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五話

 


 時折砂塵を巻き上げる風が吹く、荒野の中にある崩れた遺跡。周囲に木霊こだます剣戟の中で、どこか遠くから遠吠えが聞こえた気がした。

 何かに応えるような、そして何処か懐かしさを覚える様な叫び。


 だがしかし、その遠吠えに耳を澄ませる事もなく、ローザは静かに目の前に立つ女性を前に、愛用の細剣を抜き放つ。

 ネイルを含む魔術師達の一斉詠唱を皮切りに始まったその戦闘は、一時の乱戦から、それぞれ各自定めた目標との対峙へと移り行こうとしていた。


(奇襲というには、少し失敗のようですね……ですが、最低限の目標の形にはなりましたか)


 混乱した敵を出来るだけ掃討。以後、乱戦に持ち込まれる前に各々精鋭と呼ばれる者たちで二対一の形に持ち込む。


 レベルで上回り、そしてスイッチと呼ばれる技法を用いて一人に対して休ませることなく攻撃を加える事で、被害を最小限に留めつつ、更には開発者(トール)からの情報により得た隠し通路からは、おそらく現時点で最も信頼出来るであろう二人が潜入している。

 これで、前回のようにニルを逃がすことも無い。自分達が参加するからには、これで終わらせたい……いや、終わらせなければならなかった。


 相手がいつ動くかわからない以上、一日の猶予も無い状態での作戦であった。粗い部分はあれどそれが今回の『虚無の楽園』掃討戦の全容。だが、どうも初手の相手の動きからすれば、こちらの動きを僅かなりとも知られていたフシがある。


 そして、ニルと、報告で上がってはいた付き従う影のような男も姿が見えなかったことにも不安を覚えたが、現状目に見えている敵側のプレイヤーの数は十人に満たないながらも情報と差は無い数、そして、こちらはその倍とまではいかないものの、その分厳選した面々で望んでいた。


 かつての忘れられない一戦、そしてこれまでの経験から、プレイヤー同士の乱戦に持ち込まれると犠牲が大きい事は解っていた。一対一であれば負けることはないながら、多数対多数に関して言えば、ニルという柱のもとに集う『虚無の楽園』に属するプレイヤー達の連携に苦戦する。


 正しい立場のはずであるが、実際のボス戦攻略の他では各々のパーティーで行動しているこちら側よりも、人を殺す側である敵側のほうが連携は良いという事実が、紛れも無い現実としてここにあった。


 だからこそ、一対一又はこちらのほうが人数として優勢な状況を作れている現状は、それなりに満足できるものと言えた。相手方の魔術師も、ネイルが抑えてくれるだろう。


 敵側のプレイヤーの中で、目立つものは二人。

 それを最初の反応で見分けたローザとリュウは、それぞれその二人と対峙する状況を作れていた。

 お互い長い期間を共にフェイルを支える形で戦ってきた。


 そしてその中で、こういう条件のリュウが敗北する姿などローザには想像がつかない、後は――――。


「……私が勝てば良い」


 ローザはそう呟き、こちらを値踏みするような目で観察する相手を見た。


 甘く見ていたつもりはなかった、だが、常に前線に身をおいていたローザと、この状況でPKを行う相手を比べて負けるはずがないと思っていた部分は確かにあったのかもしれない。

 瞬間、相手の姿がぶれる。

 

 ――――ッ!?


 眼前に迫る相手の攻撃を咄嗟に受けようと考えながらも、本能的な何かがローザの身体を横に飛ばせた。

 

「な……!?」


 そして先ほどまでとは身体を入れ替えるように立ち上がり構えたローザは、言葉を失った。

 背後、自分がいた場所にあった崩れかけていたとは言えそれなりの厚みがあった石壁が切り裂かれている。

 

 ゾッと背筋が凍る、受けていた場合、ローザの力と剣で受けきれていたかは明白だ。


「……へぇ、よく避けた。いいね、いいよ、あんた……美味そうだ」


 振り返り、そう感嘆の言葉を上げた彼女には答えず、ローザは改めて相手を見る。

 勝てばよいなどと考えた先程までの余裕は、既に無い。


 細身である。背丈はローザより低い、小柄な部類に入るだろう。

 輝くような紅き髪と瞳、同様に紅を引いた唇には、喜悦の笑みが浮かんでいる。紅き、背中の大きく空いたドレスの様な服を身にまとった女性には、同じ女性であるローザでも感じるような蠱惑(こわく)的な色香が漂っていた。

