六話
遺跡中央部、戦闘の剣戟と魔術の迸るから少し外れた場所に、大剣を携えた巨漢の男と、槍を構える長身ながら細身な男が対峙していた。
乱戦が始まって以来、一番最初に動き、そして最も早く一対一に戦闘の形を移した二人は、この中では最も高レベルのプレイヤーの一員であった。
巨漢の男はリュウ。
そして細身の男をザンザスと言う。
――――かつて、始まりと終わりの街『バベル』にて、攻略ギルドに所属していた一員である。一度は肩を並べたこともある彼らが、こうして今向き合っているというのも、また一つの因果であった。
「ちっ……さすがにまずいな。こりゃあ、さっさとあんたを殺っちゃって、ずらからないとな」
「……さっさと終わらせるたぁ、俺も舐められたもんだな」
次々と囲まれていく味方の状況を見遣りながら、目の前で槍をくるくると回しながら嘯くザンザスにリュウは大剣の柄を握りつつ応える。
ふざけた態度に軽い言動、肩口から下がった青みがかった黒髪は長く、軽薄な笑みを浮かべるその様は特に威圧感を与えることもない。
着流しの着物を着たその姿は、どこかの漫画に出てくる侍の時代の浪人のようだ。
だが、その右手で回る槍は油断しているようで先程から絶え間なくリュウへの警戒を示し、左手に結ばれている小さな弓から放たれる呼吸の隙間を縫うような攻撃は、甘く見てよいものではないことをこれまでの対峙でリュウは実感していた。
(……相変わらず態度は舐めた野郎だが、腕は大した野郎だ。昔よりも、格段に速度も技も増してやがる)
既に幾度かその手を汚し、今もまた覚悟を決めているリュウには例えかつての知り合いであったとしても攻撃を加えることに躊躇いはない。
前衛に特化したその攻撃が威力を振るえば、スピード型の目の前のプレイヤー等そう何度も耐えられる訳もなく、同時に壁役としても優秀なリュウに一撃で与えられるダメージも少ない。
だが――。
「……チッ」
男の姿が一瞬の間をおいてかき消える。
リュウは舌打ちとともにその手に持つ大剣を斜めに据え、来るべき衝撃に備え、勘を働かせて身を任せる。
――――キィン。
綺麗な、透き通った音。瞬時に目の前に現れた男が攻撃を放ち、構えた剣と突き出された槍の先が火花を散らせたかと思えば、次の瞬間にはまた視界から消える。
その後にやってくるのは槍を返す流れで左腕から繰り出される矢の一撃。
(……くそが、嫌らしい攻撃だぜ)
一撃目は柄で止めた。だがタイミングをずらして放たれる風の魔術で織りなされた矢が右腕に突き刺さり、ダメージを通して消える。
ほんの数ドット。
すぐさま焦るような威力ではないが、リュウの生命を死へと向かわせるべくゲージが左へとずれていく。そして、先程からリュウの攻撃は相手に届いてはいなかった。
速さだけなら、これまで見てきたプレイヤーの中でもトップクラスだ。しかもまだ、お互い様子見の状況、更にスピードは上がるのだろう。
「ギアを上げるぜ……付いてこれるかい、リュウさんよ!?」
そんなリュウの予想を裏付けるように、一瞬で姿を消したザンザスの声が右手から聞こえる。
だが、リュウは本能の赴くまま脅威を感じている左手側に迷いなく剣を振り切った。両腕に衝撃が響いてくる、当たりだ。
タイミングまで合わせられたのは偶然に過ぎないが、リュウはそれでも予定通りとでもいうようにニヤリと笑って言う。
……ここに来る前から、喧嘩は勢いとはったりだということは嫌というほど承知していた。
「ふん……舐めるなと言ったろうが」
「……おいおい、見えてるわけじゃないだろう?」
そんなリュウの攻撃を咄嗟に槍を反転させ、受けながら飛び退いたザンザスは、呆れるような声で呟いた。これまでようやく追いつけていたスピードを、もう一段階上げた攻撃を当たり前のように迎え撃たれたのだからそれも無理は無い。
「さぁな」
リュウはその問いかけに短く答えながら、肩をひねり大剣をを振り下ろす。両腕の筋肉が一瞬で盛り上がり、そして属性をもった魔力の輝きに満ちて技を顕現させる。
『地走・剛』
衝撃を含んだ土の壁が男のいる方向へと収束していく。魔術の使えないリュウの攻撃方法の中で、最も影響範囲の広い技。
「おわっ! ……っと、アブねぇ」
だがしかし、ザンザスは相変わらずふざけた口調で、その範囲から離脱する。
