チェックメイト
《登場人物》
徳永 真実(35) 警視庁刑事部捜査第一課警部
高山 朋美(30) 同 巡査部長
瀬戸 宗助(53) 東城大学教授
榊 祥子(32) 同大学准教授
宮崎 俊一(故人) 同大学准教授
向島 重幸(42) 向島ボード 店主
加藤 啓太(35) 警視庁刑事部鑑識課係長
「先生、チェスはお得意ですかね?」
「えっ、警部? 何を言ってるんですか?」
高山と瀬戸は、質問の内容について呆れてしまった榊も言葉を返さなかった。
「君は私をおちょくっているのかね? ふざけるのもそこまでにしてもらえるかな」
しかし、態度を変えずニコニコしながら、瀬戸に言う。
「いいえ。私は常に真面目ですよ。チェスをしながら話しましょう。丁度、そこにチェス盤もある事ですし……」
瀬戸は、溜め息をついて、呆れながらもチェス盤を出す為にゆっくりと立ち上がり、棚から薄い木彫りチェス盤を取り出してローテーブルの上に置いた。
徳永は、ソファーに座りチェス盤に駒を置き始める。
「……君はどっちが好きだね?」
「私は、どっちかと言うと先手が好きです」
「じゃあ、私は黒だな」
徳永は、瀬戸に一礼して、e2の白ポーンをe4に進めた。
「よろしくお願いします」
瀬戸は、徳永の声を無視して、e7の黒ポーンをe5に進め、その直後に徳永に警告する。
「これが終わったら帰ってくれ。色々とやる事があるのでね」
徳永はd2の白ポーンをd4に進めてから答えた。
「分かりました。では、やりながら話をしましょう。宮崎准教授の殺害方法が分かりました」
「えっ!?」と榊はさっきの一言に反応し、視線を徳永に向けた。
瀬戸は、内心焦りながらも頷きながらe5の黒ポーンをd4に置き、d4にあった白ポーンを左手で取り、チェス盤の隣に置く。
「……本当かね?」
徳永は瀬戸がポーンを置いた後で、c2の白ポーンをc3に置いて話を続けた。
「宮崎さんは、何らかの方法で毒を服毒して死亡し、何者かによって駐車場に運ばれました。 高山君」
高山は、ハンドバックから一つの袋を取り出して瀬戸に見せた。その袋には、瀬戸が愛用しているハンドクリームと同じものが入っている。
「このハンドクリームの成分が宮崎さんの指に付着していることがわかりました」
「榊さん」と徳永は榊の方に顔を向けた。
「はい、なんでしょうか?」
「宮崎さんは、ハンドクリームをお使いになった事を見たことはありますか?」
榊は、首を横に振り、否定する。
「いいえ、彼はそれを使う人じゃありませんでしたが……」
瀬戸は、榊の発言を聞きながら、d4の黒ポーンでc3の白ポーンを取った。
徳永は早くも二つ、自分のポーンを取られながらも冷静にf1の白ビショップをc4に置いた後で、榊に軽く礼を言う。
「ありがとうございます。榊さん」
徳永は瀬戸に、質問を向けてみた。
「どう思います。先生?」
瀬戸はc3の黒ポーンでb2の白ポーンを取った。自身の左隣の盤外には、取った駒である白ポーン三つが置かれている。
駒を動かした後で、彼は徳永の質問を返した。
「どうって? 彼がつけていたんじゃないのかね? 偶然って事件当時に持ってたってのもあるだろう。そうじゃないと宮崎君の指から検出されないだろう」
徳永は、チェス盤の駒を見て、微笑を浮かべながら答える。
「いえ、それは違います。遺留品とカバンを押収しました。ハンドクリームは持っていませんでした」
瀬戸は、眉間にしわを寄せた。
「そうか……」
「ですが、別の観点もあります」
「別の観点?」
榊も徳永の話に興味を示し、聞いている。
「他人のつけていたハンドクリームが何らかの出来事で被害者の指に付着した……というのはどうでしょうか?」
徳永は答えながらc1の白ビショップを使いb2の黒ポーンを取った。瀬戸も続けて迷いもなくd7の黒ポーンをd6に置く。
「付着したねぇ……でもどうやって?」
