四章 新たな出会い
大蛇のしっぽではなく、翠玉は頭を狙う。
由津彦は武術を習っていないと見た。
だから、こういった禍つ神との戦いを経験していないのだ。
再び、舌打ちをして、大蛇の目の部分に剣を突き立てるために高く飛び上がる。 頭の上に乗ると、人よりも巨大な目の片方に剣を突き立てた。
断末魔の悲鳴が響きわたる。
片目をやられた大蛇は剣を突き刺されたままで、痛みのあまり、暴れる。
赤い血が目からしたたり落ちた。
「…由津彦、頭を狙え!奴は片目が見えないからな」
呆然としている由津彦に翠玉は大声で怒鳴りつけた。
だが、暴れる大蛇に迂闊に近づけないでいる。
目の片側に刺さった剣を急いで引き抜く。
由津彦は人であるから、自分のように身軽にはできないのだということに今更ながら、翠玉は気づいた。
仕方なく、大蛇の頭に剣を振り下ろす。頭の半分近くを斬られて、大蛇は倒れ伏した。
赤黒い血が洞穴の地面を汚す。
翠玉は、剣をぶんっと振って、付いた血を払った。
そして、鞘に収める。頭から離れて、地面に降り立つ。
「すごいですね。たったの二回、剣で斬りつけただけで倒してしまうとは。翠玉様は強いんですね」
由津彦が感心しきりで翠玉に近づいてきた。
「…急所を教えてやったのに、斬りつけないお前は弱いがな。こんなの同じ龍族に比べれば、雑魚にすぎん。お前くらいの年頃には剣を使って、格の低い龍たちと戦ったことがある。中くらいや上級の龍はそうでもないが、下級の龍たちは気性が荒い。悪事を働くことがあるから、そいつらを父上や弟たちと一緒に罰したんだ」
「…そうですか。龍にもいろいろとあるんですね」
由津彦は驚いて頷くばかりだった。
翠玉はまだ、ぴくぴくとけいれんしている大蛇を一瞥する。 宇久姫が操っているという可能性はないらしい。
「…とりあえず、ここを出るぞ。宇久姫に会いに行く必要があるんだろう?」
「そうでしたね。俺が話を聞いてみます。燐姫のことについて、手がかりが得られるとよいのですが」
意気込む由津彦にそうだなと相づちを返しながら、翠玉は洞穴を出たのであった。
林の奥まで進み、やっと、巫女の社らしき建物が見えてきた。
宇久姫はこの建物の奥深くにいるらしい。
大蛇と対決したため、翠玉は疲れたと言って、社から離れていってしまった。
それに呆れながらも、社の門番に声をかけてみることにした。
いかめしい顔つきの男二人が睨みをきかせている中で由津彦はそのうちの片方に尋ねてみた。
「…あの、申し訳ないが。唐津の巫女姫様はこちらにいらっしゃいますか?」
「何だ、そこの者。巫女姫様は占の真っ最中だ。お会いしたいんだったら、帰れ」
見張り番は睨みつけて、由津彦を追い払おうとする。
何とか、食い下がろうとした。
「…そう言わずに。俺は羽立の国造の孫なんだ。宇久姫様に占をしていただきたくてここまで来た」
「羽立?聞いたことがないな。名は何という?」
男はあからさまに怪しむ目つきになる。 由津彦は考え込む。 「…由津彦という。お婆様が巫女なものでね。その言いつけで旅をしている。この先、危険がないかどうかを占っていただきたくて来た」
淡々と説明をすると、男は驚いたように由津彦を見つめる。 やはり、お婆様の名を出すと、効果はかなりのものだった。 「巫女とゆかりのあるお人だったか。宇久姫様はこの社の奥にいられる。占をしていただきたいんだったら、せめて清めをしていくといい」
そういって、付いてくるように促す。
由津彦は後をついていった。
案内されたのは井戸だった。
「…こちらの井戸の水で清めをするとよい。宇久姫様に会っていただけるように侍女に伝えてくる」
