新たな出会い三
男は由津彦の腕を掴んだ。そして、片手でねじり上げる。
あまりの痛さに由津彦は顔をしかめた。 「…龍神の眠りを妨げ、しまいには己の体に封じるとは。愚かなのにもほどがある」
怒りを感じさせる声に由津彦は己のした事がどれだけ、神を侮辱しているのかを悟った。
『痛いです!腕を放してください』
中の燐姫も悲鳴に近い声を上げる。だが、男は放そうとはしない。
「そなたには罰を与えねばならぬな。由津彦、妹には会わせん」
そう言われて、由津彦は愕然とした。ここまで来て、罰を与えられるとは。
「…尾勢姫には会わせていただけないのですか?」
「当たり前だ。龍神の眠りを妨げるだけでは飽き足りず、自身の体に封じるとは。そなた、よくまあ、平然としていられるものだ」
男は唸るような声で吐き捨てると由津彦の腕を掴んだままで、歩き始めた。引きずられながら、祖母や姉を思い出したのであった。
木で作られた牢の中に由津彦は放り込まれた。荷物や剣も取り上げられた。
「しばらく、その中にいることだな。頭を冷やすがいい」
麻那斯はそう言いおいた後、牢のある地下室を出て行った。由津彦はひたひたという足音を聞きながら、呆然とするしかなかった。
(俺にどうしろというんだよ)
内心、そう思いながら、ため息をついた。
そして、由津彦は一人考え込んだ。誰もいない暗闇の中で湿っぽい空気が漂う。 そんな時に、ひたひたと足音がした。
だが、人の気配はしない。これは神のものだと直感でわかる。
「…由津彦、お前こんな所にいたのか。探したぞ」
聞き覚えのある声に由津彦は顔を上げた。翡翠の色が輝いて見える。その色にほっと安心した。
「翠玉様ですか。こんな所にまで来られるとは思いませんでした。大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「ここには結界が張られているはずですよ。翠玉様であっても入りにくいと思います」
翠玉は何だそんなことかと肩を揺らしたらしかった。その様子に笑いたくなる。
「ははっ。翠玉様にかかっては結界も通用しないという事か。よくわかりましたよ」
「何を笑っている。ここから出ようという気はないのか?」
「出ようにも鍵もないし、壊せそうな道具もない。どうしろというんですか。俺には何もない、全部取り上げられましたからね」
やけになって言うと、翠玉はため息をついた。やれやれと首を横に振る。
「ならば、燐。そなたが由津彦の体から出ろ。私が外にまで連れて行ってやろう」
だが、燐姫は返事をしない。
それに焦った翠玉は中に入ろうとした。 びりと痺れるような感覚が指先に走る。 「…つっ。何だ、これは」
由津彦も牢の格子に触れてみた。途端に雷のような光が指先で迸る。
「これは木霊などを封じ込める結界か。燐姫はこれのせいで俺の体から出られないんだ」
「何だと?では、燐はお前の中から出られないというのか」
「ええ。これを破らない限り姫は出てこられない。あの男が許してくれないと駄目だということですね」
舌打ちをすると、服の中に隠していた勾玉を取り出した。そして、由津彦は勾玉をはずして、格子に当てた。
「かけまくも申し上げむ…」
低い声で結界破りの祝詞を唱えた。すると、勾玉がほのかに紅く光り始める。
それは結界に吸い込まれた。ぱきんと陶器が割れたような音が辺りに響いた。
「…これで結界は破れました。燐姫も出られるはずです」
翠玉が格子に触れてみると何もないのに気づいたのか、特に変わった様子はない。そして、もう一度呼びかけてみる。
「燐、聞こえるか?私だ、兄の翠玉だ」
『…兄上ですか?』
途端に透き通った声が由津彦の中から響いてくる。それに安堵しながら、翠玉は燐にまた話しかけた。
