十話
先ほどの戦闘の会った場所から、森の中を歩いて五分程、俺は、トゥレーネ、ローザ、リュウの四人でパーティーを組み、当初の目的地にやってきていた。
トゥレーネは、先程からローザと話しながらも、たまに俺の方に目を向ける。
ふと目が会うと、にこりと笑いかけられるのに、俺は目を合わせていられずにふと視線をそらした。
男に襲われたことはきっと同じ男である俺にはわからないほどに辛いことであろうに、それでも意志のこもった目で三人を倒し、そして今俺にも笑いかけてくれるのは、見かけに比べて芯が余程強いのか。
そんな事を照れた頭で考えるが、慣れないことに少し居心地が悪い。
美人に笑顔を向けられて、生意気に居心地が悪いとか言うと、何様だと思われるかもしれない。
しかし、思い出してくれないか? ―――俺は、『臆病者』『優柔不断』、そして、『裏方』だ。………いや、言っていて哀しくなる、やはり忘れてくれ。
「……ここは? ただの行き止まりのようですが、なにかあるのですか?」
ローザが、戸惑ったように尋ねてくる。
トゥレーネやリュウも、あたりを見渡しているが、不思議そうな表情を浮かべている。
「何も無いよ……ただ、これから起こることを、たまたま知っていてな。三人とも、少しだけ時間をくれないか? もうすぐだ」
俺は少し苦笑して、答える。そう、もうすぐ、日が暮れる。
ローザの感想も無理はない。
ここは、『深淵の森』の奥にある、このフィールドにおける最終地点の洞窟から、少し南に外れた場所。
アイテムがあるわけでもなければ、モンスターもいない。
従来のRPGで、画面の中のアバターを操作する場合であれば、
「おい、行き止まりなのに宝箱も何も無いのかよ!」
と画面に突っ込んで――(声に出す、出さないは、皆様の自由となっております)――来た道を戻るだけの場所。
他のゲームで、そんな経験が実際にあった俺が、このVRの世界の構築に携わる上で、それでも敢えてこだわったもの。
(……何とか間に合ったな)
俺は内心でそう思い、眼の前に広がる、透明な深い闇のような泉を目をやる。
『深淵の森』
言葉の通り、樹々に頭上を閉ざされた、闇深い森。
正直、俺が言うのも何だが、RPGのダンジョンによくある設定だ。
少しだけ、ほんの少しだけ違うのが、これから起こるだろうこと――――。
「……始まった」
俺のその言葉に、三人がこちらを見る。
「…………これが見たくて、ここに来たんだ。この状況で、この先、きついことがもっと起こるだろう……だからこそ、この世界にも少しは綺麗なものもあるって、見たかったんだ」
そんな三人に、俺は呟く。
そして、今日変な縁からパートナーとなった彼女へ、言葉を告げる。
ただのフィールドの一部である、森に湧き出す泉のグラフィックを、静かに指し示しながら。
「……あのさ、トゥレーネ。……こんな状況だし、さっきのこともあるけれど、プレイヤーが皆、あんなんだと思わないでくれよ。今日が、嫌なことがあった日ではなくて、良い一日だと思えるようになるように、俺もできるだけ、手伝うから」
その、つかえながらの俺の言葉に、にこにこしていたトゥレーネは、ふとその笑顔を崩し、そして、俺の指差す方向へとまた目を向けた。
その視線の先に、変化の兆しが訪れはじめる。
【Babylon】では、現実と同様に時間が流れる。
何も変わらず、太陽は東から昇り、西へと沈んでいく。
実際この世界を球体に作っているわけでは無いが、全ての『言霊』が開放され、全フィールドに行くことが出来るようになると、『バベル』を出て一定方向に真っ直ぐ進み続けられれば、街の逆側にたどり着くようになっている。
それで、俺が考えたのが、この、目の前の情景。
とはいえ、俺は仕様とデザインのパーツを色々とまとめて、お願いしただけ。実際に見るのは、この中でと決めていた。
タバコ1カートンの報酬で、俺の妄想の実現に協力してくれた、グラフィックデザイナーの先輩には感謝の念に耐えない。
頭上には、太陽の光をほとんど遮っている樹々。
ここは、この森の南西の端……少し戻った先の樹々のトンネルを西にくぐると、そこにはまだ開放されていないエリア、『熱砂の砂漠』が広がっている。北には洞窟のある山が荘厳に聳え立ち、東にはバベルへと続く道が存在する、深き森の名も無き場所。
太陽がその役目を終え、紅く輝きながら眠りにつく時間。
その、長い一日の、限られた数分間、ある一定の角度からのみ、木漏れ日が挿し込む場所がある。
計算に計算を重ね、実現した場所。
闇深く、閉ざされていた泉を、夕日の橙色が照らし始める。
「…………これは、すごいもんだな」
「綺麗……」
リュウと、ローザの声が聞こえる。
その光りに照らされた先には、その本来の姿を現した泉。
線状に漏れる光が、配置された泉の中にある水晶に乱反射し、色とりどりのハーモニーを奏でる。
そんな、光の競演が織り成す幻想的な光景の中、不意に歌声が響く。
呪文の詠唱ではない、純粋な歌、か?