そう言って、男は奥の社へと行ってしまう。
由津彦はほうっと胸をなで下ろした。
嘘であっても役に立つとは思わなかった。仕方なく、井戸から水を汲み、手や顔を洗って清める。
痺れそうなくらい、冷たい水であった。 それで洗い終えると、麻布を取り出して水気をふき取る。
そうこうする内に男がお社から戻ってきたらしい。
由津彦は居住まいをただした。
「…宇久姫様が会ってくださるそうだ。そのかわり、布越しになる。それでも良いのだったら、通るといい」
言葉は乱暴だが、声や態度は丁重である。
祖父母の名を出しただけでこんなに扱いが違うとは。
由津彦は内心、皮肉をいった。身分があるだけで違う今の世に一抹の不安さえ覚える。
それはおくびにも出さずに中へと入った。
扉が開かれて、薄暗い中現れたのは、真っ白な上衣に同じ色の裳を履いた一人の娘だった。
「…あなたが羽立の巫女殿の御孫の方ね?確か、田津留殿といったかしら。宇久姫様のお母様が会った事があると聞いているわ」
「それは本当ですか?」
驚いて、大きな声を出してしまう。娘は目を見開いて、こちらを凝視する。
「…ええ。田津留殿のお力の強さは唐津にまで評判が届いていますよ。まさか、その孫に当たる方がこちらにまで来られるとは。天の巡り合わせでしょうか」
淡々と言われたが、娘の言葉は驚きを隠しきれないでいた。 由津彦はこそばゆい気持ちになりながら、奥の社へと案内された。
「…あなたが田津留殿の御孫の方ね?まだ、お若い方だったとは思わなかったわ」
無邪気にそういう宇久姫に由津彦はたじたじだった。若いといわれると、違和感がぬぐい去れない。 それに、もう成人の年齢に達しているのに、子供扱いされるのは納得できなかった。
「…若いといわれましても。俺はもう十七になります」
「そう。でも、十七といえば、まだまだこれからだわ。わたくしなどもう、今年で二十四になります。うらやましいわね」
どこがだといいたいが、堪える。
宇久姫との会話が成り立たない。
それにそっと、ため息をつくと由津彦は本題を切り出した。 「宇久姫様。実はお聞きしたい事があるのです。よろしいでしょうか?」
居住まいを正して問うてみた。
布越しに宇久姫が黙る気配がした。香草の芳しい香りが鼻をかすめる。
「…何でしょうか?」
宇久姫も居住まいを正したらしかった。 由津彦はそれを見て、羽立に伝わる燐姫の言い伝えや剣の事、そして自分の身に起こった事を簡単に説明した。
「俺の身体の中には龍である燐姫がおられます。この方の為にも剣を取り戻さなくてはと思っています。それの手がかりを求めて、旅をしているのですが。宇久姫様、何かご存知であれば教えていただきたいのです」
単刀直入に言うと、宇久姫は驚いたらしく、かたりと何かが倒れる音が響いた。脇付を立ち上がった拍子に倒したらしかった。
「…龍ですって?!わたくし、その言い伝えは聞いたことがあります。羽立の地には祠に封じられた哀れな女神がおられると。その方は本当におられたのですね」
そうして、宇久姫は静かに布をからげて、由津彦の前に現れた。
目の前に現れた宇久姫は背が高くすらりとした女性だった。 顔立ちも細面で三日月のような眉に程良く高い鼻筋でなかなか美しい。
唇も小さめで薄く紅がひかれている。
宇久姫は乙紀や姉の壱夷とは違って、端正で艶やかな美人であった。燐姫と似通っている雰囲気もある。
「う、宇久姫!俺に顔をさらしても大丈夫なのですか?」
慌てて我に返って、由津彦は呼びかけた。
だが、宇久姫はころころと鈴が鳴るように笑った。
