閑話 ある開発者の一幕
今年ももうすぐその終わりを迎えようとしている。
世間はもうすぐ訪れるキリスト教の聖なる日を口実に輝きを増していた。
須藤晃は、そろそろ出る時間かとPCの時刻を確認し、同時に、ブラウザの右に表示されているその数値が目に入る。
『11111』。
(ゾロ目か……)
それを見て何気なくそう感じた後、晃は一瞬でもそう思った自分の思考に恐怖した。
今、無意識の中、自分は一体何を考えたのだろうかと。
その数字の表すことの意味が、何を示しているのかなど、理解し過ぎるほどにわかっているというのに。
人は、慣れる生き物だという。
『15000』の数字が、『14999』に変わった時のあの熱狂は、世間ではもう見られることはない。
『〇〇で交通事故が発生いたしました。一人が亡くなりました、冥福をお祈りいたします』
そんなニュースと同様に死者数更新の報道がなされるようになって、どれくらいが経つだろうか。人は慣れる生き物だというありふれた言葉が、現実のものとなる様をみて、そして自分自身もまたそれに当てはまる。そのことに心が締め付けられる。
「……そういえば、今日だったか?」
「あぁ」
期せずして、実感とともに湧き上がったその現実に一瞬固まっていた晃は、かけられた声に我に返り、声の主――――圭一に、短く応える。
かつて、共に働いていた同僚たちの中で、今もまだ残っているのは数人だけであった。皆、あるものは耐えられず、あるものは生活のために此処を去って行くこととなった。
そう、あれからもう二年の時が流れたのだ。
忘れもしない、数字が変化した時。
期限とされていた開始してからの一ヶ月が過ぎ、そして何の変化もなく迎えた二週間後。
――もしかすると、やはり死亡するなど嘘なのではないのか? ログアウトできないというだけで、皆無事に帰ってくるのではないか。
そんな浅はかな期待が様々な人間の中に渦巻き始めた最中、唐突にそれは数字を減少させた。
連絡を受けた人間たちが確認したのは、安らかに、眠るようにしてその一生を終えた、一人の青年の姿だった。
同時に、一度は落ち着いていた世論も騒ぎ始め、獲物を得た週刊誌やゴシップは好きなように騒ぎ立て始める。
責任。
そんな言葉とともに、晃達の上司であった坂上が辞職、チームも解散し、行政が関わってきたのもその時だ。
現実で何をしようとも、内部で起こっていることには何一つ関わりがないというのに。
一人の犠牲者。
それを皮切りに、少しずつ、少しずつその施設で眠る人間達は、文字通り眠るようにしてこの世から去っていく。
そして、開始二ヶ月後、晃とも関わりのある人間の死が告げられた。
佐藤ルイ。
かつて、晃が融通を付けたことのある、教会に住む一人の女性。
晃にとって最も近しい女性、純子の家族の一人。
告別式は、彼女たちの住処でもあった小さな教会で執り行われた。
皆の父親代わりであるその老人は、急に老け込んだように見え、葬儀に参列した晃は、ただ黙って頭を下げることしかできなかった。
「…………」
初めて、彼女が泣くのを見た。
声を上げて、ただ子供のように。
黙って抱きしめることもできず、すがってくる彼女に胸を貸すことが精一杯だった。
その時、本当に初めて、晃は実感した。
自分が組み上げたものが、人の命を奪っていると、数字が減るのと同時に、一人の人生が奪われ、そしてその分哀しみにくれる人間が増え続けているのだと。
葬儀の間も、ずっと、ずっと誰かに責められているような気がしていた。
――いや、誰かに責めて欲しかったのに、誰も責めない、それがただ辛かっただけだろうか。
後に聞くと、ずっと晃は青を通り越して真っ白な顔をして立っていたのだという。
吐いた。
家に戻ってから、ひたすらにこみ上げてくる嘔吐感とともに胃にある全てを吐き出した。
