五章流転する運命
久方ぶりの投稿になります。
お待たせしてしまいました。
楽しんでいただけると幸いです。
五章 流転する運命
尾勢姫は見開いた目を元に戻した。火多岐も由津彦をまじまじと見つめている。
「…まさか、兄神までおられるなんて。どうやって、呼び出したの?」
「その。寺に行きまして。そちらの僧侶の方に経文を使って、兄神を呼び出していただいたんです。そしたら、一緒に旅をしようと兄神が仰せになったんです」
「それで妹君と兄神であられる方と旅をしているのね?」
由津彦は頷いた。尾勢姫は意外そうにしている。
「そうなの。面白い事になったわね。わかりました、わたくしが力を貸しましょう。妹の火多岐を連れて行くといいわ。それと兄の麻那斯も。竹早命のお社はこの日向の地の北にあるわ」
すらすらと話す尾勢姫に由津彦は驚きを隠せない。まさか、竹早命のお社の場所を知っていたとは。
「よくご存知ですね。最初から、日向の地へ来れば、良かった」
「わたくしは先代の大巫女に教えていただいただけよ。火多岐のような強い力は持たないけど」
尾勢姫は火多岐をちらりと見る。
「…姉様、私が行くの?」
不安そうに火多岐が見てくる。由津彦に対して、警戒しているらしい。
「そうよ。あなたが一緒に行った方が良いわ。竹早命の持つ白雲の剣の気配は由津彦さんとあなたで探ってみてちょうだい。元々の持ち主である女神様が呼びかけたら、応えてくれるはずよ」
笑いながら言う尾勢姫に仕方がないと火多岐は頷いた。
後は兄の麻那斯を説得するのみだった。由津彦は腹を括ろうと決意したのであった。
「…あの不届き者と一緒に旅だと?断る」
火多岐が説得をすると麻那斯が発した一言目がこれだった。
「そんなこと言わずに兄様。由津彦さんと私だけだと危ないし。一緒に旅に来てくれたら、助かるのよ」
「…何度も言うが、断る。まだ、あの由津彦の人となりもわからないのに。旅などできるか」
火多岐はやれやれといわんばかりにため息をついた。
「兄様。由津彦さんは本気であの龍神を救おうと考えているわ。そうでなかったら、旅をするわけがない」
「…封印を勝手に解いたのにか?」
「だからよ。由津彦さんはあの龍神ー燐姫に想いを寄せている。解放したいといっていたのはそのためでしょうね」
麻那斯はふんと鼻を鳴らした。さらに、不機嫌になる。
「馬鹿馬鹿しい。あいつは龍に幻想を抱いている。いくら、人になった姿が美しくても本性は違う。惑わされているんだ」
「…そうね。けど、燐姫の解放をしない限り、由津彦さんは旅を続ける事になる。剣だって、取り戻せないわ」
火多岐と麻那斯はどうしたものかと頭を悩ませた。剣を取り戻すためには竹早命の社に行くしかない。
だが、竹早命があの剣を持っているかもわからない。
調べるしかなさそうだ。由津彦に協力するには自分たちも相応の準備が必要である。火多岐は仕方ないと腹を括る事にしたのであった。
それからしばらくして、尾勢姫は奥に戻っていった。由津彦はそれを見送ると社を出ようと立ち上がる。
長居をするつもりはなかった。だが、それを止める人物がいた。
「待て、由津彦。今から行く気か?」
麻那斯が由津彦の目の前に佇んでいた。腕を組んでこちらを相変わらず、睨みつけている。
「…麻那斯殿。俺は行きますよ。どいてください」
「そうか。だったら、俺も行く。だが、一通りの準備をしてからだ。神との戦いは人とのそれとは違うぞ」
「わかりました。そこまで言うのだったら、待ちます」
仕方なく答えると麻那斯は少しだけ、笑ってみせた。そして、付いてこいと言いながら踵を返した。 「お前が泊まる部屋を用意しておいた。こちらだ」
由津彦は麻那斯の後を追いかけた。
何故、いきなり協力的になったのだろう。それに首を傾げたのであった。
部屋まで案内されると麻那斯は好きに使えと言って、そのまま去っていった。
一人になって、由津彦は翠玉を呼び出した。翡翠色の瞳と青い鱗を持った龍が現れる。
『…どうした、由津彦?』
「翠玉様、明日についてお話があるんです。竹早命のお社の場所がわかりました」
『社の場所がわかった?』
翠玉は翡翠の瞳を見開いた。龍の姿であっても表情はわかる。
由津彦は頷いた。
「日向の北側にあるらしいです。その地に行けば、竹早命がいられるかもしれません」
『日向の地の北側にあるのか。ならば、私もついて行こう。妹も気がかりだしな』
