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第二話 出陣

「ミース、お前はどうする?」

 リュウガに充てられた部屋にて彼はミースに尋ねる。

 ミースは国にとってどうでもよい存在。

 彼女が村に帰りたいと望めばすんなりと戻してくれるだろう。

「俺の気持ちは考えなくてよい。自分のしたいようにしろ」

 リュウガの世話係も十分すぎるほど用意されている。

 つまりミースがいなくても問題なかった。

「リュウガ様……」

 ミースは濡れた瞳で彼を見つめる。

「私はもうリュウガ様のお役に立てないのでしょうか?」

 栗色の巻き毛が細かに揺れ、ミースの悲しみを表す。

「もし私を邪魔だと感じるのなら自害を命じてください。もう私はリュウガ様から離れることはできません。私はリュウガ様がいない生よりも一瞬でも傍にいる死を望みます」

 常に命の危機に晒されてきたミースにとってリュウガは絶対的な不動存在。

 安住できる場を捨てて不安に脅かされる場になど彼女はもう戻りたくなかった。

「そうか、お前がそう言うのなら構わない。これからも俺に尽くせ」

 リュウガは跪くミースに駆け寄り、指で顎をつかんで上げる。

 そこには敬虔深い信者が神をこの目で目撃したような感激がある。

「はい、リュウガ様。私の全ては貴方に捧げます」

 ミースはリュウガに顎をつかまれたままにっこりと笑みを浮かべた。

 コンコン、コンコン。

「誰だ?」

 ノック音が響いたのでリュウガはミースを部屋の端に下がらせて返事をする。

「サクヤでございます。入室してもよろしいでしょうか?」

 面会を求めたのは前王の長女サクヤ。

 大方、アーシアから連絡が入ったのだろう。

「許す、入れ」

 リュウガが許可すると扉が開く。

「竜神様……」

 先ほどの凛とした佇まいはどこへやら。

 熱に浮かされた瞳でリュウガを見つめる王女の姿があった。

「竜人様、近くに寄ってよろしいでしょうか?」

 サクヤの頼みにリュウガは首肯する。

 小柄なサクヤがリュウガの傍に立つと彼の大きさが際立つ。

 背は二メートル以上、そして竜の羽と尻尾が彼の巨大さを一層際立たせていた。

「……ああ」

 夢遊病に置かされたような蕩けた顔でサクヤはリュウガに抱き付く。

「こうして直に触れると益々竜神様の偉大さが染み渡ります」

 サクヤはリュウガに回している腕に力を込める。

「何もかも……どうでも良い……優秀な妹達に全てを任せ、我が身果てるまでこのままで……」

 と、うわ言を呟くサクヤ。

 その心酔ぶりはミースを上回っている。

「サクヤ姫も大分疲れているようだな」

 リュウガはサクヤの綺麗な黒髪を撫でながら囁く。

「サクヤで結構でございます。はい、竜神様。サクヤはようやく居場所を見つけました」

 深謀遠慮渦巻く王宮。

 例え王族といえどもその争いに無縁とはいられず、心をすり減らしてきたサクヤ。

 彼女の不幸は己が長女であることと優秀な妹がいたこと。

 王宮内でサクヤの場所は無きに等しかった。

「……」

 サクヤに敵意がないことは知っていたのでサクヤの思う通りにさせるリュウガ。

「ミース、お前も来い」

 ミースに目を向けると、彼女は切ない顔をしていたので呼ぶ。

「はい、ただいま」

 リュウガに呼ばれたミースは喜色満面な表情でリュウガへと向かった。


「勘当だ、リュウガ」

「何故ですか! 父上!」

 リュウガは叫ぶ。

 涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにしながら眼前の父に食って掛かる。

「なぜ私が勘当されるのでしょうか!?」

「分からぬとうそぶくつもりか?」

 リュウガの父が静かな声音で言葉を紡ぐ。

「リュウガよ、お前はドラグナイツの名の意味を間違って理解してしまった。その誤りを正すために、わしが許すまでドラグナイツを名乗ることは許さぬ。しばらくただのリュウガとして生きろ」

