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八話

 

 嫌悪した。同時にその笑みを恐れた。


 ニル。俺がこれまで追い続けてきたものが目の前にいる。


 強くなったと思っていた。レベルの、システムの話のみではない。

 この一年半、戦いに明け暮れた。死と向き合い、生を拾ってきた。自らの作った作品を屠り、自らの大事なものを奪った一因であるPKを狩った。


 だからこそ感じられる。


 強い。


 ニルについての情報で、はっきりとしたものはなかった。


 ――曰く、かつて牢獄からの脱走を手引きした人物。

 ――曰く、かつて戦ったシェイドという呪術師の兄。

 ――曰く、Babylonに存在するPK達にとっての主であり、そして先導者(カリスマ)


 その剣を振るう姿は流麗にして怜悧であるという。

 それは一見目立たない男だという。


 しかし、一度近づけば絡め取られてしまうほどに妖艶で、冷徹だと。

 そして、その姿を見たものはその補佐達以外にはいない――誰も、生きてはいない。

 

 今、これまでに漏れ聞こえてきた情報は、頭の中から消える。

 隣に立つ白髪の男の姿も気にならない。

 ただ目の前に居て、そして恐れを抱くほど澄んだ、狂ったような笑顔を向けるその男を俺は見つめた。


 五感が冴え渡っていくのを感じる。

 目の前の敵を倒す、それ以外のことは全て頭から消えたような気もするし、かつての思い出を、言葉を、一字一句違わずに思い出せる、そんな気もする。


 わかるのは、どうやら今、ニルを目の前にしても俺は集中できているということ。

 そして同時に、出会うとともに臨戦態勢に入らねばならないほど、今この身に受けている圧が大きいということだった。


 静かに近づいた。

 そして、何気なく、まるで昔からの友人に偶然出会うかのように声をかける。


「……ニルか、あんたに会いたかった」


「奇遇だな、俺もまた、黒き死神と呼ばれてまで過去と現実に囚われる人間と一度話してみたかった」


「……生憎だが、俺はお喋りをするために会いたかったわけじゃないんだ」


「それは残念だ……まぁいい、直ぐに口を開きたくなる…………命乞いのためにな」


 王の資質。

 それは、語り尽くされている通り、貴賎、善悪を問うものではないのだろう。

 俺の隣にいる、銀髪の剣士。

 人を従えることに疑問を持たず、従う者もまた、黙って膝を折る。

 数限りない人間の営みの中で、そういうものはいる。


 目の前の人間も、その一員なのだろう。

 その資質は、時として周りの者の想像力を消し去り、ただ従う亡者に成り果てさせる。

 結果は、この二年間、そして現在に顕れていた。


 ニルが、剣を抜き放ち、俺もまた腰に手を当て双剣を手にする。

 現実で暮らしてきた25年間を時には超えてしまうほど濃密なこの仮想現実で、何度となく繰り返した動作。


 左半身(ひだりはんみ)、逆手に持った短剣を水平に構え、右の短剣は腰だめに垂直に。

 相手の視界に移る自身の面積を小さく、どちらにも反応できるように体重は前に。

 そして静かに、ニルの行動を読む。


(………………)


 冷静だ、この上なく冷静だ。

 だが、俺の手のひらには汗が滲み、心臓はいつもよりも速いペースで体中に血液を送り出している。


 相手が、すっと沈み込んだ事に、俺の身体もまた反応する。

 馳せ違った。音はない。


 ただ、首筋に寒さを感じた。相手の闘気とでも呼ぶものがじわじわと体を押し包み、それを押し返すように自分の内側からも湧き出すのを感じる。


 再び動く。動いたという意識さえ無かったが、再び馳せ違った。位置が入れ替わっている。頬から首筋にかけて、しびれるような感覚が残っていた。


 フェイルが、もう一人を誘い距離をとったことすら、俺は気づいてはいなかった。

 ただ、全神経をこの戦いに集中させている。途切れたら、死ぬ。それほどの相手だと、これまで培った全てが、俺に警鐘を鳴らしていた。


 風が吹く。張り詰めていたものに、ほころびが生じた。

 こちらから、誘った。それに、相手が乗るのを感じる。

 少しだけ、大きく息を吐いた。負けられない。俺は、生きなければならない。


 見つけることだけが目的ではなかった。

 ――――これから為すことこそが、己が目的としていたもの。

 