 だが、その両の手には似つかわしくない得物が握られている。


 大鎌。


 柄から刃までで胸までの高さはあるであろうか。それを顔の位置に(かざ)す、その刃は禍々しく弧を描き、それを扱う彼女の膂力と速度を乗せた威力は先に見た通りだ。


「つれないねぇ……なにか答えてもいいだろう?」


「……貴方のような方とお喋りをする趣味はございませんので」


「おっと……随分だねぇ、ただ、自己紹介もしていなかったかい、あたしはスカーレット……あんたはあの銀髪の男の女で、確かローザとか言ったね……」


「…………」


「ニルの旦那には全然及ばないけど、まぁまぁいいオトコっちゃそうだね」


「無駄口を叩く方は嫌われますよ? 最も、男の趣味も見た目通り悪いようですが……」


「くく、いいねぇ、私は……あんたみたいなすかした女が泣き叫ぶのを見るのが大好きなんだよ!!」


 紅を冠する名を持つ女性、スカーレットはそう叫ぶとまたしてもローザに向けて飛び込んでくる。その速度は、ローザが何とか目で追える程度だ。


(…………!)


 髪を掠めて、目の前を鎌の一振りが通り過ぎ、返す刀での下からの振り上げもまた、何とかバックステップで躱したローザは、距離を取るために氷霧を乗せた突きを放った。

 それを、スカーレットは大きく後方に跳躍しすることで逃れる、そして降り立った後でニヤッと笑って告げる。


「……やるねぇ、ますます気に入った。凍りそうなのに、熱くなってきちまったよ……こんなに楽しいのはあの、女を死なせて生き残ったっていうしつこい黒服とやりあって以来かねぇ」


「……それは結構、そのまま悶えながら凍りなさい」


「くっく……」


 見た目では冷静を装っているものの、ローザは内心で少し焦りを感じていた。

 いなし、躱し、未だ一撃自体は受けてはいないが、掠めた肌から鮮血が舞い、僅かながらHPのゲージが削られる。

 

 ローザは、フェイルのように速さと力で相手を圧倒するわけでも、リュウのように硬さと膂力で圧し潰すわけでもない。

 女性独特のしなやかな動きに、正確無比な細剣と派生する魔法のタイミング、そして対象の行動を読む目。それらが合わさった戦術とも言うべき戦い方で、相手を翻弄し、そして突き倒す。


 そんな戦い方のローザにとって、目の前の女性は相性が悪かった。


 ありえないほど低く潜り込んできたかと思えば、足元を躊躇なく狙う。

 次の瞬間には跳躍し、首を根こそぎ刈ろうかという一撃。

 そして、その一撃一撃が重い。


 見た目に反してのその圧倒的な膂力は、現実ではありえないものの、この『Babylon』においてはおかしくはない。だが、そう理解はしていても違和感を拭い去れるものではない。


 躱し様に隙を突いて反撃するローザの動きが見えているわけでは無さそうなのに、恐らくは勘だけで回避しそこから更に攻撃をしかけてくるその戦い方は、彼女を惑わすにふさわしかった。


(……くっ、PKプレイヤーが何故このような)


 その強さは、攻略組とされているプレイヤーにも引けをとらない。

 何故それを生きるためではなく殺すために用いるのか。


 レベルはローザのほうが高いことは間違いがなかった。だが、その勝負の天秤はどちらに傾くかを迷わせている。

 それは、覚悟か。躊躇いなくプレイヤーに一撃を振り下ろす、その心か。


 数回の交差――ローザの怜悧な瞳と、スカーレットとの燃えるような瞳が、その視線を交わす。一瞬距離を取り、それでもすぐさま舞うように変幻の動きで距離を詰めて攻撃を仕掛けていく。


