六話
「私は、ここに来る前は、教会に住んでいたんです」
部屋の中に入り、内装を物珍しそうに見ていたトゥレーネに、俺がおずおずとお茶――(宿に付いているのだ)を差し出すと、トゥレーネはそれを手に取り椅子に腰を落ち着けて、そうポツリと呟いた。
「教会?」
俺はその単語に反応して、どういう意味かはわからずに繰り返す。
「……わかりやすい言葉で言うと、孤児なんです、私」
「…………それでさっき、いらない子なんて?」
その言葉に、先程トゥレーネが漏らしたことを思い浮かべ、俺がつぶやくと、トゥレーネは首を振った。
「いえ、そこは、教会に行ってからは……本当に幸せでした。皆本物の姉弟みたいで、お義父さん……神父さんも優しくて。ここに来たのも、施設の義姉にあたる人が案内を持ってきてくれて、私が歌が好きだったから応募してみたら? って言ってくれたからなんです……それで話を聞いてたら気になることがあって、興味を持って、応募したんです」
そう、昔を思い出すように話し始めたトゥレーネの言葉を、俺は聞いていた。
――少なくとも、俺の知っている、この一ヶ月間共に行動してきたトゥレーネは、優しくて穏やかな女性だ。とても、暗い過去があるようには見えなかった。
俺が、鈍いというのもあるのかもしれないが。
「……11歳の時に……本当の両親と妹と、旅行に行ったんです。とても、楽しかった」
「……うん」
そして、トゥレーネが少し間をおいて更に話を続けるのに、その雰囲気が弱々しくなったのを感じながらも、俺はただ頷いた。
「そこから、父親が運転する車での帰り、交通事故に遭いました……それで、私だけが、奇跡的に助かった…………」
そこで、言葉を切って俺を見つめるトゥレーネが、今まで見た中で初めて、不安そうに揺れる瞳を見せる。――そして言葉が続く。
「その後、しばらく入院した後、家族を亡くした私は、一番場所が近かった親戚の家に預けられる事になりました。……でもよくある話で、残念ながらその生活は、うまくいきませんでした」
トゥレーネは、コクリ、とお茶を飲み、それを置いて更に続けた。
「…………別に、いじめられたとかじゃないんです、ちゃんと食事ももらえたし、物語の中とかみたいに、暴力を振るわれたりもしませんでした。……でも、私は、その家族の会話の中には居なかった。夕食の時とかに、ちょっとした時に、皆どこか気まずそうに私を見るんです。『どうして、ここにいるの?』 そう言われている気がして……私がいるとふと会話がやんだり、話しかけてくれても無理している事がわかって……そして、幼いながらにもそれは仕方がないのもわかってたんです、それでも、どうしても寂しかった……一緒に暮らしている他人、が私でした。親戚という人たちに初めて会った時だって、『色々、かわいそうに』とか、『どこが引き取るのよ?』 とかそんな言葉ばかり聞こえて――――」
「……トゥレーネ?」
急に、何かせき止めていたものが壊れたかのように話すトゥレーネに、俺は疑問の声を上げた。それでもトゥレーネは話し続ける。
「……当たり前ですよね。遺産も何もなかったし、両親とも親戚づきあいがうまかったわけじゃなかったみたいで、初めて会うような人もたくさんいた……そんなお金ばかりかかる子供をずっと引き取ってくれるような人はいませんでした……少しずつ、担当みたいに親戚の家を回ることになって、でも、どこでも――――それで、最終的には孤児を受け入れてくれる区の教会に行く事になりました」
「トゥレーネ、もういいから」
俺は、そう言ってしまっていた。言わずにいられなかった……トゥレーネは、先程から淡々とした口調で話し続けているのだ。
(自分自身の話なのに何故、こんなに実感の薄い感情でしゃべることができるんだよ)
そう内心で思い、俺は止める。……目の前の女性が、どこか壊れてしまいそうで。
