Part1 I saw the ghost on the day2/2
赤姫が小さな楽器店から出て行くのに、時を同じくしてここは笹下駅付近。
路線端に立てられた金網のフェンスに座り込む様に倒れる1人の少年がいた。
白いラインが入った黒のニットを被っている少年は右肩を押さえている。
「くっそぉ・・・逃がした・・・んだよな・・・」
息の荒い少年は苦痛を感じているかの様に顔を歪ませて夕日の空を見上げている。
高層のビルが立ち並ぶ笹下町の空は狭く堅苦しい現実を感じさせるものだった。
「夕方かぁ・・・早めに片付けねぇとなぁ・・・チッ!」
少年はフェンスを掴んで力一杯に立ち上がり、重い足を動かして前に進んだ。
白いYシャツの右腕には一本の赤い線が見える。それは少年の肩から流れ出ている。
少年の二度目の舌打ちは路線を走る電車の音で掻き消された・・・―――
―◇―◆―◇―◆―◇―
携帯の時計がそろそろ五時を通る。私の親は父母揃って時間に煩い人だ。
人が約束した時間は守らないくせに、私の門限となると顔色を変えて厳しくなる。
今日だってそう・・・私が誕生日だって言わなければ何もしてくれなかった。
仕事の時間で頭が一杯になる気持ちは嫌でも解る。一言でも声を掛けて欲しかった。
笹下駅のホームに居る赤姫は時間通りに来ない電車に軽い苛立ちを感じている。
軽い衝突事故が起きて電車は遅れて来るという。ホームの駅員が必死に説明していた。
どんな理由があるにしろ、彼女の様に遅れることへの不信感を感じる人は少なくは無い。
赤姫の隣に立っているスーツの女性は足を揺すりながら堂々と煙草を吸っていた。
この笹下駅は全面禁煙なのにと思って、赤姫は隣の女性にチラチラと目を向けている。
何回目かして赤姫は隣の女性と目が合ってしまった。女性は無言のまま赤姫に目を向けた。
人が悪そうな目が確りと赤姫を映している。赤姫が慌てて顔を前に路線側に向けると――
「せんぱぁ~い! お弁当どれにしますかぁ~?」
――陽気な声に女はフンと鼻を鳴らしてから別の場所へ去って行った。
それを見て安心した赤姫は浅い息を吐きながら静かに肩と視線を下に落とした。
「ふぅ~・・・・・・ハッ!?」
赤姫は急に下げた視線を上げた。
低い位置にある電車の路線の上に人がいたからである・・・―――
―◆―◇―◆―◇―◆―
私は一瞬それが自分の目で見ている事だと考えることができなかった。
夕日に照らされた鈍い錆色の路線の上を私と同じ位の歳に見える女が歩いていた。
風になびく黒々とした長髪に、何かから満足感を得ている様な微笑を顔に浮かべている。
その女は服を着ていない。不気味な程に真っ白い全身が春の寒気を身に感じさせた。
「・・・・・・―――」
何よりも信じ難い事に、重々しく遅い動きを見せる女の細い足は・・・無かった。
正確に言えば彼女の腿から下は機械で切られたのか様に綺麗に切断されている。
彼女の足がまるで地面を踏み締めているかと錯覚してしまうが、その体は浮いていた。
私の見ているものが現実だと受け入れる事ができない。これは誰が見ても同じだと思う。
背筋が震えるのは私が怖いと判断している証拠だ。嫌な事に急な寒気も感じる。
どうしてなの? どうして誰も女を見ないの? どうして平然として居られるの?
