Part1 I saw the ghost on the day1/2
彼女がこの状況を理解するのに時間は掛からなかった。
だが、余りにも非現実的すぎる状況を受け入れる程、彼女の頭は柔軟ではい。
自身の知る世界の全てを、たった一日の出来事で覆されてしまう。
彼女はそれを受け入れるにはまだ幼すぎる。彼女にその自覚が無いとしても。
この一日が終わったとしても、彼女に置かれた状況に変わりは無い。
彼女が目に見える全てに疑いを掛けて常に自身を警戒して生きて行く事は確実だろう。
恐怖に恐れを抱く限り、延々と続く空想の中で彼女はその身を実感する。
避けられる事の無い道の途中に、相手の存在を知って、自身の存在に疑問を抱く。
しかし、彼女にとって意識する事は別にあった。
人が自然と何かに引かれ何かから離れていく様に、彼女にも引かれる何かがあった。
それは、現実離れした空想には無く、延々と繰り返される恐怖にも無かった。
彼女自身がその何かを得る事は決してない。彼女はその存在に気付いていない。
それは、彼女が理解し難い状況に置かれた時の救いとなってくれる。
それは、空想に置かれた彼女の日常を自然と大きく蝕んでしまう。
今の彼女がそれを受け入れるには、それ暫くの準備が必要になる。
その間に起こる事は彼女の準備を手助けしてくると共に、彼女の成長に繋がる。
彼女の抱える恐怖が、時と共に自然と消える事は無い。
恐怖を消すには相応の希望が必要である。彼女が持つ恐怖は大きい。
それを消す為の存在に出会えるかどうかは、彼女の行動次第である。
その恐怖を増幅させるのも、彼女の行動次第とも言える。
空想を知り崩れかけた運命が、元の形に戻る事は決して無い。
だが、崩れた形を新たに作り変える事は出来る。彼女はそれを行うのか?
恐怖を知って、引かれる何かを追い求めて、変わり果てた状況を変えるのか――
――これ話は、そんな彼女を通して送られる一年間を書いた物語である・・・。
『その日、私は幽霊を見た』
―◇―◆―◇―◆―◇―
私は誕生日を迎えて12歳になる。その誕生日は今日だった。
仕事で忙しい両親からの誕生日プレゼントは現金が入った封筒とメッセージカード。
カードには「誕生日おめでとう。夕衣は大人だからこれで好きな物を買いなさい」と細々に書かれていた。『大人』・・・その言葉が頭の中で繰り返しに再生されている。
「ねぇ・・・大人って何なの?」
私が小学生になったばかりの頃に父へ聞いた言葉。その時から父は仕事で忙しかった。
社長に主任したばかりの父は慣れない環境に疲れを感じている。当時の私でも解る程に。
それでも父は私の前で疲れた素振りを見せなかった。でも、酒の量は多くなった。
「大人? そんなことを聞いてどうするんだい?」
「別にどうするつもりは無いけど・・・気になって・・・」
私は顔を下に向けてビール缶を何本も飲み干している父の横に立っていた。
確かにどうするつもりは無かった。仕事に疲れた父から一言でも声を聞きたかっただけ。
父は私の言葉を聞いて眉間に皺を寄せる。その時の父の顔が学校の先生と似ていたので、私は思わず笑い出しそうになった。必死に笑いを堪えている私を目に父はこう言った。
「心の有様の事だと思うよ。自分が大人だと感じたらその時が大人さ・・・」
当時の私には父の言葉が全く理解できなかった。大人と感じたら大人・・・
「じゃあ、夕衣もすぐに大人になれるの?」
疲れ気味に微笑む父に私はこの質問を投げつけた。
でも父は何も言ってはくれなかった。私に揺さ振られながらビールを飲むだけ。
12歳を迎えようとしている私には、不思議とこの言葉を理解することが出来た。
大人と子供の境目なんて、こんなにも単純で簡単なものだったんだと実感している。
私は自分をまだ大人だと認めている訳ではないけど、いつまでも子供でいる気も無い。
そうだとしたら、今はその境目の中心を行ったり来たりしているのかもしれない。
今の私にはハッキリとした答えが欲しかった。今の私は何? 大人? 子供?
