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『では、王太子殿下。明日からご自分でなさってください』

作者: 萩野P
掲載日:2026/10/13


第一話 婚約破棄は、卒業記念舞踏会で 


「アデライード・フォン・ローゼンベルク! お前との婚約を破棄する!」


王立学園の卒業記念舞踏会。


王国中の貴族が集まる大広間で、王太子エドワードは高らかに宣言した。


楽団の演奏が止まる。


数百人の視線が、一斉に私へ向いた。 


エドワード殿下の隣には、男爵令嬢のミリアが寄り添っている。


彼女は大きな瞳を潤ませ、震える声で告げた。


「アデライード様……どうか、もうおやめください。私、殿下と仲良くお話ししただけなのに……」


その瞬間、エドワード殿下が私を睨みつけた。


「聞いたか! お前はミリアを嫉妬から虐げ、彼女の教科書を隠し、さらには王宮の予算まで勝手に操作したそうだな!」


私は瞬きをした。

一度。

二度。

そして、ゆっくりと扇子を閉じた。


「……それで?」


「なに?」


「婚約を破棄なさるのでしょう? どうぞ」


広間がざわめいた。


エドワード殿下は、予想外の反応に一瞬だけ言葉を失った。


「お、お前……自分の罪を認めるのか!」


「いいえ。殿下との婚約を継続する意思がないだけです」

私は微笑んだ。


「ところで殿下。婚約破棄に際して、ひとつだけ確認させてくださいませ」


「なんだ!」


「王宮の財務報告書に、殿下の署名がございます」


私は侍従に目配せした。

差し出された書類を、殿下の目の前に掲げる。


「こちら、今年度の王太子府の予算執行記録です。殿下がご承認された予算のうち、三割が使途不明金となっております」


「なっ……!」


「また、王都の孤児院への補助金は、殿下のご命令で半額に削減されました。一方、殿下がミリア様に贈られた宝飾品の代金は、王太子府の公務交際費として計上されています」


ミリアの顔から血の気が引いた。


「そ、それは殿下が……!」


「黙れ、ミリア!」


殿下は慌てて私に向き直った。


「そ、そんな細かいことはどうでもいい! 問題はお前の性格だ! お前のような冷酷な女に王妃は務まらん!」


「まあ」


私は心から感心したように手を叩いた。


「素晴らしいお考えですわ」


「な、何?」


「王妃に必要なのは、気分で予算を動かす権限でも、気に入った女性を甘やかす特権でもありませんものね。国民への責任と、法に従う姿勢ですわ」


広間のあちこちで、吹き出す声が漏れた。

殿下の顔が赤くなる。


「お前……私を侮辱するのか!」


「いいえ。殿下のお言葉を、そのままお返ししているだけです」


私は一歩、前へ出た。


「殿下。私はこれまで五年間、王太子府の財務整理、地方貴族との折衝、穀物備蓄の見直し、王都の治水事業計画に携わってまいりました」


「それがどうした!」


「その業務のうち、私の権限で処理していたものは、明日をもってすべて停止いたします」


「……は?」


「婚約者として無償でお手伝いしていた仕事ですもの。婚約者でなくなる以上、続ける理由がございませんわ」


殿下はぽかんと口を開けた。

私はにっこり笑った。


「ご安心ください。引き継ぎ資料はすべて王宮文書庫にございます。どなたでも閲覧できますわ」


「な、なら問題ないではないか!」


「ええ。資料はございます」


私は扇子を開いた。


「ただし、資料の読み方を説明できる人間が、私以外にほとんどいないだけです」


静寂。 


そして、広間の隅で誰かが小さく呟いた。


「……終わったな、王太子殿下」


殿下の額に、汗が浮かんだ。


「ま、待て! お前がいなくなれば、誰が王太子府の仕事をするのだ!」


「殿下がなさってはいかがです?」


「私にできるわけがないだろう!」


「……」


私は扇子で口元を隠した。

そして、今日いちばん優しい声で告げた。


「殿下」


「な、なんだ」


「そのお言葉こそ、あなたが私を婚約者として必要としていた理由ではございませんか?」


殿下は何も言えなかった。

私は深々と礼をした。


「それでは皆様、ごきげんよう。私は明日から、私自身の人生を始めますわ」


踵を返す。

背後から、殿下の怒鳴り声が聞こえた。


「待て、アデライード! まだ話は終わっていない!」


私は振り返らなかった。

だって。

私たちの話は、五年前に始まった。

そして今日。

ようやく、終わったのだから。

 


