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―――消えろ!
―――消え失せろ!
―――気持ち悪いんだよお前らは!
―――さっさと死んでおくれ!
―――この村から出て行けよ!
―――お前らの存在自体が不幸を呼ぶんだよ!
―――だから!
死に絶えろ! この―――!!
「…………」
薄らと瞼を開く。ぼやけた視界に映るのは、未だ燃えはぜるたき火の明かり。夜による暗闇によって、月明かりすら差し込まない鬱蒼と生い茂った森を、たき火を中心に赤く照らす。
(……座ったまま、眠ってたのか……)
枯れて倒れた木を椅子にして、片膝を立てた状態で座っていたら、いつの間にか睡魔に襲われてうたた寝をしていたようだ。
普段ならば、周囲を警戒して、夢すら見ないような浅い眠りしかしてこなかったというのに。とんだ体たらくだ。
幸い、手元に置かれた荷物には異常がないため、気付かないうちに何か盗られたという事態には陥ってはいない。
(……最も、いい夢ではなかったけれど)
それも、とびきり最悪な夢だった。思わずため息が零れる。
この旅を続けてはや3年。やはり、忘れようと思っていても、結局は受けた苦しみを忘れることはできないということだろうか。
どれだけ修行に明け暮れても、どれだけ敵を屠っても、心の奥底に根付いた忌まわしい記憶はついて回る。
「情けない……」
誰にでも言うわけでもなく、自嘲気味に一人ごちる。振り切れるわけがない。あんなことがあったのに。そう思っていても、やはり忘れたいと思う自分がいるわけで。
結局、考えるのはやめた。考えるだけで、どんどん気分は悪くなるばかりだ。
今は、体を休めることに集中しよう。悪い夢を見たせいか、体力はともかく、精神に負担がかかったような気になる。明日も早い。休める時に休み、体力を温存しなければいけない。
それが、自分の目的……使命を果たすために、必要なことなのだから。
「……おやすみ、―――」
小さく、本当に小さく呟いたその言葉。
再び、そのままの態勢のまま目を閉じる。深く眠らず、浅く、周囲を警戒しながら。いつでも動けるように。
俯き、サラリとした緑髪が、たき火の炎に照らされながら揺れた。そして、やがて小さな寝息をたて始める。
先ほど呟いた言葉は、すでに暗い森の中へと溶けて消え去っていた。
* * *
青い空の中、太陽から降り注ぐ日差しの温もり。吹き渡る風の涼しさ。そして風が撫でる草木の爽やかな音。
前方に広がる森を見渡せる小高い丘の上。そこに一人、座り込む一人の青年。
「あ~、いい景色だな」
『そうだな。そして風が気持ちがいい』
「おまけにお日さんもご機嫌ですっげぇあったけぇわ」
『ああ、ここにいるだけで眠くなってしまいそうになるな』
「穏やかな気候に、辺り一面人がいない大自然」
『昼寝するにはうってつけだろうな』
「だなぁ」
『ああ』
「…………」
『…………』
「…………」
『…………』
「…………」
『……おい』
「ダメ」
『まだ何も言っていないだろう』
「ダメ」
『ちょっと喋らせてくれるだけでいいから』
「ダメ」
『……何故だ?』
「テメェが言おうとしていることくらいお見通しだ」
『ほぉ? つまりそれは貴様も言いたいことなのではないか?』
「ご名答だ」
『そうだろうな』
「ああ」
『……では、一つ提案がある』
「なんだ」
『一緒に言うというのはどうだろう?』
「ふむ、それならいいだろう」
『いっせーのーで、で言おうか』
「いいぜ」
『よし、では言うぞ』
「『いっせーのーでー!』」
「『どこだここは』」
青い空の上を飛ぶ、一羽の鳥の鳴き声。
その声が虚しく響き渡る中、青年……荒木龍二は、胡坐を掻いたまま呟いたのであった。
* * *
時間は少し遡る。
「さって、炊飯器のタイマーを押して終了っと」
夜23時。平日ならばすでに世間の大半が眠りにつくであろう時間。
ピッという電子音をたて、台所に置かれた炊飯器が、翌日に炊き立てごはんを炊けるように準備を始める。それを見た龍二は満足気に頷き、台所から出る。
「よっしゃ、今日の仕事終了っと」
「お疲れ様ですリュウジさん」