徳永は、d1の白クイーンをb3に置いてチェス盤に向けて指を指した。
「簡単です。これがあるじゃないですか!」
思わずチェス盤を見てから徳永を見つめる。徳永の顔は微笑を浮かべていた。 瀬戸はすぐさま反論する。
「これに付着していたとでも言うのかね? 馬鹿げている! 宮崎君が誰かとのチェス対決であれが付着したなんてあり得るわけがない! このチェス盤はさっき出したばかりなんだぞ」
徳永は瀬戸の反論について一つの疑問を瀬戸にぶつけた。
「おかしいですねぇ。何で彼が誰かとチェス対決をしたと分かったんですか?」
「何?」
「何故、宮崎さんがチェス対決をしたという事があなたに分かったんですか? 僕はそんな事、一言も言ってませんよ。あ、あなたの番ですよ」
「…………」
瀬戸は徳永に痛いところを突かれ、反論することができなかった。小さな抵抗として黙り込む。
研究室は静かになった。ただ聞こえるのは時計の秒針が動く音。その深く少々長い沈黙を破ったのは高山の携帯電話の着信音だった。
「あ、すいません。電話です。ちょっと失礼します」
「ああ」
高山は携帯電話を取り出し、電話の着信相手を確認する。
相手は加藤だった。
「はい。もしもし。高山です」
『おお、高山か! 徳永は?』
「今、変わります」と高山は携帯を徳永に手渡す。
「警部。加藤さんからです」
「うん」と徳永は頷き、瀬戸に断りを入れた。
「ちょっと失礼します」
「ああ、構わんよ」と瀬戸は、チェス盤を見つめている。
徳永は席を立ち、瀬戸の耳に通話が入らない様に移動し、携帯を耳に当てた。
「徳永」
『徳永か。聞いてくれ。チェス盤の件だが、一致したよ。指紋が……』
加藤は受話器を左肩と耳の間で挟み、目の前のパソコンのキーボードをカタカタと音を鳴らしがら押している。
徳永は加藤の一言に安心し、軽いため息をこぼした。
「ああ。そうか。それはよかった。やはり正解だったか」
『ああ、瀬戸だっけ? そいつの指紋がな。えっと、それと、今、預かってるチェス盤に被害者の指紋もあちらこちらに検出されたよ。面白くなってきただろう?』
「そうか、それで……」
『そうそう。もう一つ面白い事があるんだ。黒のナイトに付着したハンドクリームと同じ成分が検出されたよ』
うんうんと頷きながら徳永は反応し、対面側でそれを見つめている男は少々不気味さと呆れが混じったため息をついている。
「なるほど。これで一つ分かったよ。ありがとう。頼みがあるんだが……」
『おっ!? なんだ?』
「指紋の写真と今そっちにあるチェス盤を写メで送って欲しいんだ。できるか?」
『ああ、可能だ。ちょっと待っとけ。なぁ、一つ貸しだからな。今度、おごれよな』と加藤は、にやけながら言う。
「ああ、分かった。じゃあ、またな」
徳永は電話を切り、携帯を高山に返した。
「ありがとう。高山君。また借りるかもしれないからその時はよろしく」
「いえいえ」
高山は携帯をハンドバックにしまう。
「いや~、失礼しました~お待たせして……」と徳永は瀬戸に言って、自分の席へと戻り、チェス盤に目線を向けた。
「いえいえ、吉報だったかね?」と瀬戸は、皮肉の様に訊く。
徳永も瀬戸の問いに鋭く返した。
「ええ、とてもいい吉報を。今から教えてあげますよ」
瀬戸はチェス盤の自陣の駒を確認して、d8の黒クイーンをe7に置いた。
「君の番だよ。刑事さん」
徳永は瀬戸が指した黒クイーンの位置を確認し、次の一手を悩んだ。
「う~ん。そうきますか~。なるほど。難しいですね~」
「それで、さっきのはどういう話だったんだね?」と瀬戸は徳永に軽く微笑みながら訊いた。すると徳永は微笑みで返しながら電話の内容を淡々と話し始めようとする。
「いえ~ちょっとしたお話でしてね。チェス盤の話ですよ」
「!」
「おや? どうしましたか?」
「いや、なんでもないよ……君の番だが?」
