七話
役目を終え、今にも眠ろうとする夕日に低い空が紅く染まり、真上には少しずつ夜色という名のそれが満ちてくる頃、俺はキャルと共にその店、『満月亭』にやってきていた。
ここは、俺の塒としている街の西側の宿とは塔を挟んで反対側、同じく街の東側にあるキャルの『猫耳亭』からは歩いて五分ほどの場所になる。
キャルの店が街の中央を十字に走る大通りに面しているのに対し、そこから細い道を入ったところにある分、随分と寂れた印象を受けた。
「本当に、ここで合ってるのか?」
その店の前で、俺はそう告げた。
それもそのはず、そこは、そんな寂れたように見える道沿いの建物の中でも一際目立たないところにあり、唯の空き家のように見えた。
目の前の煉瓦の壁の中央にある扉は閉ざされ、看板も立っていない。ある、と分かっていなければ見向きもしないような場所。
「せやで、あんたは来たこと無いんか?」
「あぁ、俺は宿の飯が一番うまいと信じてたんでな」
少し意外そうに尋ねてくるキャルに、そう頷いて答える。
「そうなんや、そんなに自分のとこの飯はうまいんか?」
「…………そうだな。一度目は感動して、二度目は黙って頷いて、三度目以降は、他の味を欲しながらも食べてしまうような、そんな食事だ。一度来てみるといい」
キャルの言葉に、俺がそう答えていると、後ろから声がかかった。
「あ、トールくん」
その声に振り向いてみると、トゥレーネがアイナの手を引きながら、歩いてくるところだった。
黒影虎である『クロ』は、アイナの頭に絶妙なバランスで乗っかっている。既にペット化は完了しているようだ。
その様子は、まるで仲の良い姉妹のようで、微笑ましい。
――そして、俺の隣にいたものが動いた。
「アイナちゃーん! 元気にしとったか? 何かまた縮んでないか? ちっこくて可愛えなぁ」
盗賊の俺も真っ青なスピードでアイナの元に駆け寄ったキャルは、これまた神速の域でトゥレーネの後ろに隠れたアイナを覗き込もうとしている。
…………クロは、怯えて影の中に潜り込んだようだ。
モンスターを怯えさせるとは……何ていう生産職。
「………………」
アイナは、トゥレーネの裾を掴み、震えている。
(……一体……何をすればこうまで怯えるんだ?)
俺は、そう内心で思い、取り敢えずキャルを引き剥がす。
「ちょっと、何すんの! 協力するいうたやろ!?」
「馬鹿、怯えてるだろうが、流石に自重しろ」
「なんやの? アレが欲しいんちゃうんか?」
「ぐっ……」
そんなやり取りを交わす俺達を、トゥレーネは微笑ましく見て言った。
「随分と仲良くなったんですね。 ね、キャルさんは可愛らしい方だったでしょう? お目当てのものはいただけましたか?」
「あぁ、言伝しておいてくれたみたいで助かったよ」
そう、首袖を掴んだままにこやかに会話を交わす俺に、キャルが呟く。
「あんたは、透視スコープが欲しいんちゃうんか?」
「……透視スコープ?」
その言葉に、トゥレーネが反応する。アイナは恐る恐るこちらを見ているが、キャルと目が合うとまた隠れた。
…………どこの小動物だ。というかまずい、何あっさりばらしてくれてんだキャル。暴れるんじゃない。
呻く俺……トゥレーネはそんな俺を見て告げる。
「あぁ、あの凄く高いやつですね…………欲しいんですか?」
どうやら、飛び抜けて高かったことから覚えているらしく、思い当たったように頷き、そして見上げてくる。
(不思議なこともあるものだ、全然暑くなんてないのに、汗が出てきたな)
「そうですよね、トールさん盗賊だから、探索とか索敵とかの為にはあったほうが便利ですもんね? 一瞬、変なこと考えちゃいましたよ」
「……へんな、事?」
トゥレーネがいつも以上の笑みで、俺にそう告げるのを見て、アイナが聞く。
「ええ、でも、アイナちゃんも知っての通り、トールさんは私を助けてくれた優しい人ですから、関係ないと思います」
「……? うん」
トゥレーネが、少し屈んでアイナに告げると、アイナは首をかしげながらも頷いた。
(……あれ? おかしいな? 何も言われてないのに、むしろ褒められているのに汗が出て寒くなってきたわけだが)
