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十話


 ニルは、ただ静かに目の前に立つ男を見つめていた。

 そして、自分の剣を見る。咄嗟に行った行動と、そこに生まれた感情を思う。

 

 様々なしがらみに縛られた、自由を叫びながらも束縛を求める現実。

 何もかもがつまらないと感じるようになったのは、いつの頃からだったか。


 だからこそ、この仮想現実へと足を踏み入れることができたときは、嬉しいという感情を覚えた。『アル』というA・Iによりこの世界がその意味を変えた時もまた、これまでにない感情が流れ込んでくるのを感じた。


 何を行なっても虚しさしか感じさせることのない現実への帰還など、どうでも良かった。

 生きていると感じさせてくれるこの世界。

 

 他人の人生、運命を押すことで生まれる感情の揺らぎ、怒号、叫び、絶望、怨嗟。

 それら全てが、ニルの内にあった虚無を和らげる。


 しかしそんな中で、まだ現実にとらわれ、倫理などというものに縛られている者たちが居る。だがそんな者ほど、死の前では心地よい感情を見せた。

 目の前の人間など、その最たるものだった。


 だからこそ、先ほどのように、この楽しみが奪われる可能性があってはならなかった。

 だが、ニルが剣を振るうその度に、激高し向かってくる様に、発する殺気に、ニルの生きているという満足感は満たされる。


 その矛盾に、ニルは僅かに苛立っていた。


(……そろそろ終わらせるか)


 その考えに至るまでに、自身の中に生まれたものの名をまだ彼は知らなかった。

 彼が他人に与えることで虚しさを和らげていた感情。

 それは人が、恐れと呼ぶものだった。

 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 仰け反るように体を起こした俺の鼻先を、とてつもないプレッシャーと共にニルの剣先が掠めていく。


 右斜め下から、左斜め上方へ、音のない一撃。

 空間が、逆袈裟に両断される。

 後に広がるは虚無をなびく昏き空気の澱み。


 まともに受ければ装甲に自信のない俺ではただではすまないことがわかる一撃。右足の残る痛みをこらえながら、地を蹴ってニルから距離を取る。

 追撃してくるかと思われたが、ニルは俺の距離を取る跳躍に任せたまま、構えを崩すことはなかった。


 ふっ、と大きく息を吐き、そして吸う。

 新鮮な空気を取り入れたことで、激昂していた頭が冷静さを取り戻す。

 

 先程からのニルの一撃は確かに脅威だ。

 だが、それは同時にニルの心に焦りが生まれ、余裕がなくなってきていることから繰り出されている一撃だとそう感じる。これまでとは違い、得体のしれない何かではなく、ニルは一人の人間として俺の前に立っていた。そう、人が相手なのだ。改めて俺は認識する。


 ニルがその手にもつ剣が、不思議な昏い輝きを帯びていた。見たものを飲み込むような漆黒。思わず引きこまれそうになる。

 そこには何もない、そうとわかっているのに敢えて、飛び込みたくなるような。それを押しとどめているのは、俺の中にあるこれは、何なのだろうか。

 

(…………)


 俺の思考がそこに到達した後、ニルを前にして、冷静でありながらもどこかで脈打っていた感情が、一つの行動を残して消えた。


 再び、双剣を交差させ距離を詰める。ニルの剣は上段に構えられている。――ぶつかった。

 お互い少しづつ削られていたHPが、黄色に染まる。


 先程から何度もぶつかり合い、既に技がどうという段階ではなかった。

 意地のぶつかり合い、生命のぶつかり合いなどという人間臭いものですら無い。それは、ただのやり場のない哀しみと、埋められることのない虚無との交差。


 甲高い音が鳴り響く。そのままニルの剣から発される澱みが移ってくる前に、腕をしならせて逸らす。

 

 ――――ッ。


 呼気とともに膝が飛んでくる。それもまた、わずかに身を反らして避け、回りこむ様に俺は身をかがめ足に力を込めた。

 その動きを受けてニルの目線がその予測した方向へと向けられる、俺は同時に、敢えて更に踏み込み、一撃を突き出す。浅い、が、それでいい。

 

「チィ……!?」


 まともに入ったその一撃に、舌打ちをするようにしてニルは背後へと飛ぶ。だが着地した瞬間、虚をつかれたように、一瞬ニルの動きが止まった。

 

 一瞬なりとも俺の姿を視界から逃した、それがニルにとっての一つのミス。

 今がモンスター相手であれば何の効果もない、俺の幻惑。


 『影朧(おぼろ)


