八話
『嵐の前の静けさ』という言葉がある。
俺は、その言葉の意味をひしひしと感じながら日々を過ごしていた。
俺が座っているのは、定食屋『満月亭』のカウンター。
目の前には、コーヒーが置かれている。
――落ち着きたいときによく行く喫茶店ほどではないが、なかなかにうまいものだ。
店の中には俺とアイナ、それに奥にジンがいた。
二人共必要なこと以外はそこまで話す方ではないので、自然と沈黙になりやすい。
先ほどまで一緒にいたトゥレーネは頼んでいたものがあるとかでキャルの店に行っており、アイナは少しだけ考えた後、ここにいることにしたようだった。
そして、俺がここにいるのは、フェイルがもう少しすれば来るはずだからである。
何でも、ギルドの話し合いの後で、俺にも少し確認があるらしい。それを聞き、呼ぶのではなくこの場所を指定したのは、おそらくフェイルもギルドの外で落ち着いて話をしたいのだろうと思っていた。
――あれから、色々と大変だったのはフェイルが一番であるのは間違いないのだから。
石碑がその数を減らしたあの日、『牢獄』には担当の人間も含めて39名の人間がいた。表示されている数から推測されることは、逃亡し身を隠した犯罪者プレイヤーは、18名。そして死亡者は……21名。そしてもう一人、脱獄をさせた人間と共に監視任務についていた人間と組んでいたプレイヤーがログアウト状態となっていた。
つまりそういう事だろう。
これで、計算があってしまう事になる。
つまり推測が間違いでなければ、18名の犯罪者プレイヤー、それも、おそらくは頭上に赤いマークを掲げたものが、この世界に解放された状態だ。
早くも二週間が過ぎた今でも、その足取りはつかめていなかった。
もちろんフェイルを含め、減った石碑と誰もいない『牢獄』から最悪の予想にほぼ確信を持っていた俺たちが何もしなかったわけではない。
捜索隊は組まれた。
ただ、石碑の数が減った事に気付いた人間が情報を挙げてから、『牢獄』から誰の気配が無い事に気付くまでに結構な間が空いてしまったこともあり、捜索といっても現実と違い臭いや足跡といった痕跡が残っているわけでは無いことから、手探りの状態と変わらない。
また、もしこれが、運営がいなかったとしても一般解放された後のプレイヤー数であれば既に捕縛できていたのかもしれないが、現状はこの【Babylon】の広さに反してそのプレイヤー数は少ない。
何せ、まだそのほとんどが始まりの街『バベル』で暮らすことができているのだから。少しずつ世界が広がるにつれて、他の小さな街で行動しているものもいるようだが、常駐するものはまだ少ないだろう。
そして、現状それでも14000人以上のプレイヤーがいるとはいえ、実際に攻略に向けて前線で行動しているものはその一割に満たない程度である。攻略組の中でもギルドに所属していない人間も少なくはない。
後は、生産職であるもの、生産職ではないにしろ、日々生活できるためのものを初期のフィールドで稼ぐ、そこまでレベルの高くないプレイヤー達だ。
それに対して、相手は同時に行動しているとは限らないが、18名。
単純に考えても、こちらに犠牲を出さずに捕捉しようと思えば、一対一では足りないのだ。
かと言って攻略を疎かにすることもできなった。
連絡をとれる者たちで、すぐに駆けつけられる距離感を守りながら、広いフィールドや他の街を探索し、相手には補足されずに発見する。
それがどれだけ難易度が高く確率も低いことか。
フェイルやローザも、ギルドの人間を含め、この中にいるプレイヤーへの説明、その捜索の指揮等で忙殺されている。
そして、万が一発見できたとしても問題がないわけではない――――
(俺は、実際に見つけた時、今の状態で相手を攻撃することが出来るのだろうか? というか、本当にこの状態で喜んでPKを行う人間がいるってのかよ)
そんな事を考える。
正直、モンスターを相手にするのも、自分の命がかかるのも、曲りなりには覚悟は決められていると思う。
しかしながら、プレイヤーを相手取り、攻撃する……そして、下手をすれば殺すということ。
それが、実感がわかない。
もちろん、理解してはいるのだ。
ただ――心が納得していないとでも言うのか、うまく言葉に表すことができないのだが。
この世界ではPKと呼ぶもの、それは、今のこの状態では現実の『殺人』とされるものと同意義だ。
まだ、ゲームとしてのPKは理解できるのだ。それは、あくまでロールプレイングの範囲なのだから。それがあるからこそ面白いMMOも存在するということもあるのだ。
しかし、現状の、プレイヤーの数が減る可能性はあれど、増えることのないこの世界では、それは帰る確率を減らす行動に他ならない。その上で、モンスターではなくプレイヤーのHPを最後まで削ることができるということが、俺には理解出来なかった。
帰りたくはないのだろうか、それとも自暴自棄になっているのか……もう一つ思いつく選択肢は、考えたくはない。
もちろん現実はいいことばかりではないだろう、むしろ逃げ出したいと思うことのほうが多い。
ただ、それがわかっていても、ここに居続けたいのかと言われれば、俺は即座に首をふることができる。
確かに、俺を含めたこの世界を形作る事に関わった人間は、出来る限り現実に近づけるように尽力した。だからこそ、『アル』は今のような状況を作ることが出来、そして俺たちも『生活』している。
だがこの世界には、現実とはどうしても異なる一点が存在する。
未来が、ないのだ。この中では新しく生まれる命がなく、そして失われる命はあるのだから。
――限りある、最初から指定されたリソースの中で、ただ減り行くのみ。
(いっそこの世界は、生まれないほうが良かったんだろうか?)
