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新たな出会い二

宇久姫に言われた通り、北を目指して由津彦は歩き続けた。 馬には乗らず、徒歩での旅だから、なかなか進まない。翠玉が龍の姿でついてくるから、まだ一人の時よりは寂しくなかった。

尾勢姫や兄の麻那斯に会えば、海龍王や白雲の剣について詳しい話が聞ける。

今はそれくらいしか情報がない。

尾勢姫と会って、いろいろな話を聞かせてもらおう。そう考えながら、北を目指した。


日も暮れようかという時になって、日向の地に近いところまで来た。

今日はこのまま、野宿をしようと決める。幸い、森があったのでそこの入り口に近い所で休むことにした。

たき火を用意したり、夕食用の(きのこ)、木の実を取ってきたりした。

今は初夏だから、まだ過ごしやすい。

由津彦は茸を枯れ木の枝に刺して、火であぶった。木の実は木苺と杏らしきもので甘酸っぱく、たくさん食べるとお腹に悪いので、少しだけに留めておく。

下に降りてきた翠玉は川で魚を捕ってきたらしく、龍の姿で食事中らしい。神の食事は直接見てはいけないらしいので、由津彦は翠玉が魚を捕まえる場面を見るだけにしておいた。 しばらくして、食事を終えると、由津彦はたき火を焚いた状態で明日はどうしようかと考えた。

そこに、食事を同じく終えたらしい翠玉が人の姿でやってきた。

「…由津彦。何を考えている?」

問われて、由津彦は振り返る。

翡翠の瞳でこちらを見るので、自然と緊張してしまう。相手は人ではないと考えながら、答えた。

「いえ。これから、どうしようかと思っていました。翠玉様はどう考えておられるのでしょうか?」

丁寧に聞き返すと、翠玉はふむといいながら、考え込む。

「どうもこうも。今は宇久姫の言う通り、尾勢姫がいるらしい地を目指すしかないだろう。手がかりはもらった鎮めの剣と武芸をたしなんでいるらしい兄御の事ぐらいだしな」

確かにとそれには頷いた。

翠玉の言うとおり、燐姫や白雲の剣についての手がかりはあまりに少ない。百年も前の事だから、それは当たり前だった。

頭を悩ませるのはそこだ。竹早命と戦うのだったら、尾勢姫やその兄に協力を頼むしかない。

まるで、霧や霞をつかむような心地がする。それくらい、途方もないことではあった。

「由津彦。竹早命とは私が戦う。だから、おまえは鎮めの剣を扱えるようになっておけ。剣術の稽古は私がつけてやる」

翠玉にいきなり言われて、由津彦は驚いた。

「…翠玉様に稽古をつけていただくのですか。お手柔らかにとしか言いようがないですね」

「たかが、一月や二月で身につくものではないが。それでも、全くできないのよりはましだろう」

手厳しく言われて、由津彦は脱力しそうになった。

「…翠玉様。俺の中には燐姫がおられるのを忘れていませんか」

だが、翠玉は眉をしかめて由津彦を睨んだ。

「私は男の中に妹がいるというだけでも腹立たしいがな」

忌々しげにいわれた。そんなに腹立たしいかと思うが、口には出さないでおいた。

翠玉と二人で今後の事について、話し合ったのであった。



北を目指して、翌日も歩き続けた。旅をして、早七日が経っていた。

宇久姫にもらった鎮めの剣は男である由津彦が持つものにしては、細身の剣だった。鞘から抜けば、まっすぐな両刃(もろは)の剣で刀身は美しいものであった。

『…北の地までは後、二、三日はかかるだろうな。それまでには剣を抜いて、素振りくらいはやっておけ』

下に降りてきた翠玉に声をかけられて、我に返る。

「素振りですか。わかりました」

素直に応じておく。翠玉は翡翠の瞳をこちらに向けて歓心したらしく、つっと細めた。その表情はいつもよりも柔和なもので由津彦は驚いた。

『…素振りだけでなく、実質的に誰かに稽古をつけてもらってもいいのだがな』

「はあ。確かにその方がいいのでしょうが」

翠玉はくっと笑いながら、由津彦から離れていった。これから会うらしい麻那斯が剣術などに優れた人物だったら、稽古をつけてもらうのもいいかもしれない。 そう思いながらも、中の燐姫に声をかけてみた。

