警部と教授
《登場人物》
徳永 真実(35) 警視庁刑事部捜査第一課警部
高山 朋美(30) 同 巡査部長
瀬戸 宗助(53) 東城大学教授
榊 祥子(32) 同大学准教授
宮崎 俊一(故人) 同大学准教授
6月7日 ――東城大学7号館 瀬戸研究室―― 午後3時頃
瀬戸は、眼鏡を着けて自分のデスクで今度の講義で使う資料をパソコンで作っているところだった。ノックの音に気づき、すぐ対応した。
「はい。どうぞ入りなさい」
徳永は彼から許可が下りたのを確認して研究室に入る。
一瞬誰が入って来たのかと思うと、全然知らない男が研究室に入って来たから少しびっくりしたが、すぐに冷静になってから質問した。
「どなたかな?」
警部は、低い姿勢で瀬戸に警察手帳を見せつけ、にこやかに答える。
「あ、申し遅れました。私、警視庁刑事部捜査第一課警部の徳永 真実と申します。いきなりの無礼をお許しください」徳永は手帳をしまう。
瀬戸は、胸を撫で下ろしながら刑事の出で立ちを見つめる。泥臭いような出で立ちには見えない。寧ろどっかの官僚に見えた。
「なんだ、刑事さんか。で、刑事さんが私に何か用かね」
すると徳永は、今朝起きた事件を尋ねる。
「いや~じつをいうと、今日の事件の事をお聞きになりましたか?」
【早速、きたな。何としてでも避けないとな】
瀬戸はそう思いながら徳永に答えた。
「とても残念だよ。有望な人間だったのに、自殺だったのだろう?」
徳永は瀬戸に告げようとするが口ごもる。
「今のところそうでしょう。しかし……」
そのあとの答えを教授は問う。
「しかし?」
「自殺ととは言いにくい状況です。他殺の可能性が……」
わざとらしくない驚き方を徳永の対面で座る男が披露する。
「なんだと? 他殺の可能性がある?」
【……まずい……】
「ええ、そうです。その可能性があるまでは私は自殺と他殺の両方で考えてます。一応、宮崎さんの関係者に色々と訊いてまわっているので事件当時関係ないと思われますが2、3よろしいですかね」
瀬戸は、この徳永という刑事について不思議な感覚に包まれた。
【何だ? この男は? 本当に刑事か?】
彼は徳永のお願いを受けた。
「ああ……構わんよ」
徳永はにこやかな表情で返す。
「ありがとうこざいます。では、さっそく、一つ目、どうして地下駐車場で亡くなったのでしょう?」
瀬戸は不可解な質問に少し戸惑った。
「えっ?」
そんな瀬戸を無視して、警部は喋る。
「だって、考えてみてください。遺留品には、携帯や財布がポケットに入っていたのに、何故、ここに鞄が置いてあるのでしょうか。しかも、今日、予定されている教授会の資料など、非常に重要な物が入っていたのにわざわざおいて帰るなんておかしいと思いませんか?」
瀬戸は宮崎のデスクを見てみる。確かに、手提げの牛革のバックが置いてあった。
焦りながらも一応、冷静な態度で答える。
「確かに、おかしいな。彼は、ミスなどしない完璧な人間だったからな……もしかして、彼は地下駐車場で誰かに呼ばれていたのではないかな?」
徳永は首を横に振り、瀬戸の考えを否定した。
「そうかもしれませんね。しかし、別の考え方があります」
「別の考え方?」
一瞬、不安を瀬戸の心に向けて襲いかかる。
「別の場所で殺害され、運ばれた可能性が高いでしょうね」
沈黙。
徳永は瀬戸の事を気にせず二つ目の質問をだした。
「じゃ、二つ目、どうして、宮崎さんは殺されなくてはならなかったのでしょうか?」
「宮崎君が有望な人間である事に殺意が沸いていたから……じゃないかな?」
徳永は、瀬戸の出した答えに納得し、両手で一回拍手をして、左手人差し指で瀬戸を指した。
「さすが、教授よく分かっていらっしゃる。じゃあ、三つ目、何故、宮崎さんはチェスの駒を持っていたのでしょうか?」
一瞬だが、黙り込んで考えて、数分が経った時に、瀬戸は冷静に答える。
「さあね、何で持っていたかなんて、私には分からんよ。そういうことは、宮崎君に訊いてみたらどうだね」
教授は心の中で笑っていた。
【残念だが、警部さん。そのチェス盤は全く無意味な物だという事をあなたは一生知る事はないだろう】
「そうかもしれませんね。でも、死人に口無しと言いますからなあ」
自分のジョークに徳永は笑い、瀬戸もそれにつられて笑った。
「君の言うことは面白いね」
「そうですか。それは良かった。ところで、教授はシャーロック・ホームズがお好きなんですね。見たところに、色々とその関係の本がずらりと……」
