五話
(…………あぁ)
ここまでどこか気まずく、そして穏やかな安らぎに包まれて朝を迎えるのは、一体いつ以来だろうか。
俺は、目を覚ましてすぐ隣の温もりに、そんな事を考えて身を起こした。
流れるような栗色の髪が、朝日が差し込む部屋の中で光に照らされて見えている。
俺はそっと手を伸ばし、その髪を梳いた。
指先を途中まで抜け、毛先で少し絡まり解けるようなその感触が、夢では無いことを思い起こさせる。
「トール……くん?」
「悪い、起こしちまったか」
俺が少しの間そうしていると、シーツから顔を出しトゥレーネが顔をのぞかせる。
その行動に少しシーツがずれ、透き通るような白い肌と、そして肩口から、それに似合わないモノも少し姿を表した。
気恥ずかしさを紛らわしながらも、それから目を反らすことはしない。だが、やはり顔が赤くなるのを感じてやはり目が泳ぐ。
「……もう、変に気を遣わなくて大丈夫ですよ。むしろ、そんな風にまじまじと見られたほうが恥ずかしいです」
そんな俺に本当に気恥ずかしそうに笑顔を作るトゥレーネ。
「……すまん」
「いいえ、着替えたら下りるんで、先に下に行って一服でもしてて下さい」
少し頭をかきながら言った俺に、微笑むトゥレーネはそう告げた。
俺はそれに頷き、照れくさいような、何か気まずいような、そんな気分を味わいながら、宿の部屋を出て食堂の前で時間を潰しつつ、昨日の事を思い返す。
俺が色々と殴られ、そして馬鹿さ加減を指摘されたあの日の翌日、トゥレーネは珍しく一人で俺を迎えに来た。――――少々強引に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その一日は、二通のメッセージから始まった。
『今日は、昨日ローザさんが言っていたみたいに、休息の期間にするそうです』
『少し、話したいので、下で待っていますね…………あまり悩んで寝続けてるようなら、機嫌が悪くなっちゃうかもしれません♪』
本当に自己嫌悪に陥りつつ寝つけなかったため、眠りについた後気がついたら昼まで寝ていた俺が、起き抜けにトゥレーネからのそんなメッセージを見てすぐに下の食堂に駆け下りたのは言うまでもない。
そして昼過ぎ、俺たちは、無口なマスターのいる喫茶店で向かい合っていた。
――――ん? 場所のレパートリーが少ないと? 落ち着いてコーヒーを飲めて、人がほとんどいない。そんな場所が他にあるならばぜひ教えて欲しい。ちなみに、少しずつケーキセット等のメインの方もいけるようになってきたのだ。
「…………あの、トゥレーネ、さん?」
俺は、微妙な沈黙に耐えられなくなり、そう呼びかける。
ここに来てから、少し考えこむようにトゥレーネは黙ったままだった。
「何です?」
「……いや、昨日の今日で、俺がこんなにゆっくりしていていいのかと」
「寝ているよりましです」
そう言い切られ、うっ、と黙りこむ俺。
そんな俺を見ながら、トゥレーネが少し真面目な顔をして言う。
「それに、誰もトールくんをあれ以上責めたりはしていません。少し様子を見てきましたけど、レインさんには、ティールさんがついていますし……それ以上何かできるわけではないです」
「…………」
ティールというのは、昨日俺をかばってくれた、格闘家の男だ。
一夜明けても、あの時いた他の面々も特に言いふらして煽る様子もなく、俺が何か言われることはないようだった。
「むしろ、トールくんを一番責めているのは、トールくんです…………昨日リュウさんが殴ったのが何でか、本当にわかってますか?」
堰を切ったように、トゥレーネが次々と言葉を放ってくる。
「……わかってる、つもりだ、でも――」
「きっと、今まで、色々見られてるからですよ」
何でここまで皆俺に何も言わない、という心の中を読んだように、トゥレーネが言葉をかぶせてきた。そして続ける。