「お疲れ様ー!」
「あ、お疲れー。ご苦労さん」
そんな龍二を労う三人の声が、リビングから響く。
一人は、緑髪という珍しい髪色をした、中性的な顔立ちの少女。緑色のストライプの柄のパジャマを着ている。名をアルス・フィート。
一人は、ウェーブがかかった金髪の少女。赤い瞳をした彼女は、黄色の水玉模様のパジャマを着ている。名はクルル・バスティ。
もう一人……もとい一匹? は、掌サイズの銀髪の少女。左右水色と桃色という別々の色合いの瞳を持ち、無地の白パジャマを着ている。名をフィレイド・フィアラ。愛称フィフィ。
現在、リビングで各々の態勢で寛ぎながらテレビから流れるニュース番組を見ている三人。フィフィ以外、こうして見る分には日本の生活に馴染んだ外国人の少女たちに見えなくもない。
なのだが……三人ともこの世界の住民ではなく、れっきとした地球とは違う世界である異世界から来た来訪者だった。
アルスは、異世界では勇者と呼ばれ、クルルはそれに敵対するはずの魔王。フィフィは見た目通り、アルスの相棒である妖精。
本来ならば宿敵同士であり、決して相容れない存在であるはずの二人。
それがこうしてテレビ見てぐーたらダラけているという。そう思うと、何ともシュールな光景だった。
「フィフィよ、オメェから上から目線に見られてるような気がするがどう思う?」
「はぁ? そりゃアンタ、自意識過剰っていう奴」
「キ○チョール発射準備」
「ご苦労様ですリュウジ様」
細長いスプレー缶向けられてアルスの頭の上で素早く土下座かます妖精。殺虫剤苦手な妖精ってどうなのだろうか。
「ていうかお前ら珍しいな。普段なら22時すぎたくらいにはもう寝てるってーのに」
「はい。このニュース終わったら見たいテレビがあるんで」
「言ってくれりゃ録画しといてやるのに」
「わかってないねーリュウくん。こういうのは録画するんじゃなくてその場で見るのが楽しいの!」
チッチッチと右手人差し指振って偉そうに言うクルル。
「ふぅん……そんなもんか」
「そんなもん!」
エヘン、という擬音がつきそうなクルルに、胸張って言うことかそれは、とツッコミ入れたかった龍二だったが、ふとその隣のアルスを見る。
「…………」
胸を張るクルルを見てから、自身の胸を両手で擦る。
大平原。
「…………はぁ」
そしてため息。
「……オメェはなんで自分の乳触って落ち込むん?」
「き、聞かないでくださいよ!!」
デリカシーのない龍二の発言に、アルスは顔真っ赤にして怒った。当たり前である。
「ま、いいか。あんま遅くまで起きてんなよ。明日は早いぞ」
「あ、はい!」
「はーい!」
「はいはーい。へへ、ちょっと楽しみよね」
言って、龍二はリビングを出ながら三人に手を振った。それに答え、喜色を孕んだ声で返答する三人の声を背に、龍二は二階の寝室へと上がっていった。
「ふぁぁぁ……さって、じゃ俺も寝るかねー」
『…………』
部屋の扉を閉じ、欠伸をかます龍二。そんな龍二に、冷たい視線が突き刺さる。
「おっと、そういやメール確認してなかったなっと」
『…………』
部屋に置いてある自分用のPCをスリープモードから立ち上げ、メールフォルダを開いて届いたメールを見る龍二。そんな龍二に、冷たい視線が突き刺さる。
「お、あのラーメン屋キャンペーンやんのか。やべぇな今度行かないとな」
『…………』
メールマガジンの情報を見て、口の端からちょっと涎を垂らす龍二。そんな龍二に冷たい視線が突き刺さる。
「よーっし、じゃ今度こそ寝るかーっと」
『…………』
PCの電源を落とし、ベッドに潜り込む龍二。そんな龍二に冷たい視線が
『早く反応しろおおおおおおおおおおおおおお!!』
「いやうるせえよ。気付いてるっつーに」
『尚性質悪いわ!!!』
冷たい視線の主、知性ある魔法の剣、エルフィアンが、ベッドの脇に立てかけられた状態で叫んだ。
人語を話す剣。日本どころか、世界中を探したところで、そんな物が存在しているはずがない。このエルフィアンもまた、アルス達とはまた違う異世界からの来訪者である。
細身の長剣であり、切れ味もさることながら、その身に宿った雷の力を操ることもできる、まさに魔法の剣。龍二を主とし、エルという愛称をもらい、彼に振るわれてその力を発揮する。