息を止めたように、光景に見入っていたトゥレーネが、何かに気づいたように歌を紡ぐ。
それは、少しづつ大きく、光の波に乗るように奏でられていく。
演奏も何もない、ただただ透明な歌声。
だが、俺達はそれをただ、自然と静かに聴き始める。
――――夢を求めて、ここに来た。
――――希望を胸に、ここに来た。
――――夢は現と混ざり合い、
――――絶望と共に、ここに居た。
――――光は安寧、人は言う。
――――闇は混沌、人は言う。
――――でも今日私は、知りました。
――――優しい闇を、知りました。
――――感謝を込めて、闇に沿う、
――――さすれば心はさざめいて、
――――私はそっと、歩き出す。
――――夢の終わりに、歩き出す。
そして、歌の終わりと共に、トゥレーネの身体をエフェクトの光が包み込んだ。
その情景はまるで、彼女ごと一つのイベントシーンかのようで、俺は見惚れてしまう。
誰かのことを、ただただ、美しいと思ったのは初めてだったかもしれない。
(………………)
そんな俺の内心とは関係なく、静かに奏でる声の終わりと共に、光の競演もまた、終わる。
後には、沈黙と、静かな闇が広がるのみ。
パチパチパチ、と拍手が鳴る。
その音にはっとして、俺も、手を鳴らす。
それに、トゥレーネが微笑んで、俺達には見えないウインドウを操作して、告げた。
「何だか、スキル覚えたみたいです、えっと、これは回復の歌、なのかな? …………えへへ、もしかしたらこれで、トールさんのお役にも立てるのでしょうか?」
「え……? あ、ああ。攻撃だけじゃなくて回復までできると幅も広がるし。いいんじゃないか?」
手をたたきながらも、目は釘付けのまま、未だ見惚れたように呆けていた俺は、たどたどしくそう答える。
ローザが、そんな俺の方を見て、微笑っていた。
果たして俺は今、どんな表情でいるのだろうか。
ローザを見て向けられるのは、とても、綺麗な微笑。
脳裏を過るのは、とても、嫌な予感。
そして、微笑が極上の笑顔に変わり、淡々と告げられる。
「……やっぱり私達、お邪魔だったでしょうか?」
…………お願いです。十分に恥ずかしいのでこれ以上いじめないで下さい。
そんな事を思った俺は、余程情けない顔をしていたのだろう、他の三人がそれを見て笑う。
そして、そのうちに俺もつられて笑い出した。
ここにきて初めてかもしれない、こうして苦笑でもなく、心から笑うのは。
そうしているうちに、本格的に日が沈み始める。
そろそろ、宿に戻る時間だ。今日は、色々なことがありすぎた一日だった。
「本当は、色々と聞きたいこともあるのですが、今日はやめておきます。……いいものを、見せて頂きました。また、次も機会がありましたら」
「借りができたな、何かあったら、いつでも言ってこいよ」
そう言ってくる二人に、俺も頷いた。
「いや、一人で見ようと思ってたけれど、大勢で見るのも、悪くないな。……吟遊詩人のイベントだとは知らなかったが、いい歌が聞けた」
そして後半はトゥレーネに告げる。
光として、闇に沿ってくれるのだったか。そんな事を思ってしまうのは自意識過剰と思っても、その微笑みが肯定してくれている気がして。
一人であちこちのダンジョンを飛び回って過ごした二週間とは違う、不思議な感覚。
【Babylon】にログインして15日後、その夜宿に戻った俺は、久しぶりに深い眠りについた。
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簡易登場人物パラメータ
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【トール】
職種:盗賊
主要武具:双剣
属性:闇
性質:臆病者・優柔不断・裏方
【トゥレーネ】
職種:吟遊詩人
主要武具:棍
属性:風
性質:純真・温厚・歌姫
【ローザ】
主要武具:細剣
職種:戦士
属性:霧(水)
性質:冷静・慎重・女帝
【リュウ】
主要武具:大剣
職種:戦士
属性:地
性質:豪胆、勇猛、ギャンブラー
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一章完です、お読みいただきありがとうございました。