もう、何も吐き出せるものすらなくなった後、家の中、着替えることもせずぐったりしていた所にやってきたのは、意外なことに純子だった。
晃を一瞥し、そして、そばにいさせてほしい、そう言う純子に対して何かを告げる気力は残っていなかった。
お互い何も言わず、ただそばにいた。
時にどちらかが泣き、どちらかが黙って背中をさする。
一瞬とも永遠と呼べる、そんな時間が続いた。
空が明るみ始めた頃、そんな彼等を動かしたのは、情けないことに生存本能の最たるもの、空腹だった。
お互いの腹の音で初めて時間を意識し、純子が酒のつまみ以外には何もない晃の冷蔵庫の中身に文句を言いながら、結果として買いだめてあったインスタントラーメンで腹を満たした。
現金なもので、どんな時であれ腹が満たされ、そして独りではないと認識すると少しずつ思考する力が戻ってくる。
だが、何かができると思うには、晃も純子も、お互いに現状のことを知りすぎていた。
考えても――考えれば考えるほど、これまでに出した何もできないという結論に行き着いてしまう。
だから、一つだけ決めた。
逃げないこと。
クリアされるその日まで、あるいは、考えたくもないが、全てのプレイヤーが『死亡』するまで。
ただ、今の状況で見続けること。
幸か不幸か、国が乗り出したことで逆に晃達の生活は保証されていた。前代未聞の事態を生み出したVRMMOというシステムの技術者として。仕様を知っているとはいえ、具体的にできることは何もないが、有識者としての人材は、様々な意味で必要とされていた。
「……もう二年か、早いもんだな」
晃は、圭一のその言葉に、頷く。
恐ろしいことに、その状態のまま、二年が経った。
経ってしまったのだった。
「そういえば、聞いたか? どこかのお偉いさんのが起こした訴訟の判決が出たってな」
「あぁ」
再び時間を見る、まだ約束の時間までは少しある。話のついでにどうだ? 晃がそう口に煙草を咥える仕草をすると、圭一も立ち上がった。
話をしながら、喫煙所へと向かう。
行動自体はありふれた話だった。
かつて、晃達の会社に関わりのあったとあるスポンサーの一人が、『Babylon』のテスターの枠に、その権力で好奇心に満ち溢れていた自身の孫たちに参加の機会を与えたのだ。
そう、抽選といいつつもコネがモノを言うこともある、よくある話。
その、無理を通すほどに可愛がっていた孫が、閉じこめられ、今も眠り続けているという事実以外は。
双子という彼等は、当時まだ11歳だったという。世話をするための人員も共にログインし、まだ『死亡』してはいないらしいが、それでもその多感な時期の二年間を失うということは、どれだけ影響を与えることだろうか。
そして、そんな彼等を送り込んでしまった人間が、やり場のない後悔と怒りを、運営に向けることもまた。
他にも、様々な訴訟問題、賠償問題は起こっている。同情的な意見もあることはあるが、主には批判的な意見が多かった。
「……実際、どう思う?」
ビルの外にある喫煙所につき、紫煙をたゆたわせながら圭一が尋ねてくるのに、晃もまた火をつけながら、息を吐いた。
圭一の問いは、何度か繰り返されたものだった。
今、何層まで攻略されており、後どれほど犠牲者が出るかという予測。
WEB上でも、多数の人間が予測をしており、その示した死亡者の曲線と経過時間により、他のMMOとの比較などからクリア到達時間、到達階層が視覚化されている。
それが現状の死亡者数と一致しているサイトなどは、かなりのアクセス数を誇っていた。
「……試算では、今60から70層を迎えたあたりではないかと予想されている――最もこれは、内部に居る人間が、クリアに向けて動いていると言う前提だが、そして少なくとも、俺はこの予測はそう外れてはいないと思っている」
「……死亡者が、ある時点から急激に増えて、そして緩やかに減っているからな」
「あぁ、それに――」