流石に、俺の不純な動機に思い当たらないほど世間知らずでもなかったようだ、そしてこれは、直接言われるより…………くっ、済まない『透明スコープ』よ、今はまだ、俺はお前とは縁がなかったのかもしれない。しかし、しかしいつか必ず。
俺は血の涙を流すような決意で、それを飲み込むと、キャルに向け告げた。
「そういうわけだ」
「何がやねん!」
自己完結してそう告げる俺に、キャルが喚く。
「…………何、店の前で騒いでんだ、もうローザとリュウは中で待ってるぞ? フェイルとネイルは遅れてくるらしいから、お前たち待ちだ、さっさと入れ」
その時、ガチャリ、と扉が開き、のそり、とその姿を現した男はそう低い声で告げた。
リュウほどではないが、180cmはあるだろう大柄な体、太い腕、そして円を描く強面の顔の頭頂は、見事なスキンヘッド。更に口元は、短いあご髭に覆われている。
つまり、なかなか怖い。間違ってもリュウとは並んで欲しくない。
これでバイクにでも乗って革ジャンを羽織っていれば、目を合わせること無く逃げ出す自信がある。
――――今は、料理人らしく白いコックコート姿だったが。
「ジンさん、すいません」
「……こんばんは」
男に、トゥレーネとアイナが挨拶をする。
このジンと呼ばれた男が、この店の店主にして『料理人』らしい。
そして、それに頷き、無言で背を向けたジンに続いて、俺たち四人は店内へと足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
トゥレーネとアイナは、前にも一緒に来たらしく(……確か『モコ』討伐時、俺が疲れすぎて断った時だ)、ジンに頼んで『クロ』の分をお願いしているようだ。
内装は、そこまで広くないものの、カウンターと、4つのテーブル席。
今は、それを中央につなげて円を描くように皆で座っている。
「あの二人は波長があってたみたいで何よりだな、わかってたのか? 嬢ちゃんは」
「……まさか、偶々です。ただ、アイナは気を遣える子ですから」
それを見て、リュウが尋ねるのにそう答えるローザ。キャルもうんうん、と頷く。
「仲が良くて良かったとは思うけれど……女の子同士なんだから、あんなもんじゃないのか?」
そう何でもなく会話に加わる俺に、三人が目を向けてため息を付く。
「……あなたは、本当に女性という生き物をよく分かっていない男性ですね、女性二人が同じ所にいさえすれば仲良くなるとでも?」
「アホやろ、そんな単純なもんとちゃうわ」
そしてそう辛辣な口調で言われる。……しまった、やぶ蛇をつついたか、しかも二人タッグだ。間違いなく勝てない。
取り敢えず謝罪する。
「……すまん、何かそんなイメージがあった、違うんだな?」
「当たり前です、女性同士はなかなか波長が合いにくいのですよ? むしろ男性の方のほうがそうだと思います」
そんな俺はローザにそう告げられ、そういうものかと納得した。
何にせよ、仲がいいのだから良いことだろう。
そう思った俺は深く追求せず、目の前に置かれたサラダに手を伸ばした。そして驚愕する。
(美味い。どうしてこんな店が、今まで埋もれていたんだ)
サラダのシャキシャキ感とみずみずしさ、ドレッシングの味、なにより、その後飲んだ水からして美味い。
不思議に思った俺が、ここがどうしてあまり知られていないのか、と尋ねると、ため息をついていたローザが説明してくれた。
「ジンさんは、『料理人』にも関わらず、フィールドで戦闘を行うのが好きなようでして、普段はあまり店をやっていないのですよ」
戦闘好きの料理人、ジン。
それなら、何で戦闘系にしてないんだよ? そんな俺のつぶやきに、奥から姿を現せたジンが端的に告げる。
「…………俺は料理人だからだ」
……………いや、なら店開けよ。
至極真っ当だと思われる俺のツッコミは、しかしながらスルーされた。
そしてスルーしてくれたジンは、そろそろだが、また見るのか? と何やら期待したように目を向けるトゥレーネとアイナに向けて言う。
この店は、街と同じく西洋料理がメインらしい。ただ、それでも日本人の舌に食べやすいものが多いということだ。
変な言葉だが、和風な洋風料理、とでも言えば解るだろうか?