「…燐姫。おられますか?」

しばらくして、高く澄んだ声が内に響く。

『何でしょうか?由津彦さん』

「兄君の翠玉様から、剣の稽古をするように言われましたが。姫は剣術はお出来になりますか?」

尋ねてみるとしばらく間があった。

『…申し訳ないのですけど。護身術程度しか身につけていません』

それを聞いて、由津彦はうなだれた。仕方がないと腹を括るしかない。

厳しいものになりそうだが、翠玉の言う通り、素振りから始めた方が良さそうだ。

「そうですか。俺自身で努力するしかないですね」

『ごめんなさい。あまり、わたくしでは頼りになりませんね。せめて、由津彦さんと一緒に戦えれば、助けになれるのですけど』

殊勝にそう言われると由津彦はいたたまれなくなった。

「…そんなことはないですよ。姫には助けられています。以前よりも木霊などの気配にさとくなっていますから」

慰めるように言うと、燐姫は笑ったらしかった。鈴を鳴らしたような笑い声が聞こえてくる。

『そうですか。わたくしでも役に立っていたのですね』

それを最後に燐姫はまた、喋らなくなった。



北を目指して、三日目にしてやっと、日向の村にたどり着いた。

早速、尾勢姫やその兄のことについて尋ねてみる。

村人ー老人などに訊いてみると、すぐに教えてくれた。

「…尾勢姫様だったら知ってるよ。ここらでは名が知れた方だ」

「そうですか。尾勢姫のお社はどちらにあるか教えてもらえますか?」

由津彦が尋ねてみると、老人は笑いながらこう答えた。

「尾勢姫様だったら、この村の北側に建った館にお住まいだよ。後、妹で火多岐(ひたき)という娘がいてな。国造様が村娘に生ませたんだ」

その話を聞いて、由津彦は何故、そんなことまで教えるのだろうと疑問を持った。

「火多岐さんか。何故、俺に教えるんですか。その娘さんのことを」

「…火多岐がわしらにとっては孫みたいなものだからさ。あの娘はかわいそうな子でな。そこらの村娘よりも生まれが良いから、よく小さい頃はいじめられていてな。年上の娘たちから、川に投げ込まれたことがあったくらいだ」