「ああ、すいません。ええ~っと、あ、そうだ。そうだ」
徳永はチェス盤を見て、頭の中で攻め方を整理しながら駒を選んでチェス盤に置いた。
選んだのはb1のナイト。b1の白ナイトをc3に移動させ、話を戻す。
「瀬戸先生、あなたは嘘をついてますね?」
徳永の質問に沈黙を通しながら、瀬戸はb8の黒ナイトをd7に置き、徳永は、瀬戸の一手を見てすぐさまg1の白ナイトをf3に出した。
「いや~おかしいんですよね。以前、あなたにいくつか訊いた時の答えが、事件当時、あなたはここで作業をされていましたよね?」
瀬戸は答える。
「ああ、そうだとも、それがどうしたのだね?」
「宮崎さんが駐車場で殺されたとは思えないんですよ。宮崎さんの死因は青酸カリによる服毒死でした。外傷もありませんでしたし、外部犯による犯行ではない事が分かりました。その上で黒のナイトが現場で遺留品として発見されました。関係者の中でチェスをたしなんでいるのはあなた以外に誰もいないんですよ」
d7の黒ナイトを、徳永の自駒であるc4の白ビショップの前、c5に瀬戸は指で駒を掴み、ゆっくりと進めて、徳永に反論した。
「確かに私以外にチェスをたしなんでいる人間はこの大学には少ないな。しかし、だからと言って私が嘘をついているだなんて決めつけられるとは、実に不愉快だね」
徳永は、チェス盤にそびえ立つb3の白クイーンをc2に戻す。瀬戸はイライラしながらc8の黒ビショップをe6に置いた。
「そうですか。では、遺留品として残っている黒のナイトについては誰の物でしょうか? 先生は分かりますか?」
「さぁね。1つ訊くが、君は私に何を言わせたいんだね? チェス盤をみたまえ。ちゃんと揃っているだろう。黒のナイトが二つ!」
二人がプレイしているチェス盤には、黒ナイトはc5・g8に二つ。高山は徳永の発言に対して不安がった。
黒ナイトに注視しながら徳永は、c3の白ナイトをd5に置く。
「あれ、おかしいなぁ。瀬戸教授、どうしてちゃんと黒のナイトが二つともあるのでしょうか?」
瀬戸は、e6の黒ビショップでd5の白ナイトを取ってd5に置き、その後で徳永の質問に答えた。
「誰も触っていないからだよ? 何か問題でも?」
「ええ、触ってないでしょうね。宮崎さんが遺体で発見された後ではね」
「!!」
衝撃の瞬間。
瀬戸は、黙り込む。
「おや? 図星でしたか。あなたはチェス盤をすり替えましたね。駒も全部」
「何を言っているんだね!? これは正真正銘の私のチェス盤だ!」
「ええ、そのチェス盤はあなたのです。ですが、あなたはすり替えたんですよ。宮崎さんが触ったチェス盤と向島さんに頼んでいた別のチェス盤と……」
「!」
「すり替えた?」と榊は反応し、チェス盤に視線を当てている。
徳永は、c4の白ビショップでd5の黒ビショップを取ってそのままd5に白ビショップを置いた。
瀬戸は、すぐチェス盤に向けて手を動かす。動かした手はg8の黒ナイト。その黒ナイトをゆっくりとf5へと動かした。
徳永は、すぐさま盤上の自駒であるe1の白キングとh1の白ルークをキャッスリングさせて白キングをg1へ、白ルークをf1に動かす。
「……………………」
瀬戸は、黙り、冷静に考えた。
【盤上は戦場だ。そして私は軍師でありゲームを左右する指揮官だ。一回の指揮で戦況……運命は変わる。ここでミスはできない。奴は頭が切れる。恐らく、私が宮崎を殺した事も分かっているはず!】
瀬戸は考え、c7の黒ポーンを一つ前進させてc6に置く。
「は、は、はははははは。チェス盤をまるごとをすり替えるか……話は面白いが、そうなったという証拠を提示してもらいたいところだね」と徳永はニヤニヤしながらチェス盤を見つめて、動かす駒を決め、d5の白ビショップをc4に置いた。
瀬戸は、徳永が駒を置いたと同時にすぐに動かす駒を決め、a1の黒ルークをd1にずらした。
