第一話 雨の日
第一章 1
地下鉄半蔵門線を渋谷で降りて道玄坂方面の出口に向かうと、ファーストフードの安っぽい油の匂いに混じって濡れたアスファルトの匂いがし、雨が降り始めたのだと気づいた。
雨は苦手だ。
傘をさすぐらいなら濡れたほうがいい。僕は滅多に傘をささない。酷いどしゃ降りの時には窓辺でその降り様をずっと眺めている。そして何千、何万、という雨粒の一粒一粒がはっきりとこの目で見ることが出来たらどんなにいいだろうとじっと目を凝らして見つめてみるんだ。こうして雨の日にはいつも眺めていれば、ある日突然に見えるようになるかもしれない。軽いノリで留学した女子大生が、英語は大の苦手で大した勉強もしてないのに、ある日アメリカ人の友達が下品でどうしようもなくいやらしい話を喋っているのを突然理解できるようになる。よくあることだ。だから僕は雨粒を眺めるのはやめない。僕にもある日突然やってくるはずだ。大きな雨粒が滑らかな表面に様々な景色を映しながらもの凄いスピードで落ち、僕はその表面に自分の瞳をしっかり確認できる。たとえ今は白く光るカーテンにしか見えなくても。
そんなことはどうでもいいんだったな。
映画館の入ったビルの地下から階段を上って外に出る。雨は降り始めたばかりのようで、歩道の植え込みの御影石に腰掛け、若い女の子達が雨も気にせず楽しそうに喋っていた。歩道の濡れて光るタイルを見つめながら坂道を上っていく。僕は決して焦らない。一歩一歩確かめるように上っていく。曲がる所だって目をつぶっていても判る。何度もここには来ているし、僕にとって特別な場所だからだ。
猥雑な歓楽街とホテル街の入り口を右に入りもう少し坂道を上ってもう一度右に曲がる。この辺りはいつも静かだ。そしてこれから起こるであろうことを期待させてくれる妖しさがある。僕は何時間かのち、全てを満たされた満足感と常人の想像を絶する疲労感、そして何時までこんなことを続けていけるのだろうかという不安とどうしようもない寂しさを抱えて同じ道を辿って帰るのだ。
しばらくするとあのマンションが見えてくる。入り口は狭く、大きなアメリカ製のステーションワゴンが何時も横付けされていて入りづらい。エレベーターホールは薄暗く、すえた匂いがどこからきているのかわからない。ひと気も全くない。雨樋から雨水用のパイプに集まった水が流れ落ち排水溝へと落ちていく音しか聴こえない。さあ、そろそろ始めようか。
僕はある部屋のインターフォンを押した。