 それはただ、モンスターに見つかりにくくするというそれだけの技能。

 だが、もとより隠密性の高い性質を持ち、属性、職種からも俺に見合った技能であるそれは、対人戦において何よりも強力なスキルとなっていた。


 疾く動かれているわけでもなく、ただ人としての認識をずらされ、ニルは俺を見失う。見失うように、行動する技を、俺はこの二年の間につけていた。全ては、この時のために。

 人にとっての最たる死角から、俺は持ちうるすべてをその一撃に賭けた。


 終わらせるための一撃。

 激昂でもなく、何かを埋めるためでもなく、間違っても不可抗力などではない厳然たる意志、人を殺めるため、それだけのために俺は全身でニルへと向かう。


 だが、それでも認識できていないはずの俺に向かい、その繰り出した剣が突き出されたのは、この世界でおそらく最も人と剣を交わし、命を散らせてきた男のなせるものだったのか。

 俺の左肩に向け、その切っ先が伸びてくる。


 自身の身体にその剣が食い込むのがわかる。

 肉が裂け、抑えられているとはいえその痛みが、俺の脳へと警告を響かせた。視界がモノクロに変わっていく。


 血が吹き出ている。全てが、色を失っているはずなのにその赤だけは鮮明に把握できていた。

 こんな時なのに、『傷』や『血』について議論していたあの現実の日々が思い起こされる。


 口元に、笑いがこぼれた。


 避けることはできなかった。

 避ける気もなかった。


 ただ、このニルのゲージが消えるまで、俺のそれが残ってくれてさえいれば、それで良かった。

 俺の一撃が届いていることを、使い慣れた双剣が、感覚が届けてくれる。


(後……少し……)


 『トールさん!!』

 

 ――――その手に、全ての終わりが告げられた時、どこかから、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。


 左腕の痛みと、手に伝わる感覚が、消えていく。

 

 あぁ、と思う。


 今自分は、倒れているのか、そう思った後、俺の意識は暗転した。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 目を覚ます。

 一体どれほどの間、意識を失っていたのか。


 頬に、温もりを感じた。

 

「――ルさん!? トールさん、良かった、気がついたんですね?」

 

 その声に、目を開くと、久しぶりに見る鈍色の髪と、遅れてその隣に立つ茶髪の青年の姿が視界に入る。


「……っ!? ニルは?」


 回復してくれたのか、何故此処に、そんな一瞬の思考も束の間、俺はかばっと跳ね起きる。それに応えるように指差された先に、その男は倒れていた。

 体からは、終わりを示すもの、エフェクトの輝きが放たれている。


「……危ないところでした、トールさんのHPも、目に見えないほどしか残ってなくて……本当に、死んじゃったかと……」


 アイナがそう告げてくる。その声色が震えているのに申し訳なさを感じながら、俺はニルへと近づいていった。


 僅かな差。

 それが、目に見えるもの、ゲージとして表されるのがこの世界。


 俺の生命は残り、ニルの生命は消える。

 それが全て。

 長かった旅が今、終わりを告げる。


 ニルは、俺には理解できない表情で、最後の瞬間、自身の消えていく様子すら眺めているようにみえた。俺はそれを見て、気になりつつも、聞くことのできなかった問いを投げつける。


「……何故だ?」


 端的な言葉。

 伝わらなければ正直それもまたいい、そう思っていたその質問に、ニルは少しだけ口を歪めて答えた。


「人の運命をね、少し押してみたかった……人の生死など、その結果にすぎない。むしろ重要であるのはその死に行くまでの過程。現実むこうにいた頃には味わえなかった生きているという実感が此処にはあった。――――残念だ、お前達のこれから苦しむ様も、怒号も見ることはできないとは」


 ニルに俺の問いは伝わりはした。

 そして、返ってきた言葉も俺は理解する事ができる。

 だがどこまでも、その心は理解できなかった。


 長い間追い求めていた敵を討った。

 復讐。

 望んで成し遂げた事は、その相手からの最後の答えは、俺になんの満足感ももたらすことはなかった。


 これまで失われた生命に理由をつけようと考えて投げた問いではない。だが、この虚無の名を冠するプレイヤーは、どこまでも虚しさをはらんだ寒さを感じさせた。まるで、その虚無を打ち倒したことで、俺自身も何もなくなってしまったかのように。

 


 ――ただ、何かが終わった。その意識だけがあった。


 

 ニルの姿が消えていく。

 身体から光が舞い、どんなプレイヤーであっても最後は変わらない。

 この世界から、元からいなかったかのように何ひとつの痕跡も示さずに消え、石碑の数字が一つ失われるのみ。


 俺は、その消えいく全てを瞬きすらすることなく黙って見ていた。

 消えてからも、ずっと。


 感じていたのは、満足感でも達成感でもなく、喪失感だった。

 俺は、何故まだここにいるんだろうか。そんな事を思う。


(終わった……なら、もう)


 背後から、肩を叩かれた。

 振り返ると、銀の髪が、視界に映る。ふと、戦闘中のいずれからずっと感じていなかった世界の色が、戻ったような気がした。


 ついで、見慣れた黒き獣の姿と、久しぶりに会う――少し成長したか――鈍色の髪を靡かせ、こちらへを問うような視線を向ける少女、そしてその隣に立つ、初めて見る一人の青年。