自問自答に答えを導き出そうとしても無駄だった。悩んでいるのはこの私だから。
あの時、あの質問をした人が父では無かったら・・・・・・私は・・・・・・――
「――・・・お客様?」
<赤姫夕衣>は駅前の小さなファーストフード店の中で憂鬱な考えに浸っていた。
レジ前の店員が茫然と立っている彼女に目を向けている。今は注文の最中だった。
赤姫は慌てて店員に飲み物の注文をして、代金は誕生日プレゼントで支払った。
―◆―◇―◆―◇―◆―
<締袖県>の<星の宮市>にある小さな町<敷涙町>が赤姫の住んでいる町である。
赤姫が今いる駅前の雑貨通りと比べて、人通りが極端に少なく寂れた古い町だった。
若い人達は挙ってこの町を嫌い隣の町へ遊びに行く。赤姫もその一人であった。
隣町の<笹下町>は都街であり大型百貨店やオシャレな雑貨店が並ぶ通りが多い。
「・・・・・・どれにしよう?」
私は駅の近くにあった小さな楽器店に居る。自分のギターが欲しかったから。
店の中に飾られていた楽器を目にして自然と体が店の中へ入って行った。
ガラスケースの中に飾られた新品のギターの値札を見て買える範囲の物を探している。
今まで私が弾いてきたギターは母が近所の交流バンド会で使っていた物ばかりだった。
小学校の母親交流会がきっかけでギターを始めた母を見て私もギターを弾いている。
まだ上手には弾けないけど、何も考えないでギターに集中している自分が好きだった。
迷ってばかりで物事の選択が下手な私は、母が使い終わった後のギターを手に取ってこっそり演奏の練習をしていた。そんな私を見ても母は一言も私に声を掛けてくれなかった。
今日の今まで私はそうして親の後ろ姿を見て私は成長してきたんだ・・・―――
「――気に入った物はあったかい?」
楽器店の店員の声に驚いた私は目を大きく丸にして店員の顔を見た。
その店員も私の反応を見て驚いている。恥ずかしさで自分の顔に熱が籠る。
「えっ!?・・・ええっと・・・」
「ああ、ごめんね。変に真剣な顔で商品を見ていたから・・・」
この言葉を聞いた途端に走って逃げ出したい衝動が全身を駆け巡った。
私は選択下手な上に緊張と失敗に弱い人間でもある。ううっ・・・今すぐに泣きたい。
「君、楽器を買うのは今日が初めてだろう?」
「え・・・どうして分かったんですか?」
「長い事この仕事をやっていれば分かる様になるんだよ。ハハ・・・」
私に声を掛けてきた店員は、厚いサングラスを掛けた太いおじいさんだった。
その人の優しそうな笑顔に心が救われる。今思えばこの店にはこの人しか居なかった。
「ところで、君はどうしてギターを買うんだい?」
ケースから外に出されたギターを手におじいさんは私に質問して来た。
私が選んだ赤いギターは、奇抜な形をしていたので座って弾くのには難しい代物だった。
逆に立って弾くにしても私の身長にギターは合わない。それでも私はこのギターを選んだ。
おじいさんに何度もこれでいいのかと聞かれたけど、私は黙って頷くだけだった。
「えっと・・・理由ですか?」
おじいさんの質問に答えようとした時、胸の奥で何かが私を締め付けるのを感じた。
難しい質問を受けている訳でも無いのに・・・正直に話すだで良いのに・・・。
「その・・・親が使っていた物ばかり弾いていたから・・・自分のギターが欲しくて・・・」
服の胸元を摘まんでモジモジしている私を見ておじいさんは太い眉を眉間に寄せた。
厚いサングラスのせいで表情がよく解らない。もしかしたら笑っているのかも。
「じゃあ、どうして自分のギターなんだい?」
「え!? それは・・・・・・――」
言葉が詰まったのと同時に胸を締め付ける感覚が消えた。その変わりに声が出なくなった。
自分のギター・・・その言葉を考えるだけで喉から出る声が詰まった。どうしてなの?
「――ハハ。ごめんね・・・うん。君は僕と似た所があるね」
おじいさんの声を聞いた途端に喉の詰まりが消えた。荒い息が胸の奥から込み上げてくる。
突然、喉の詰まりが消えた理由としては、私がおじいさんのある言葉に引かれたから。
「似た所・・・ですか?」
「思えば、僕が初めてギターを買ったのは君位の時だったね」
おじいさんは厚いサングラスを顔から外した。焦点の合わない小さな瞳が私へ向けられる。
「あの時は・・・そうだ親も一緒にいたね。君の様に無茶なギターを欲しがっていたね」
「その頃は嫉妬していたんだよ。上手にギターを弾ける親にね」
「・・・親に・・・ですか?」
私は母に嫉妬の念は抱いてはいないけど、もっと自分を見て欲しいという気持ちはあった。
「あの時はまだギターを手に持った事も無かったよ・・・それで意地を張っちゃってね」
「そのギターは買ったんですか?」
「いいや・・・親に罵倒されてね、弱腰になっちゃったよ」
おじいさんは近くにある椅子に腰を下ろす様にと私に言ってから店の奥へ戻って行った。
数分で戻ってきたおじいさんの両手には、白い湯気が上がったマグカップが握られている。
「でもね、そこの店員の人がやさしくてね。別のギターを半額で売ってくれたよ」
おじいさんはそっと私にマグカップを渡してくれた。香り立つ湯気が鼻を刺激する。
中に入っていた飲物はミルクコーヒーだった。一口で砂糖が多く入っているのが解る。
「それでね、その店の人に君と同じように聞かれたんだよ」
「・・・何を聞かれたんですか?」
「『どうして君はギターを買うのかい?』てね」
あの質問はおじいさんも受けたものだったんだ・・・でも、どうして同じ質問を私に?