「……ごめんなさい、大丈夫ですよ? でも、本当にそこからは幸せだったんです。皆、私なんかよりもっとひどい境遇の子もいたのに、それでも皆優しくて、家族でした。暖かかった」
確かにそうなのだろう、謝って、その教会のことを語るときのトゥレーネの言葉には、色があった。
それでも、幼い頃にたらい回しにされ……家族を失ったのに、その哀しみごと、いないような扱いをされ……何がトゥレーネの中に残ってしまったのか。
そして、俺の中の何かが告げる。それだけではないと。
……トゥレーネは、話し終えたように見える今もまだ、どこか震えているのだから。
「でも、だから、教会の人たちや義姉弟以外で、あんなに一生懸命になってもらったの、初めてで……ここに始めてきた時も、こんなことになっちゃった時も、不安でどうしようもなかったんです――――」
そう言って、トゥレーネは、真っ直ぐと、しかし揺れた目で俺を見つめる。
俺はその目を吸い込まれるように見て、次の言葉に固まった。
「――――ねぇ、私は、トールくんにとって何ですか? …………ただ、成り行きで助けた、それだけの人間? 頼りにならない、守らなきゃいけない女、ですか?」
おそらく、ずっと罪悪感を感じていた俺を気にしてくれていたのかもしれない。
どこかで、隠し事をしているような俺に……この二週間も、俺は色々と気を遣われていたのに、笑ってごまかすことが多くて、その挙句の昨日の一件だ。
さっきお酒を飲んで絡んでいたのも、不安そうに見えたのも、それまで何も言わなかった俺の甘えのせいだと、思う。
「…………俺は」
固まった後、それでも何とか俺は言葉を搾り出す。
最初はそうだった。助けたのも、その後も。
でも、トゥレーネの近くは居心地が良くて、その視線や仕草が照れくさくて、嬉しくて……だから、自分のことを話すのが怖くて……
「義務とかじゃない……俺が一番大事に思える女性、だよ。……昨日の事も、信頼してないとかじゃなくて、怖くて、俺が臆病だったから……それを聞いて皆が、トゥレーネが離れてしまうかも、と思うのが怖くて、言えなかった」
俺は、そう言う。
目を見て、見続けると心臓が爆発でもするんじゃないかと思いながら……告げた。
「トールくん――――こんな言い方をして、私は卑怯ですよね、でもやっぱり、嬉しいです……だから、私も話して、いいですか? 私を縛っている、もの。きっとこれも、自己満足、っていうやつなんだと、思います……」
そう言ったトゥレーネは、その言葉に頷く俺を見て嬉しそうに、でも少し哀しさをたたえた笑みを浮かべて、少しの沈黙の後、告げる。
「あの、トールくんと初めて会った時。私は、襲ってきたあの人達が確かに怖かったけど……どこかで別のことを恐れてたんです……私の身体を見たら、どうせあの人達も、きっと驚くんじゃないか……って」
そして、トゥレーネは着ている服を脱ぎ、胸元をずらす。
「……トゥレーネ!?」
俺がその唐突な行動に驚いて、目をそらすと、トゥレーネはこちらを向くように告げた。
その声が、震えていて、真摯な声で……俺は、恐る恐る目をそちらに向けた。
そのはだけた服の間から、透き通るような白い肌が目に入る。
そして、それに似つかわしくない、赤く盛り上がったものも。
それを見て、ハッと息を飲んだ俺を見て、トゥレーネは悲しそうにそれをしまった。
目に映ったのは、右の肩口から胸元にかけて続く、大きな、傷跡。
「……事故の時、私も大怪我をしたんです。成長して、まだこれでも小さくなったんですけど……一生消えることは無いそうです……これを見るたび、私は、事故のことよりむしろ、その後の生活を思い出します」
「………………」
肌に沿う、人の肌には不自然な色の大きな傷跡を、見たことがあるだろうか?
