五話
「なぁ、レナ姉。トール兄見てない? メッセも返答なくてさぁ」「…………クロがいない」
トール達の姿が朝から見えないとレナの元を訪れたのは、いつも通り騒がしい双子だった。
言われて部屋からリビングに出て、外を見てみれば、屋敷の庭の一部で日向ぼっこをしているクロの姿も見えない。
「街に買い物にでも出てるんじゃないの? 応答がないとはいえ、一晩経ってるわけでもなし、いい大人なんだから心配は要らないでしょ……」
「ちぇっ、せっかく一緒のギルドに入ったんだから、今日もどこかに潜りに行こうかと思ったのに。結構俺らでも出来ることがあるのがこの前の戦闘でわかったんだしさぁ」「残念……今日のモフモフ成分が不足」
「そうね、ユーキの言う通り。確かにトールの指示でやってみて、あんなにタイミングと読み、連携によって一回一回の戦闘があんなにも安全マージンを取って、安定したものになるとは思わなかったから、私も正直レベル帯が落ち着いている所には行ってみたいのは確かだし……帰ってきたらお願いしてみましょうーーーーそしてサクヤ、あんたは昨晩はクロに抱きついたまま寝ていたでしょう。AIが困ったような顔してるの、それも獣型のなんて、初めてみたわよ。少しは自重しなさい」
言葉も求めているものと全然違うものの、それぞれあのギルドに新しく加わった青年を指しているのはわかる。この短期間で随分と懐かれたものだ。
まぁ、街に戻って来て間もない。一人で危ない事をするわけでもないだろうし、誰しも一人になりたい時もある。自分を鑑みてそう取りなしていたレナだったが、それから少し経った後、『銀の騎士団』との打合せに向かっていたネイルとセバスチャンが戻ってきたときに、その考えが間違いだった事を知る。
「…………参ったね、流石に少し甘くみてたかな。はぁ、全くこれだからぼっちに慣れきった人間は」
(珍しいこともあるものね、団長のペースを崩せるなんて誰かしら)
戻ってきてメッセージを見ているような素振りを見せていたネイルが、少しの時間、宙を見ながらそんな言葉を呟くのを、レナはセバスチャンが入れてくれた紅茶を飲みながら物珍しげに見た。
他人をイラつかせる割には自分がイライラすることは少ない団長が、そんな風に言葉を吐くのは珍しかった。
「いかがなされましたか? 団長殿が苛立ちを言葉に載せるのは珍しいですな」
レナと同じ疑問を抱いたのだろう。
他人の機微に疎いレナなどより余程経験も心遣いも豊富なセバスチャンがネイルに声をかける。
「皆、少し出かけるから準備を頼んでいいかい?」
「既に準備万端だよネイル兄、なんせ、今日はトール兄に連れてってもらおうと思ってたからな」(………コクコク)
「かしこまりました、日帰りでしょうか? 戦闘はあると見て良いですな」
「…………いやいやいや、待ちなさい。理由くらい言いなさい聞きなさい」
ネイルの、セバスチャンの質問に答えずに告げる一言に、脊髄反応的に答える双子と、何も聞かずに必要事項だけ再度問いかけるセバスチャン。
レナはネイルのこういう唐突さにはまだ慣れない。果たしてそれが、時間の問題なのか、性格の問題なのかはわからないが。
「うん、レナがそう言うだろう事もわかってるよ。でもね、僕の杞憂かもしれないし、その方がいいんだけどさ。少し急ぎたいから、今は何も言わずになるべく早めに用意して、話は道すがらすることにさせてくれないかい?」
「……わかったわ、すぐ準備する。といってもやることなんてそんなに無いのだけど」
どうやら本当に苛立ちと焦りを感じているらしいネイルの様子に、そそくさとイベントリ内の整頓と装備を整えるレナ。そして、奥に一度戻ったセバスチャンを待ちながら、ふと思いつき尋ねる。
「そういえば、朝から出かけてるみたいだけど、この件はトールには声かけなくていいの? もう連絡済みなのかもしれないけど」
「むしろ逆かな。トールから連絡が来たから、今僕はこんなに心を乱しているのでね」
「……どういうことかしら?」
その台詞に不穏なものを感じたレナが問いかけているところに、用意の終わったらしきセバスチャンが到着する。話は聞こえていたようなのは、続く台詞にてレナにも分かった。
「それは私もお伺いしたいところですね。ーー皆様方お待たせして申し訳ありません。どうやら私が最後のようですので、参りましょうか」
「ああ、まずは出発だね。そんなに遠く無いし、道すがら話そうか」