「・・・それで、答えられたんですか?」
「最初はギターが好きだからって言ったけど、次の質問が来てね・・・」
「『どうして自分のギターなのか』ですか?」
「うん。それだよ」
その質問には私も答える事が出来なかった。『自分のギター』という言葉から来る妙な詰まりが私の声を喉の奥へと押し込んでいった・・・あの時の私はどうかしていたんだ。
「答えたくても、答える事が出来なくなったんだよ。君もそうだろ?」
その言葉を聞いた私は慌てて冷めたミルクコーヒーを口から喉へ一揆に流し込んだ。
コーヒーとミルクの甘苦い風味を舌で感じる事が無いままにカップの中は空になった。
「君もそうだろうって・・・何で分かるんですか!?」
「ハハハ。慌てる気持ちも分かるよ」
私の反応を分かっていた事の様に楽しんでからおじいさんはカップのコーヒーを飲んだ。
おじいさんのコーヒーは色からして苦いブラック。私はそっちが好きだったのに・・・
「答えを知らない訳でもないのに声が出なくなるんだよね。僕も始めは不思議に思っていたけど今からして思えば、あれは自分が言いたくなかっただけなんだよね。口の変わりに体がそれを教えてくれるのさ。変な胸騒ぎの後にそう成っただろう?」
私は何も言えなかった。おじいさんの言った事が当たっていたから・・・。
母にギターを弾いている私を見て欲しかった・・・父に・・・あの言葉を考え直してほしかった・・・こんな個人的な事は何も知らない他人に話してもどうにもならない。
「人に言いたくないって感じよりも、他の人に言いたい事って感じの方が強いかも・・・」
「そうかい・・・それでいいと思うよ。悩みを抱えてギターを買っても上手くはならないからね。君を見た時にすぐに分かったよ」
・・・・・・え?
「君って考え事が顔に出る人間だろ」
「そ・・・そうですか?」
「おや、どうしたんだい? 顔が真っ赤だよ?」
「いっ・・・いえ何でも・・・」
―◇―◆―◇―◆―◇―
恥ずかしい・・・その気持ちで破裂寸前だった。
顔で何を考えているのかが解る・・・私ってそんなに単純な人間だったの?
「ハハ。あんまり気にする事じゃないと思うよ」
ああ・・・また考えている事が顔に出てる・・・もう嫌になっちゃう・・・
「これでよしと・・・それじゃあ、明日辺りには届くと思うからね」
普通の客だったら買った楽器はそのまま持って変えると所だったが、私はギターケースも何も持っていないので宅急便で送ってもらう事にした。送料はおじいさんが払ってくれる。
普通は客の方が準備してくるのに、私って本当に駄目だな・・・。
「ほらほら、いつまでもクヨクヨしているとギターが勝手に逃げちゃうよ」
「え? ギターって逃げるんですか!?」
「自分の主人が元気のない人だったら何だって逃げるさ。元気を出して!」
「・・・・・・は~い」
気の抜けた返事と共に私はソファーから立ちあがる。短い身長で背伸びをしてから深呼吸をした。実際の所はそんなに落ち込んではいない。おじいさんの御蔭で私の気持ちが解ったから・・・自分を知れた事にはおじいさんに感謝しています。でも・・・
「次に来た時は、ミルクじゃなくてブラックでお願いします」
「苦いのが好きなんだね? 解ったよ」
おじいさんは厚いサングラスを顔に掛けて私へ笑顔を向けてくれた。
あのサングラスはおじいさんのトレードマークらしい。確かによく似合っている。
「ありがとうございました。また近くに来たら必ず寄って来ます!」
「うん。でも気をつけなよ。この街に一人で居るのは危険だからね」
「んッ・・・大丈夫ですよ!」
そう言って私は店の扉を開いて外に出た。冷たい春の風が私の髪を乱暴に撫でて行く。
気分が良くなると足も軽くなる。私はその足で笹下町を回ることにした。
「・・・・・・君の様な子は特にね」
おじいさんの最後の言葉を聞く事も無く・・・――――
◆I saw the ghost on the day1/2◇ ―≪END≫―