徳永はチェス盤を確認し、f1の白ルークをe1へと移動させる。徳永は瀬戸に証拠について話すことにした。
「証拠はありますよ。警視庁にね。今、うちの鑑識課の加藤が写真で送ってくるはずです」と徳永が瀬戸に微笑みながら言った瞬間、高山の鞄から振動が走った。高山はバックの中を確認すると携帯の着信ライトが点滅している。
《色は青》
【メールだ。】
高山は携帯を取り出してメールの内容を確認した送り主は加藤。
「警部。加藤さんから、メールが来てますよ」
徳永は高山の方に振り向き携帯を再び手渡してもらった。
「おおお! ありがとうね。高山君。さて瀬戸教授、話の続きをしましょう」
瀬戸は、徳永が持っている高山の携帯にずっと視線がいっている。
「その彼女の携帯で何がわかると言うのだね?」
「それは、これですよ」と徳永は加藤から送られてきた写メールだった。写真の内容は、向島ボードで押収したチェス盤。
「このチェス盤、あなたのですね?」
瀬戸は徳永から携帯を受け取り、携帯に表示された写真を見てみた。写真には、チェス盤が大きく写し出されていた。
よく見ると、ちゃんと《BM》向島ボードの紋章が彫られている。
【なんてことだ! 何故? 彼らが持っているんだ?】
瀬戸は内心の焦りが爆破しようとしている。何よりも徳永と高山=警察にチェス盤を押収されていることに焦りが大きくなった要因だった。ゆっくりと携帯を徳永に渡してごまかす。
「これは私のではないな。このチェス盤は宮崎君のではないかな? これは彼の家から持って来た。そうじゃないかな?」
高山は瀬戸の発言について横から否定する。
「いいえ、それはありません。宮崎さんの自宅からはチェス盤やその駒など、ボードゲームの類は一つも見当たりませんでした」
「宮崎さんはボードゲームをする人ではなかったです」と榊も高山の発言を援護した。
瀬戸は、二人の発言を聞いて黙り込み、チェスの駒を動かして攻める。徳永も同様に、相手の攻め方を攻略する為に考えながら自陣の駒を動かしていく。
瀬戸はc5の黒ナイトをe6に下げ、それを見た徳永は、すぐさまにe4の白ポーンをe5に進めて揺さぶりをかけた。
だが、彼は揺さぶりに気にせず、d6の黒ポーンでe5の白ポーンを取った。
「高山君から聞いた通りでしょうが、宮崎さんの自宅からはチェス盤はおろかそういうボードゲーム、駒などは一切なかったんです。おかしいんですよ。教授、分かりますよね? ボードゲームを一つも所有していていない人間が、チェスというボードゲームの駒である黒のナイトをポケットに持ってたなんて……」
徳永はf3の白のナイトでe5黒のポーンを取った。盤上の戦況は白が劣勢であり、黒が優勢の様に見えているが、焦った素振りは一切していない。
「…………」
なんとか気を落ち着かせようと瀬戸は、携帯の写メールを見た後で、盤上の駒であるg7の黒ポーンをg6に移動。徳永は瀬戸の動向を見た後ですぐにe5の白ナイトでf7の黒ポーンを取った。
徳永の盤上の攻撃は次に回ったが、自身の口撃は、まだ終わっていない。
「先生。だんまりですか? では教えてあげましょう。このチェス盤はあなたがすり替えたものです。事件発生時にあり、事件発生後にすり替えられた」
「バカバカしい。なんでそう言えるのだね?」と瀬戸は、ソファーにふんぞり返り、腕組みをしながら足を組んだ。
徳永は微笑みを絶やさず、一言だけ告げる。
「そのチェス盤の指紋に宮崎さんの指紋が検出されたんですよ」
「!」
瀬戸は足を崩し、腕組みをやめた。
「うちの鑑識は優秀でしてね。ちゃんと見つけてくれましたよ」
徳永は、瀬戸の動向を微笑みながら見ている。予想通りの慌てぶり。
「か、彼のだからだろ? 指紋がついていたのは……」
「いいえ、先生。それは違います。さっきも言ったじゃないですか~、宮崎さんはチェス盤やボードゲームの類を一切所有していないって」