瀬戸の研究室は、周りの棚や本棚にシャーロック・ホームズやコナン・ドイルの書物とかでいっぱいだった。
「ああ、そうだよ。君もシャーロキアン(シャーロック・ホームズの熱烈ファンの事)かね?」
徳永は申し訳なさそうに言った。
「いえ、私はアガサ派でして……」
「あ、そう」
瀬戸は少しさびしそうだった。
徳永は、色々と見渡しながら、質問する。
「教授は、昨日の7時から9時の間、何処にいましたか。あ、別に疑っているわけでなくて、一応、捜査上の形式的なきまりみたいなものなので」
「昨日ねぇ……私が仕事を終えて帰ったのは、7時半だったけど、その前に、宮崎君がちょっとデスクの中の封筒を見て、焦っていたのか知らないが、血相を変えて出て行った。それが最後だったよ。宮崎君を見たのはね」
「つまり、被害者を見たのは、あなたが最後なわけですね?」
「ああ、そうなるな」
全てを訊く事ができ、徳永は瀬戸に感謝する。
「いや~ありがとうございます。捜査協力していただいて、感謝しております」
「それならば良かったよ。また、何かあったらいつでも私のところへどうぞ」
「そうさせてもらいます。あ、それと……」
「なんだね?」
「教授はチェスがお好きだそうですね?」
徳永の目はチェス盤に向いている。彼は徳永に答えた。
「ああ、好きだよ。そのチェス盤は特注でね。結構、値がある物だよ」
ある事に思いつき、徳永は瀬戸に訊いた。
「あの~このチェス盤の作っているメーカーさんを教えて欲しいのですが……」
彼は少々考えている。
【こいつ、まさかチェス盤について何か気付いたのか? それとも単に欲しいだけか? まぁ、後者のだと考えていいが、ここで揺さぶってみるか】
「ああ、いいとも。君もそれを見ると欲しくなるだろう?」
警部は感想を述べた。
「素晴らしい作りです。一級品ものだ。見ただけで分かりますよ。私もこれで一度やってみたいものです」
大学教授の予感は当たる。
【なんだ。ただ欲しがっていただけか……】
瀬戸はメモ用紙を取り出して、ボールペンで棚に入っている高級そうなチェス盤を作ったメーカーの住所、氏名、電話番号を書き、徳永に渡した。
「刑事さん。これがメーカーの住所と電話番号とかを書きとめているから機会のある時に寄ってみるといい。店主はなかなかの頑固親父だがな?」
彼の話を聞いて一瞬、徳永はちょっと暗そうな顔になりかける。
それを教授は見逃さなかった。
【何か? 一瞬暗そうな顔していたが……?」
徳永は礼を言って、メモ用紙を受け取った。メモには確かに住所やその他諸々書かれていた。
《向島ボード 住所:東京都――――――――――――――― 電話番号042―○○○―○○○○》
「ありがとうございます。今度、暇のある日に一度行ってみます。まぁ、この仕事柄そんな暇はないですけどね。それに、宮崎さんの黒のナイトについて何かご存知かもしれませんから。まぁ、そんなことより一度あなたとお手合わせ願いたいものです」
徳永と瀬戸はお互い独特な笑みをこぼす。
瀬戸は笑みをこぼしながら、「では今度、暇のある時に一度やろうじゃないかね」と言ったが、その時の本人の内心の焦りぶりは半端がないものだった。
瀬戸の心は、ただ一つ……
【くそ! 早く私の前から消えてくれ!】
徳永は、メモを受け取った後で、もう一度チェス盤を見たが、特に変化は無かった。目を細めて見ても、綺麗に手入れがされており年期が入っているとは思えないくらいだった。
腕時計の時間はすでに10分以上経っていた。それに高山君から連絡がない。
【高山君、連絡遅いなぁ。普通ならもうついてあるはず。道に迷ったな……仕方ない。自分で向かうか】
徳永は、チェス盤を見るのをやめて、瀬戸に言った。
「ええ、楽しみにしています。では、お忙しいところ失礼しました」
「いやいや、大変ですな、まぁ、力になれなかった事は申し訳ない。もし何かわかった私のところに連絡を。協力できるかどうか定かではないがね」
「ええ、どうも。また伺います。今度は相手としてね」
徳永は瀬戸に一礼し、研究室を出ていった。
瀬戸はそれを微笑を浮かべながら見送り、研究室には自分一人だけの状態となり、静かな部屋となるが……
【くそ! 奴は、奴は、とんでもない男だったか! 侮れん】
瀬戸は机の表面をこぶしでハンマーみたいに叩き、ブルブルと震えていた。
第8話です。
今回はとうとう瀬戸(犯人)と徳永警部との初対面となります。
話は続きます。