 あまりに重い宣告。

 その覇気に、リュウガは反論する気力を奪われる。

「っ、父上!」

 気力を奪われ、最後に残ったのは妄執。

 亡霊のごときしつこき念がリュウガの顔を上げさせる。

「わたしは--」

 と、何事かを呟こうとした時。

「……」

 悪夢が終わり、リュウガは眼を開けた。

「……夢か」

 自らの黒髪を掻き毟るリュウガ。

「最悪だ」

 顔を醜く歪ませ、歯を食いしばる。

 思い出したくもない記憶。

 すでに許されて過去となり、ドラグナイツと名乗って良いにも拘らず、先ほど見た悪夢はリュウガの心を苛んだ。

「竜人様、どうなされました?」

「サクヤか」

 リュウガの身じろぎに目を覚ましたのだろう、右隣にいる眠たげな様子のサクヤがリュウガに尋ねる。

「リュウガ様、起きたのですか?」

 次いでリュウガの左隣にいたミースも体を起こす。

 絶対安全地帯。

 今、この場にはリュウガを傷つける者はいない。

 なのにリュウガの心は晴れない。

 今、いる場がひどく不安定で、すぐにでも崩れ去りそうな危機感がひしひしと感じていた。

「サクヤ、ミース。俺の名は?」

 リュウガの問いかけにまずサクヤが口を開き。

「竜神--リュウガ=ドラグナイツです」

「ああ、そうだな」

 サクヤの答えにリュウガは息を吐く。

「リュウガ=ドラグナイツ様です」

 続いてミースの答え。

 二人ともドラグナイツが入っている。

 つまり二人ともリュウガのことをリュウガ=ドラグナイツと認識していると考えていいだろう。

 ドラグナイツ。

 それは竜の一族を統べ、何人もの魔王を輩出してきた誇るべき家系。

 その一端にリュウガは属していると思い出し、肩の力が抜ける。

「日の光を浴びてくる」

 リュウガは立ち上がって窓辺へと向かう。

「安心しろ、少し空を飛んでくるだけだ。すぐに戻る」

 竜人であるリュウガは空を飛ぶことができる。

 ただの人間であるサクヤとミースは空を飛べず、置いてかれる顔をしたのでリュウガは軽く笑って安心させた。

「……」

 遥かな上空からリュウガは地上と城を見下ろす。

 リュウガがいた部屋はバグサス王国--いや、リンドブルム竜王国において最も優れた場所。

 いわば王国の中心地ともいえる場所である。

「俺は神となり、国を手に入れた」

 リュウガはぽつりと呟く。

 神は何物にも縛られない。

 つまりこの王国内でリュウガに逆らえる者は皆無。

「誰もが羨む環境」

 サクヤとミース。

 この二人は誰であろうとも文句なしの美女と絶賛するだろう。

 それだけでなく、知的な三女アーシアと、まだ会っていないが凛としたリュミス。それだけでなく王国内の全ての者はリュウガのものだ。

 しかし、今のリュウガは快感を覚えていない。

 それよりももっと大事なことがある。

 世界を手に入れること、あらゆるものをひれ伏せることよりも大事なこと、それは--

「ドラグナイツの名を穢すわけにいかん」

 竜王ドラグナイツの名を至高へと導き、泥にまみれさせないこと。

「心にとどめよう」

 何よりも優先すべきはドラグナイツの名誉。

 名誉を失墜させる真似は絶対にすべきではない。

「そこをアーシアに固く言っておくか」

 朝食後、リュウガはアーシアとの話し合いがある。

 恐らく反旗を翻した貴族の処分についてだろうが、いくら合理的でもおいそれと受け入れるわけにはいかない。

 絶対に妥協できないことであることを再確認した。


 リュウガの姿は三女のアーシア、そして次女のリュミスと共にあった。

「……」

 リュミスはリュウガを敵を見るかのような剣呑な表情で睨んでいるが彼は気にしない。

「それでは、説明をさせていただきます、リュウガ様」

 リュウガが気にならない以上アーシアはリュミスのフォローをせず、いないものと扱った。

「さて、バグサス王国の終焉そしてリンドブルム竜王国の誕生の余波は庶民間だと問題ありません」

 正確には何が起こったのか庶民は理解していないと表現したほうが正しいだろう。

 まあ、それでよい。

 リュウガにしてもアーシアにしても国民生活を大幅に変えようとは考えていない。

 いずれは変えるにしても、他のごたごたが解決してからだ。

「事態を知れば暴動を起こすと思うがな」

 リュミスの毒をアーシアは当然無視した。

「懸念事項はコーラン公爵を始めとした上層部です。彼は昨日の時点で城を出て貴族会議を開く予定だそうです」