「……トールくんがこれまで頑張ってダンジョンやフィールドを探索して情報を公開したり、私やアイナちゃんの買い物に付き合ってげんなりしていたり、いつもローザさんやリュウさんにいじられてあたふたしたり、キャルさんに色々頼まれて苦労していたり」
「…………」
最初のもの以外は、全く褒められていない気がするが、分かった気もした。
(……まぁ、そこまで黒幕になれるほど大物でないと知られていたからってことか)
そのまま言葉を受けると、そういう事になる。
それに、初めてローザに開発者であることを看破され、前線に出て以来、攻略から素材集めから、結構色々な人間と顔見知りにはなっていた。そういう意味では、ローザには頭があがらない。――目の前のトゥレーネにも。
「……わかりましたか? わかったら、フィールドに行きましょう!」
「え?何でそうなる」
俺は、話の転換について行くことが出来ず、間の抜けた声を出した。
「私の尊敬する人が、迷ったときは体を動かせばいいって、そう言ってました。お祈りをして、健全な生活をしていれば、いいって。それでストレスを発散させたら、戻ってきてご飯を食べましょう。クロちゃんのお散歩です」
俺がぽかんとしていると、トゥレーネはそう言った。
(……いや、猫に散歩はいらないだろう)
咄嗟にそんな事が頭に浮かんできたが、クロも顔を出して鳴く。
――ありがたく気を遣われることにしようか、全く、嬉しい一人と一匹だ。
そうして、二人と一匹で近辺の程よい雑魚モンスターを倒して回った後は、不謹慎ながらも爽快感があったことを、記しておく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「本当に、美味しいですね、このお味噌汁」
「………グルゥ」
夜、結構なストレス発散の後、俺たちは俺の宿の食堂で、一種類ながら最高に旨い和食、『焼き鮭定食』を食べていた。
――――何故かクロも美味しそうに鮭を食べている。一体どういう作りなんだ? まぁ、満足気だからいいけれど。
「……ところで~、何でローザさんだけは知ってたんですか~?」
食べ終わり、少しゆっくりしていると、トゥレーネが俺にそんな事を告げてきた。
ん? なんか語尾がおかしい、……あの、トゥレーネ? その右手にあるの、ここのやたら強いお酒では?
◇白雪の酒・・・100ナール ※攻撃力アップ効果 稀にステータス異常・混乱付加
(必要ない……必要ないぞ、攻撃力アップも混乱も……)
慌ててメニューを確認した俺がそんな事を思っていると、トゥレーネはどこか据わった目で続けてくる。
「私には教えてくれてなかったのに」
「…………絡み酒?」
そう呟いた俺に、更に聞いてくるトゥレーネ。
「……私には、教えて、くれてなかったのに」
「しかも同じ事繰り返す人か……」
俺が早くも酔い始めた様子のトゥレーネに、かつての職場での、酔うと豹変する幾人かを思い出し冷や汗をかいていると、じーっと見つめてくる目線。
(確かに、勢いで話したことと……その後の皆への説明だけで、しっかりと言ってはなかったな)
どこか不満だったのだろう。酔いの勢いもあるのだろうが、真面目な目をして問いかけるトゥレーネに心の中で頷くと、俺は話し始めた。これまでの自分のことを、考えていたこと。
――――後、ローザには見破られただけだという言い訳も含めて。
「……『アル』さんは、どういう方なんですか?」
話し終わった後、俺に静かにそう問いかけてくるトゥレーネ。
「どういう方、とは?」
「A・Iの知り合いなんて、もちろん私にはいませんでしたけど……何だかトールくんの話す感じは、友達が悪いことをして、それを謝っているみたいでした」
その言葉の疑問に返ってきた言葉に、俺は、あぁ、と思う。それで話す、かつての『アル』との関係を。