話が長くなりそうだと思い、この場を立ち去るうまい言い訳を考えようとした時だった。老人は眉を潜めてこう言った。

「…火多岐は不思議な力を持っていたから、よけいにな。兄さんだったら、あの子と年が近そうだから。良い友人になれると思ったんだ」

それを聞かされて、驚いた。

「友人ですか」

「…ああ、喋りすぎたな。巫女姫様のお社はここを北にまっすぐに行ったところだ。そこに、姫様と兄の麻那斯様がおられるはずだよ」

老人に礼を言って、由津彦は北側にある森を目指して踵を返した。



それから、夕刻近くになって森の奥まで到着した。

尾勢姫の住む社までは後もう少しになった。

由津彦は翠玉がいないことに気がついた。いつの間にいなくなったのかときょろきょろとあたりを見回してみる。

『…由津彦さん。あちらから人の気配がします。どうも、女人のようですね』

燐姫の声がして、由津彦は立ち止まった。

「人ですか。女人ということは村娘か、巫女か…?」

『霊力がある方のようですから、巫女でしょうね』

燐姫は由津彦の問いに答えた。

さくさくと枯れ葉が落ちた土を踏む音が近くで聞こえた。

由津彦は目を凝らすと麻で作られた上衣と裳をはいて、髪を簡単に結い上げた少女を見て、驚く。

質素ながら、上衣や裳は白い色をしていた。それを見て、彼女が巫女だと気づいた。

「誰?!そこにいるのは」

見知らぬ他人、しかも男が森の中にいるのだから、警戒されるのは仕方のない事だった。

由津彦はどうしたものかと頭を抱える。 「…あの、こちらに尾勢姫という方がおられると聞いたんだけど。君、知らないかな?」

年の近い少女のようだったのでなるべく、穏やかな口調になるように気をつけながら、声をかけた。 だが、少女は睨みつけながら、後ろに退がる。

「…あなた、尾勢姫の事をどこで聞いたの?」

少女は両腕に竹籠を抱えて、由津彦から遠ざかろうとした。それに会わせるように足を進める。

「今野の宇久姫にお話を聞いたんだ。そしたら、勾玉と鎮めの剣をいただいた。それとこちらの尾勢姫や兄の麻那斯殿に会ってみたらいいと勧められて。俺は旅をしてるんだ」

由津彦が簡単に説明をすると少女は怪訝な顔をしながらもこちらにゆっくりと近づいてきた。そして、すぐ目の前までやってくる。

「…だったら、勾玉と剣を見せてちょうだい。本物だったら、尾勢姫に会わせてあげる」

「君は尾勢姫に仕える巫女殿なのかな?」

「違うわ。尾勢姫は姉よ。私は名を火多岐というの。国造の娘なのよ」

由津彦はそれを聞いて、さらに驚いた。村の老人が言っていた火多岐という少女が今、目の前にいる彼女だったのだ。

さすがに目を見開いて、言葉を失う由津彦に火多岐は苦笑いする。そして、籠を足下に置いて両手を差し出してきた。

「じゃあ、剣と勾玉を出して。本物かどうか確かめてみるから」

由津彦は慌てて、腰元にはいていた剣を鞘ごとはずし、勾玉も同じようにして火多岐に渡した。

そして、彼女は重いはずの剣を両手で持ちながら、確認を始めた。そして、しばらくそうしてから、黙って剣を返してくれた。

次に勾玉も紐や管玉などをじっと見つめた後、瞳を閉じて、手を勾玉の部分に当てる。その時、火多岐の体がほのかに光り出した。

薄赤色の光が彼女を包み込む。だが、火多岐が目を開けるとその光はすぐに消えた。

「…確かにこれは宇久姫の持っていた勾玉ね。それに剣も目一命のお持ちだったものと同じ力を感じるわ」

「ということは俺を尾勢姫に会わせてくれるのかな」

「そうね。尾勢姫に知らせてくるわ。じゃあ、ついてきて」

火多岐は前をさっさと歩き出した。

由津彦は後を急いで追いかけた。



尾勢姫の社の入り口で待つことにした由津彦は長い間、待たされた。すると、中から応対に出てきたのは火多岐ではなく、背が高い体格の良い男だった。もしや、兄の麻那斯ではと見当をつける。

「…火多岐からは話を聞いた。そなた、旅をしているそうだな?」

短く問いかけてきた男は鋭い目つきで由津彦を睨みつける。 「はい。俺は名を由津彦といいます。羽立の村から来ました。尾勢姫と話をさせていただきたいのですが」

単刀直入に言ったが、男はふんと鼻を鳴らした。あからさまに警戒するような態度だ。

「由津彦というか。羽立といったら、吾妻の龍神が果てた場所ではないか。そんないわく付きの土地の者には用はない。帰るといい」

『…そのような事をおっしゃらないでください。話だけでも聞いていただきたいのです』

突然、燐姫の声がした。由津彦も男も驚いて、黙り込んでしまう。

由津彦の体の中からの声は男にも聞こえていたらしい。

「な、何だ!?そなた、体の中に女人を封じ込めていたのか」

「ち、違います。その、燐姫とおっしゃって。吾妻の龍神の方です」

それを聞いて、男は目を見開いた。

「…確か、吾妻の龍神は羽立の村の祠に封じられて、眠りについていたはすだ。そなた、封印を解いたのか?!」

由津彦は仕方なしに頷いた。

男は憤怒の形相になった。


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