さっきまで隣にいたあの人は路線の方に顔を向けていたのに何も言わなかった。
ホームに駅員が私の直ぐ後ろを通ったが、何の反応もないままに私の後ろを通り過ぎた。
近くにいる人達も誰1人として彼女を見ていない。まるで私だけが知っている事の様に。
「―――・・・見えてないの?」
頭の中で考えていた言葉がそのまま外に流れ出た。
これ以上は何も考えたくない。口を動かした瞬間に心臓の鼓動が速くなった。
体が震えている。寒くなってきた。動けなくなった。泣きたくなった。
私は自分で自分を認めたくなかった。怖いと思ったら家に帰れなくなる気がした。
(やだ・・・何なのアレ・・・?―――)
路線の上を通っている女の動きが止まった。私の鼓動が更に早くなる感覚がした。
言葉にするまでも無く嫌な予感が私の頭の中で懸命に事を伝えてくれた。
(―動いてよ・・・私・・・―――)
自分の考えに体が反応しないまま、路線の女は腕を振りながら力無く空を見上げた。
私は女の次の行動が分かる気がした。気がしただけ・・・という事にしてほしかった。
(―お願いだから・・・動いてよ・・・―――)
上を向いた女はゆっくりと顔を動かした。風で乱れる黒髪が一瞬だけ私の心を揺すった。
(―イヤ・・・止めて・・・―――)
路線の女の目は確実に私を捉えている。似合わない程に澄んだ瞳が私を見る。
硬直しきった私の顔から一粒の滴が垂れた。怖い。私は自分に負けてしまった。
女は完全に私の方を向いている。卑しい微笑みに赤く目立つ小さな唇から白い歯が見える。
路線の女は完全に私を見て笑っている。他の誰かでも無く私だけを見て・・・―――
―◇―◆―◇―◆―◇―
女の恐怖に包まれきった私の目の前を、長い貨物列車が乱暴に通り去って行った。
「・・・・・・うわっ!?」
黄色い線より前に出ていた私は貨物列車の風圧に押されてその場に倒れてしまった。
突然として現れた列車に腰を引いてしまう。顔を流れる滴はその数を増していく。
私を見た駅員が慌てて私を起こしに来てくれた。私の意識は向こうに行ったままだった。
「あぁ・・・お譲ちゃん大丈夫? 立てるかい?」
駅員の声、集まる視線、ホームの音、私は直ぐに体を起して路線に目を向けた。
貨物列車が通った後の路線に、あの異様な女の姿はどこにも居なかった。
確認した私は胸に手をやって荒れた呼吸を落ち着かせる。周りの状況が頭に入らない。
『ンフフ・・・フフフ・・・』
声が聞こえた。極端に細く低い声が他の雑音を殺して耳に届いてきた・・・。
不安と騒音で溢れるホームの中で、その声だけが私の中に入り込んでくる。
私はもう一度路線を見た。少し夕日が暗くなった路線に女は居ない。
限界まで目を見開いている。私を見た駅員も似たような顔に成っていたけど気にしない。
私が恐る恐る真横の人溜に目を向けると、あの白い女が私を見て微笑んでいた。
人溜に自然と混ざっている女の姿は非常に目立っていた。不気味な白が私に迫ってくる。
人と人の間を煙の様に通り抜けてくる・・・違う、実際に煙に成ってる!