五人が赴いたのは、街の北口から出た先にある山岳地帯にある鍾乳洞を模したダンジョンであった。そこまでにネイルが話したトールからのメッセージと内容。その後の行動を聞いた四人の反応は様々であったものの、一言でいうとレナの発したものが全てであるのがネイルの見解だった。
「……なるほど、それはいらいらするわね」
『小さな箱舟』の中で、ある意味最も常識人であるレナがそう言うのを聞いて、ネイルはやはりこれが自分の八つ当たり的な感情だけでは無いと認識できた。
「あぁ、水臭いぜ、そりゃあ俺達は兄ちゃんに比べたらレベルも低いけどさ」
細かいことは気にしないユーキですらそう言わせる、トールからの連絡にあったのは大きく三点。おそらくトール自身は二点のつもりであろう事がわかるのがネイルの気に触る。
「NPCの行動パターンが変わったのの調査まではまだいいわ。でもモンスターの行動パターンにまでアップデートがあって、しかも少しピンチになってるのに、どうして私達に応援も求めずに独りで奥まで見てくるなんて思考になるのかしら」
憤懣やる方ないと言わんばかりのレナに、双子もまた首を傾げながら感想を呟く。
「なんか変な感じなんだよなー、雪山だとあんなにトール兄がいるだけで安定して安全マージンも病的なまでにとってたのに、一人でこんな状態の中行っちゃうなんてさ」「…………不可思議」
「何か、団長はご存知なのですかな? 彼の、見た目ではわからないアンバランスさの原因を」
「そうだねぇ」
中に入って進むと同時に感知した小鬼達を、言葉を話しながら構えるユーキに届かせる事すらなく、省略した詠唱で焼き払いながらネイルは告げる。
「その辺は出会った時から変わってないよ、パーティを組むと、ものすごく自分以外の安全には気を配るのに、一人だけだと馬鹿みたいな浅慮をする。ーーーーまぁ、それが更に顕著になったのは、あの日からなのは間違いじゃないだろうけどね」
セバスチャンは元々人の機微に聡い。恐らく今この世界にいる人々の中でも、その参加理由から最高齢に近く、また、相応に歳を重ねた厚みをもっている。だからアンバランスさと表現できたのだろう。
普通には、双子とレナが苛立ちと違和感を持っているように、普段のトールと今の行動はかけ離れているように見えていた。ネイルもこれまでを見ていなければ、そう感じていただろう。まぁ、見ていなければ自殺願望は勝手にするといいと思って興味を持たないかもしれないが。
だが、見てきた。足掻きを。苦しみを。格好を気にせずもがき続けて、ネイルの思う格好よさとも真逆とも言えるのに、目が離せなかった。
だから語る事が出来る。
あの不器用な友人が、どんな人間で、何を考え、感じ、今を生きているのかも。
同時にほっとしていた。そんな友人を迎え入れる事ができたこと。そして、短い期間ながらに、大事な家族とも言える彼等が、苛立ちという形とはいえ、同じ感情をトールに抱いてくれているだろう事が分かったから。
大きいわけではなく、最前線に出るわけでもないが、危なっかしい友人を俯瞰するわけでもなく、遠巻きにするわけでもなく。ただ水臭いと、危ないと苛立ちを持ってくれる人間が居てくれる。
ネイルは、とても満足していた。
後はただ、殴ってでも伝えるだけ。
(キャラじゃないのだけどねぇ)
そんな事を思いつつ、しかし足早に、彼は周囲に聞かせる様に話し始める。
「時間はね、止まるんだよ。世界が、現実でも仮想現実でも変わりなく進んでいようとも、人にとっては時が止まることはありえるんだ。君達も、誰かから噂話できいているのだろう? 一人の歌姫が倒れて、トールに似合わない二つ名がついた由縁を」
「…………聞いたことはあるわ、結構有名だもの。それがどこまで事実なのかはわからないけど」
レナがそう呟き、セバスチャンとサクヤ、ユーキもまた頷いた。ある種、皮肉なことに娯楽の無い世界だ。物語の様な噂は人伝に、掲示板などでも尾鰭がつきつつ広がっていく。
「事実さ。何せその噂の出所は、せめて真実が曲がらないようにと、アイナ達に話を聞いたこの僕なのだから」
当たり前のように続いたネイルの言葉は予想外だったようだが。そして、驚きに囚われるレナ達に構わず言葉を続ける。
「トールにとっての時は、あの日から止まったまま。誰よりも生きようとしながら、死を求めてる。いや、誰よりも生を感じながらにして死んでいる、といったほうが正しいかな」
「どうして……」
「縛られているんだよ。彼女はそんな事を思って投げかけた言葉ではないことはわかっているはずなのに、最後の瞬間に彼女が言ったという言葉に、トールは縛られ続けている。
一人で復讐を果たす?誰よりも対人に強く、顔色一つ変えずにPKを狩る死神?
