第85話 遅すぎた神託
石がもう一つ飛んだ。
今度は人に当たる。
短い悲鳴。
それを合図にしたように、広場が崩れた。
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「下がれ!」
レオンハルトの声が響く。
兵が前に出る。
だが、群衆は止まらない。
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「ふざけるな!」
「もう遅いんだよ!」
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押し合いが、殴り合いに変わる。
誰が敵か分からない。
ただ、目の前の相手にぶつかる。
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アルノーは一歩踏み出す。
「やめろ!」
声を張る。
だが、届かない。
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目の前で男が倒れる。
別の男が踏みつける。
怒りはもう、理由を失っている。
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「……止められない」
アルノーが呟く。
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「ええ」
リリアーナは答える。
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「今はもう、“選択”ではありません」
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衝突。
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その時、鐘が鳴った。
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強く。
長く。
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神殿の鐘。
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その音は、今までと違っていた。
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強制するような音。
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群衆の動きが一瞬止まる。
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誰もが振り向く。
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神殿の扉が開く。
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白い衣。
銀の髪。
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ルシア。
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だが今の彼女は違った。
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手に、星図がある。
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アルノーの目が見開かれる。
「……神託」
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ルシアは階段を降りる。
一歩一歩、確実に。
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群衆の中に道ができる。
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彼女は中央に立つ。
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そして、
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迷わず言った。
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「東路の制限を解除します」
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ざわめきが走る。
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「リュミアの優先を一時停止」
「ヴェルクへの流入を再開」
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短い言葉。
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だが、重い。
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群衆が止まる。
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完全ではない。
だが、動きが鈍る。
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「……神託だ」
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誰かが言う。
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その一言で、
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人の動きが変わる。
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殴り合っていた男が手を止める。
押し合っていた人が距離を取る。
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アルノーは息を呑む。
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「止まる……」
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「ええ」
リリアーナは答える。
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だが、その目は冷静だった。
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ルシアは続ける。
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「荷の再配分を行います」
「三日以内に調整」
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明確な指示。
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群衆が少しずつ引く。
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怒りが消えたわけではない。
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だが、
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動きが止まる。
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それだけで十分だった。
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レオンハルトが静かに言う。
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「……遅い」
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その言葉は、誰にも届かない。
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だが、
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事実だった。
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広場には、倒れた人がいる。
壊れた店がある。
流れた血がある。
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神託は止めた。
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だが、
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**すべては止められなかった**
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ルシアはそれを見ている。
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初めて、
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神託が“間に合わなかった”光景。
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彼女の手がわずかに震える。
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アルノーはそれに気づく。
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「……あなた」
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言葉が続かない。
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ルシアは答えない。
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ただ、広場を見ている。
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そして小さく言う。
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「……もっと早く」
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その言葉は、誰にも届かない。
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だが確かに、
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彼女自身に突き刺さっていた。
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リリアーナは静かに言う。
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「間に合わないこともあります」
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ルシアは目を閉じる。
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神託は正しい。
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だが、
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時間は待たない。
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広場は静まり返る。
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怒りは消えていない。
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ただ、
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押し込められただけだ。
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その時、
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遠くから別の鐘の音が響いた。
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重く、低い音。
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アルノーが顔を上げる。
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「……あれは」
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レオンハルトが答える。
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「王国軍の合図だ」
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兵がさらに増える。
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都市の中に、
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明確な“支配”が入る。
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神託でもなく、
合議でもなく、
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**力**
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リリアーナは静かに呟く。
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「三つ目ですね」
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神。
人。
そして力。
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その三つが、
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今、
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同時にこの都市に存在している。
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そしてどれも、
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まだ決着していない。
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