瀬戸は、頭からにじみ出てくる。冷や汗をハンカチで拭った。それを見ながら徳永は言う。
「それに、このチェス盤を作った向島さんに確認しましたけど、今までの顧客に宮崎俊一さんは、あったことないそうですよ」
「!?」
瀬戸は、心の中で感じた。
【やられた……】
徳永は瀬戸のことも気にせず話を続けていく。
「さて、犯人が服毒させた方法でも話しましょうか」
「……………………」
瀬戸は、f7の白ナイトをe7の黒クイーンで取り、徳永の持つ盤上の駒を減らしていく。
徳永はe1の白ルークでe6の黒ナイトを取り、置く。
「チェックです。先生」
瀬戸はすぐさまe8の黒キングをd7にずらし、敗北を回避した。
徳永は瀬戸が駒を触る動作の指を観察した時、ある事に気付き、徳永は微笑みを浮かべている。
「おっと、宮崎さんを殺した方法の前に犯人が誰かを知っておく必要がありますね」
榊は徳永の言った事に反応する。
「本当ですか!? その犯人は誰なんですか? 教えてください!」
すると徳永はa1の白ルークをd1に置き、瀬戸に軽く微笑みながら答えた。
「犯人は……あなたですね? 瀬戸先生」
徳永はたどり着いていた。真相に……
【先生が俊一さんを!?】
榊の疑心が当たっていた事に信じられない気持ちだった。言葉も出ない。
「私が犯人!? 面白い事を言うね。君は?」
瀬戸は、表では笑いながら否定しているが、裏では自分の心の何かが割れた気がして焦っている。若干の手の震えを抑えながらd7の黒キングをc7に置いた。
徳永は話を続けた。
「いいえ。笑い事ではないです。先生、あなたはこの研究室で宮崎さんを殺害した」
「じゃあ何故、彼を殺さないといけないのだね? 犯人が私だという証拠は?」
「証拠は遺留品であるこの黒のナイトがあなたを示しているんですよ」と高山の携帯に写しだされた写真を見せる。
その写真に写った黒のナイトは、少しボケているがそれでも負けないような光沢が写し出されていた。
徳永はb2の白ビショップをe5へと動かし、再びチェック状態に持ち込んだ。しかし、瀬戸は話を聞きながらf8の黒ビショップをd6に置いてキングを守る布陣を作り上げる。
徳永は、e6の白ルークで隣のd6の黒ビショップを取り瀬戸の陣地を攻めていく。徳永は話を続けた。
「黒のナイトには宮崎さんの指紋がありました。そして先ほど言っていたハンドクリームの成分も付着してありました。しかし、そのハンドクリームは宮崎さんの家でも発見されませんでした」
瀬戸は徳永に微笑みを返し、f7の黒クイーンをe7に動かしてから反論した。
「だから何だね? それで殺したとでも?」
「ええ。あなたは、宮崎さんとチェスをした時にハンドクリーム使用した。そのハンドクリームには青酸カリを混ぜておいたんですよ。その証拠にチェス盤と黒のナイトがあります」
「………………………」
「宮崎さんはよく爪を噛んでいたようですね。遺体を調べたんですが、やはり右手親指の爪に噛んだ跡がくっきりとありましたよ」
徳永は、d6の白ルークをd7に置き再び、チェック状態にした。徳永は話を続く。
「つまり、こういう事です。宮崎さんはあなたとのチェス対決の時にハンドクリームのついたチェスの駒を触り、爪を噛んで毒を口につけてしまった。そして亡くなったわけです」
瀬戸は、チェック回避の為に、c7の黒キングをb6に移し、徳永に決定的な事を質問した。
「なるほど。君の推理は分かった。しかし、だからと言って、私が殺したという決定的な証拠は出てきていないだろう? 君が言っているのはあくまで状況的な証拠だ」
徳永は、e5の白ビショップをc7に置き、瀬戸の言葉に対して笑顔で答えた。
「ええ、そうですね。確かに僕が言っているのは状況的なものにしかすぎません。だからこれをやっているんですよ。瀬戸先生、チェックですよ」