 お互いクリーンヒットは無いものの、無傷ではなくHPは緑色から半分を示す黄色へと移り変わっていた。そして、自身のHPが減るほどに、興奮するように攻撃を鋭くしていくスカーレット。

 一撃で生命を刈り取ろうとする気迫を乗せたその鎌を、ローザは何とか飛び退いて躱す。だが、その次の瞬間、足に引っかかりを覚えてバランスを崩した。


「……ぐっ」

 

 右足に、小さな針が刺さっている、いつの間に投擲(とうてき)されたのか、それを考えるまもなくローザは転倒した。


 ローザに生まれる焦りに、赤い髪に隠れた口元が歪んだ形を作る。

 嗜虐(しぎゃく)の喜びと、勝機を見出した笑み、状況が違えば、男が(とろ)けるようなそんな笑み。


(まずい……!!)


 だが、そんなローザの危惧も、スカーレットの喜悦も、次の瞬間に裏切られる。


 一陣の風が、吹いた。

 荒野のフィールドで時折吹き荒れる砂を(はら)んだ強風。


 風が、まるで、立ち上がろうとするローザを後押しするように。

 あたかも、彼女に加えられようとする一撃を拒むかのように。


 ありえないようなタイミングで吹いた風に、紅の髪が舞い上がり、砂に目を取られ、一瞬ながら動きが止まる。

 大振りの一撃を思わぬことから止められたことによる、喋りながらも足を止めなかった彼女の、致命的な隙。


 ローザは、その瞬間を見逃さない。

 ありえないはずの、かつて失ってしまった友人の声が、聞こえた気がしたから…………何が何でも見逃すわけにはいかない。


 『大丈夫です、負けないで』


 あぁ、まだこんな私にも笑いかけてくれるの、貴女は。

 私は貴女が大切に思っていた男性(ひと)を独りにしたのに。


 栗色のカールした髪、穏やかな表情で笑う貴女が、羨ましかった。

 そして、実は何よりも強かった貴女が。


 あの時感じた醜い嫉妬。

 ――――でも、今はそれを超える感謝を。


 きっと貴女は愛しい人を守る、それを思っていただけなのだろうけれど。

 ありがとう、私の大事な人も共に守ってくれて。

 そして大馬鹿。もっと貴女と話したかった。もっと共に笑いたかった。



 ありがとう、トゥレーネ。



 周囲の剣戟の音が、ローザの意識から消える。

 もう戦いしか頭の中に無いような気もするし、全てのことをはっきりと思い描くことができるような気もしていた。


 紅の瞳が驚愕の色に染まる。

 その瞬間、ローザの姿は一陣の風と化した。


 細剣技、『霧雨』。


 双方を通じて、初めてまともに入った連撃により、スカーレットは自分の意志ではなく後方に飛ばされる。その目に浮かぶのは既に喜悦ではなく恐怖。だが、戦意は落ちずその鎌を握る手は離さない。


 だからこそ、ローザは手に力を込めた。


 その手に、心に迷いが無かったと言えば嘘になる。

 人を殺めるつもりで発する紛れも無い技。

 だが、彼女は駆け抜ける。


 例えいつか罵られることがあったとしても、今のローザが生命を奪う事よりも恐れること。

 …………大事な人の隣に立てなくなるということ。


 細剣技二之攻『氷連』。

 

 最後にローザにもダメージを与えていったのは、スカーレットの意地か。

 自らのゲージが赤くなる少し手前で止まったことを確認したローザは、背後で最後の光を散らす紅の女性に告げる。


 光とともに散る。後には何も、そこに誰かがいた痕跡すら残さない、この世界における『死』。だからこそ。


「…………別の形で出会えていたら、などとは言いません。貴女を殺めたものとして、私の最後の瞬間まで覚えておきます、スカーレット」


「…………」


 しばし呆然とした表情で、それでも何か言いたげにしたスカーレットは、しかし無言で少しだけ笑い、その燃えるような瞳でローザを見て、姿を消した。


「さて……」


 邪魔も援護も入らなかったということは、周囲でもまだ戦いは続いているということ、状況を確認するためにローザは気を取り直す。


 後悔も謝罪も、全てが終わったあとでいい。

 まだ、何も終わってはいなかった。


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