 フェイルが、俺に向けて告げる。


「……()()()、ローザやリュウ、ネイル達も先に待っている」


 帰る、当たり前のその一言が、やけに遠く、新鮮に聞こえた。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆ 






 レンガ造りの店の前に立っている。何も変わらない。

 久しぶりの『満月亭』だった。

 なのにもかかわらず、ジンさんは当たり前のように俺を迎えた。まるで、あの頃の俺が、ぶらっと現れたかのように。


 突然現れた俺に対して、ジンさんは何も言葉を告げることはなかった。

 俺を一瞥すると、席に水を置き、奥へと去っていく。


 正直、街に戻り、報告の必要があるフェイルたちと別れた後すぐに、何故此処に来る気になったのかはわからなかった。


 何となく、足の向くままに進んでいると、このレンガ造りの建物の中に入っていたのだ。

 かつての習慣が、何もなくなったと思っていた俺の足に宿っていたのだろうか。


 ――コト。

 

 そう音とともに、俺の前に料理が置かれる。

 黄金のように輝いた、でも素朴な、はじめて出会った時と同じオムライス。

 バターの香りが、鼻をくすぐった。


「……俺の奢りだ、食え」


 まだ何も頼んではいない、怪訝な目線を向けた俺に、ジンは有無を言わせぬような威圧とともに告げる。

 それに気圧されるように、久方ぶりのその料理に引き寄せられるように、俺は出されたものに手を付けた。口の中で、その暖かさが広がり、溶けていく。


「……うまい」


 俺の口から出たのは、それだけだった。

 不意に、頬を涙が伝う。


 あの日、彼女が、トゥレーネを失った時に流して以来、枯れたと思っていた涙が、とめどなく流れてくる。

 まるでこれまで流していなかった感情が、溢れて溶け出すかのように。


「お前は、生きている。ここにこうして帰ってきた」


 ジンさんが、涙を流しながら、ただその料理を口に運び続ける俺に対して、そう言う。


 それが生きているということだ。

 腹が減り、飯を美味いと思うその心が、生きているということだ。


 大事な人が死に、悲しくて涙を流す、そしてそんな絶望の中でもやはり腹が減る。

 それが、生きるということだ。


「……あぁ、うまいな」


 ――――何もないなんて、そんな事はなかった。


 何か言いたかった、この気持を告げたかった。それなのに、俺の口からはそんな言葉しか出てこない。

 ジンさんが、そんな俺を見つめていた。

 強面の顔から放たれる目が、見たこともないほど優しく見えて、俺はただ、泣きながら手を口に運んでいた。


 俺が、そうして食べ終わると、ジンさんはその器を取り、背を向けて告げる。


「難しいことは考えるな。生きて帰ってくれば、俺が旨いものは食わせてやる…………だから、お前は死ぬな」 

 

 その言葉が、料理とともに、俺の凍てついたと、何もなくなってしまったと思い込んでいた心に染みこんでいく。

 同時に、ここにいたということ。これまでのこと。全てが、俺の中で溢れ始める。



 人が忘れる生き物なんて嘘っぱちだ。

 確かに時間とともに記憶は色褪せ、その時の情景は薄れていく。


 声も、顔も、その香りさえも。

 そうしないと、人は生きていけないから。

 だが、どんなに時が経ち様々なものが消えていったとしても、哀しみはいつまでも残る。


 ――ねぇ、トールくん。


 ――生きて、前に進んで。


 ――そうすれば私は、笑ってあげられるから。



 でも、それでも皆、その感情を心に刻んで生きていくのだ。



「……あぁ、トゥレーネ。一生懸命、生きるよ。……頑張って、生きるよ」



 俺は誰ともなく、そう呟いていた。

 


「……トールさん」


「今はあかん、男には、見られたくない時かてあるんや。そっとしといたり」


 コーダはそっと、アイナを押しとどめた。

 今の光景は、見なかったことにする。まだ会話もしたことのない相手だったが、コーダはトールのことを思う。

 彼はきっと、これから前を向いて生きるだろう。


 そして、その彼の想い人のことを思う。


「なぁ、アイナちゃん」


「……はい」


「できたらさ、俺にも、トゥレーネさんって人のこと、教えてくれへんかな? アイナちゃんの中に残っていること、仕草や、笑ったことや、これまでの思い出を」


 彼女の記憶を心に留めようと思う。

 ここから出てからもずっと。それが、きっと何よりの供養となるのだから。



 されど今はまだ、旅の途中。

 閉じられた世界の中、物語の途中。


 

 『Babylon』開始二年後。

 変わらず閉じた世界に、今日も優しい風が吹いていた。



 ――to be continued



 これにて四章終了となります。

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