旅立ち二
来津彦の邸に入ると、すぐに、由津彦は客室に案内された。 まだ、若い侍女が来津彦の命を受けて、連れて行ってくれた。
髪を簪でまとめていて、少し、薄い色の瞳が印象的な侍女である。
「…確か、由津彦様でしたね。長からは、羽立の地から、来られたと伺いました。ですから、ゆっくりとお休みになれるように、長からは言われております。何か、ご入り用がありましたら、おっしゃってください」
侍女は名を夏女と言った。
夏女は由津彦を部屋まで連れて行くと、膝をついて、礼をする。
そして、部屋を出ていった。
由津彦はあまりの待遇の良さに、驚くばかりだった。
夜になり、湯浴みをすませると、夕食が用意された。
長である来津彦が部屋にやってきて、大陸からの渡り品であるらしい葡萄酒や海でとれる珍しい魚や貝などを振る舞う。 あまりの豪華な食事に、由津彦は気後れする。
「由津彦殿、遠方からのお客人である以上、これらを食べてもらいますぞ。何、わしも手をつけるから、心配はしなくてよい。葡萄酒もなかなかの美味ですからな」
普段は巫女であるお婆様と同じく、肉や魚などは食べていなかった由津彦は、貝や魚には手を出さず、強飯や海草の汁物ばかりに手をつけていた。
来津彦は貝くらいは食べなされと、しきりに勧めてくる。
仕方なく、魚や貝にも少し、箸をつけてみた。
火であぶった魚や貝はまだ、新鮮であった。
一口食べてみると、塩味がきいていて、素直にうまいと思う。
「なかなかの味ですね。俺の村でも魚を海でとって、食べていたが。こちらの物はそれよりもうまい」
「そのように言ってもらうと、用意した甲斐があるというもの。由津彦殿、今は酒を楽しみなされよ。葡萄酒は不思議な味がするでしょう?」
来津彦はにこりと笑ってみせる。
由津彦は中の燐姫が叫ぶのをきいた。
『由津彦さん。その方を信用しては駄目!今すぐ、この邸を出ないと』
頭の中で燐姫の声が響いて、由津彦は一瞬、動きを止めた。 土器に入った赤色の酒がゆらゆらと揺らぐ。
彼の異変に来津彦は、訝しげに見てくる。
由津彦は慌てて、我に返ると、何でもないとごまかした。
「…由津彦殿、いかがなされた?」
「いえ。少し、酔ってしまったようです。外へ出ても、よろしいでしょうか?」
来津彦はそうですかと笑いながら、こころよく、許してくれた。
由津彦は外を目指して、縁側に出た。
そこを通って、庭へと出る。
中の燐姫は呆れたような声でこう言った。
『由津彦さん、あの方の出した葡萄酒や魚などには、ごくわずかですけど。薬が入っています』
「…薬?でも、そんな味はしなかったけど」
『わたくしたちは味に敏感ですから。後、酒は飲まぬ方がよいでしょう。葡萄酒は強いものです。だから、飲み過ぎると、よくない』
龍として、長い時間を生きた彼女は薬や酒の効用を知っているらしい。
「さすが、神様だな。わかりました。魚や酒はもう、飲みません」
『その方がよいでしょう。もう、部屋に戻って、旅に出る支度をしてください』
燐姫としばらく、話し合い、朝が明けぬ頃にこちらを出ようと決めた。
由津彦は酒のせいで、少し、足下がふらつきながらも、部屋に戻った。
すぐに、荷造りをすると、由津彦は部屋をこっそりと出た。 足音を忍ばせながら、邸を出ようとする。
だが、庭に差し掛かった所で、由津彦に声をかけてくる人物がいた。
「…おや、そこにおられるのは、お客人の方ではないですか?」
その人物は、まだ、年端のいかぬ少女だった。
薄暗がりの中、少女の白い肌が浮かび上がる。
来津彦の娘ではないか。
名を乙紀といったか。
「確かに、その通りですけど。何か、ご用が?」