「ああ、そうだ。由津彦が結界を解いてくれた。後はそなたが体の中から出て、私と共に外へ出る。あの麻那斯という男に会って、由津彦を牢から出すように言いに行くぞ」
『あの方にですか。わたくしが外に出たら、消滅したりしないでしょうか』
「…確かにそれはそうだな。仕方ない、依代を探すしかなかろう」
二人が話し合っていると、また何かの気配がする。
由津彦が気配を探ってみると先ほどの少女が松明を片手にこちらにやってくる所だった。
「…話は聞いたわよ。あなたたち、本当にあの女神様と関わりがあったのね。しかも、海龍王の娘さんというのも本当だったとは。驚きだわ」
あの火多岐であった。静かにこちらを見据えながら、ゆっくりと近づいてくる。
火多岐は翠玉のすぐ側まで来るとまじまじと見つめてきた。
「何だ、そなたは。私が見えるのか?」
居心地悪そうに翠玉は火多岐に問いかける。由津彦はその光景に驚いた。
「…君、さっきの。俺を騙すつもりだったのか」
「…騙すつもりはなかったのよ。兄様に言ったら、あなたを捕らえると意気込んでしまって。だから、あなたが牢に入れられたと聞いて、慌てて来たの」
火多岐は真剣に言った。それを聞いて、由津彦はため息をついた。
「本当に君、あの男の妹だったのか。確か、宇久姫が言っていたな。兄の麻那斯殿だったら、燐姫や竹早命について何かを知っていると」
「…兄様に話を聞きたいのだったら、わたしが説得してみるわ。この牢の鍵は開けておくから」
火多岐は松明を地面に刺すと出入り口らしい牢の扉につけてある鍵穴に鍵を入れてみせた。かちゃりと音が鳴って、扉は開いた。
「さ、鍵は開けておいたから。ちなみに、この鍵は兄様から預かったのよ。様子を見に行くと言ったら、貸してくれたの」
にこりと笑いながら言うと、火多岐は松明を持ち直して外へと出て行った。
「由津彦、あの火多岐とかいう娘は信用できるのか?」
翠玉が言うと、由津彦は考えながら答える。
「わかりません。とにかく、火多岐とは一度話す必要はありますね」
『ええ、わたくしの依代になってくれと頼まなくても火多岐殿は助けてくれそうです。あの娘さんだったら、信用しても良いと思います』
「燐はそう思うのか?」
翠玉が不思議そうにしながら問いかけた。燐姫はそれにこう答える。
『ええ、火多岐殿はわたくしを助けてくれた椎奈さんに気が似ています。巫女としては本物だと思いますよ』
「だが、それだけでは信用しても良い根拠にはならないぞ。燐、そなたはそういうお人好しな所は相変わらずだな」
呆れながら言われて、燐姫は口ごもってしまう。
「まあ、そんなに言わずとも。今は鍵が開いていますから、外に出ましょう」
由津彦が言うと、翠玉は頷いたのであった。
その後、由津彦は牢から出た。翠玉も後から付いてくる。
階段を上がりきると外の明るさに目がくらむ。目を細くしながら歩み出るとそこは森の中であった。
「入り口はここだったのか。道理でわからないはずだ」
由津彦がそういうと、翠玉も外に出てきた。
「…割とまぶしいな。人の姿でいると目が利かないから、困るが」
そう呟きながら、由津彦と共に歩き出した。
しばらくして、社らしき建物を見つける。入り口には火多岐とあの男が二人で待ちかまえていた。
「ほう、やっと出てきたか。いつになるかと思っていたが」
「兄様、そんなこと言わなくても。由津彦さんは確かに宇久姫の勾玉や鎮めの剣を持っていたわ。それに、羽立の田津留様のお孫さんよ。霊力も持っているし」
火多岐は兄らしき男に簡単な説明をした。そして、由津彦に向き直る。
「…ごめんなさいね、由津彦さん。これが兄の麻那斯よ。牢にあなたを閉じこめた事については代わりに謝るわ。田津留様に顔向けできなくなる所だった」