再びb6の黒キングをc5に置き、瀬戸はチェックメイトを回避した。
「?」
徳永はまだ理解できていない瀬戸に告げる。
「証拠はこのチェスとこの写真のチェス盤及び宮崎さんが遺してくれたこの黒のナイトにありましたよ。そもそも宮崎さんは、何故これを持っていたのでしょう?」と徳永は携帯の写真を宮崎が持っていた黒のナイトを表示させた。
瀬戸は写真を見るが、軽く自分が知らないように振舞う。
「さあな。何故、彼がそれを持っていた事なんか知らない。皆目見当もつかないが、だからと言って私が彼を殺したという証拠にはなるまい」
徳永は首を横に振った。
「いいえ。なるんですよ。それは、あなたが宮崎さんを殺した時に、宮崎さんがたまたまポケットに入れておいたんです! この黒のナイトを!」
「どうしてそんな事が言えるのだね?」
「遺留品の駒に、宮崎さんの指紋がついていると言いましたよね?」
「ああ、言った」と瀬戸は頷いている。
徳永は、微笑みながら告げた。
「べったりついてたんですよ~。指紋が……」
「そりゃそうだろう。宮崎くんが持っていたのだから」
徳永は瀬戸の言った事に対して首を横に振った。
「いいえ。違いますよ先生。宮崎さんではない誰かの右手人差し指と親指の指紋がね。その指紋にもハンドクリームの成分などがありました。勿論、シアン化カリウムもべっとりついてましたよ」
「なっ!?」
徳永は再び、c4からe2へと白ビショップを戻して状態を立て直す。瀬戸は、c5の黒キングをb4に動かして、徳永の推理を否定する。
「違う。私じゃない。私ではない。そんなはずはない」
徳永は、c2のクイーンをb3に置き、チェック状態にしながら瀬戸の反論に少し声を強くした。
「いいえ。これで合ってます。この指紋はあなたの指紋です!」と今度は指紋のデータが写し出されている写メールを瀬戸に見せる。
「この指紋はあなたのです」
徳永は追求したが、瀬戸は否定した。
「違う! 私ではない!」
「いえ、合っています!」
徳永は瀬戸の反論に声を荒げた。その後で少し冷静になってから口を開く。
「いいですか? この指紋はあなたがチェスをした時についたものです」
瀬戸は、徳永の推理で追い詰められる中で、ぶるぶる震えだした右手で盤上のキングをb4からc5に戻し、チェック状態から回避。
「あなたは、毒の入ったハンドクリームを手に塗って、それをうまく宮崎さんの親指に付着させ、毒が付着した指の爪を噛んだ。その時に毒を口に触れてしまいそのまま死んだ」
徳永は瀬戸に、止めと言える一言を言い放つ。
「あっ、そういえば瀬戸先生! あなた、捜査に協力してくれると以前に仰っていましたよね? 今、このチェスの駒の指紋を取らせてください。そしてこの遺留品の黒のナイトについてある正体不明の指紋と照合検査させてください!」
瀬戸は黙り込み、再び研究室が沈黙の空間となった。高山は雰囲気に包まれ、息を飲み、榊もまたチェスをしている二人の表情を伺った。
とどめの一発だった。瀬戸は言い逃れる事はできず、黙るしかなかった。
「…………」
徳永は黙り込んでいる瀬戸に笑いながら告げた。
「チェス盤をすり替えるのは正直、悪手としか思えません。しっかり処分するべきでしたね。先生」
瀬戸は、溜め息をついてそれまでの威勢を落として、徳永に向けて言う。
「もう、終わりにしよう。ゲームは終わった。君は次の手で私の首を取る。そうだろう?」
「ええ、勿論です。次の手で終わります」
徳永は、盤上の戦争を終焉へと導く一手を打った。b3の白クイーンをc4に置き、徳永は瀬戸にとどめを刺した。
『チェックメイト』
盤上は、徳永の駒である白の騎士達が黒の王様を四方八方から詰め寄った形でゲームは終焉を迎えた。
――徳永の勝ち。――
瀬戸は、チェックメイトになる前の2手目・3手目で分かっていた。自分の負けだと……