 対峙が、続いた。息が詰まる様な時が流れる。

 正直、いつ踏み込むのがいいのかは分からない。だから、動いた。


 双剣に力を込める。宙で三度すれ違う。体を捻って避ける。それでも執拗に攻撃が来た。こちらも自分の信じる攻撃を放つ。

 切られ、そしてまた自分の攻撃にも手応えがあった。


「なかなかいい殺気だ、さすがに死神などと呼ばれるだけのことはある」


「……そのために、ここまで生きてきた」


 傷ついた自分の腕を見て、心から感心するようにニルが告げる。

 余裕のつもりか、そう感じた俺は吐き捨てるように応えた。ここまではこちらのペースで戦えている、このまま――――だが、次の言葉に俺の心は揺れる。揺れてしまう。


「だが……お前の守れなかったものは、これを望んでいたのかな?」


「――――ッ……それを、それをお前が言うのか!?」


 体中の血が沸騰する。

 長い時の中、幾度も、幾度と無く考えたこと。


 そう、トゥレーネは俺に復讐など望んではいない。彼女は俺に生きろと、前に進めといった。あの時も、それまでもずっと、弱い俺の隣で、穏やかに背中を押してくれていた。

 解っていても復讐に走ったのは俺の弱さ、そうしなければ前に進めないのもまた、俺の心が求める自己満足。


 理解している。

 

 ――だが、それを目の前の男にだけは指摘されたくはなかった。俺の哀しみも、葛藤も、そしてあの時の彼女の心も、俺の……俺達だけのものだ。

 

 お前などが、嗤いを浮かべて口にしていい類のものではない。

 俺のその行動は、おそらく挑発したニルの思い通りだったのだろう。

 しかし、その心は、ニルの予想を超える。

 心の奥深く、冷たく、澄んだ珠のように沈められていたその感情が、弾ける。


 ――――そして


「…………チッ」


 予想通り激高し、そして予想通り真正面から突っ込んできた俺に対し、待ち構えていたニルは初めて驚愕を見せる。


 暗殺者に身を守る術はいらない。

 一瞬の疾さ、気付かれずにいられる隠密性――――そして、一撃で敵を仕留めうる攻撃力。

 ただそれだけに特化した俺の能力(ステータス)は、俺の心に応えてくれる。この世界は、ある意味現実よりも現実らしく、積み重ねを裏切らない。


 驚愕か、焦りか、ニルの剣が地に落ちた。

 目の前のニルの迎撃は、既に解っていても間に合わない。ただ左手を差し出すのが精一杯だ。

 

 終わりだ。


 しかし、そんな俺の心に浮かんだものを危機感が塗り替える。


(…………っ!?)


 目の前、(かざ)された手の平から空虚な闇が広がる。


 急転換はできなかった。


 咄嗟に体を捻る、俺の突進と共に突き出された双剣がニルの右肩から先を切り裂く。

 瞬間、その闇にわずかに触れた俺の右足に衝撃が走った。自身の操作を失い、一瞬の酩酊感とともに重力が身体に襲いかかる。


「……! ガ……ぐぁ」

 

 自らの勢いを無理に転換させたことと相まって、地面に身体を捻りながらたたきつけられた俺は、肺から空気が全て失われてしまったかのような声を上げる。


(……なん……だ?)

 

 そのまま手放しそうになった意識を力づくで取り戻し、俺は立ち上がりニルから距離を取った。

 本能が今受けた攻撃に対して警鐘を鳴らしている。


 右足、右足はついているか?