実際に人が死に、そしてその中でも様々な人間がいる。
元々は、きっと普通に暮らしていた人間が、これから死に慣れ始めるのかもしれない。
俺が、徒然とそんな思考の波に漂っていると、奥で何かを作っているジンを、同じようにカウンターに座って見ていたアイナがこちらに目を向けた。どうやら無意識のうちに、ため息をついていたらしい。
「……何を考えている?」
そして、アイナにつられるようにこちらを見たジンが、奥から声をかけてくる。
「また、詮無いことを考えていたみたいだな……全くお前は、わかりやすいほどにわかりやすい男だよ。……もっともそういう裏表の作れないところを、フェイルも信頼しているのかもしれんが」
その問いに咄嗟に言葉が出なかった俺を見て、ジンは珍しくニヤリと笑った。
普段は、奥で黙々と料理を作っている強面のジンにそう言われると、どこか諭されているような、揶揄されているような、そんな気になる。
「……フェイルは、あいつは誰でも信頼するだろう? そこが凄いところであり、人をまとめることが出来る長所だと思う」
わかりやすい、と言われたことには言葉も無かった俺は後半部分についての言葉を口にした。
「そうなのかもしれん。……ただ、俺は前線に出てはいない生産職だが、ここで人の関係性は見ているつもりだ。おそらくだが、フェイルが『指示する』のではなく『頼む』のは、お前とリュウ位なものだろうよ……考えるな、とは言わんがな。お前は自分に自信がなさすぎる。そしてその割には、物事を抱え込むような所があるのが、矛盾だな」
「すまん、大丈夫だ、そこまで思い悩んでいたわけじゃないんだよ……ただ、この世界のことを考えていただけで」
俺は、感謝を込めてそう言った。
この、無口な職人を地で行くような彼が、こうまで話すのは本当に珍しい。それだけ、俺が難しい顔をしていたのだろう。
「ならいいさ…………アイナ、できたぞ」
俺の言葉にそう頷き、その後は何事もなかったかのようにアイナにそれを手渡す。シンプルなチーズケーキだ……こんなものまで再現したのか。
俺が、感心しながら見ていると、同じようにまじまじとアイナが器に載せられたそれを見ていた。しかし見ているだけで食べようとはしない。
「どうした? 食べないのか?」
「……チーズケーキ、好きなんです、でも、ちゃんと見たことがなかったから、少し嬉しくて。ジンさんに言ったら、難しいなって言いながら、作ってくれました」
俺のそんな疑問の声に、アイナが嬉しそうにそう告げる。
ただ、俺にはある部分が引っかかった。
「…………さっき悩んでたのは、やっぱりトールさんは、ここが嫌いなんですか?」
俺の何か問いたげな顔を見て、アイナは少し考えた後、そう口にする。
急な話題転換だが、その目には紛れも無く心配そうな色が見える。俺は元々の疑問を言葉にするのはやめて、その質問に答えた。
「そうだな……こんなことになって、実際に死人も出た。もしも現実で、普通に生死には問題がなかった、っていうことなら、俺たちはもう助けられていていいはずだけれど、そうはなっていないから、本当にそうなんだと思う。この世界で、22名が亡くなったんだ」
「……はい」
少し考えながら答える俺を見て、アイナが頷く。
「…………アイナ達には話したけれど、俺はこの世界を作ることに関わったんだよ。もう、その事に一人で責任を負えるなんてことは思わない。でも……まだ時々考えることがあるんだ。この世界が生まれなければ、こんなことにはそもそもなっていないのかってね。また、怒られそうだけど、少しだけそう思うよ。だから、嫌いというのとは、少し違うな」
俺はそう、これまでこの【Babylon】について思っていたことを、言葉にした。
そして、それを黙って聞いていたアイナが、ポツリと告げる。
「……私は、ここに来て、良かったこと、あります。だから、そんな風に悩まないほうがいいです。トゥレーネさんも元気になったし、犯罪者の人達は、何を考えているのかよくわからないから怖いけれど、あの後はまだ何も起きてないです。皆も、います」
「……そうだな」
先程はジンに諭されるように、今度はアイナに心配されるように。
無口な二人に考えすぎるなと言われた俺は、そう答えて少し笑う。
そして、背後で店の入り口が開く音がする。
「待たせたね、トール。おや? アイナもいるのか、おかしくはないが、不思議と珍しい組み合わせだな」
その音と共に入ってきたフェイルが、カウンターに座る俺達をみてそう告げる。
「トゥレーネは、今キャルの店に行ってるからな。アイナは……」
「……あぁ」
そう俺が説明すると、フェイルは状況を把握したようだ。
「で? そっちこそ、ローザとではなく一人で来るのは珍しいな」
俺がそう告げるのに、フェイルは少し笑って、少し真面目な顔になり告げた。
「……今、各ギルドで少し意見が割れていてね、君の意見を聞きたかったんだ……アイナも、聞いてくれるかい?」
そう言って、それに頷く俺達にフェイルは話し始める。
それは、きっと正解のない問いだったと思う。
しかし俺は、俺たちは、後にこの時の選択を悔やむことになる。
これまで読んでくださっていた方、少し更新が滞り申し訳ないです。
どうにも仕事が火を吹き始めまして、まとまった時間と精神力が取れませんでした。
そして二三日書かないだけで、ペースを取り戻すのに中々かかりますね、うまく取り戻す方法ってあるのかな。