第五話 前哨
今回は短めです。
リュウガ直属の臣となったシーラはアーシアに劣らぬ働きを見せた。
具体的にはリンドブルム竜王国に内心では賛同できない者を纏めること。
亡きコーラン公爵から全てを託され、その期待を裏切らないだけの才能、そして何よりリュウガの覇気さえ退ける強い意志が人を惹きつけていた。
リンドブルム竜王国を認める者はアーシアの、認めない者はシーラの元へ人が集まる。
現在竜王国にはアーシアとシーラの二大派閥が出来上がっていた。
とある日の午後。
シーラはとある扉の前に立ち、深呼吸してからノックしてドアノブを開いた。
「ごきげんよう、シーラ様」
静かな、それでも人を捉えてしまう声音で出迎えるのは宰相アーシア。
「約束通り、お一人で参りましたね」
両手を合わせて華やかな笑みを浮かべるアーシアは一見無邪気な様子。
ただ、これまでの彼女の功罪がその笑みを額面通り受け取ることができなかった。
「私は忙しいのです」
席に座るや否やそう切り出すシーラ。
つまり中身のない話はお断りというメッセージだろう。
「そんなにカリカリせずとも。紅茶とお菓子はいかが?」
アーシアはそう勧めるがシーラは眉根一つ動かさない。
まるで目の前の代物が毒入りでもあるがのような表情である。
「あら、残念。美味しいのに」
アーシアは上品に微笑んでから自らカップに注いでのどを潤す。
「給仕長が時間を割いて作った一品なのよ。一口でも食べないと彼に失礼だわ」
自分より先に手を付け、そこまで言われればシーラも口にしないわけにはいかない。
シーラは険しい表情のままお菓子を口に運んだ。
「……」
シーラはお茶を口に運んでも何も言わない。
だが、二つ目のお菓子を手に取ったことから、少なくとも不味いというわけではなさそうだった。
「要件は何でしょうか?」
シーラは鋭い視線をアーシアに向ける。
言外に、下らない話だったら早々に切り上げると告げていた。
「そうね、貴女の望みを叶えてあげようと思って」
「……」
視線で続きを促すシーラ。
「シーラ様が求める望みを叶えたい。それは利害と打算との無関係の善意よ」
具体的には言わない。
言質を取られるわけにはいかないから。
「私も大切な人を失った。だから貴女の苦しみは理解できるわ。私って結構な悪評--血も涙もない悪党だと恐怖されているけど、身内には優しいのよ」
「……」
「私はサクヤ姉様とリュミス姉様を大切に想っている……当然亡き父もね」
その言葉は本心から述べているように聞こえた。
「宰相のご厚情、恐れ入る」
シーラは固い表情のまま頭を下げて礼を述べる。
「宰相の話は興味深い。しかし、不愉快だ」
「あら、どういう意味かしら?」
シーラの言葉の意味を推し量るためにとぼけるアーシア。
「アーシア宰相、貴女は私を私情のために立場を利用する愚か者と蔑む……それ以上の侮辱がありますか?」
シーラの最も厭うこと。
それは己の野望を叶えるために身分や他人を利用する行為である。
シーラはコーラン公爵のもとでそういった人間を多く見てきたため、ああいった連中と同類になることは絶対に認められない。
「今の私は竜神直属の臣。相応に振る舞わせてもらう……私情は抜きにして、な」
それはそれ、これはこれ。
自身の野望のために王国を滅ぼしたアーシアとは違うとシーラは言外に伝えた。
「アハハハハハ、面白い。やはり貴女を迎え入れて正解だったわ」
「?」
突如、けたたましく笑い始めたアーシアにシーラは眉根を上げる。
自分が予想していたとは違った反応に彼女は軽い意外感を覚えていた。
「己を捨ててまでも忠誠を尽くす……そういう人材は絶対に必要なのよ」
アーシアは立ち上がり、窓枠にまで移動する。
「恥ずかしい話だけど、私の傘下にはシーラのような優秀な人材はいないわ。真面目な者はいるけど能力が伴っていない。一人では何もできない者ばかりよ」
アーシアはシーラに背を向けているためアーシアの顔を知ることができない。
「けど、貴女の下に集った者は違う。彼らは能力がある、私達が何も言わなくとも自分で仕事を見つけ、解決するでしょうね」
「……」
シーラはアーシアの物言いに警戒する。
暗殺の手伝いをすると申し出たと思えば一転して国の行く末と部下の特色。
どちらが本命なのかシーラは測りかねていた。
「隣の芝は青く見えるといいます」
とりあえず謙遜の手を使う。
「確かに能力は有能な者が多いですが、彼らは全員腹の中に一物を抱えています。何時寝首をかかれるか分からず、気が休まりません」
何を隠そう、シーラ自身が胸の奥にリュウガに対する復讐心を抱えている。
トップがそうである以上、下の部下が影響を受けるのは至極当然だった。
「……」
アーシアは何も答えない。
長い薄青色の髪が風に弄ばれてもなすがまま。
はるか遠くを見つめるさまは、まるで国の行く先を憂う賢者のようだった。