 ニルから視線を逸らさずに、先ほど衝撃を受けた右足の感覚を探る。

 

(……反応が鈍い、が動ける)


 そんな俺を、ニルが左手で傷を受けた右肩を抑え見ていた。

 表情は無い、だが、その無表情が、先ほどの歪んだ笑いよりも俺に圧力を与えていた。

 そして、左手を前に突き出し、何事かを唱える。俺に聞こえたのは、最後の響きのみ。 


 『暗き部屋(ブラック・ルーム)


 その声とともに、先ほどの闇がニルの前に出現する。

 その正方形の闇の中に、ニルは拾い上げた剣を突き出した。


「……ようやく、本気かよ」


 先ほど掠めただけの衝撃。あれは何かまずい気がする。

 だが、俺はそれでも笑った。


 ようやく、これまで嘲笑うような表情しか浮かべることのなかったニルに、一瞬だけ見えた、恐れの感情。

 俺は無言で足に力を込め、一気にニルへの距離を詰めていった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「……銀の髪にその鎧。成る程、『黒き死神』と行動を共にしているとはどなたかと思いましたが、貴方が『銀閃』ですか」


 『銀閃』。


 当初は攻略組、そしてギルドの長として目立つフェイルを誰かがからかい口調で付けた二つ名。

 ネイルなどとは違い普通の感覚を持つフェイルにとっては、はっきり言ってただ恥ずかしいだけの呼び名だ。それをあえていうのは小さな嫌がらせ、そう感じたフェイルは、口元に笑みを漂わせて自分の名を呼んだ相手に向けて告げる。

 

「そういう君は『白髪鬼』……だったかな?」 


 姿形をある程度までは自由にできるこの世界においても、白髪に紅の眼という容貌は目立つ。

 そして、ニルにつき従い、ただ主を守るためにその技を振るう様は、鬼人。

 こちらはからかいではなく、恐れとともに名付けられた、ヴァンの忌み名。

 

「……『虚無の楽園』、ヴァンと申します」


「『銀の騎士団』、フェイルだ」

 

 相手は、無手。

 いや、その手の甲を覆うそれは、手甲か。


 フェイルは、そう観察しながら心のなかで呟くと、使い慣れた……かつて現実にあった頃は触ることもなかったその剣に手を掛ける。

 この感触に違和感を覚え、そしてそれを握ることを躊躇い……いつしか握ることで安心感を覚えるようになったのは、いつの頃からであったろうか。


(…………初めて殺めた相手も、格闘家の男だった)

 

 柄を握り、正眼に構える。


「貴方自身に恨みはありませんが、ニル様の前を塞ぐとあらば……参ります」


 その言葉を皮切りに、二人は地を蹴った。

 薄暗いその場の中で、白と銀の幻影が疾走る。


「…………っ!」


 呼気とともに、フェイルはヴァンの姿に剣を振り下ろす。技もない、しかし研ぎ澄まされた鋭い上段の一撃。だが、それが掠めようというとき、ヴァンの姿がぶれる。


 そうして一瞬の流れるような動きでフェイルの一撃を躱したヴァンは、そのまま反転するようにして手の甲での一撃をフェイルの胸元に加えようとするが、フェイルも咄嗟に右肩を上げ、その鎧で相手の攻撃を受けた。


 ――――だが。

 

「……なっ……!?」


 そこまで重くはない打撃、だが内部へ響くように打ち込まれたその衝撃に、フェイルの身体は一瞬浮き上がり、フェイルは声を上げた。

 そして、体勢を崩し無防備となったフェイルの脇腹に、ヴァンは両の手の腹をつきだした掌底を叩きこむ。


(……な、に……!?)