「いや、そんなに気にしてはいない。ただ、荷物を取り上げられてね。あの中に鎮めの剣があったはずなんだ。あれを使いこなせないと竹早の神には勝てない。だから、返してもらいたいんだ」
そう言うと、火多岐は頷いてきた。
「わかった、あの剣は姉様の部屋にあるから。わたしが取りに行ってくるわ」
「…待て。俺も行く。由津彦、まだ許したわけではないからな」
一睨みしてから、麻那斯と火多岐は社の中へと入っていった。
しばらくして、麻那斯たちは戻ってきた。麻那斯の手には一振りの剣があった。
「これが宇久姫の鎮めの剣だな。そなたに返そう。後、尾勢姫に会っても良い。ただし、火多岐と一緒に行け。それが条件だ」
仕方なく、由津彦は頷いた。尾勢姫と何かあっても困るからだろう。火多岐は側まで来ると由津彦に笑いかけてきた。
「じゃあ、案内するから。付いてきてちょうだい」
ゆっくりと歩き出した火多岐について行った。
社の中に入ると静かで人の気配がしない。廊下は薄暗く、火多岐の後ろを歩きながら、由津彦は何ともいえない神妙な気持ちになった。
そうしている内に薄布で仕切られた部屋にたどり着いた。
「ここが尾勢姫のおられる部屋よ。今は祈りの時ではないから、お話ができるはずだわ」
火多岐が薄布を手で上げて、入るように促してくる。それにならって、薄布をくぐった。
「失礼いたします、姉様。火多岐です。お客人が来られていますよ」
呼びかけると奥にかけてある簾の向こうから女性のものらしき声が聞こえた。
「…あら、火多岐。お客人がいらしたの。もしかして、羽立の田津留様のお使いの方?」
「ええ、田津留様のお孫さんです。由津彦さんというそうです」
火多岐が答えると女性はまあと声を上げた。
「あら、お孫さんがわざわざこんな日向の地にいらっしゃるとは。何かあったのね?」
「…あったそうです。由津彦さんがあの女神様の封印を解いてしまったらしくて。それで失われた剣を探すために旅をしているのですって」
簡単に訳を説明すると、女性は何も言わなくなった。どうしたのだろうと思っていると簾が動き、中から一人の若い女性が出てきた。
白い衣に身を包み、背丈も小柄で華奢な女性であった。
「…姉様!男の方の前で顔をさらしてはいけないと大巫女様がおっしゃっていたのに」
火多岐が慌てて注意をすると女性は首を緩やかに横に振った。
「いいのよ、わたしが顔をさらしてもこの人だったら問題がないわ。田津留様のお孫さんだし」
「ですけど」
「火多岐。わたしは構わないと言っているのだから。静かにしていてちょうだいな」
きっぱりと言うと、女性は由津彦に立った状態で礼をしてきた。
「…由津彦殿、先ほどは兄が失礼をしました。お詫び申し上げます。わたしは妹の尾勢といいます。この子はわたしに仕えている火多岐。巫女でもあります」
穏やかに説明をされて由津彦は頷いた。 「あなたが尾勢姫ですか。こちらこそ、謝るべきですね。失礼をいたしました」
座った状態で深ヶと頭を下げた。尾勢姫は由津彦に近づくと、肩にそっと触れてきた。
「謝ることはありません。兄はあのように疑り深い所があって。わたしや火多岐を守るためにいつも気を張っているから、よけいにね」
そう言って、尾勢姫は火多岐に視線を移す。
火多岐は苦笑いしながら、頷いてみせた。
「そうなんです。兄様は気が短いし、怒りっぽい所があって。由津彦さんには悪いことをしたわ。あの龍神も怒っているだろうし」
「…龍神って?」
火多岐の言葉が気になったのか、尾勢姫が首を傾げている。説明を火多岐がした。
「由津彦さんの側にいた龍の男神よ。確か、羽立の女神のお兄さまじゃなかったかしら?」
「…よくわかりましたね。そうですよ」
由津彦が答えると尾勢姫は驚いたらしく、目を大きく見開いた。