なのだが、実際は龍二の家の台所で包丁として振るわれたり、たまに目覚まし時計代わりになったり、スコップになったりと、戦いのない現代日本においてその真価を発揮することは本当に極稀だった。本当の剣として振るわれるのは、腕を鈍らせないために特訓をするアルスに付き合ってやってる時くらいである。
「……で? 何? 俺ぁ今から明日に備えて寝るんだよ邪魔すんじゃねーべ」
『ああ、そうか。じゃあ一つ言わせていただこうか』
「んあ?」
不満を露わにするエルに、龍二は首を傾げて言葉を待った。
『明日のピクニックとやら……何故。私は。留守番なのだ』
エルの不満。つまるところ、明日の友人一同と共に、町から離れた自然豊かな場所へ出かけようというイベントに参加できないということだった。
「いや、そりゃオメェ……包丁だろ?」
『包丁ではない剣だ』
「ピクニック行くのに包丁持ってけねぇだろ」
『包丁ではない剣だ』
「それこそお前、出番ねぇぞ? 弁当持って行くし、包丁振るうこともないだろうからな」
『包丁ではない剣だ』
「まぁそんなわけだから、包丁は留守番な」
『包丁ではない剣だああああああああああああ!!!』
訂正してるのに訂正を無視しまくる龍二に思い切り叫ぶエル。
『ええい、貴様わかって言ってるだろう!? 私は包丁ではない!! ……って今はそれじゃない!! 私一人留守番だと!? なんだこれは!? いじめか!! 今話題のいじめ問題か!!』
「ツッコミにそんなディープな話入れんなし」
『やかましい!! ともかく私だけ除け者などさびし、じゃない、虚しいだろうが!!』
「訂正した意味あるんか」
『大体剣である私が持ち主いない状態で留守番などできるわけないだろうがああああああああ!! 別に口うるさくしたりしないから連れてけコラああああああああああああ!!』
「もう本音漏れてるし」
というより一人という数え方に甚だ疑問を龍二は抱いた。
「あーあーわかったわかった。連れてく連れてく」
『ほ、本当か!?』
「嬉しそうに言うなし。てかうるせぇからな放っておくと」
夜遅くにここまで叫ばれると喧しくて鬱陶しいし、近所迷惑である。別に隣に住まう幼馴染の花鈴に迷惑がかかってもいいやとは思ってはいないが、一応。ホントに思ってないが、一応。
(後、帰ってきたら延々と呪詛の言葉吐かれそうだし)
それはそれで鬱陶しい。
『連れてけよ!? 絶対だからな!! 泣くぞ!!』
「気付け。キャラが崩れ始めているということにいい加減気付け」
言い終わるや否や、エルの柄の装飾に付けられた銀色の円形の宝石が光を消す。意識がある場合、この宝石から光を放っているが、眠ると輝きを失う。わかりやすいといえばわかりやすいが。
「……寝るのはえぇなオイ」
自分だけ叫ぶだけ叫んでおいてすぐ寝るとか腹ただしいので、軽く蹴って床へ倒した。「ぶぎゅ」という声がした気がしないでもないが、
「気ニシナーイ」
と言って、龍二は布団に潜りこむ。
先ほどのエルの大騒ぎが嘘のように、龍二の部屋は静寂に包まれた。リビングからの三人の声も聞こえない。
「……もうちょいで12時か」
暗闇の中、目を凝らして時計を見ると、もう少しで日付を超えようとしている。脳裏に浮かぶのは、明日も早いと言ったにも関わらず、リビングでテレビを見て起きているだろう三人娘。
(ていうか、ファンタジーの住人が現代社会に完全溶け込んじまってるっていうのも変な話だな。今更ながら)
剣と魔法のファンタジーという、典型的異世界。そこからやってきた、勇者と魔王とその仲間達。アルス達以外の仲間達は、今は龍二の友人達の家で厄介になっている。彼らもまた、この世界に馴染みまくっていた。
確かに、最初の頃は異世界ということでカルチャーショックを受けていた彼らだったが、順応してしまえば何の、数日後にはもう現代人と同じように生活していた。
(……まぁ、受け入れた俺らも人のこと言えんか)
そんな彼らをあっさり居候させ、家主として世話する自分達もまた順応性は高かったと言わざるをえなかった。
(まぁ……楽しいからいいんだけどよ)