中でもおすすめはオムライスらしい。そしてその作る様を、先ほどの二人が見に行くということで、興味を惹かれ、キャルにも見たほうがええ、と言われた俺も行ってみることにした。
カウンター越しに、二人と並んでキッチンを見ると、既に、更には湯気を上げたバターライスがお椀型に中央に盛られていた。
その匂いだけで既にお腹が反応しそうだ。
(ここに、さらにオムレツが載るのか)
そう思った俺は、ゴクリと唾を飲み、別の皿にも目を向ける。オムライスの具なのだろう、ペースト色になるまで炒められた玉ねぎ、それと薄く斬られた肉がこんがりと焼き目がつき、こちらもそれだけでも美味しそうだ。
「これから割るんですよ、すごいんです!」
そうトゥレーネが言い、アイナも珍しくキラキラした目でジンの動きを追っている。
(割るって、卵を割るのがそんなに珍しいのか? いや、なにか秘技が………)
そんな事を思う俺の目の前で、ジンがゆっくりとよくかき混ぜられた卵黄を手に取り、よく熱せられたフライパンに、バターを落とし、なじませる。
…………あれ、もうすでに割れてんじゃん卵?
そう感じるが、場の空気から静かに見守る。
良い感じのバターの香りが漂ってきたところに、ジンが卵を箸になじませるように伝わせて投下する。
それは、バターを吸収しながら広がり、そしてジンの箸が焦げ付かないようかき混ぜながら、具を中央に置き、形を整え包みながらフライパンの端へと寄せる。そして――――
ジンが軽く、コン、コン、と柄を叩くと、あたかも元からその形であったかのように、具を包んだ楕円型のオムレツにひっくり返った。
(す、すごいな)
俺はその当たり前のようにこなす技に、目を奪われた。
そして次の瞬間、ジンが盛られていたライスの上に、その出来立てのオムレツを乗せる。
さらにジンは、ここまでのスピーディな動きとはうって代わり、目を凝らして見つめる俺達に魅せつけるかのように、おもむろにナイフを取った。
―――――ッ
静かに線を描いたそれがオムレツを抜けると、ゆっくりと卵が開かれ、半熟の中身が姿を現した。そして、それは意思を持って流れ出すかのようにライスを包み込み、その中から先ほどの具が存在感を持って顔を出す。
俺の考えていた、薄い卵で包まれたものとは、同じ名前の違うもの。
「…………何回見ても、魔法みたいです」
アイナがそう呟くが、俺も全く同感だ。無言で頷く。
「…………ほら」
そして、その皿を俺の方へ差し出した。
その様には、誇る様子も、照れる様子も見受けられない。いつも通り、特別なことは何もなく、しかしその作品は特別が感じられる。
「ありがとう…………ございます」
俺は、何故か敬語になっていた。その、食べ物に、それを今眼の前にもたらしたジンに気圧されるように。
職人、か。そう思い、心の底から尊敬の念が沸き上がってくる。
料理一つでここまで感動させられるとは、思わなかった。トゥレーネ達に、感謝しなければならない。
もちろんのことながら、その差し出されたオムライスは、死ぬほど美味かった。