遠目で勝負を見ていた高山は、溜め息を漏らす。
「ああ、悪かったね。心配させてすまなかったね」
徳永は高山に笑顔で返したが、高山という部下からの一言はキツいものだった
「いえ、心配なんかしてませんから、それより携帯、返してもらえます?」
「ごめん」と徳永は携帯を高山に返した。
「刑事さん。あなたに一つ訊いていいかね?」と瀬戸は、深く息をついて、背中をソファーに預けている。
「何でしょう?」
「何故、私が宮崎君を殺害した犯人だと分かったんだね?」
徳永は、メガネを外し、レンズについていたゴミをハンカチで拭き取った。
「最初に会った時、あなたは宮崎さんの死因を自殺だと言いましたよね?」
「ああ、言ったよ。それが?」
「あの時、自殺だって言っていたのは、あなただけなんですよ。榊さんとゼミの学生達は宮崎さんが自殺なのか、他殺なのか知らなかったんですよ。知っているのは宮崎さんが亡くなった事。しかし、先生。あなたは『宮崎くんは自殺だったのだろう』と言いました。何故、あなたが『宮崎さんは自殺だった』と言ったのかを疑問に思いましてね。そこからですよ」
徳永はメガネをかける。
瀬戸は、頭を抱えていた。
「そうか。言葉でやられたか」
「言葉は時によっては命取りになるもんですよ。瀬戸先生」と徳永は瀬戸に微笑みながら話す。
「ああ、身をもって味わったよ」
瀬戸は、ソファーから立ち上がり、窓に近づいて外の景色を眺める。外は夕日がこちらにオレンジの光を照らしている。
榊は窓の夕日を眺めている瀬戸に近づいた。
「どうしてこんな事を!? どうして俊一さんを?」
瀬戸は、深く息を吸う。敗北の味、そして後悔の味。今更、その味を体験することになったのを感じた。
彼は榊の顔を見つめる。
榊の目から一滴の透明な雫が左目から溢れていた。
「人は憎むものだよ。才能ある人間をね。彼もまた私にとってその一人だったという事だけだよ」と瀬戸は言って、夕日を見るのを止めた。そしてソファーに座っている徳永に言う。
「さぁ、参ろうかね。徳永警部」
「ええ、そうしましょう。高山君。瀬戸教授を……」
高山は徳永の言葉に首でうなづいた。
「では、行きましょう」と瀬戸に告げる。
「ああ、よろしく頼むよ」
高山と瀬戸は研究室をあとにした。
徳永は榊に近づき、左手入口に向けて手を差し伸べる。
「参りましょう。榊さん」
「……はい」
榊は涙をハンカチで拭き取り、研究室をあとにした。徳永はチェス盤と駒を片付け、持ってきていた箱に入れた。
テーブルの上には何もなくただ、夕日のオレンジ色から藍色の空へと変化しようとしている。
徳永は微笑みながら、研究室をあとにした。
―― 警視庁 捜査一課 数日後―――
それから数日が経ち、徳永と高山は昼食代をかけてチェスをしている。
「チェックメイトです。警部」
「僕の負けだな。まいりました」
「警部、弱いんですよ~チェス」
「うるさいな~。それよりあの一手、良く思いついたね。高山君」
「いえいえ、自分の考えではありませんよ。だって私、警部が出す一手の瞬間を見ると分かってしまうんですよ」
「へ~すごいなどうして、また?」と徳永は高山に訊いた。
「簡単です。警部が駒を持っている時、震えていますよ……」
「えっ!?」と徳永は高山に慌てた様に反応した。
高山は、立ち上がって徳永に一言、言って微笑む。
「さぁ! 飯、ゴチになります! 警部殿」
徳永は、ため息をつきながらチェスの駒を片づけた。後に手も財布もしびれる羽目になった事を後悔しながら……
―― END ――
最終話です。
「徳永警部の事件簿」もこれで完結です。
今まで、作者の稚拙な文章と表現で読みづらかったかもしれません。
反省しております。
すいません。
ここまで読んでくださった方、応援してくださった方にここでお礼とさせていただきます。
本当に本当に! ありがとうございました!