こうやって異世界に迷い込んだにも関わらず、毎日の日常を謳歌できているのは、ひとえに彼らの性格もあってのことだろう。まぁ、性格が違っていたらどうなっていたかなどという“もしも”の話など知ったことではないだろうが。
(とりあえず……明日んなったらあいつら……蹴ってでも起こしてやらんとな……)
あと数秒で12時を回る。時計が時間を刻む音だけが、ゆっくりと睡魔に蝕まれていく龍二の耳に入ってくる。それが子守唄の如く、龍二の意識を沈めていく。
重くなってくる瞼に逆らうことはせず、訪れる睡魔に身を委ねていき……龍二は、眠りについた。
* * *
「そして今に至る」
『うむ、脈略もへったくれもないな今の回想』
眠りから覚めたら、この有様。部屋の中ではなく、しかも時刻は、太陽の位置から恐らく正午をすぎた辺り。大自然に溢れた環境に突然投げ出され、龍二とエルは困惑していた。
「ていうか何だこれ。俺さっきまで普通にパジャマ着てたじゃん。何で昼間の服装してんだよスマホもポケットに入ってるし。おまけにお前。エル。何でここにいんの。隣に龍刃も置いてあるし不自然だろご都合主義すぎて萎えるわボケェい」
『私に言うな。そもそもご都合主義などこの作者の得意分野ではないか今更どうしようもないだろう』
「なるほど、反論できねぇな」
『はい論破』
「死ぬか?」
『すまない、調子乗った』
そして論破されてディスプレイの向こうでは涙を流す20代男性がいた。
『いやまぁ、おふざけは程々にしてだな。なんなんだこの状況は』
「だからわかんねぇっつってんだろ」
エルの疑問に、龍二は頭をガシガシと掻く。服装は、いつものヘッドフォンに黒ジャケット、水色ジーンズに白黒スニーカー。
脇に置かれているのは、相棒エルフィアン、そして龍二の家に代々から伝わる日本刀『龍刃』。
確かに、これら一式は部屋に置いてあった物。なのに着替えた覚えもないのに身に着けている。明らかに不自然だった。
「……でもまぁ、とりあえずこのままじっとしてたところでどうにもならんか」
『動くのか?』
「おう。もしかしたらこれ夢かもしれんからな」
寝てたらわけわかんないところにいました。誰が信じるのだろうかこんな突拍子もない話。さすがに誰かに話したところで、急展開すぎて脳の問題を疑われるのがオチだ。
ひとまず仮説として、龍二はこれを夢だと思うことにした。夢の中にエルがいるという件だが、エルの能力の一つのうちに、龍二の意識の中へ入ることができるという謎能力があったりするから違和感はない(因みに以前、無断で入ったせいで夢の中で龍二にボッコボコにされた)。
「夢ならそのうち覚めるだろうからな。動けるんなら夢ん中歩いてみようじゃねぇの」
『……なるほど、ようは楽しもうということだな』
「YES」
そう言ってエルに答えながら胡坐を解いて立ち上がった龍二の顔は、
めっちゃいい笑顔だった。輝いていた。
「よっしゃー! 試しに森ん中でターザンごっこしよーぜー!」
『急にテンション上げたな。テンションブーストMAXか貴様』
時々ついていくのに苦労するな、とエルは思い、そんなエルを龍二は右腰に、左腰に龍刃をそれぞれベルトに差す。
普段だったらスポーツバッグにでも入れるところだが、ここは夢の中。どうどうと持ってたところでどうということはないだろう。
「行くぜ、ターザァァァァァァァァン!!」
『……もうどうにでもなれ』
ぴょいーんという擬音がつくような軽やかなジャンプで丘を下る龍二。その腰で、エルは呆れながら呟いた。
* * *
「ってターザンってジャングルじゃねぇかああああああああああああああああ!!!」
『今更そんなところに気付くのか!?』
うわあああ! と膝をついて地面を叩く龍二。加減して叩いたが、地面が揺れて木々がざわめいた。
森に入った龍二は早速ターザンごっこしようとして気付いた。
ここジャングルじゃなくて森だった。
『い、いや、しかしジャングルでなくても木々はあるしいいんじゃないか?』
「ちげぇよわかってねぇよオメェ。ターザン=ジャングルという方程式があんだよ昔っから。ここでやったところで所詮ターザソで終わるのがオチだ」