「『アル』は、俺たちのプロジェクトに、坂上さんが連れてきたんだ。経緯は聞いても教えてもらえなかったから知らないけれど、メンバーの一員としてってね。最初は戸惑った」
補佐として会話型の物は沢山あった。
でも、何というか、人間味溢れると感じるのは初めてだった。
「勿論俺等も誰一人AIと本当の意味で会話したことはなかったから。けれど、人みたいに会話が成立する上、難しいことは知っているのに、普通のことは知識がない『アル』は、時間が経つごとに俺達にも受け入れられて。俺も、勝てなかったけどゲームしたりさ、よく話してたんだ……ほら、AIは寝ないから、徹夜作業の時にはずっと喋ってたかも…………そうか、そうだな、本当に友人だったのかもしれないな…………だからこそ、俺は、止められたんじゃないかって、思ったりもするんだろうな」
アルは基本的にオフィスにいた。
だから、仕事中も休憩中はたくさんのやり取りを重ねた。
数え切れないほど、会話をした。
そう俺は友人だと思っていたんだ。
――Mr.透? なぜこの映像の中の人間は泣いたのでしょう?涙とは悲しみの表現なのでは?
――Mr.透? 何故押すなと言っているのに、押されたいのですか?
――Mr.透? 貴方は将棋が弱いですね。努力を推奨します。
――透。私はもしかすると、『楽しい』を理解したかもしれません。ふふ、私は貴方をからかうのが楽しい。晃が楽しそうにしている意味が理解できます。
――透。貴方の、皆さんの冒険を彩ることができるよう、私も情報を仕入れます。楽しみにしていてくださいね。
正直こんな事を引き起こしたアルを許せるはずがない。なのに、それなのに俺は……アルのことを話す時に優しく楽しかった思い出を視てしまうんだ。
だからなのかもしれない。自己満足と言われる、この妙な罪悪感がいつまでも消えなかったのは。
話しながら、思い出しながら、少し自分の罪悪感を理解し始めた俺を見て、トゥレーネが少し微笑む。
「クリアするんですよね? そして、『アル』さんにお話するんでしょう? ……きっと大丈夫です、トールくんなら出来ます」
驚くほど透明で透き通った声で、そう言う。信じきったような声で、そう告げる。大きな声な訳ではないのに、どうしようもなく俺に響く声で。
こちらを静かに見つめる、大きな目。
最初に見た時と同じ柔らかい雰囲気、でも意思の強い……と言うよりきっと、純粋に何かを信じているような目。
「……どうして、俺なんかをそこまで信じるんだよ」
「そんなの、助けてくれたからに決まっているじゃないですか」
俺の疑問に、トゥレーネは即座にそう答えてくる。
「だからって、何でそこまで……」
「……今の家族以外に、あんな風に一生懸命助けられるなんて、初めてだったんです。 私は、ずっといらない子だったから―――」
それでも、と続けた俺の問いに、トゥレーネは、ここでも微笑みをたたえた顔をして、そんな事を呟いた。
「…………え?」
その言葉に意外な響きを覚えた俺は、そんな声を出していた。
この、美人で優しくて、どこか天然だけれど皆に好かれているトゥレーネが?
「……そういえば、今日はトールくんのことばかり質問していましたね。私のことも、少し話してもいい、ですか? 聞いて、くれますか?」
そうして、不安気に尋ねてくるトゥレーネに、俺は頷く。
ただ、その時、宿の食堂の時間が来た。
この辺は、流石に人間のようなNPCとはいえ、客の雰囲気で閉店を延ばしてくれたりはしない。
「もう、そんな時間ですね」
「……あのさ、良かったら、部屋で話すか?」
俺がこんなことを自然と言えたのは、トゥレーネの雰囲気があまりに弱々しくなっていたためだろう。
それに意外そうな、驚いたような顔をしたトゥレーネはそれでも、コクリ、と頷いた。