「内容としては俺達を反乱軍として認定し、武装蜂起か?」

「その想像で合っていると思います」

 リュウガの言葉にアーシアは眼を閉じて肯定した。

「ふむう……」

 リュウガは考え込む。

 もっとも簡単な手はその貴族会とやらのメンバーを皆殺しにすること。

 しかし、それはドラグナイツの名を貶める危険性がある。

 ドラグナイツの名を失墜させる行為は絶対に許されなかった。

「クツクツクツクツ」

 と、ここでリュウガはある事実に気付く。

「アーシア、お前も人が悪いな」

「フフフ、何のことでしょう?」

 アーシアは無邪気に笑う。

 何のことかわからないと言わんばかりにニコニコと。

「そいつらを俺に掃除させたいのだろう?」

 アーシアはキレる。

 その年に相応しくないぐらいに頭の回転が速い。

「それが最善です」

 アーシアにとって貴族会議とは己を縛る鎖同前。

 邪魔以外の何ものでもなかった。

 それをリュウガで焼き払おうという魂胆なのだろう。

 優秀な者にとって最も許せないのは無能が己を邪魔することである。

「が、残念ながらアーシアの思い通りに進まん」

「何故でしょうか?」

 アーシアは表情を変えない。

「すでに賽は投げられました。後は早いか遅いかの違いだけです」

 リュウガを神とし、新しい国家を立ち上げた時点で武装蜂起は必然。

 ぶつかるのが当然である。

「俺自身が赴いて説得する」

 顔も名も知らない者を殺すのはドラグナイツの名に反する。

「そこで無理なら俺自ら潰そう」

 その上での処断なら仕方ない、誰にも任さずリュウガがやる。

 それが竜王たる者の務めだ。

「貴族会議の参加メンバーはわかるか?」

「ここに」

 アーシアは机の上にあった羊皮紙の束を差し出す。

「このリストに載っているのがメンバーと居場所です」

 用意が良いな。

 リュウガは笑う。

「後、名前に丸印をつけている貴族はなるだけ殺さないでください」

「分かった」

「それと、姉のリュミスをお連れ下さい。彼女がいれば話が通りやすいでしょう」

「……良いのか?」

 言外に死んだらどうすると尋ねる。

 リュウガと違い、一つのミスが死に繋がる人間を連れていくのはどうかと思う。

「ご心配なく、リュミス姉さまは武芸の達人です。ご自分の身ぐらい守れるでしょう」

 実の姉を駒扱いするアーシア。

 その微笑みにリュウガは不快感を覚える。

 肉親に対する情ではない。

 竜王の座は一つのため兄弟同士で殺しあうことはリュウガにとって日常。

「お前は何のリスクも負ってないな」

 リュウガが覚えた不快感。

 それはリュミスを危険地帯におくりながらアーシアは安全地帯にいることである。

「リュミス、お前は来なくてよい。代わりにアーシアが行く」

「え?」

 リュウガの決定にアーシアの顔が引きつる。

「私が行くのですか?」

 言外に殺されたらどうするのかと尋ねる。

「俺がついてるんだ。問題ない」

 リュウガはそう断言するがアーシアの不安は消えない。

 まあ、そうだろう。

 サクヤと違いアーシアはリュウガはそれほど信用していない。

 本当に命の危機に陥った時、必ずリュウガが助けてくれる保証がない。

 もしリュウガの気が変わり、アーシアを敵の真っただ中に置いていく状況に陥れば。

 アーシアは死んだも同然である。

「私が行ってもお荷物で終わる気が--」

「アーシア、お前に拒否権はない」

 アーシアの意見は聞かない。

 力づくでもアーシアを連れて行こうとしたその時。

「妹に手を出すな」

 リュミスが力強い声でそう言い放った。

「うん?」

 リュウガはリュミスに顔を向ける。

 そこには確たる意志を込めて睨み付ける女騎士の姿があった。

「ほう、妹を庇うのか? アーシアは姉であるお前を人身御供に仕掛けたのだぞ?」

 リュウガは笑う。

 アーシアに向けたの違い、心底嬉しそうな笑み。

「命を張らせようとしたんだ、この状況に陥ったのは自業自得というべきだがな」

 アーシアがリュミスを行かせようとしたからアーシア自身が行く羽目になる。

 因果が完結しており、これ以上の手出しは無用な方程式。

 それをなぜ無粋な式を加えようとしているのかとリュウガは問う。

「アーシアは私の妹だ。私の妹である以上、危険なことは一切させない」

 道理を曲げてまでも肉親を守ると。