 吹き飛ばされながらも何とか足を地面に付け、衝撃を殺しながら体勢を整えたフェイルは、驚愕せざるをえないでいた。

 今受けた二つの打撃。システムアシストによる技ではない、それはただの一撃。

 その証拠に、僅かなりとも起こる術技後の硬直がなく、フェイルの性質の一つである『多才』でも習得の方法がわからない。


 だが、重い。


「訳がわからないという顔をしていますね。ふふ、今のでわかるのも素晴らしいですが。ご安心下さい、決して、通常の一撃がダメージを与えられるほど、私のレベルが高いわけではありませんから」


「…………ならば」


「よくあるお話です。今のは、私自身の技ですから……この世界でなければ、今ので大抵終わるはずなんですがね。本来なら人体内部にダメージを与える技ですが、そこまでの再現はまだできないようでして……ちなみに、今の技は鷂子入林(ようしにゅうりん)と言います」


 あっさり言ったヴァンの言葉に、フェイルは驚きながらも納得し、頷いた。

 本来、この世界においてはシステムに頼らない攻撃と、システムのアシストを受ける技がある。

 技の後には僅かながら硬直が生まれるため、基本的には通常の攻撃もしくは反動の殆ど無い基本技からつなげていくことになる。

 

 フェイルは悟る。

 ヴァンの生み出すその基本的な攻撃の威力は今味わったばかりだ。

 ここがゲームの中であるからこそ、痛みとHPを削られるという事象程度で済んでいるのだろうことも理解する。

 その表すことの意味も。

 そして、甘かった自分への警告が、今程度で済んだことへの感謝を。


「すまない、君を甘く見ていた」


「……おや、それもよく聞くセリフですね」


 フェイルの言葉を揶揄するようにヴァンは告げ、だが、そのフェイルの表情に無言で構える。またも二人同時に地を蹴り、剣(拳)檄が舞う。


 ――今度は、先に回避の必要に迫られたのはヴァンの方だった。先程と比べ物にならないほど、フェイルの疾さが増している。

 

(…………く)


 そのまま、回避した方向へとフェイルは剣の先を変える。

 疾さを生み出すため、そしてこの一撃のため、無理をしている反動が自身の脳へと痛みをもたらす。だが、その痛みとともに繰り出した一撃は、ヴァンの身体を一瞬なりとも切り裂いた。

 だが、今のフェイルにはそれで十分だった。


 ――――そして、それが迸る。


「……ぐぁぁ! ……ぁ……何……を?」


 その触れた先から煙が上がり、ヴァンの身体が叫び声にならない声を上げながら小刻みに震える。だが、倒れることはない。モンスター相手ならばこれで動きを止めることが可能なことは実践済みだが、そのまま信じられないほどの気力で、フェイルから距離を取り構えを崩さない姿は敵ながら尊敬に値する。


 だが、そのヴァンの表情は疑問符で揺れていた。

 それはそうであろう、切られたとはいえ、直撃ではない攻撃でHPを減らされ、そして体中に激痛が走ったのだから。


 『雷帝』


 それはあの日、自分の友人が大事な人を失った後、葛藤とともにいたフェイルに顕れた最後の性質。

 その状態の時は自身も蝕まれるが、普段以上に疾く、そして相手にも自らに流れる雷の力を注ぎ込む。あの時の思いが形をなした、最強の捨て身の技。


 もっと疾ければあの影に飲まれることはなかった。

 もっと強ければ、あの隙を与えることなどなかった。


 あの日のやり直しが出来るならば今ここで。

 友人は去り、仲間が死に、そして自分はその友人の隣に立つことすらしなかった。


 フェイルはHPのゲージが少しずつ、少しずつ自身の力で死に近づくのを見ながら、ヴァンを見て呟く。


「…………この痛みは忘れぬために、得られた力は守るために、だが、今だけは私自身のために」


 かつて共に風に守られし、影と分かたれた銀の閃光が、再び影と共に歩くため雷の力を纏い突き進む。


 『虚無』を終わらせるための戦いの一つは、終焉へと向かい動き始める。



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