四話
《ふむ、大丈夫か? 主》
そうクロが当たり前のように尋ねてくるのを見て、俺は改めてこれが幻聴でもなんでもないことを再確認した。
昨日のうちに知っていれば、それこそさっきみたいに驚かなかったのに。そう思う気持ちもあり、本当の意味で会話を交わせるようになった相棒に不満をぶつける。
「……何で黙ってたんだよ? 多分昨日からもう喋れたんだろう?」
《そう言ってくれるな……どうにも、ほとんどなかった急激なアップデートと管理者からのフィードバック情報量を処理しきることができなくてな、我も戸惑っていたのだ。その辺りは歩きながらでよいだろう》
そう言ってクロは俺の前を歩き始める。
敵の数はそれなりに多いが、元々はレベル的には大体50層程度の余裕のあるダンジョンだ、混乱が続きさえしなければそこまで苦戦することはなく、間もなく目的地へと到達するはずだった。
一応、フェイルとネイルには情報拡散を丸投げの形でNPCのことを伝えるメールは投げているが、さらに追加で簡単に注意喚起の速報も送っておく。きっとあちらこちらで報告は上がってきているだろうから、後で呼ばれることにはなると思っているが。
歩きながらクロが話した内容は、簡単にまとめると以下のようになる。
何でも、元々言葉自体は全てではないものの理解していたのだという。
だが、それを伝えるすべはなかった。それが、70層の鐘の音を聞いてから、視界が一気に開けるように何かがクロの中に入り込み、今の状態になったということだ。
そして、それに何より感じたのは『戸惑い』だったと。
そもそもA・Iに戸惑いというものがあるのかは分からないが、急激に受け取れる情報量が増えたこと、そしてアウトプットの方法が増えたことが、クロをそう思わせたのだろう。
更に、外部からの刺激により急激に加速させられた思考は、自己同一性、つまりは自分が自分である証は何なのかという疑問に囚われたらしい。
何故なら、その先に続けられたのは――――
《主よ、我は一体何なのだろうな》
そんな言葉だったのだから。
「……お前はクロだよ、トゥレーネがそう決めた。そして俺についてきてくれた相棒だ。それだけじゃ不満か?」
ポツリとそう呟いたクロの言葉に、静かに、でもはっきりと俺はそう告げる。
それを見上げてくる傍らの虎の瞳は、あまりにも人間味に臭かった。元々仕草にそれを感じることはあったが、言葉を理解し、そしてこちらも相手の考えることがわかるようになった現状では、なおさらそう感じられる。
そしてその瞳に感じられるのは、喜びや戸惑い、それら様々な感情が入り混じったような不安。
人は、他人に認められることで自分を確立させる。
比較対象のない中で、その存在を保ち続けることは難しい。
孤独を好む人間も、大勢でいることを好む人間も、それは全体の中での話。
ならば、ここに居る黒影虎、それも捕獲された状態としてのクロはどうなのか。
機械に心が宿る、そんな幻想はやはり幻想にすぎない。内蔵されたA・Iが進化したことによって、様々な人の心のデータの組み合わせによってそう見えているだけ。
あくまでこの世界は作られたものであり、0と1の組み合わさった電脳の世界。
それは間違いのない事実でもあるのだろうと知っている。そう言ってしまうのは簡単だ。
だが、少なくとも捕獲モンスターとしてのクロは、いつも俺の思う通りの反応を示すというわけではなく、だが俺が何も言わなくとも望む行動をしてくれることもあり、そして今、自身について疑問を覚えている。
その時点で、もう既にクロがクロとして生きているということのように俺には思えた。
人は二度生まれるという。
一度は在るために、そして一度は生きるために。
そう言ったのは、ルソーだったか。
そういう意味でならば、昨日どれほどのものが、生まれたのか。
最初に思った。この世界は何も産まず、ただ限られたリソースを減らしていくのみにすぎないと。
それは俺の、人として、開発者としての傲慢だったのかもしれない。
アップデート。
ただ、感傷に浸ってしまっていたことで、それが意味するものを失念してしまっていた俺は、その事を後になって悔やむことになる。
鍾乳洞も終わりが見えて来たようだ。
広い場所に出て、淡い光に包まれる。外ではない。
ヒカリゴケ。洞窟や鍾乳洞の最奥部で群生している光を放つ苔だ。
レベル帯が中ランクでも手に入る場所にあるが、そもそもダンジョンの最奥などにあるため市場にはあまり出まわっておらず、採取して帰ればそれなりに高値で取引される。
これまでの、暗視補正のついた目で見ていたものとは違う、光による風景が広がった。
壁を覆う光を放つ苔に照らし出される深いエメラルドグリーンの地底湖。
だが、そのどれにも見とれている場合ではないようだった。
《……主》
「あぁ、わかってる」
低く体勢を取り警戒を全身に示したクロが短く問いかけてくるまでもなく、俺もまたその反応を感じ取っていた。
ひりつくような空気にまじり、流れなど起こらないはずの目の前の地底湖にさざなみが立ち始める。
気配がする。
この世界にいるうちに、いつの頃からか不思議と感じ取れるようになった、自身の命を脅かす気配が。
波紋に黒き影が見える。そろそろか。
この場所は開放、そしてマッピング専門のギルドが踏査してから半年ほど経っている。特筆すべき点としては、ダンジョンとして構成されているものの、ボスが存在していないというものがあった。