 肉親だから守るという理屈はリュウガにピンと来ないが、命を賭けているのは理解した。

「分かった、なら予定通りお前を連れていくとしよう」

 リュウガはその心意気を組んだ。

「リュミス姉さま……」

「アーシア、恩に着る必要はない。これは私が勝手にやったことだからな」

 アーシアの罪悪感が混じった呟きにリュミスは力強く。

「それよりも国を頼む。もし私が死に、その竜人がいなくなれば国を支えられるのはアーシアだけだからな」

 長女であるサクヤはあてにならない。

 その堂々たる宣言は呆れを通り越して感心させる。

「話は決まったな。リュミス、出立は今から一時間後。正装をしておけ」

「一時間? それは無理だ。何せ馬車の準備やら近衛兵の編成やらで二、三時間取られる。

「そんな大々的にやらなくもいいだろ。赴く用件はただ一つ--頭を垂れるか剣を取るかの二択。その返事を聞くだけなのだから」

 友好を深める等云々は後回しでよい。

 早ければ一秒もかからない。

「分かったな。一時間後中庭に来い。待っている」

 そう言い残してリュウガは立つ。

 これ以上彼は議論をするつもりはないようだ。

 リュウガから生えている翼としっぽを揺らしながらその場を後にした。


「五分前行動とは感心だ」

 噴水に背を向けたリュウガはやってきた人物に対してそう褒める。

「おかげで余計なストレスがなくて済む」

「別にお前のためじゃない」

 やってきた人物--リュミスは苦々しげな表情で。

「もし私が遅れてお前の機嫌を損ない、国や姉妹達に迷惑がかかると困るからな」

 リュウガは無関係な人間を巻き込まないし、何よりもリュミスが来なかったら来なかったらで対応していたので危害が及ぶことはあるまい。

 まだリュミスはリュウガのことを信用していないようである。

「クツクツクツ、三姉妹全員の反応がこうまで違うと笑ってしまうな」

 リュウガはのどを鳴らす。

 長女のサクヤはリュウガと同化しようとし、三女のアーシアはリュウガを利用しようとしている。

 そして次女のリュミスはリュウガを徹底的に排除したがっていた。

「……っ」

 リュミスは己の抵抗がさして意味がないことを知って自己嫌悪に陥る。

 なぜこうまで無様な姿をさらしてしまうのか自問する。

「まあよい。とにかく行くぞ」

 そんなリュミスをリュウガ放っておき、背を向ける。

「? どうやって行くのだ?」

 リュミスは質問する。

 ここは王宮の中庭。

 馬車など見当たらない。

「飛んでいく」

 リュウガは歩きながらこともなげに答える。

「正確には元の姿に戻り、お前を背に乗せて飛ぶから離れておけ」

「どういう……」

 言いかけたリュミスだが、リュウガの異変に気づいて口をつぐむ。

 あのリュウガが。

 身長は二メートルを超え、背には羽としっぽと亜人特有の器官を持つリュウガが。

「え、なんだそれ?」

 リュミスは間の抜けた声を漏らして後ずさる。

 リュウガの周囲に炎が出現する。

 それら多数の炎はリュウガを取り囲み、やがて炎がリュウガを覆い尽くす。

 それだけで終わらない。

 リュウガが炎の中へ消えると同時に地鳴りがとどろき、地面が割れる。

「ガアアアアアアアアアア!」

 リュウガの口から出た咆哮。

 それは人の者とは思えない。

 そのあまりのうるささにリュミスは耳をふさぎ、炎の熱さに顔を背けた瞬間、凄まじい威圧感がリュミスを縛り付けた。

「……もういいぞ。こっちを向け」

 振り向いたのはリュミスの意思ではない。

 絶対に逆らえない縛りを持つ声に振り向かされた。

「っ」

 リュミスは息をのむ。

 リュウガがいた場所に--一匹の竜がいた。

 しかもただの竜ではない。

 体長は十メートルを越え、竜からほとばしるエネルギーは飼いならされた竜とは比べ物にならない。

「あ、あなたは……」

『あなたは……とは酷い言い方だ』

 竜は子供の身長ほどありそうな瞳を細めて。

『言っただろ。俺は竜人。その気になれば竜になることもできるんだ』

 リュミスの眼前にいたのは人のリュウガではない。

 完全なる竜の姿であるリュウガがいた。

『乗れ』

 竜となったリュウガはリュミスに背を向ける。

『振り落とされないようしっかり捕まっておけよ』

 飛ばされても知らないとリュウガは暗に伝えた。

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