『貴様ターザンにどんだけこだわってるんだ』
よい子の皆はツタでターザンごっこしたら危ないから気を付けよう。
「……しょうがない、誠に不服ではあるが、ターザンは諦めよう……マジでクソ」
『全身から悔しさがにじみ出ている……』
楽しむことには徹底的にこだわる男、龍二。念願のターザンごっこを諦め、周りを見回した。
緑が生い茂った、正真正銘の森。地面は草で生い茂っており、見上げれば木漏れ日が地面を照らす。周りの木々は太く、長い間ここに生えているということが伺えた。
風が吹くたびに木々の枝は揺れて葉が擦れる爽やかな音、そして小鳥の囀りが聞こえる。空気も澄んでいて、ここで昼寝すると気持ちがいいだろう。
「というわけで、昼寝かますか」
『何がどういうわけか知らんがどうしてそうなった』
適当な大木の根本にドッカと腰を下ろし、足を投げ出す。両手を頭の後ろに組んで、龍二は完全に寝に入るモードへ突入。
「いやぁホラあれだよあれ。夢ん中で寝たらどうなるの? みたいな」
『……まぁ、どうなるかはわからんが……ていうか寝れる時点で夢じゃ』
「おっとその先は言わない約束だ」
言ったら言ったで悲惨だから、色々。
そう言って、龍二は首にかけたヘッドフォンを持ち上げて耳にあて、コードをスマホに繋げた。流れてくる曲はJPOPのバラード。これを聞くと眠くなる。
「ふぁぁぁぁ……じゃ、15分くらい経ったら起こしてくれー」
『……能天気な奴だ……わかった』
「Zzz」
『って早いなっ!?』
エルが答えてから0.1秒。最速。
『……本当に、この状況わかっているのかこの能天気バカは……』
これが本当に夢であったとしても、こんな異常事態によくもまぁのんびりと眠っていられる物だと、エルは呆れる。
普通、大抵の人間は大きく取り乱して激昂するか喚くかして、現状を受け入れようとしない。混乱をきたし、最悪発狂、自害も考えられなくもない。
……にも関わらず、この男は。突然、訳のわからない場所にいたという事態に焦ることもせず、こうやって平然と受け入れて大木で睡眠するという、神経がどうなっているのか甚だ疑問を抱かざるを得ないようなことをしでかしている。
『……まぁ、今に始まったことではないにしてもだがな……』
考えてみれば、この龍二に『普通』というものが通用するはずがないのだ。本当に今更だが、改めてこの男の大物っぷりを目の当たりにして、エルは頭痛がしてくるのを感じた。
剣だから頭という部位はないが。
ともかく、こうなっては宣言通りに15分経たない限り起きないだろう。無理に起こしてひどい目に合うのも御免こうむるため、エルは言われた通り、起こさずに黙っていることにした。
『だが、さすがに何かが起こった時は無理やり起こすか』
危機が迫っているのに眠るのを放置するというのはさすがにありえない。ていうよりそうなったら龍二も危機だが動けない自分も危機だ。やばい。
――――
『……ん?』
ふと、何か音が聞こえた気がしたエルは、見回す……ことはできないので、周辺に意識を集中させる。だが、何も聞こえず、いまだ小鳥の鳴き声と葉の擦れる音しか聞こえてこない。
『……気のせいか』
自分もこの状況下に置かれて、気が動転でもしていたらしい。そう思い、エルは再び沈黙する。
―――ン
『…………』
また、聞こえてきた。はっきりとはしない。だが、確実に音が聞こえた。
それも、小さな揺れを感じた。
――ズン
『……おい、リュウジ』
音に、振動に、どこか焦燥を滲ませた声で龍二に声をかける。だが、龍二はまだ寝息をたてていた。
今度こそ、エルははっきりと感じた。低い、何かを踏みしめるような音。そして、地面を揺らす確かな振動。
それが、
―――ズン
近づいてきている。
『リュウジ、おい。起きろ』
「むにゃ」
エルが再度声をかける。だが、龍二は起きない。
―――ズンッ
『リュウジ! 起きろ!!』
「……グゥ」
確実に、近づいてきている。先ほどより音が、振動がでかくなっている。振動によって木々にとまっていた鳥たちが驚き、一斉に飛び立っていった。
『ま、まずいぞこれは……どう考えても!』
焦るエル。眠る龍二。そして近づく振動と音。やがて、
―――ズンッ!
