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第四話 秋風

   3

 「すごく久し振りだね。一体どうしたの?何か問題でもあったのかな。僕は相変わらずなんだけど…君はどう?具合悪くなったりしてないかい?」当たり障り無くいったが余りに突然なのでいささか自分らしくない受け答えをしてしまった。

 「相変わらず優しい言葉掛けてくれるのね。一緒に暮らしてる時はほったらかしにされて、凄く寂しかったわ。」

 「そうだったな、ごめんよ。あのさ、これから大事な打ち合わせに出掛けなきゃいけないんだ。君も知ってる通り僕は移動に時間がかかる。3時に池袋のメトロポリタンなんだ。どんな用件なのかな?」

 「久し振りに会って話したいの。打ち合わせの後でいいわ。時間作ってもらえるかしら?」

 「分かった。僕はその後銀座の伊東屋で注文していた材料のサンプルを取りに行く。だから銀座のプリンチペで7時、でどうだろう?」

 「いいわ。よく待ち合わせしたものね、懐かしいわ…じゃあ7時に、ね」

 やれやれ、と僕は思った。詳しく話さないところをみると決していい話ではないだろう。そろそろ出ないとな。

 「僕はそろそろ出るから君はあがっていいよ。電話は留守電にすればいいんだ。タイムカードは手書きで5時にしておけばいい。そこに僕の認印があるだろう?それを押しておけば済む。」

 「でも社長、お昼過ぎたばかりですよ。いくらなんでも申し訳ないです。私今日全然働いてないですよ、困ります」

 「いいんだよどうせヒマなんだし。それに長い時間君を事務所に独りで居させたくないんだよ。最近は変な奴が多いからさ。」僕がそう云うと彼女は、ふう、と大きく溜息をついてくすっと笑った。

 「分かりました。そのかわり池袋のメトロポリタンまでご一緒させてください。私の地元ですから社長一人で行って苦労することありません。いいですよね?」

 「そうか、じゃあ甘えさせてもらおうかな。原宿まで歩いて山手線で行こう」


 僕のマンションは紀伊国屋の裏手にある。一度青山通りに出て表参道をゆっくり下った。彼女、長崎さんが腕を軽く組んでくれたので杖は必要なかった。昼過ぎから晴れ間が出てきて日差しが強くなったが、湿度が低くさらっとしていて、秋の気配を感じた。カフェのテラス席も沢山の人で賑っている様だ。

 「長崎さんは2年生だったね。まだ早いけど就職はどうするつもりなの?」と僕が訊くと、丁度反対側から来たカップルにぶつからないようにと、軽く組んである腕を押して、上手にかわしてくれた。

 「そうですね。高校生の頃はずっと留学願望があって…しっかり語学力をつけたかったんですが、社長のところで働かせてもらうようになって、広告もいいなって思ってるんです。」

 「うーん、たいした仕事をさせてあげられてないし、広告の仕事と呼んで果たしていいものか、って仕事が多いからね。君にいい経験を積ませることが出来ない。本気で考えてるんだったら大きい会社でいい仕事に携わる事だ。良かったら僕が紹介してあげてもいい」

 「そんな、駄目です、社長のところで一緒に働くのが好きなんです。」そう言ってもう一度組んだ腕をぐっと押した。さっきより強めで長崎さんの胸が二の腕に触れた。思いがけないほど柔らかくふくよかだったので一瞬どきっとした。慌てて

 「おいおい、僕のところは早稲田の優秀な学生を新卒で採るような甲斐性は無いぜ。冗談いって笑わせようとしてるな」丁度坂道の中ほどで、ヒルズ側には人が多そうだったが、こちらはそれほどでもない。

 「社長、さっきのお電話の女性、奥さんですか?」

 「そうだよ。もう離婚して4年になる。会うのは友達の結婚式以来だから2年振りぐらいかな。正直会うのは気が重い。昔のことを思い出したくないしね」

 そうですか…でも社長と別れるなんて信じられない」珍しく若者っぽくいったので思わず笑ってしまった。長崎さんはぎゅっと力を強めて僕の腕を締め付けた。その時秋の乾いた風と一緒に彼女の若々しい匂いが鼻をかすめ、一瞬だけ親密な空気が僕たちの周りを包んだ。

 最近の音楽のことや読んだ本、お酒やカラオケの話、原宿から池袋に着くまで色んな話をした。池袋にあっという間に着いてしまったので、ラウンジで一服することにした。そして長崎さんがどうしても打ち合わせに参加させてもらいたいというので、アシスタントとして一緒に居てもらうことにした。彼女は何時も品のいい服装をしているので全く問題なかった。

 打ち合わせは順調に終わった。珍しく僕が綺麗な女の子を連れているのでその話で持ちきりだった。長崎さんは初対面、初体験にもかかわらず相手に対して一切物怖じせず、僕のサポートをちょっとした打ち合わせのみで理解してしっかり勤め上げた。長崎さんは周りの人間を自分の存在感と理知的な会話力で魅了し、納得させてしまう力を持った女性だった。

 帰りのエントランスで取引先を見送った後、彼女がいった。

 「やっぱり私…社長と一緒に働きたい。ハンディを克服し、自分の能力で戦っている社長を尊敬しています。私がお手伝いさせて頂く事で社長の仕事の幅と質を高めることが出来るなら…ずっと一緒に居させてください」

 僕はちょっと失敗したな、と思った。彼女はまだ若く純粋で、それだけに思い込みがちだ。この仕事は奇麗事だけで進むようなものじゃないし、ましてや僕の元で働かせるなんて親御さんに申し訳が立たない。アルバイトが目一杯のラインだ。

 「ありがとう。次の約束があるからもう行くよ。今日は本当に助かった、君はとても優秀だった。僕のほうこそ君を尊敬してるよ」

 「奥さんのところへ行くんですか?」

 「そうだ。食事だけして、早めに帰ろうと思っている」一緒に駅に向かって歩いた。長崎さんは改札まで付き合ってくれた。池袋駅は仕事終わりのラッシュアワーで人がごった返していた。伸縮式の白杖をブリーフケースから出して、長崎さんにもう一度礼を言った。彼女は何故か僕のスーツのジャケットの端を持ったままずっと黙ったままで、何か言いたげだった。どうしたのか訊こうとしたとき、「私厭です。奥さんと会って欲しくない。社長のことが、貴方のことがずっと好きです。」と、びっくりするぐらいはっきりと言った。僕はその彼女の、長崎さんの顔を見つめてもはっきり確認することができない。どんなに澄んだ眼差しであろうと。紅潮した頬や耳朶を。そしてこの純粋な恋心を受け入れることが出来ない。

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