「アーシア様、一つ伺ってよろしいでしょうか」
「答えられる範囲でなら」
アーシアから了解をもらったシーラは呼吸を整えた後に切り出す。
「貴女は私のことをどう思っているのでしょうか?」
「有能な家臣。この国には必須な人材ね」
「……私を障害と考えたことはありませんか?」
アーシアの野望を止める目的で国の中枢に取り入ったシーラ。
そうである以上、アーシアにとって邪魔なはずである。
「シーラ、あまり私をがっかりさせないでちょうだい」
ため息とともに振り返ったアーシアの表情にシーラは屈辱で体が震える。
アーシアの顔に浮かんでいるのは失望。
未経験にしては仕事ができる方だと思っていた新入社員は実はこの道十年の古株だったと知った顔にそっくりだった。
「っ、失礼しました」
体中を駆け巡る怒りを全身全霊を込めて抑え、頭を下げる。
馬鹿なことを聞いた。
第三王女アーシアはコーラン公爵でさえ認める大物。
そんな彼女を己の物差しで判断していた自分に恥じ入る。
(けど、まあ良い)
シーラは一瞬で怒りを抑制させる。
己の小ささを知れるのは良いことだ。
そして、眼前に大きな敵がいることはもっと良いことだ。
目標ができる。
何をどうすればいいのかすぐにわかる。
この恥は未来への投資と考えれば怒りの溜飲が下がった。
「己の矮小さを素直に認め、強大な相手から学ぼうとする真摯な姿勢、素晴らしいわ」
アーシアは心底嬉しそうに笑う。
「リュミス姉様に貴女の爪の垢を煎じて飲ませたい。そこまでいかなくともリュミス姉様のよき相談役になってくれないかしら?」
その言葉は親愛の情がある。
それが真か偽かはともかく、一応姉を想う心はあるようだ。
まあ、少なくとも言えることは。
「アーシア様、私は貴女の思い通りに動きませんよ?」
シーラは胸を張る。
今は自らの意志関係なしに操られることは覚悟しよう。
しかし、必ず力をつけ、アーシアの前に立ちふさがる。
その時まで忍辱の鎧を纏おうとシーラは決めた。
「お茶が冷めちゃったわね」
席に着いたアーシアはカップを見てそう零す。
「代わりはいる?」
「いえ、結構。用があるのでこれにて」
シーラは丁重に断って部屋を出る。
一人残されたアーシアは冷たいお茶をすすって。
「まだ薄いわね」
と、意味深な呟きを漏らした。
「攻めるか」
軍事地図を睥睨していたリュウガが小さな声でそう漏らす。
本当に小さな声。
まるで独り言のような軽い調子だったが、周囲に緊張が走る。
「リュウガ様、攻めると仰るのは?」
「アーシア、分かり切ったことを聞くな。当然ノーズガン帝国だ」
ノーズガン帝国。
それはバグサス王国と長年西方の覇権を争っていた国。
リンドブルム竜王国に変わったとはいえ、家臣の大部分はバグサス王国。
アーシアを含め、誰もが苦々しい顔をした。
「アーシア、一か月後に出陣できるよう兵を集めろ。そしてリュミス、お前も軍事の総責任者として出てもらうからそのつもりで準備をしていろ」
淡々と支持を出すリュウガ。
そのあっけなさに誰もが戸惑いを隠せない。
「竜神、僭越ながら勝算はおありで?」
リュウガ直属の臣であるシーラは皆の心情を代弁する。
「まだ国内整備もままならない。見かけの力は同等でも、ぶつかり合えば容易に優劣が出てしまいます」
どっしりと構えた相手を倒すのは容易でない。
しかも政変のため国内をまとめ切れていない状況での征服はリスクが高すぎた。
「何言ってんだか。国内整備がまだだから征服するのだろうが」
手っ取り早く国を纏めるにはどうしたらよいか。
それは外部に敵を作り、そして圧倒することである。
しかも相手は争ってきたノーズガン帝国。
その国を併呑すれば誰もこの体制に逆らう者はいなくなるだろう。
「なるほど、利点はあります。そして、策はおありですか?」
「策と称するほど高尚なものではないがな」
リュウガは肩を竦める。
「俺一人が敵陣に特攻し、将軍や指揮官クラスを討ち取る。で、リュミスは後に残された烏合の衆を攻撃・降伏させれば良い」
竜人であるリュウガの皮膚は並みの武器や魔法を通さない。
しかも空を飛べるので、敵陣の奥深くまで侵入できた。
確かにリュウガの言う通り、策というにはあまりに単純すぎる。
だが、単純ゆえに嵌れば効果は絶大だった。
「「「……」」」
アーシアさえもどう反論していいのか分からない。
それが出来たら策はいらないという全否定である。
「異論はないようだな……と、いうより神である俺に口を挟める者はいないか」
実際はアーシアやシーラが相当口を出しているのだが。
建前論にリュウガはのどを鳴らす。
「では決定だ。サクヤ、公布を出せ。ノーズガン帝国を滅ぼし、このリンドブルム竜王国が世界制覇の第一歩となる重要な戦だ」
スマホゲームの誘惑に負けた作者をお許しください。