魔法の様に一瞬で女の体は白い煙の塊と化して真っ直ぐ私の方に歩み寄ってきた。
その目は私を見ている。その手は私を求めている。その女は私を殺すつもりだ。
私の鈍い頭にその言葉が浮かんだ。目から大きな一滴が流れた。
その時、不思議なことに腰を抜かして動かなくなっていた私の足が動く様に成った。
立ち上がった私は遅い足を使って無意識にホームを全力で駆け抜けて行く。
「あっ・・・お譲ちゃん!?」
駅員の声を後に私はホームの階段を急いで駆け降りる。その時も駅員の声が聞こえた。
階段での勢いが余った私は遂に改札口を潜り抜けた。小さな体がここで役に立つ。
当然、他の駅員にも呼びとめられたけど「ここで止まるとあの女が来る」という考えだけが私の足をただ一心不乱に前へと押しやった。普段の私がこんなに早いはずが無い。
駅の外にでた私は止まる事なく、再び笹下町へと戻って行くのだった・・・。
―◆―◇―◆―◇―◆―
ここが何処なのかは定かではない。少なくともビルの屋上である事は確かだ。
そこに異形な姿をした2人の男女がいた。2人は水道タンクの上に腰を下ろしている。
「―――・・・おっ!」
「どうしたんだ『イブ』?」
「どうやら、彼が動き出した様だよ『ベア』!」
白いポンチョを身に纏っている男の方が立ちあがった。頭には鹿の角の様な物がある。
その隣には黒い皮ジャンを来た女が座っている。頭に牛の角の様な物がある。
「ここまで追っては来ないだろ?」
「深手だから無理だろうね・・・ん?」
鹿角の男は何かを感じ取ると水道タンクの上を飛び降りた。
屋上にふわりと着地した男は耳に手を当てて屋上の端辺りに移動して行く。
「弱いけど他の『電波』を感じるよ・・・うん、必死に動いているね」
「そいつを食べるのか?」
「いいや、その近くに彼が・・・それと同類もいる」
牛角の女は立ちあがり男と同じ様に飛び下りた。その直後に女は一瞬にして消えた。
それに続いて水道タンクが大きな轟音を立てて潰れた。中の水が豪快に爆ぜる。
気が付くと男の真横に女の姿があった。女は静かな顔で男の横顔を見ている。
「その同類の方は強いのか?」
「弱い『電波』だね。彼とやり合った時の勝敗が目に見えるよ」
鹿角の男は目を閉じて「フフ~ン♪」とわざとらしく軽快に鼻を鳴らした。
背後の水道タンクは潰れた直後の姿を維持していた。中の水が凍り付いている。
「どうするんだ? 私達は行かないのか?」
「行かないよ。何だか面倒事になりそうな気がするんだよね~♪」
鹿角の男はそう言うと、背中を外側に向け、そのまま屋上の上から飛び降りた。
牛角の女は気にする様子も無くその場に立ち止まっている。夜風が女の髪を揺らす。
「ハァ・・・そうか。なら仕方ないな」
女は男の後を追いかけてビルの屋上を後にした―――
―◇―◆―◇―◆―◇―
「ハァ・・・ハァ・・・―――」
私は体力の限り走った。あの奇妙な女から離れる為に走り続けた。
ここが何処なのかは分からない。頭が痛くなってきた。体が重い。
女から逃げる事に支配されていた私はここで正気に戻った。
荒れた息が整うまで、私は足をゆっくりと前に動かして歩いている。
息を吸って心を落ち着かせると、頭の中にあの女の姿が鮮明に浮かんだ。
あれは一体なんだったの? 他の人には見えていなかったの?
どうして私だけなの? あの女は私を狙っているの?
女と共に浮かんだ疑問が私の頭を蝕む。何も考えたくない。家に帰りたい。
もう駅には戻れない。あの女がまだホームに居るかもしれない。
体力が尽きた私は地面の上に肘を落とした。全身から力が抜ける。
地面に付いた両手に私の涙が零れ落ちる。―――どうして泣くの?
女が怖いから? 疲れたから? 今日が誕生日だから? まだ子供だから?
何にも解らない。私は私を知らない・・・ううん、知りたくなかった。
今日だってそうだ。母に私を見て欲しい。父に考え直して欲しい。
小さい頃から考えてきた事。全部が馬鹿みたいだ。全部が・・・―――
「・・・おい!」
顔を上げると1人の少年が私の前に居た。右肩を手で押さえている。
黒い帽子を深く被った少年。身長は大きいけど歳は私と同じ位だと思う。
日が沈んで空に夜が現れ始めている。暗くて顔がよく見えない。
「あんた、邪魔なんだけど?」
「えっ・・・ごめんなさい――!?」
少年に言われた私は慌てて立ちあがろうとした。体の力はまだ抜けたままだった。
突然、目の前に現れた少年に戸惑った私は、泣いていた自分を忘れてしまった。
涙が出なくなった分、ホームにいた女への恐怖心が繊細になって私の中に現れた。
「へぇ・・・あんたアイツの『餌』か?」
「アイツのエサ? あんたこそ言ってるの?」
「あんたには、アレが見えるのか?」
私は少年の視ている方向、後ろを振り向いた。
そこには白く両足の無い女がいた。あのホームの女だ!
