七話
(さすがだね……僕もそろそろ気張らないとかな)
注意すべきと感じた二人を引き離していたローザとリュウが、それぞれの戦いに終止符を打ったようだった。
ネイルはそれを視界に捉え内心でそう呟くと、自身もまた終わりを告げるため詠唱を紡いでいく。
憎むべき敵ながら、前もって準備していたらしき防御魔術でネイル達の複合魔術を防いだのは見事。だが、その後は徐々に数と実力差の双方によって押されて、包囲されることで逃げ出すこともできずにいる彼等は、状況の打開を後衛からの魔術に頼るしかなく、今もまた、複数人が固まって守られながら紡いでいく魔力の渦が見えていた。
――しかし
(遅いよ……僕の敵じゃない)
ネイルはその敵の詠唱が終わるよりも早く、織り込んでいた炎の魔術を開放する。
現在のネイルの属性は『焔』。周囲の魔術師であったプレイヤー達が、職種を上げる過程で前衛職の特徴を持った職業へと変化していく中、頑なともいうべきまでに前衛職を取り入れることなく、ひたすらに魔術に特化し続けた彼の放つそれは、例え劣勢の場合であっても状況を覆すほどの威力を誇っていた。
『劫火白煌・連』
最後に厳かに発せられたその言葉が紡ぎ続けていた言霊達のトリガーとなり、システムの流れに乗ってその姿を表していく。
ネイルの前方に向けて顕現していく、白き光と化した清浄なる焔の矢が、ネイルの詠唱の速さ、そして生み出したそれの威圧感に驚愕し慌てるプレイヤー達に襲いかかった。
着弾のタイミングに合わせて、前衛数人が攻撃を加えつつ、周囲を囲むプレイヤーが監獄行きの転送陣準備にとりかかる。
「……ネイルさん、こちらは完了です」
「こっちも、今の攻撃により無力化。『監獄の檻』にて捕縛、完了だ。他の援護に回る」
「了解です、油断しないで下さいね」
ネイルは、次々と報告してくる前衛に、にこりと笑って応えた。その間も次の詠唱は怠らない。
この青年は、普段の言動や行動はともかくとして、その魔術師としての戦況を判断する実力と、そして今更ロールプレイングでもなく素なのだろうが、その美学から、間違いなく仲間を裏切ることはしないであろう変な意味での信頼から頼りにされ、慕われていることは確かであった。
(……さて、うまく行っているはずなんだけれど、何だろうねこの感じは)
どうも嫌な予感を振り払えずにいる。
先程からの、形にならない気配。
ある程度形勢が決したにも関わらず消えないその自身が感じている何かに、ネイルは疑問に思いながら周囲を見渡す。
ある程度プレイヤーを倒しさえすれば消えるかとも思ったが、ほとんどの敵を掃討した今でも一向に頭から離れる気配はなく、そして、首謀であるはずのニルも姿が見えない。
位置を掴んだ後ならば、トールとクロがいる限り逃がすことはないだろうが。
(……ん?)
少し離れた場所の地下より、白と黒の織り交ざった光が明滅する。戦闘の当初から発していたそれが、外部へと流れるほどに強くなり、『死霊の丘』と呼ばれるフィールドへと鳴動する。
ネイルがそれに気づいた瞬間だった。
戦場で熱気に溢れていた空気が――――冷たく昏く変質する。
「……何だ? この感じ」
違和感を感じたネイルの呟きに応えるかのように、それらは姿を表した。
――――オォォォ…………!
地の底から響くような呻き。
そして呼応するように、地面に黒き方陣が湧き出でる。
「な…………!」
口をついて出たのは言葉にならない声だった。
終焉を迎えつつあったその場が、再び戦いの気配へと包まれる。
禍々しい黒きオーラをその身に漂わせた死霊達が、場を埋め尽くすかのように出現していく。
「ネイル! こりゃ何だ!?」
状況を確認してこちらへと駆け寄ってきたリュウが、何が起こったのかを問うてくるも、ネイルにも応えることはできない。
だが、一つだけはわかっている。
「……わからない。でも今いる人数で早く陣形をまとめないとまずいね」
ローザも同様のことを考えたのだろう、分散しているプレイヤー達をこちらに集めるように指示を出している。
プレイヤーを倒すための戦術と、モンスターの群れと戦うための戦術は同じようで実は全く違う。
到るところで湧出してくる相手に対して、こちらはまとまって対抗せねばならない。
(……ただ、これは一体?)
