二章旅立ち一
しきたりを破ってしまった事は、田津留が真っ先に気づいていた。
彼女は遠見や結界を張ることができた。
その能力があったからこそ、皮肉にも孫の横暴を見逃すことができなかったのだ。
「…由津彦。お前は村のしきたりを破った。しかも、祠を暴いてみせた。その二つの事は見逃せない。だから、私は命じる。お前はこの村を去るがよい。燐姫様の剣を探すことができたら、村に帰ってきてもよかろう」
静かに、田津留は告げた。
由津彦は無言で肯く。
「孫だからといって、甘やかしたりはせぬ。お前の見送りはしない故、一人で村を出ることになる。よいな?」
「…由津彦。あんた、愚かなことをしたね。燐姫様の眠りを妨げるとは」
田津留にかぶせるように、壱夷が声をかけてくる。
壱夷は笑っていたが、その表情は悲しげだ。
「姉さんに言われたくない。俺が決めたことだから」
「本当に、あんたは減らず口だね。これから、大変な旅になるよ」
涙を浮かべながら、壱夷は由津彦を見つめる。
「姉さんには悪いと思っている。でも、燐姫様の魂を常世へと、無事に送り出さないといけない。そのためにも、村を出てみるよ」
壱夷は心配そうな表情をしながらも、頷く。
由津彦は壱夷と田津留に別れを告げると、巫女の社を出た。
体の中の燐姫の声が響きわたる。
『本当によかったのですか?』
「…俺が決めた事ですから。燐姫様には、申し訳ない事をしたと思っています」
『由津彦さん…』
燐姫はそれ以降、話しかけてはこなかった。
由津彦は自分の暮らしていた家にまで行くと、荷造りをするために、中へと入る。麻袋に携帯用の食料や雨よけの道具などを入れる。
手際よく、準備を終えると、由津彦はそれを肩にかついで、家の中にあるかまどの火などを消してから、外へと出た。
まだ、今年で十七になる由津彦は両親と一緒に暮らしたことがない。
壱夷と田津留の三人で暮らしてきた。
その村とも、今日でお別れだ。
由津彦は振り返ることなく、村を出た。
まだ、夜中であったが、由津彦は歩き続けた。
誰ともすれ違うことはない。
「…夜中だから、人がいないな。燐姫様、眠っていないけど。大丈夫ですか?」
小声で問いかけてみる。
中の彼女はすぐに、答えた。
『ええ、わたくしは平気ですよ。由津彦さんはどうなのですか?』
「俺は正直、きついですよ。でも、燐姫様を常世に送るためにもお婆様の言うことは守らないと」
『…わたくしを常世に、ですか。まあ、よいでしょう。白雲の剣を取り戻さないといけませんし』
そうですか、と由津彦は相づちを打つ。二人で剣を取り戻せるだろうか。
不安になりながらも、旅は始まった。
明け方になって、隣の村も通り過ぎて、由津彦は羽立の地を出ていた。
今はどこを歩いているのかは、由津彦にもわからない。確か、燐姫が暮らしていたのは吾妻の地であった。
羽立の地から、だいぶ遠い。
(とにかく、歩いて、手がかりを探すしかないな)
新たに、決心しながら、歩き続けた。
今は都の飛鳥京を目指してもいいだろう。
目星をつけられないため、思いついた土地を歩いて、剣についての伝承を聞いて回るしかない。
となると、巫女や伝承に詳しい人物を探したらよいだろうか。
考えながら、歩いていると、横を通りかかった老人に声をかけられた。
「おい、そこの若いの。どこから、来た?」
由津彦は仕方なく、答える。
「羽立の村から、だけど」
「羽立だと?えらく、遠くから、来たんだな」
驚いてみせる老人に由津彦は、ため息をつきたくなった。
だが、白雲の剣についての手がかりが得られるかもしれない。
老人と話をしてみようと由津彦は口を開いた。
「ちょっと、訳があって、旅をしているんだ。その、お爺様はこの近くの人なのか?」
「…確かに、わしはこの近くの者じゃが。若いの、どこに行くつもりなんじゃ?」
これには、返答に困る。「…吾妻まで行こうかと。その、海龍王の言い伝えがあるらしいから、訪ねてみようかと思ったんだ」
そう答えると、老人はいぶかしげに、由津彦を見た。
「海龍王とな?そんなの、ただの言い伝えだろう。吾妻といったら、ここから、さらに北へ行った所じゃ。冬は寒いらしいぞい」
「そうであっても、行く必要があるんだ。お爺様、吾妻への道を知っているんだったら、教えてくれないか?」
老人はふうむと唸りながら、考え込んでしまった。
由津彦はすぐに、老人から離れて、旅を続けようと歩き出した。
だが、老人は由津彦の袖をつかむと、待つようにいってくる。
「待ちなされ。もう、昼に近いしな。今は夏だから、こんな日の高い内に歩くのは危ないぞ」
「けど、俺はどうしても、行かなくてはいけないんだ。お婆様と約束したからな」
つい、祖母の事を言ってしまった。
すると、老人はほうと目を見開いてみせた。
「お婆様とな。その人と約束をしたから、旅をしているのか?」
由津彦は気まずそうに黙り込んだ。
初対面の相手に対して、なにを言っているのか。
だが、老人は興味深そうに由津彦を眺めていた。
「…そうか、そのお婆様の為に、薬でも探しに来たのかな?」
「まあ、そうだな。そのために旅をしている」
いいところで勘違いをしてくれたので、由津彦は安堵のため息をついた。老人はだったら、自分の家にでも来るかと誘いかけてきた。由津彦は他に行くあてもないので、老人の好意に甘えることにする。
ついて行くと、板葺きの屋根に同じく、檜張り(ひのきば)の床のこじんまりとした邸にたどり着いた。
老人はにんまりと笑ってみせた。
「わしはここら一帯を統べておる者でな。国造を任されておる。あんた、見た所、割と育ちが良いとみた。もしや、都の出か?」
「いや、都の出ではない。俺はその、しがない村人だ」
由津彦がごまかそうとすると、老人はまあまあと言ってくる。
「あんた、もしかして、村の首長殿とかの子だったりしないか?」
ずばりと当ててみせた老人に驚きを隠せない。
「わしは名を多臣来津彦という。あんたは何というのだ?」
「…羽立由津彦だ。父が国造の子で母は村の巫女だった」
あっさりと答えた由津彦に来津彦は豪快に笑いながら、背中をばしばしと叩いてきた。
「そうか。由津彦、わしは娘がいてな。あんたの母君と同じ、巫女をやっておる。名を乙紀という。もしよかったら、占をやってもらうといい」
由津彦は毒気を抜かれて、頷くしかなかった。
来津彦は二人で酒でもと邸の中に入るように勧めたのであった。