素直に答えてしまった。
まずいと思ったが、後の祭りだ。
乙紀とおぼしき少女はうっすらと笑ったらしい。
暗い中でも気配で分かる。
「…そうだったの。ならば、ちょうど良い。お客人、わたしの相手をしてくださいな」
少女の笑みが深まる。
体の中の燐姫は、いけませんと警鐘を鳴らしてくる。
『このまま、乙紀さんに身を許してしまうと、術をかけられます。乙紀さんだけしか、見えなくなるように…』
だが、笑っていた少女の顔がしかめられる。
「…うるさい女だこと。わたしがこの方を気に入ったのだから、黙っていてほしいわ」
『そんなわけにはいきません。由津彦さんの体を借りている 以上、わたくしが許可もなしに出入りできるわけがありませんから』
乙紀はさらに、眉をしかめる。
あからさまな嫉妬の表情に由津彦はなす術を知らない。
「…そう、あなた。人ではないわね?」
その問いかけは由津彦の中にいる燐姫に対してのものだった。
先ほどから、おかしいと思っていたが。乙紀が占をする巫女だという話は本当らしい。
「…君、来津彦殿の娘さんじゃないのか?確か、巫女だとか聞いた」
割り込むような形になってしまったが、乙紀に尋ねてみた。 すると、乙紀は驚いたらしく、目を見開いた。
「ええ、確かに、わたしは来津彦の娘よ。名を乙紀というわ。それがどうかしたの?」
やはり、と由津彦は内心、思った。
燐姫の声は普通の人には聞こえない。
巫女としての力があるこの少女には、聞こえていたのだ。
「いや、君が巫女で占をするという話を来津彦殿から、聞いたんだ。俺の中にいられる燐姫様の声が聞こえて、しかも、話せる人はあまりいない。だから、驚いてしまって」
「わたしが占をね。確かに、やるのはやるけど。でも、今では時々、やるくらいよ。機織りやお祈りをする時に、何かが聞こえたり、見えたりするくらいなのよ。まあ、鹿の骨なんかを使ったりはしないわ。石を動かして、その位置を見ながら、占をするの。わたしができるのはそれくらいね」
自嘲するように笑いながら、乙紀は言う。
少し、巫女というには、軽く浮ついた雰囲気の少女である。 「そうか。君は巫女といっても、俺のお婆様ほどではないな。あの人や姉さんだったら、君みたいなことは言わない」
由津彦は苦笑しながら、乙紀に皮肉を言ってみせた。
雲が風に流されて、空が晴れてくる。
今は初夏だが、空気は冷たい。
海風ではなく、山から吹き下ろすので、よけいにそう感じる。
乙紀は月明かりの下、顔を赤くして、由津彦を睨みつけていた。
「…あなたに、わたしの一体、何がわかるというの!巫女として、無理矢理、修行させられて。したくもない占を毎日、させられてたのよ?!父様は、わたしに、おまえはどうせ、占をするくらいしか、能がないといわれたわ。その時、どれほど、悔しく思ったことか」
歯を食いしばりながら、乙紀は言い募る。
よほど、嫌な思いをしたらしい。
由津彦は黙って、ぶつけられる言葉を受け止めることしか、できなかった。
「…君は巫女の修行でかなり、嫌な思いをしたんだな。けど、占をできる人は減ってきている。俺も巫の端くれなんでな。どうにかしないと、とは思っている」
真面目な顔で言えば、乙紀は驚いたらしく、呆然と由津彦を見やる。
そして、俯いて、はらはらと涙を流し始めた。
「…あなたは巫女としての役割をそういう風に考えていたのね。占やお祈りをできる人が減ってきているのは、確かにその通りだわ」
静かに涙を流しながら、乙紀はつぶやいた。
しばらく、声もなく、泣きながら、乙紀はその場を動かなかった。