突如、モンスターが現れるなど、迷宮区内のトラップなどでしかこれまでは出会ったことがない。それもこのようなタイミングで。
「……考えている暇は与えてくれないか、フェイル、トール、済まないが君達への応援にはいけなくなってしまったようだよ」
思考の渦を現実によって堰き止め、ネイルはただ目の前の事象に集中することに決める。
最後に浮かんだのは戦友たちへの謝罪と祈り。
(……二人共頼むから、僕の知らないところでいなくなるんじゃないよ)
どこに願うでもなく祈るその想いは、にわかに喧騒を取り戻し始める戦場の音に飲み込まれていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ネイル達が戦闘を行なっているはずの遺跡群のある荒野の丘。
その最奥部へと伸びるはずの通路――枯れた地下水路跡――の中を、銀の閃光が舞っているのを見る。
間違いなく共に戦うのは一年振り以上のはずなのに、何処に居るか、次にどう行動するかがわかる。そう広くはない通路で、無言のまま急な出現を見せたそれらを生まれて直ぐに闇へと還していきながら、俺は独りでいるときには味わえない、不思議な快感を覚えていた。
これまでの経験から、ニル達が自分たちより数に勝る他のプレイヤーとの戦闘に対して、無理をせず離脱するだろうことを予測しての俺達であったが、その前に急に出現率を上げ始めた死霊達を前に足止めを食らった形になっている。
――不思議なものだ。
周囲を死霊の群れに囲まれながら、俺の頭は頭は冷静だった。
ただひたすらに追ってきた人間とはまだ出会わず、予想だにしていない数のモンスターを相手にしている。
それでも心がざわめくことはなく、身体はただ意志に従い双剣を振るい続けている。
かつての自分であれば、奥底から噴き上げるようなどす黒い感情に飲まれ、ただただ焦りに支配されていただろうか、そんな事を考える余裕すらあった。
「…………」
そんな俺に、フェイルが静かに問うているのを感じる。
だが何も言葉にすることはなく、フェイルもまた先程から静かに剣を振るっていた。
ただでさえ反属性であるフェイルの技は、そのキレと相まって有無をいわさず湧き上がる死霊達を蹂躙していく。
「おそらくだが、どこかにこいつらの核となるようなモンスターがいるはずだ……この数から言うと、別の場所だろう…………」
俺は、黒きエフェクトとともに光を散らした一体で、周囲に反応がなくなったことを確認し、そう言った。
死霊系が通常以上に出現する理由は俺の知る限り二つある。
一つはイベントによる討伐クエスト。
もう一つは、おのが眷属として死霊を呼び寄せる能力を持つ上級モンスターが湧出したことによる影響。
どちらかは不明だが、おそらく偶然ではないだろうことも含め伝えている間も、フェイルは少し意外そうな顔で話を聞いていた。だから問う。
「……俺が落ち着いているのが、そんなに意外か?」
「少しばかり……最初に出会った時、君はあの頃と変わらないように見えた。だが、共に戦いながら、やはり時は人を変えるものなのだなと、そう思っていたよ……君は、そんなにも冷静に、そして熱く戦うことができるようになっていたんだね……そしてクロとの連携も、君が一人ではなかったことを示しているようで、少し安心した」
「そっちこそ……ギルドのまとめ役をやりながら、クロの能力と裏技を使いながらソロをやっていた俺と同等レベルってのは、本当に化け物かと思うぜ」
お互いにそれは、揶揄するような賛辞。
そして笑い合う。
「……お互い、長かったな」
呟きの後には、静寂。
それは、決して心地の悪いものではなく――――。
二年間。
それは何かを為すには短い期間だ。それでいて何も変わらずに居るには長い時間だった。
最初の数カ月は、ただ喪失感だけがあった。
その虚無感をさらに広げてしまうことが怖くて、哀しみを、言葉にしたくなかった。それを形にするだけで、心の中に残っているものさえも消えてしまう気がした。
胸が張り裂けるという気持ちを生まれて初めて知り、実はその感情すら大事なモノなのだとも思った。
ただ、戦った。
だが、いっそ死のうと思うと死ねなかった。
ひたすらにPKを行ったものを辿り、狩る。
その度に、レベルは上がり、目的のために最大限にまで上げた隠密の技が、影を操る黒影虎の特性と合わさり、ソロで生き抜く術となったのもまた、どこか皮肉に感じられる。