音の主は、龍二が眠る木の裏まで迫ってきていた。
『リュウジッッ!!!!』
刹那、
―――ボッ!
龍二が眠っていた木が、横へと吹き飛んだ。根本からたたき折られ、木の破片が周辺に撒き散らされる。その中には、血と肉片が混じり……
「っぶねぇな」
否。木もろとも薙ぎ払われたかと思われた龍二は、寸前のところを飛び上がり、座り込んでいた場所から離れた地点へ膝を着いて着地。遅れて耳につけていたヘッドフォンが龍二の頭の上へ落ちてきて、示し合わせたかのように首にスッポリはまった。
『……貴様、起きていたな?』
「いや、今起きたばっか」
『嘘つけ!! わかってて寝たフリしていただろう!?』
「気ニシナーイ」
『気にするわ!!』
怒れるエルを適当に流しつつ、龍二は昼寝を邪魔した存在を肉薄する。
生い茂った木々の暗闇に紛れてよく見えないが、輪郭だけでも相当な巨漢であることがはっきりわかる。全長が龍二の身長二人分という、見上げんばかりの大きさ。やがて影は、ズシン、とその重たい体を光の下に晒した。
熊だ。全身を茶色の体毛で覆った熊。だが、その熊は先ほど述べたような巨体を持っており、どう考えても普通の熊とは思えない。
さらに、獲物を睨みつける鋭い眼光。鋭い牙を剥き出しにし、端から涎をボタボタと垂れ流しているその口から漏れ出る低いうなり声。両手両足の先に、獲物を引き裂き、八つ裂きにするための爪を持ったその獰猛な姿。
並の人間であれば、腰を抜かし、恐怖に慄くその威圧感は凄まじいの一言に尽きる。
しばらくの間、唸り声を上げながらじっと龍二を睨みつける。
やがて、
『――――――――――ッッッッッ!!!!!』
己の晩餐となるべく獲物を威嚇するためか、あるいは己の力を誇示するためか。巨大熊は、周囲の木々すらをも震わせる程の声量を持った雄叫びを上げた。
無論、至近距離にいる龍二にもその衝撃は伝わる。ビリビリと鼓膜を震わせるその声を間近で受け止めた。
普通なら、ここで逃げ出すか、あるいは失禁して気絶するか。巨大熊にしてみれば、気絶さえしてくれれば楽に仕留めることが容易だろう。
「うるせぇデカブツ。もう少し黙れ」
だが相手は龍二である。そんな衝撃なんて屁の河童。寧ろジト目で挑発を返し、腰を落として左右の差した剣の柄を腕を交差させて掴んで臨戦態勢に入る。
挑発に反応したか、あるいは獲物が怯えなかったことに対してプライドが傷つけられたのかはわからない。だが、巨大熊は気に障ったかのように、さらに牙を剥きだして姿勢を低くした。
そして一気に、その巨体に見合わないスピードで龍二目掛けて突進を開始した。
(ふむ、一直線か……)
対し、龍二は冷静に、迫りくる巨体から目を離さずに思考する。やはり獣か、怒りに任せて突進をし、手早く仕留めようとしているのが伺える。
ならばこのまま、突進の運動エネルギーを利用しての切り抜けか、あるいは飛び上がって頭を落下と同時に踏み砕くか。リスクは高いが、確実に仕留めるならば前者だろうと考えた。
(……まぁ、自分が不幸だったと思って、諦めれ)
確かな勝利を確信し、状況判断を終了させて行動を開始する。その間、僅か1秒。
爪を振り上げる巨大熊に、龍二は二刀を抜刀せんと柄を握る手に力を込め
「ハッ!!」
――――ズバンッ
た瞬間、熊の首と振り上げられた腕が吹き飛んだ。
「あ?」
『れ?』
ズズゥン……と鈍い音をたて、熊はあと少しで龍二に届くという地点で力尽き、倒れ込む熊の巨体は、ちょうど龍二の足元に倒れ伏すような形となった。
少しの間を置いて、龍二の背後に落ちてきたのは、巨大熊の頭部と右腕。血を撒き散らしながら転がるその首は、変わらず獰猛な顔つきのままであった。切られたことすら気づかなかったのだろう。
『…………』
「…………」
龍二達は沈黙した。