最奥部に湖が在ることから、釣りレベルが高いものが行けばレアな物があるとか、特定のキーアイテムによってイベントが起こるのではという報告がなされているようであったが、状況的に、進行に妨げにならない限り、深追いするプレイヤーはこれまでいなかった。
此処に潜れるほどのプレイヤーならば塔攻略に注力しているものが多数であるからだ。
俺自身はどうかと言うと、長いソロ期間のお陰で、今いるような既に開放されてしばらく経っているような場所では、余裕というほどでなくとも警戒を怠らなければ焦るほどではないし、ある程度、レイドが前提となるように設計されているわけでさえなければ、ソロである事の難易度調整もされるため、それなりに戦いようはある。
もしもここを自分が設計するとしたらどうするだろうか、そんな事を考える。
場所は鍾乳洞の奥、ここまでに出てきていたのは蝙蝠系や小鬼、百足など洞窟にありがちな系統から外れていなかった。そんな鍾乳洞の最奥にある美しい地底湖のイベントのボス。
おそらくは水棲の魚型、もしくは水龍あたりか。地底湖がなければ、ワーム類または地龍というのもありだが、水の中から出てくるというわけでもないだろう。
そんな思いに耽っている暇もなく、特有のエフェクトが地底湖の上に輝き始め、それが姿を現した。
なかなかの巨躯だ。
黒光りのする甲殻に全身を覆われたそれは、刃も通さないだろう防御力の高さを想像させるに難くない。
大きな鋏は、可動域こそ狭く見えるものの、クロでさえ、押さえつけられたらひとたまりもない。
そして、尾部から伸びる長い尾の先は鋭利な棘となっており、抑え込まれたら最後、ぬらぬらと光る毒が差し込まれるのだろう。
どこからどう見ても、巨大な蠍以外の何物にも見えなかった。
(……なんでだよ!)
勝手に想定していた自分が悪いと言われればそれまでであるものの、ツッコミを入れざるを得ない。
意外と目前の風景にあっているのもまた、拍車をかける。
そんな心中を一切気にすることもなくーー当たり前だがーー主に砂漠に生息するはずのそれは、俺とクロのほうにその黒光りのする尾を向け――――何かを発射した。
「うぉっ!?」
《……む》
咄嗟に左右に飛び退いた俺達のいた場所をえぐるように黒い一線がなびき、そして削れた地面からは何かが溶けたような嫌な煙が立ち込める。
そして、飛びのくと同時にクロが威嚇として咆哮するも、格下の相手に対しては一時的な気絶の効果があるそれも、蠍に一切の影響は無いようだ。
素早くは無いものの確かな足取りでこちらへの距離を詰め、その尾を向けて照準している。
俺も、期待は薄いと分かりながらも、苦無をオブジェクト化し、投げつけるが、
キィンーーーー
その甲殻に当たると同時、金属鎧に反射したような音が鳴り響く。最低なことに、予想以上に硬く、毛ほどもHPは減っていない。
その割には反撃判定としては反応されるようで、尾先を向けてまた毒液を発射してくる。
《主、あまり相性が良くない相手だがどうする?》
「……硬くてでかくて、こちらからの攻撃は受け付けない上に、しかも、飛び道具まであるってか」
流石にその巨体では素早くは無いらしいのが救いだが、大きいと言うことはそれだけで脅威だ。こちらの攻撃は、属性攻撃は無いわけではないものの、物理がメインで装甲を抜くにも雑魚でも無いボスに対しては荷が重い。
「これは出直すか」
《うむ、賛成だ》
流石にこんな所で無理をする必要もない、後でネイルでも連れて来れば、あいつなら丸焼きにしてくれるだろう。
そんなことを思い、入ってきた鍾乳洞の入り口に目を向け、戦闘から離脱すべく今いる広場からの脱出を試みる。速度はこちらが上なので、逃げる事自体は問題ない。
ーーーーそのはずだった。
『エラー、本戦闘からは離脱不可能になります。繰り返します、本戦闘からは離脱不可能になります』
「……は?」
唐突に鳴り響いたそれに、咄嗟に呆けた声しか出てこない。そして、繰り返されるシステムの声に、それまであった余裕が失われていく。
「…………離脱不可のボス戦なんざ、今まで聞いたこともないぞ……くそっ! 失敗した……! 馬鹿か俺は、アップデート後なんて、色々疑ってかかるべきだったのに」
《主!》
「ーーーーくっ!」
クロの注意の声に、思いの外早く蠍が迫っていることに気づく。どうするのだ? 言外にそんな思いも載せながら呼びかけられたクロの声に、身振りで距離を取る事を優先にする事を伝える。
なんとか焦りながらも、頭の中で状況と手札から、目の前の敵をなんとかできる道筋を組み立て始めるが、やはり火力が足りない。
手持ちのアイテムを使い切ったとしても、クールタイム含めて考えると、削るには厳しいだろうことがわかる。
どうしても、思考が乱れがちで目の前の対処が遅れてしまう。
ーーーーギィンッ!
《危ない!》
思考の弊害。
蠍が回転するのは見えていた。しかし、その結果は視えていなかった。
地面を削り取った蠍による、大小多々の小石の投擲。
通常ならば避けることが出来ていた攻撃だが、初動が遅れてしまったのが致命的だった。
小さな石を避けた後に眼前に迫る、スローモーションに見える頭の大きさ程もある岩を目の前に、足が前に進まない。
《ーーーーッ主!》
クロの声が、焦りを乗せて響いた。
書いてない間色々ありましたが、とりあえず少しずつ再開します。