そうして生き延びている間に、哀しみは心の奥深くで、透き通った珠のようになった。
思い出も哀しみも、それぞれだけのものだ。そう思うようになり、そこからは少しずつ、PKを行った相手のことを想像するようにもなった。
現実と化してしまったこの仮想現実から逃げたいがために、欲望に従い現実を忘れたもの。
現実では為せなかったナニカに取り憑かれたもの。
――そして、淡々と現実と認めた上でなお、人の命を奪うもの。
ただ独りでいる時間が、不思議と相手の心情を読む能力を培い、殺すことよりも絶望を与える方法があることも、その中で知った。
漫然と感情を動かすことなく人に痛みを与えられる人間がいるということも、感じた。
壊れないでいられたのは、同じ思いを共有できていると感じたクロがいたからか。それだけは、『Babylon』においてのAIに影響を与えたアルに感謝してもいいように思った。
それでも、俺の心は冷たくなっていく、過去を思い返すときの温もりもまた、少しずつ薄れていく。
そんな生活が、続いていた。
(それでも、俺は人と関わりあえる事から離れられなかった)
半年前久しぶりにネイルにあった時、凍りついていたと思っていた俺の中の何かが動いた。
あの日、ニル達を見つけた時に連絡をした後、正直期待はあまりしていなかったのだ。離れていた時間は長く、そして彼等は前に向けて進んでいた様に見えたから。
だからこそ、決して少なくは無いプレイヤーと共にやってきたネイルに、何でフェイル達ではなく俺なんかに付いて来るんだ、そう言ったことがある。
するとネイルは事も無げに答えた。
「別に、君が大好きだからってわけじゃないさ…………それにフェイル達の言うことも解るよ。今は、クリアを目指すべきで、復讐を考えるよりも向こうに帰ることを最優先にした方がいいっていうのはね」
そこまで言って、ふっと気障に笑う。
昔は少し気に触ることもあったその笑みが、どうしようもなく暖かくて。
「それでもさ、僕には君の考えのほうがしっくり来たんだ…………仲間だった人を失った。だから命を賭ける。それだけでいいだろう? 漢というのは、僕にとってはそういうものなんだよ……後、おそらくだけれどね、フェイルも、リュウも、ローザやアイナも、まだ君のことを心配している。だから、彼等は来れない代わりに、僕達を止めなかった。わかるかい?」
「……ありがとう」
それを聞いた俺の言葉がそれしか出てこなかった理由は、言いはしない。
そして、今回は、かつての仲間たちがきている。
少しだけ、少しだけだが、共に背を合わせて戦った事で、またかつての自分にも戻れるような気がしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
どれだけを進んだだろうか。急に、先を影をその身に纏いながら歩いていたクロが、何かに呼ばれるようにその歩みを止める。耳が、逆立ち、何かを探っているように見えた。周囲に先程までのモンスターの出現はまだない。それを咄嗟に確かめた後、俺は疑問の声を上げた。フェイルも周囲を見渡しながら問う。
「…………クロ?」
「敵か?」
「……グル」
唸りとともにその振り向いたクロの問いかけるような眼差し。
共にいたからといって心がわかるなどという幻想は抱いていない。
だが、伝わる事はあった。
「……何か、やることができたのか?」
「…………」
俺の静かな問いに、コクリ、クロはそう首を縦に降る。
この先で出会うだろう人間は、クロにとってもまた重要なはずだった。だが、それよりもなすべきことがあるとすればそれは――――。
脳裏に、鈍色の小さな少女が浮かぶ。理由は分からないが、そう確信する。
ならば、長い言葉は要らない。短く、告げた。
「行けばいい」
クロは、俺がそう応えることが解っていたかのように、一鳴きと共に何かに応えるように遠く吠え声を上げ姿を影に潜らせて、立ち去っていく。
それを見送った後、俺とフェイルは二人で続いている道を歩む。
まだ、俺の感覚に反応はない。この先に本当に予測通り出会うのかもわからない。
だが、何故か疑いも不安もなかった。
そうして、まるでそうなることが決まっていたかのように、通路の途中の少し開けた場所で、俺達は探し求めていた人物に出会う。
相手もまた、何か予想していたような表情で、俺達を迎えた。
ニル。
虚無をその名に背負うもの。