ふふ、トールがそんなに強い人間だとはとてもじゃないけれど思えないね。もがいて、のたうちまわりながらも進む、普通の男。それが僕の知っている彼だ。自分で責任を感じて、自分で自分を責めて。そんな男だ」
何処か芝居掛かったように、その整った顔に笑みを浮かべてネイルは語り続ける。
「……目的を果たした直後、トールは泣いていたそうだ。全く、見ていられないんだよ。自分でも解っていないんじゃないかな。目の前で大事な人が死んで、仇を何人も殺した。根源とも言える人間も打ち倒した。恐らく、そこまででトールの物語はエピローグになってしまっている。……まだ、何も終わっていないのにね。
だから、僕はトールをうちに入れたんだよ。フェイルの処にいたら、最前線しか見なくなる。ただでさえ視野が狭いのだから、最前線でもなく、でも引きこもっているわけでも無い、そういう、この世界としての普通に暮らしている、君達のような人達の事も目に入れられるように」
ネイルの奥へ奥へと向かいながらの独白は、途切れ途切れで、所々わからない部分もあったものの、少なくともその場にいた人間には伝わったことは確かだった。何故ならーーーー。
「……難しいことは分かんないけど、要はトール兄が心配だからギルドに入れたって事だよな? 俺としては入ってくれて嬉しいから、オッケーだな」「…………モフモフは正義」
ユーキとサクヤはそう頷き、
「そうですな、迷える若人を手助けするのもまた、先人の役目。何より我らが団長にここまで言わせる方なのですからね」
セバスチャンはにこやかな笑みをたたえて、
「……意外ね、でもまぁ、私も拾われた口だし。団長の意向にも従うわ。嫌じゃ無いしね」
レナもまた、自分の言葉で肯定したのだから。
「ありがとう…………で、それでまぁ、少しは足元も見えるようになったかなと、上手くいったと思ったらこれだよーーーー少し前までならともかく、この彼方此方で色々な事が起きてる状況で、僕等をすぐに呼べるような現在で、レベル帯が適正より低いとはいえソロで行動するなんて、ボスに挑むなんてただの馬鹿だろう? 少し考えればわかるはずなのに。僕は苛立ってもいいと思うんだけどどうだろうか? ーーーーん?これは……」
「いいと思うわよ、みんなで文句を言ってやりましょう。ーーーーどうしたの?」
ネイルの顔が、疑問と共に怪訝な表情を見せるのに、レナが問う。
「おかしい、さっきまでと違って、トールがオフラインになってる。初めてだな、メッセが飛ばせなくなるなんて」
「…………あまりいい予感はしないわね、最奥までもう少しでしょう、急ぎましょうか」
状況は不明だが、流石に簡単にやられるとは思っていない。しかし万が一という事もある。
過去ではなく、未来でもなく、現在と足元を見た上で、大事なものはまだあるはずだと、何かあったら独りで何かをしようとするのではなく、呼べる人間がいるのだと気づかせておきたかった。
(それを伝える前に、勝手に退場するんじゃ無いよ)
心中でそう呟くと、レナ達に頷いて急ごうと奥を指差し、ネイルはその歩みを早めていった。