WEB上で表されている死亡者数の推移グラフは、半年前から一年前にかけて急上昇し、そこからゆったりとした下降線を描いている。これはおそらく、攻略を目指すものと生活をするもの、その中間など一般的な状況に至るまでに払った犠牲といったところだろうかと晃達は推測していた。
そして、おそらく多く見積もっても攻略を目指して行動している者たちは一割に満たないだろうということも。その一割に満たない中には、晃達の後輩も、きっといるのではないかということも。
「お前の予想では、まだ60層途中ということだったか?」
圭一が、言い淀んだ晃の言葉に頷いて、そのことには触れずに言葉を投げる。
「そうだ」
それに、晃は端的に答え、そして推測と自身の設計し作り上げた世界を思う。
『Babylon』は、70層から新たな局面を迎えていく。
その仕様は、おそらく平和なゲームとしてはイベントとして済んだのであろうが、現実となった内部ではどうなるか、それは死亡者の曲線に現れると踏んでいた。
様々な人間が予測するように、これからも緩やかに下降曲線を描くことはない。おそらく、後何度か、爆発的に曲線が伸びることがあるはずだ。
――――そのように作り上げたのだから。
「……そろそろ行くのか?」
ふと時計を見た晃に、圭一が問いかける。それに「あぁ」と呟き、煙草をもみ消した晃は、ポツリと呟いた。
「今更になって、透にもっと上層の情報に触れさせておけばよかったと思っているよ」
「……そうだな、だが、あいつならきっと大丈夫さ」
そんな圭一の、自分でも完全に信じてはいないだろう言葉に、少し笑みを浮かべて頷き、晃は手を上げて目的の場所へと向かっていった。
教会は、いつもと変わらず穏やかな空気が流れていた。
その裏手にある墓地にて、二人の男女が手をあわせている。
「……今日はありがとうね」
「当たり前だ、俺にとっても、義妹、ということになるんだからな」
そう、礼の言葉を述べた純子に、ぶっきらぼうといえる言葉で返す晃。
彼女が眠るようにしてこの世を去ってから、もうすぐ二年が経とうとしている。
その死に顔は、こちらがはっとするほど穏やかで、そして何処か満足感にあふれたような姿だったと、後に晃は聞いていた。
「透くんが帰ってきたら、ルイの事を聞きたいと思うの」
「……知り合いとは限らないだろう?」
純子の唐突な言葉に、帰ってこないかもしれない、そんな考えを打ち消して晃は答える。
「……そうね、でも何ででしょうね、ふと、透くんは此処に来る、そんな気がしたのよ――――忘れて」
晃の答えに、そうね、と頷いて笑う純子。
三十路を越えてなお、その笑顔は若々しい、ただ、陰を帯びるようになったのは、歳のせいなのか、現状のせいなのか。
だが、そんな純子の言葉が、ふと晃の脳裏に残る。
何故か、あの閉じ込められた世界にいる後輩が、いつかこの場所にやってきて、手を合わせている、そんな光景が見えた気がした。
「いや、そう思うのなら、そうなのかもしれないな」
ふと、そう呟いた晃を不思議そうに、珍しそうに見上げた後、純子も再び「そうだと良いわね」、そう呟く。
「……行きましょう、今日はお父さんやあの子たちと、美味しい物を食べるんだから」
「そうだな、あのガキどもに会うのも久しぶりだが」
――――。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
突然立ち止まり振り向いた晃に、純子が怪訝そうに問いかける。
それに首を振って答えた晃は、純子の手を引くように再び歩き出した。
笑うだろうか、と晃は思う。
栗色の髪の少女が、祝福するように、何かを祈るように頭を下げていたのが見えた気がする、などといったら笑うだろうか、と。
そうして墓地を後にする晃達に、冬にそぐわない優しい風が吹き付けていた。
~ 2029年12月10日 ある開発者の一幕 ~