「…大丈夫ですよ。わたくしとあなた以外はこの部屋にはいませんから。けど、封じられていた方を解放するなんてあなた、本当に馬鹿なことをしたわね。その方が邪神の類だったら、どうするつもりだったの。あなた、その方に殺されても文句は言えないわよ?」
殺されるという恐ろしい言葉をさらりと言ってみせた宇久姫に由津彦はびくりとなった。この美しい女性には合わない言葉だ。
「…殺されても、文句はいえないか。その通りですね」
「そうよ。あなた、考えが甘すぎるわ。その燐姫が本物の龍で穏やかな性格だったから、無事でいられたようなものよ。今後は気をつけるべきね」
割と手厳しく注意をされた。
宇久姫はさらに一歩近づくと、ひざまずいて由津彦の手を握った。
「わたくしには弱いけど、確かに龍があなたの中にいることがわかるわ。それと白雲の剣についてだけど」
「何ですか?」
由津彦が問いかけると宇久姫は顔をうつむかせた。
「…ここから、北に行った所にわたくしのいとこの尾勢姫という方がいるわ。その方には兄君がいてね。麻奈斯殿というの。そのお二方だったら、龍についても何か知っていると思うの」
「尾勢姫に麻奈斯殿ですか。わかりました。会ってみます」
頷いて立ち上がると、背を向けて歩き出そうとした。
すると、宇久姫に呼び止められる。
「…待って。後もう一つあるの。白雲の剣を持つ神は竹早命なのは確かよ。あの方はとても気性の荒い神だから、戦うにはあなたでは不利になると思うわ。だから、ここにある剣を持って行くと良いわ」
宇久姫は立ち上がり、奥へと消えていった。しばらくして、戻ってきた彼女は一振りの剣を携えていた。
両手に大事そうに抱え込んでいる。
「…これは?」
「この剣は目一命が持たれていたものなの。わたくしがお仕えする神は目一命とその妹の女神様なのよ。兄神は鍛冶師の神でね。この剣は昔から、不思議な力を持っていると聞いたことがあるの」
そうですかと言いながら、由津彦は剣を受け取った。
「これは鎮めの剣と呼ばれているわ。後はそうね。わたくしの持っている勾玉をあげる。この二つで神鎮めができると思うわ」
そういいながら、宇久姫は自身の首から胸を彩っていた首飾りをはずして、手渡してくれた。
「ありがとうございます。ここまでしていただけるとは思いませんでした」
心から感謝を述べると、宇久姫はにっこりと笑った。
「いいの、気にしないで。あなたを見てると放っておけなくて。わたくしが後五歳若かったら、あなたに恋の呼びかけをしたのだけれど」
からかわれて、由津彦は顔を赤らめたのだった。
その後、案内してくれた娘に見送られながら、由津彦は社を出た。次に目指すは日向の地だ。
翠玉に呼びかける。 「翠玉様!宇久姫様に勾玉と剣をいただきました。これで戦えそうですか?」
龍の姿で下をちらりと見た翠玉はふうとため息をついた。
『…まあ、素人としては上出来だろうな。勾玉は本来、女人にしか使えないと聞いたことがある』
なかなか、辛辣なことを言ってくれるので、由津彦はうなだれた。
翠玉がほめてくれるとは思っていないが。
こう言われると、さすがにこたえる。仕方ないとあきらめるしかなかった。
『まあ、燐が中にいれば、使うことはできるだろう。竹早命と戦うのだったら、剣を使いこなせるように鍛錬でもしておくことだな』
さらに言われて、由津彦はわかりましたとしか答えられなかった。
今の自分、かなり格好悪いかもと思ったのであった。
中で燐姫が兄に呆れていたのには誰も気づいていなかった。 そして、由津彦は日向の地を目指して、旅を再開したのであった。
翠玉や燐姫、海龍王に剣を返すためにも頑張らなければと意気込んだ。