第二話 王太子殿下の、長い長い翌朝



翌朝、王太子府は大混乱に陥った。


「殿下! 東部領からの穀物輸送計画について、ご確認を!」


「知らん! アデライードに聞け!」


「アデライード様は、本日付で王太子府の業務から離れられました!」


「では呼び戻せ!」


「先ほど使者を送りましたが、『婚約者ではございませんので』とのご返答です!」


「ぐぬぬぬぬ……!」 


午前十時。

王太子府の執務室には、書類の山が築かれていた。

昼には、治水事業の契約が保留になった。

午後には、地方貴族から問い合わせが殺到した。

夕刻には、国王陛下から呼び出しがかかった。


「エドワード」


国王は、机の上に書類を置いた。


「お前は昨日、ローゼンベルク公爵令嬢との婚約を破棄したそうだな」


「はい。彼女は冷酷で、王妃にふさわしくありません」


「そうか」


国王は静かに頷いた。


「では、彼女が五年間かけて整備した王太子府の業務を、今日からお前が引き継げ」


「……はい?」


「彼女がいなければ業務が回らないと聞いたが?」


「そ、それは……!」


「王妃にふさわしくないと判断したのはお前だ。ならば、その判断に責任を持て」


国王は立ち上がった。


「なお、財務監査の結果が出るまで、王太子府の交際費は凍結する。使途不明金についても調査する」


「父上! お待ちください!」


「待たぬ」


国王は扉の前で足を止めた。


「エドワード。お前は昨日、ひとりの女性を公衆の面前で辱めた。だが、お前が本当に失ったものは婚約者ではない」


振り返った国王の目は、ひどく冷たかった。


「お前を支えていた、最も有能な協力者だ」


扉が閉まった。

エドワードは、山のような書類を見つめた。

その一番上に、アデライードの美しい字で書かれた付箋が貼られていた。


『殿下へ。

 以前、業務の説明を何度か申し上げましたが、殿下はすべて「細かいことは任せる」とおっしゃいました。

 ですので、今回もお任せいたします。

 アデライード』


「……あの女ぁぁぁぁ!!」


王太子の絶叫が、王宮に響き渡った。

けれど。


ーー その日、アデライードは王都の外れにある小さな屋敷で、焼きたてのアップルパイを食べていた。


「お嬢様、王太子府からまた使者が」


「お茶をお出しして、お帰りいただいて」


「よろしいのですか?」


「ええ」


私は紅茶をひと口飲んだ。


「だって、私はもう、あの方の婚約者ではありませんもの」


窓の外には、秋の陽射しが降り注いでいた。

これからは、誰かの尻拭いではなく。

自分のために時間を使おう。


そう決めた私の人生は、まだ始まったばかりだった。


……ところが三日後。


国王陛下から、直々に一通の手紙が届いた。


『アデライード嬢へ。

 エドワードの後任となる王太子候補の選定にあたり、相談したいことがある。

 どうか王宮へ来てほしい。

 報酬は望むだけ支払おう』


私は手紙を読み、そっと机に置いた。


「お嬢様、いかがなさいますか?」


私は微笑んだ。


「そうね。まずは報酬の交渉から始めましょうか」


だって私はもう、無償で働く婚約者ではない。

**私は、ローゼンベルク公爵令嬢アデライード。

そして、自分の価値を自分で決める女なのだから。**


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