わかりましたと頷いたら、翠玉は身を翻して、外へと飛んでいった。それを見送った由津彦であった。
夜半になって、由津彦は火多岐に案内されながら、姫巫女の棟から客人用の棟に移動した。
廊下は長く、暗闇が下りていて明かりがないと歩けない。
「由津彦さんはこちらの棟を使ってね。兄様も隣の部屋だから、何かあったら言うと良いわ」
「…わかった。けど、麻那斯殿には頼みづらいな」
由津彦は思わず、独り言をいってしまっていた。火多岐は驚いたような顔をするとくすりと笑った。
「あら、大丈夫よ。兄様は心を許した相手には優しいから。かえって、姉様の方がきついくらいなのに」
「そうか。麻那斯殿よりも尾勢姫の方が優しくはないんだな」
「…まあ、そうね。姉様は幼い頃からの厳しい修行のせいで人々とのつき合いがなかったから。他人には無関心なところがあるわ」
火多岐がそういうと由津彦はふうんと頷いた。
紙燭の火がじと音を立てる。
そして、しばらくして由津彦にと用意された部屋の引き戸の前にたどり着いた。
「着いたわ。とりあえずはゆっくりと寝てちょうだい。竹早命様との戦いはそれからね」
「わかった。火多岐殿、何から何までありがとう。明日になったら、別れることになるけど。世話になった恩は忘れないよ」
「礼は良いわよ。中にいられる燐姫様の為だもの。由津彦さんの武運を祈っておくから。安心して休んでね」
火多岐はそう言った後、踵を返して姫巫女の棟に帰っていった。
由津彦は翌朝、まだ暗いうちに目を覚ました。持ってきた荷物をまとめて、衣も着替えると部屋の隅に置いてあった瓶の水を杓子で掬い取る。
それを一気に飲み干すと元に戻した。
口元の水気を拭い、外にあるはずの井戸を探そうと引き戸を開けた。
だが、目の前に人の気配がして固まった。
「…由津彦。起きているようだな」
暗闇の中で浮かぶ輪郭と声からして男であることはわかった。由津彦は誰だったかと首をひねる。
「あの、麻那斯殿ですか?」
問いかけてみたら男は頷いた。
「そうだが。お前が竹早命様と戦うと聞いたからな。俺もついて行こうと決めた」
「…でも、ついて行ってもいいことはありませんよ。むしろ、麻那斯殿が嫌な思いをするかもしれません。それでも、行くとおっしゃるんですか?」
由津彦は慎重に問いかける。麻那斯は何を今更とばかりにため息をついた。
「俺はこうと決めたら変えないことにしている。妹の火多岐にも頼まれたし、尾勢姫からも言われたし。一晩考えて、お前について行くことにした」
麻那斯は昼間と打って変わって真面目な調子で言った。
由津彦は頭を抱えたくなった。麻那斯は自分に対してぞんざいな扱いをしている。そんな急に協力するといわれても混乱していてすぐには頷けなかった。
「そうですか。麻那斯殿に来ていただければ助かりますが。翠玉様があなたを受け入れてくれるかどうか。俺はそれが心配です」
真面目に返事をしたら、麻那斯はそうかとだけ答える。
「…わかった。翠玉様に認めてもらえばいいんだな?」
「麻那斯殿。何をするつもりで…」
由津彦が言い掛けると麻那斯は腰にさしていた剣を片手に持って、ついてこいと指で合図をしてきた。
黙ってそれに従ったのであった。
「…翠玉様。私の名は麻那斯。剣舞をしますのでご覧になってください」
大声で麻那斯が呼びかけるといきなり、強い風が吹き付ける。由津彦と麻那斯は片腕で顔を庇う。
気がついて、二人が顔を覆っていた腕を下ろすと頭上に青い美しい鱗をきらめかせた龍が浮かんでいた。翡翠色の透き通った瞳はこちらを見下ろしている。
『…俺に何か用か?』
不機嫌そうな低い声で問いかけられる。
「…はい。ご用があってお呼びしました。これから、私が剣舞をお見せします。それをご覧になったら、私を竹早命のお社に共に連れて行っていただけるか判断願いたいのです」
麻那斯が真面目な顔と声で願い出ると翠玉はふむとうなりながら、首を傾げて考え込んだ。しばし、辺りに沈黙がおりる。
しばらくして、翠玉は仕方ないといったようにため息を小さくついた。それでも、近くにいる由津彦や麻那斯の顔や髪の毛にかかり、風となって吹き抜けた。
『…たかが、俺に剣舞を見せただけで竹早命に太刀打ちできるとでも思っているのか。まあ、いいだろう。見るくらいはしてやる』
そう答えて、麻那斯を見やった。
「わかりました。剣舞を見ていただけるのですね」
麻那斯は少し緊張していた表情を緩めて、腰紐に差していた剣を鞘から抜いた。 そして、剣舞が始まった。