その時それを撫でながら哀しげに話す彼女に、俺は咄嗟に言葉が出なかった。
「ここの応募に当選したときに、一番嬉しかったのが、この傷を消せるかもしれないってことだったんですよ……でも」
そうだ、この【Babylon】にログインする時、大幅な改変はできなくとも、髪や瞳の色を変えられるように、少々の調整はできるはず。
俺は、黙ったまま、でももう目を反らす事はせず、トゥレーネの言葉を待った。
「……あの時の声も、『アル』さんなんですよね? 言われたんです……これを、傷跡を消せば、私が現実に戻ったときに、精神的な障害が起こる可能性があるって。もう、これは私の一部になってしまっているって…………私、本当に消したかった! 消したかったのに、心が、それを受け入れないって、そう、言われて」
そして、トゥレーネは息を吐いて、そして続ける。
「あぁ、私は仮想現実の世界でも、これから逃げられないんだ……って思いました。だから…………っ!?」
「……ごめん、大丈夫だから」
俺が、自分にも他人にも臆病な俺が、震える彼女を抱きしめられたのは、きっと耐えられなかったのもあるんだろう……目の前の穏やかな彼女が、どこか遠くに行ってしまいそうな気がして。このまま言葉を続けさせていたら、自分で自分を苦しめていきそうな気がして。
そして俺は思う。
きっと、これまでの俺も、こんな風に自分を追い詰めているように見られていたのかと……俺なんかより、よっぽどしんどい思いをしたかもしれないトゥレーネにも気を遣わせて、リュウやアイナにも、庇われて。ローザも、止めてくれてまでいたのに。
「……トール、くん?」
「……ごめんな」
随分とそのまま、長い沈黙と共に俺に抱きしめられたままだったトゥレーネが、少し落ち着いた声で疑問の声を上げるのに、俺は言った。
「……後、今まで、昨日も、今日も、ありがとう」
「それは、全部今の事も含めて私のセリフだと思うんですけど……ありがとうございます、少し、すっきりしました」
俺の言葉に、トゥレーネはそう言って、クスリ、と微笑んだ。……いつもの、落ち着いた笑みだ。
それを見て、腕の中にある温もりに、俺は少し力を込めた。
トゥレーネは、それに体をこわばらせるも、こちらから目を逸らしてはこない。そのまま、少し赤らんだ顔をしたトゥレーネに、俺は顔を寄せる。
なんという感情なのだろう? 欲望とかでもなく、ただ、そうなることを求めていた。
そして―――
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……すいません」
「……ごめんなさい」
俺は、朝、あの後降りてきたトゥレーネとギルドに向かった後、何故かアイナとローザに謝っていた。
アイナは、帰ってこないトゥレーネを本当に心配していたらしい……ローザは全てを見透かしたように大丈夫でしょうと言っていたようだが。
そして、フェイルやリュウが遠くから笑って見ている。
…………拷問でしょうか?
「まぁ、良かったのでしょうね」
そして、お説教とアイナのジト目が終わり、トゥレーネがアイナをなだめて離れると、ローザがそんな事を呟いた。
「…………」
無言のままの俺を見て、ローザが笑って言う。
「皮肉ではありませんよ? 本心です」
そして、続ける。貴方のようなタイプには、大事なものがあった方がいいんですよ、と。
「あなたは、これまでどこか逃げようともしていましたからね、ソロに戻ろう等と、ね」
その指摘に、俺はぐっと詰まる。
正直、言葉もない。
「でもそうなるよりも、私はこの方がいいと思います。これから先、また死亡者が出ることもあるかもしれません……それが、私達かも、貴方かもしれない。でも、貴方はこれで、そうならないようにこれまで以上に努力することができるでしょう? 『誰かを深く愛せば、強さが生まれる。誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる』――私の、好きな言葉です。トゥレーネを、よろしく頼みますよ? あの娘は、いい子ですから」
そんな事を言うローザに、意外な目を俺は向ける。しかし、頷いて、答えた。
「あぁ……これからもよろしく頼むよ」
しかし、そんな俺達の穏やかな雰囲気は、長く続くことはなかった。
その後に入ってきた、一本の連絡によって。




