騎士団を派遣するよう要請した!! お前達が行ったところで返り討ちじゃ! 今度こそ本当に皆殺しにされるぞ!!」
「ふざけんじゃねぇよ!! 騎士団の到着っていつだ!? こっから王都までどれだけ離れていると思ってんだよ!? その間にも俺の娘は……!」
「しかもだ!! 国から派遣された兵士たちは皆真っ先に逃げ出しちまってんじゃねぇか!! そんな腰抜けがいるような国に任せられるわけねぇ!!」
やいのやいのと口論を続ける村人たち。それを遠巻きに、冷やかな目でアルスは見つめた。
(口論だけして無駄に時間をすごす……聞いてるだけじゃあ、何があったのかわからないな)
埒があかないと判断し、アルスは前へ進み出た。
「すみません、話が見えてきませんので、ボクにも聞かせていただけませんか?」
「うるせぇ!! 今それどころじゃねぇんだ、ガキは黙って」
猛然と振り返り、アルスを罵倒しようとした男。だが、その先を続けることはできなかった。
一瞬で腰から剣を引き抜き、その切っ先を喉元に突きつけていたからだった。
「なっ……!」
アルス以外、その場にいた全員が息を飲む。突きつけられた男は、何をされているのか訳がわからない様子でアルスを見る。
その目には、怒りではなく、呆れを含んだ冷やかな物を宿していた。
「話していただけませんか? ……ボクはこれでも、勇者として旅をしている者なので」
使いたくはなかったが、アルスは自身の存在を明かす。説得力で言ったら、これほど強い物は、過去の経験からしてなかった。
案の定、アルスの正体を話せば、村人たちは目に見えて狼狽し始めた
「ゆ、勇者様だって……!?」
「本物か……? 何でこんな寂れた村に……」
「いや、見てみろよあの剣。あれって確か、王都に祀られていた聖剣じゃあ……」
「じゃあ正真正銘の勇者様なのか……!?」
しばらくそんな囁き声がしていたが、アルスが本物の勇者と確信した瞬間、全員佇まいを直した。
「も、申し訳ありません! 勇者様とは露知らずに無礼を……!」
「いえ、きちんと名乗らなかったボクにも責任はあります。こちらこそ、野蛮な事をしてしまい、すみませんでした」
突きつけていた剣をおろし、鞘に収めてから頭を下げた。
「おお、なんという奥ゆかしさ……勇者様、手厚い歓迎をすることができず、申し訳ありません……!」
「お構いなく……それでは、何があったのか、お話していただけますか?」
椅子から立ち上がった村長に、アルスは笑顔で説明を求めた。
(……やっぱり、こうなるか)
そして内心では、態度を改めた彼らに対する失望に似た感情を抱いていた。
今までも、こうやって掌を返す人間と出会ってきた。自分が勇者という立場であることを知らないと強気に出て、わかった瞬間下手に出る。誰も彼もが、アルスのことを勇者とわかった瞬間、ヘコヘコと頭を下げてきた。
(……あぁ、でも……例外がいたっけ)
昨日、森で出会った奇妙な服を着た青年。最初、名を名乗った時に堂々と勇者であることを明かした。大抵の人間は、ここで自身を神か何かと思わんばかりに感謝し、恭しく頭を下げる。
なのに、彼はそれをしなかった。寧ろ訳のわからないことを言って、こちらを二重の意味で混乱させた。
話し方も馴れ馴れしいし、時には偉そうに物を言う彼。正直、あまり関わり合いになりたくない相手だと最初は思った。
だが、勇者であるとわかっていて、あの態度を取る青年に、少しばかり、本当に少しばかり興味を抱いたのは確かだった。
「はい……私から説明させていただきましょう」
恭しく頭を下げた村長は、顔を上げて事情を説明し始めた。アルスは思考から意識を戻し、村長の話を聞く態勢に入る。
「夜明け前、村人がまだ寝静まっていた時の話です。この村に、盗賊団が押し寄せてきましたのです」
「盗賊団……」
盗賊団。呼んで字の如し、村や町を襲い、略奪の限りを尽くす犯罪集団。傭兵崩れや、過去に犯罪を犯した凶悪犯、さらには傷害沙汰を起こした兵士や騎士が、盗賊団に身をやつすと聞く。
「はい。その盗賊団が、家々に矢を放ち、あるいは窓ガラスを破壊したのです。その音で我々は目を覚ましたのですが、突然のことで応戦することができず……」
(それで家に傷が……)
「ですが、奴らは我々を殺すことはせず、全員を家から引きずりだしたのです。そして、奴らの頭目はワシらにこう言ったんです……」
『今日からお前らは俺らの奴隷だ!! 金と食い物、女子供を出せ!! そうすりゃ殺さないで飼ってやる!!』
「無論、我々は反抗しようとしました。ですが、連中は正規の軍隊とは違えど、数多くの村を襲ってきたであろう戦闘集団。対し、ワシらは狩りや畑を耕す道具以外を持ったことがない、いわば戦いに関しては素人。逆らえば全員命が無くなると判断したワシは……」
「言われるまま、お金と食糧、女性と子供たちを差し出した、というわけですか」
アルスに言われ、悔しげに呻く村長。その握り拳からは、食い込んだ爪によって血が流れ出ていた。
「この村を守る村長として、皆を危険に晒す訳にはいかなかったんです……! どうか、わかってくだされ……!」
村長の姿を見て、周りの村人たちも俯く。中には、家族を奪われて涙する者もいた。
「……頼むよ、勇者様! 俺達の家族を取り戻してくれよ!!」
「お願いします!! 私は、娘を失いたくないのです!!」
そして、縋る。無力な自分達にはどうすることもできないからと、力を持ったアルスに。どう見てもガタイは自分達の方がいいくせに、細い体格をした少女のアルスに、助けを求める。
(……この人たちは……)
他者を犠牲にして、自分達は助かる。それに反抗する力を持っていないから、大人しく強者の言う通りに従う。そこに突如現れた希望に、誰もが縋りつく。
そんな村人を見て、アルスはどこまでも冷淡に考えていた。
(……どこもかしこも、結局は同じか……)
恐らく、アルスが考えている言葉を発した瞬間、彼らはその言葉に飛びつくだろう。この状況を打破してくれるであろう存在が現れたのだ。確実に希望を持つだろう。
それをわかっていて尚、アルスは声をかけた。
「……聞かせていただき、ありがとうございます。力無き人々を守るのは、ボクの役目です」
「で、では……!」
顔を上げた村長は、期待を持った目でアルスを見る。アルスは、心の中で舌打ちしながら、村人たちに笑顔を向けた。
(本当……)
「ここで通りかかったのも何かの縁。皆様の大切な物を、取り返してきましょう」
(バカみたい……)
村長の家に、歓声が響き渡った。
ブラジルネタが知りたい人は『TRICK』を参照。
本文に矛盾点とか出てこないか随一チェックはしてるんですが、気付かない点を誰かに指摘されたら泣いて土下座します。土下座して寝ます(嘘