「みっ・・・見えるけど?」
女の顔には気味の悪い大きな笑みが浮かんでいる。その目は私を見ていなかった。
少年は何も言わず私を避けて前に出た。少年が歩いた後に黒々しい液体が零れている。
「そこでジッとしていろ。直ぐ終わるから」
「終わる・・・?」
私の言葉を無視して、少年は女の元へと歩み寄って行った。
女の狙いは私じゃなく少年だ。女は少年が来るのを見て喜んでいる。
全身を震わせて笑いだす姿は、人間離れした彼女には相応しく思えた。
少年は、そんな女の様子を気に留める事なく前へと足を動かしている。
「おい! 『滅仏士』って知ってるか?」
突然、少年が女に向かって叫んだが、少年の言葉は女に届いていない。
その様子を見た少年は、私にも聞こえる位の大きな舌打ちを鳴らした。
「ったく! これだから『雑魂』はよぉ・・・」
それが聞こえたか聞こえないか、女は態度を一変して少年に襲いかかって来た!
足の無い女は走る様に地面を素早く移動して、寸前の所で少年に飛びかかる。
「そんなぁ・・・止めてぇぇえー!!」
その瞬間を目にした私は力の限りを絞り女に向かって叫んだ。
意味が無い事は分かっていた。でも少年が襲われるのを黙っている訳にもいかない。
それが、意味の無い事だと分かっていても・・・―――
―◆―◇―◆―◇―◆―
後ろで私が必死に声を上げている時と、女が少年に飛びかかったのは同じ瞬間だった。
白い女は少年を捕らえようと両腕を大きく開いて、少年に飛びかかる途中だった。
その瞬間、私が見たのは拳を握り大きく後方に振り回す少年の姿だった。
その瞬間、私が聞いた少年の言葉は―――
「爆仁の式! 『撃』!!」
乱暴に叫びながら、少年は自ら女の元に飛びかかり、その腹元に拳を叩きつけた。
肉を叩く鈍い音が周囲に響く。苦痛で歪む女の顔が今でも忘れられない。
その次だった。少年と女の間に黒い煙が噴出する。煙の中から緑に光る炎が出てきた。
そして夜の空気に響き渡る鋭い轟音。空気が振動するのを私は肌に直で感じた。
周囲に溜まった煙の中から姿を見せたのは少年だけであった。女の姿が見当たらない。
少年の右腕から黒い煙が音を立てて噴出している。冷たい夜風がその煙を運んでゆく。
その一瞬を目にしていた私は背筋が冷えるのを感じた。焦げ臭い空気が鼻を刺激する。
その少年が私へ振り向いた。暗い夜空に浮かぶ月が少年を照らしている。
鋭い視線を放つ獣に近い目が私を捉えている。遠くからでも分かる程だ。
少年は一瞬だけ私に振り向いただけで、何も言わないで私から離れて行った。
私は片手を押さえてヨロヨロと進んで行く少年の姿をずっと見つめていた。
―◇―◆―◇―◆―◇―
それから後の事は記憶に無い。何も覚えていない。なにも知らない。
気が付けばそこは私の家の中だった。私の部屋にあるベッドの上に倒れていた。
とにかく息が荒く汗が全身から滴っている。敷涙町の駅からここまで走って来たの?
時計の針が進む音が耳に入る。私の体は酷く疲れている。とても動く気が起きない。
私は外出時の服を来たまま目を閉じた。目蓋の裏にあの少年の顔が浮かぶ・・・―――
◆I saw the ghost on the day2/2◇ ―≪END≫―