再度、距離をとっての対峙、その間にも周囲では剣戟の音が響いていた。大きな轟音と共に炎の柱が舞い上がるのはネイルの炎術か。もう少しの間はこちらへの援護は受けられないし、敵からの邪魔もはいることはないだろう。
(……今のも避けるかよ、さて、どうしたもんか)
ザンザスは速く捉えられないでいるが、装甲は薄いためまともに一撃を食らえばきついはずだ。
とはいえリュウもまた、堅いとは言えダメージを食らわないという訳ではなく、パーティで戦っているわけでもない今は、時間を稼いでも後方から魔術が放たれるわけではない。
拮抗。ここまで来れば、削りあうのはHPではなくむしろ精神力だろう。
根性論ではないが、気持ちで負け集中が途切れたほうが負ける。
(……少し、覚悟を決めるか)
そう内心でつぶやくと、リュウは両手に力を込めてザンザスのこちらを伺うような視線を受けた。そんな対峙の中、一転真面目な顔でザンザスが口を開く。
「……それにしても、リュウさんよ。あんたはこっち側の人間だと思ってたんだがな」
「あぁ?」
急にボソリとそんな事を言い始めたザンザスに、リュウは疑問の声を上げる。
「正直、最初の一年近くは俺もここからの脱出に賭けようと思っていたさ……でもな、あんたらも気づいてんだろ? 50階を過ぎた当たりから、モンスターのアルゴリズムも変わって、罠もダンジョンの難易度も格段に上がっていってる……このままのペースで行けば……」
「……だから、『虚無の楽園』にいるってか? こりゃまたひでぇ言い訳だな」
ザンザスの言葉の内容に、リュウは呆れたように肩をすくめてみせる。
それは前線に居る誰もが感じていた。それでも、足を止めないものも居る。
先が見えないから――いや、果てしなく難度が高いことが見えたから、か。
だが、かといってそれでも攻略を目指して身を削っている人間や、自身のスキルを上げることよりも戦闘職ではなくサポートしてくれている人間や戦うことができない人間のために動いているものも居る以上、それはただの言い訳にすぎない。
そんなリュウの心情には気づかないのか、ザンザスはあたかも共感を得られるかのように言葉を続けていく。
「虚しくなったのさ、一握りの強い人間が頑張っている間に、ここで普通の生活をして楽しんでいる奴も居る……第一どんなに俺みたいな中堅どころが頑張ったところであんたやあんたんとこの親玉みたいな奴以外はそんなに目立たねぇしよ……それで自分が死んじまったらマジでなんにもならない。不公平じゃねぇか、だったら俺も好きなように生きるさ、女を抱いて、殺したい奴は殺して――――」
「くだらねぇ」
「……何だと?」
長々と連ねるザンザスの言葉を切り捨てるように、リュウは端的にそう言葉を吐く。その余りにもどうでもいいとの心情のこもった言葉に、軽い口調でいられなくなったのか低い声で問いかける声。
それに対してリュウは再度言葉を続ける。
「くだらねぇって言ったんだよ。虚しい? 不公平だ? ここがゲームの中だろうが、現実だろうが、変わりなく世の中は元々不公平にできてんだよ。……大体、俺は自分とダチが生き残れるように、それしか考えてねぇさ。フェイルもな、その範囲が大きくて、そして背負うための努力は怠らない……守りきれなくて後悔しながら、それでも行動して、未だに情報をよこすような奴も居る」
「…………」
「……不公平だなんだと、そんなものを理由に使うんじゃねぇよ、お前は耐え切れなくて楽に逃げただけだろうが」
リュウは見てきた。
逃げたくてたまらないのに逃げなかった者達を、そんなプレイヤー達の力にと願い、身を削るようにして戦った、そしてあるいは散っていった人間たちを。
戦いから逃げること自体を責める気はない。だが、逃げなかったものを羨み、不公平という言葉などで表すことだけは許すことはできなかった。
「……やっぱり、あんたらのそういうところが気に入らねぇ」
ザンザスが、ふっと諦めたよう言い、次の瞬間身体から気配を沸き立たせ、そして静かに呟く。
「だから、そろそろ死ねよ」
システムの力なのかどうかもわからない。
技名などもなく、言霊や属性、そして各々の持つ独自な性質の組み合わせで生まれる戦い方と、戦場における気合。
二人の発するそれが折り重なり、弾ける。
ザンザスがまたも視界から消える、言葉通り本気ということなのだろう、今度こそリュウが対応できるスピードを超えていた。