『……貴様、いくら規格外だからといって、行動と結果が逆転するような力をいつの間に手に』
「いやそれはないわ。大体それインチキくせぇから嫌い」
『嫌いじゃなかったらできるのか貴様……』
嘘か真かわからない曖昧な返事をした龍二は、熊が絶命した原因を探した。
(そういや、さっき一瞬俺の目の前をなんか横切ったような……)
「危なかったですね」
「あん?」
考えたのも束の間、声がした方へ顔を向ける。声の主は、背中を向けていた。
身長は、龍二より頭一つ分低い。銀色に光る胸当てと、腰に付けられたフォールド(前当て)、そしてきめ細かな鎖で編まれたであろう鎖帷子で包むその体は細く、一見するとか弱く見える。
だが、右手に持った幅広の剣を振るい、血を払うその仕草からは、か弱いという印象をかなぐり捨てるような凛々しさを感じさせた。
そして何より、一番目立つ物。それは、
肩まで伸ばしたショートヘアーに整えられた、艶やかな緑色の髪。
(……緑髪?)
緑髪でパッと思い浮かんだのは、家にいるであろう勇者のこと。生真面目だが、どこか抜けていたり、変に臆病だったりする、勇者としてどうなんだとツッコミたくなるような少女。
そんなことを考えている龍二に、その人物はゆっくりと振り返った。
あどけなさの残る、少し丸型の輪郭の顔立ち。凛々しく光る緑の瞳に、形の整えられた眉。中性的なその顔立ちは、見ようによっては、美少年にも見えるし、美少女にも見える。振り返ると同時、髪が揺れて日に照らされて光り輝いた。
(……なんだこいつ?)
外見年齢からして龍二とそう変わりないように見えるが、着ている鎧がなんだか中世っぽいというか、普通に生活してたらお目にかかれないような恰好しているとか、色々考えたりした。
「ここは獰猛な魔物が住まう森の奥地ですよ? こんなところで一体何をしていたんですか」
考える龍二に、腰に差した青い鞘に剣を収めながら歩み寄り、厳しい物言いで注意するように言うその人物。だが、龍二は半分も聞いちゃいなかった。
というのも、
(こいつ、なぁんかどっかで見たことあるぞオイ……)
持っている剣を見てみる。金細工の柄は蔦が幾重にも絡んだような装飾が施され、中央に赤く光るルビーのような丸い宝石が埋め込まれていた、縦にするとまるで十字架のように見える剣。そして、この中世時代に着るような鎧。
何より……髪と瞳が澄んだ緑。
「……? ボクの顔に何か?」
じっと見つめる龍二に、少し気に障ったかのように不快気な声で問う。少し声が低いものの、少女特有の高さを持ったその声は、龍二にはひどく馴染みがあった。
(……いやいやいやいやいや……ないないないないない)
馴染みはあっても否定した。ていうか全否定した。ていうか確かに似てるところは多々あるが、正直認めたくない。
が、やはり聞かなければいけない。ていうか聞きたくてしょうがない。眉間をつまんで少し話す言葉を考えてから、龍二は声を絞り出した。
「……あー……つかぬ事を聞いてもいいか?」
「……なんですか」
返答に若干棘がある気がしたが、龍二は(気ニシナーイ)と心の中で言った。
「……アンタ、名前……何?」
「は?」
さすがに失礼だったか。龍二は選ぶ言葉を間違えたと判断し、もう一度聞こうとした。
「……まぁいいか。名乗るのも礼儀というからな」
はぁ、とため息をつき、眉をしかめていた緑髪のその人物は、真っ直ぐ龍二を見て名を名乗った。
「ボクはアルス。アルス・フィート……勇者です」
「」チーン
龍二は無言無表情になった。
はい、初っ端からご都合主義全開のお話でした。
書いてて思いましたけど、本当に音楽聞きながらとか、その場で考えたノリとか、そんなんで書いてます。地の文の拙さはご了承。
そんなこんなで、続きます。ていうか一話長いかな……どうでしょうね。