「あなたと話をしていたら、だいぶ、すっきりしたわ。まあ、巫女の数が減ってきているのには気づいていたのよ。だったら、わたし、頑張って、巫女としての修行をやるわ!そして、父様のことを見返してやるの」
理由はごく、個人的だが。
どこか、吹っ切れた感じのある乙紀はさわやかに笑いながら、由津彦に礼を言ってきた。
「先ほどはありがとう。わたしの話を聞いてくれる人、なかなか、いなかったから。うれしかったわ。それと、もう一つ。旅に出るんだったら、早いうちに行った方がいいわね」
厳かな表情で言われて、え、と聞き返していた。
乙紀は微笑むと、由津彦の背後を指さした。
「乙紀さん、どういうことなんだ?」
「…旅に出るんでしょう?あなたの目的は中の姫神様の御霊を常世に送ることくらいはわたしにだって、わかるの。だから、お礼に一つ、教えてあげる。行くのだったら、わたしの指さしている方角ー東を進んだらいいわ」
「…東に?」
「そうよ。東に行けば、わたしと同じように巫女がいる。それと、お寺もあるから。手がかりを得られるはずよ」
小さく、手を振りながら、乙紀は踵を返して、自分の部屋へと帰って行った。
由津彦は客室に帰って、荷物を手に取る。
そして、来津彦の邸を出たのであった。
東の方角を言われた通りに進もうとした。
庭を突っ切って、門から、出ようとする。
だが、門番が怪しみながら、引き留めてきた。
「待て、そこの若造。今のような真夜中に、どこへ行く気だ?」
いかつい男であった。
由津彦は内心、うんざりしながらも、答えた。
「…俺はこちらの国造殿の客人として、招かれたんだ。けど、国のお婆様が病でね。薬を求めて、旅をしているんだ。だから、通してほしいんだ」
かなり、素直に言ったつもりだった。
だが、門番はよけいに疑わしげにこちらを睨んでくる。
「本当にそうなのか?国のお婆様が病、のう。どうも、そんな急いだ風には見えないんだが」
なかなか、鋭いところをうがってくる。由津彦はため息をつきながら、乙紀の名を出してみることにした。
「その、国造殿の娘御にお会いしてね。今すぐに、こちらを出て、東を目指せばいいと言われたんだ。なんか、占でそう出たらしい」
そういうと、男はほうと眉を上げながら、興味深げにこちらを見てきた。
「…そうか。乙紀姫がそんなことを。ならば、仕方ないな。通っていいぞ」
仕方なしに、門を開けてくれた。
由津彦はこれ幸いとばかりに、門から出る。
後で、来津彦が邸中を探し回り、大騒ぎになったのは、由津彦が旅立ってから、しばらく、経ってからだった。
ひたすら、東の方角を進んだ。
足取りは最初の時よりも軽くはあったが。
それでも、放浪の旅には変わらなかった。
一緒に旅する仲間はいない。
ただ、中には燐姫がいるだけで、孤独ではあった。
『…乙紀さんの言うことが正しければ、御仏が祀られたお寺があるはずです。わたくしとしては、そちらに行った方がよいと思いますね』
「巫女ではなく、ですか?」
燐姫は由津彦の問いに、ええと答えてくれた。
『…御仏に我が一族は仕えていますから。もともと、龍は日の本の国の神ではないのです。外つ国から、来ましたからね』
へえと頷くと、燐姫は笑ったらしかった。
「そうだったんですか。姫は俺たちが信じている天津神や国津神とは違うんですね」
そうですよと言う声は、由津彦の中で、遠く聞こえた。
無言になって、歩いたが。
息切れがしてくる。 神を体に宿した状態で、夜もろくに休まずに、動き続けていたせいだろうか。
目眩までしてきて、歩みが止まる。
体に負担がかかると言われたが。
由津彦はゆっくりと立ち上がると、また、歩き始めた。