(…………)
さすがに完全に見えないものは避けられない、だからこそ、リュウは回避を取らない。
ただ、攻撃が来るということだけを念頭に置き、それに対して持ちうる対処を取っていた。リュウの巨躯を技の効果が包んでいく。
『岩楯金剛』
高い防御力とHPを持つリュウを更に固く高みへと押し上げる技。完全に身を固めたリュウに対して、先ほどまでのように一撃離脱を繰り返したところでたかが知れている。
魔術を使えるとはいえ、あくまでサポートとして用いている以上、ザンザスはその手で攻撃するしか無い、つまり、一撃もしくは連撃で、リュウがこれを突き破られるようならザンザスの勝ちだ。
衝撃が来た。
来ると解っていなければ身体を起こされ、そのまま反撃に移る前に攻撃を決められるような威力。だが、それを受け止め、耐え切った今リュウの視界に映るのは、ようやく倒すべき者が手の届く範囲にいるということ。
半ばまで差し込まれた槍の威力が、今度はザンザス自身の行動を阻害する。
『地塵紹・槌』
「ガ……!?」
殺すつもりで攻撃を仕掛け、さらに実力を持った者に手心を加えるほど、リュウは甘くはない。
斜め上段から光を放ち発動されたその技の威力と膂力を持って、迷いなく振り下ろされたリュウの渾身の一撃をその身に受けたザンザスは、吹き飛んで衝撃を殺すこともできず、その場に叩き潰された。そして、気絶の状態になったまま、その生命の終りを迎える。
「……悪いが、俺はここで死ぬわけにはいかねぇ……すまんな」
消えていくザンザスが、そのリュウの言葉を聞くことができていたのかはわからなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時間は少し遡る。
荒野に点在する遺跡の一つに、地下の空間が存在していた。
彼がその場所でソレを見つけたのは果たして必然か、それとも偶然か。
「ニル様、そろそろかと思われます」
静寂に、彼に付き従う青年が告げる言葉が響く。
褐色の肌に、白い髪。それに切れ長の緋色の眼。
黒髪黒目、群衆に紛れ込めば溶けこんでしまいそうな平凡な容姿のニルに比べて、一際目立つ外見をしている。知らぬものが見たら、主従を逆に見るかもしれない。
「……始める。ヴァン、準備は」
「はい、既にできております」
だが、ヴァンと呼ばれたその白き髪の男は、ニルに付き従うかのように膝を折り、昔で言う臣下の礼を取っていた。不思議な程にニルに心酔した彼は、おそらくは波長とも言うべきものが合ったのか、約一年ほど前に出会って以来常にニルのそばに付き従っている。
そんなヴァンの言葉に満足気に頷くと、ニルは目の前に置かれた宝玉に視線を向けながら、嗤いを浮かべた。
「よし……運命に流されるべきものは誰か、逆らえるものは誰か、その流れに、少しだけ手を加えてやろう」
そして、この死霊の地に留まり、また血を流させることにより得た言霊を口にする。
『目を覚ますがいい、我が契約者達よ』
その、ニルの言葉に呼応するかのように、冥き波動が遺跡から外へと満ちていく。
攻略が進んだ時より出現するように設定されていたのであろうか。ある時から、この場に現れた無色の宝玉。
それは、『死霊使いの魂』と呼ばれるエクストラ・アイテム。
だが、強力なものであるとはいえ、あくまで多数の高位死霊を出現させることができるというものにしか過ぎないはずのそれが、現在システムで設定されている以上の輝きを放っている。
ニルの、初めて人を殺めた時に開放された性質によって。
「ニル様、こちらより参りましょう。もうすぐここにも奴らがやってくるでしょうから。相手は多数、急な襲撃で体制も整っておりません」
「……わかっている、彼等には?」
「ある程度時間を稼いだ後には下がるように指示は出しました……もっとも、その場にニル様がいない以上私の言葉のみでは従わないものもいるやもしれませんが」
ヴァンが、普段と変わらぬ冷静な声で、おのが主にそう告げた。
それに頷いて、ニルはヴァンを従えて、遺跡の地下を後にする。
最後に呟いた声は、ヴァンに耳にも届かない。
『……あぁ、そうだ。私は今、生きている』
ニルが小さく呟いたその声は、誰に届くでもなく虚空へと消えた。
後に残るは、輝きを増し、光を飲み込むような昏き宝玉のみ。