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婚約破棄された悪役令嬢ですが、仕事を奪った王宮が先に崩れました  作者: 水城ルナ


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第49話 急がせた罪

 第三案は、動き出していた。帳面には、初日の取引がわずかに書き込まれている。独立運営。資金は分割出資。確認者と承認者は明示。


 手続きは、前よりも整っている。書式も、確認欄も、前回には無かったものだ。だが――


「時間が足りない」


 商会側の圧力は、強かった。使者は毎日来る。同じ時刻に、同じ言葉を置いていく。


「決断はしたのですから、早急に実行を」


「市場は待ってくれません」


 焦りが、再び会議室を満たす。誰かが指で机を叩き、隣の者に見られて、やめた。


 ベルナデッタは、その空気を感じ取っていた。前に立つ前から、掌が汗ばんでいる。


 (また、遅れる)


 前回の停滞。前回の失敗。今回は、止めたくない。


「……実行日を前倒しにしましょう」


 彼女は言った。


「承認は済んでいます」


「条件も整理されています」


 視線がアルノーに向く。全員ではない。だが、決める側の何人かが、同時に彼を見た。


「確認は?」


 喉が、ひりつく。手元の書類は、まだ二枚めくり残していた。


「……一部、最終精査が残っています」


「なら急ぎましょう」


 ベルナデッタの声は強い。


「迷っている余裕はありません」


 その夜。資料は急ぎまとめられ、契約は予定より早く締結された。灯りは、朝まで消えなかった。


 形式は整っている。署名もある。責任の所在も、書類上は明確だ。


 だが、精査しきれていない条項が残った。


 三日後。運営開始直後に、想定外の維持費が発生する。出資割合の解釈が、商会と自治領で食い違っていた。


「確認したのではないのか!」


 怒号。机が鳴る。アルノーは、言葉を失う。


「……急ぎました」


 ベルナデッタが、絞り出す。


「遅れれば、市場が離れると」


「だから急がせたのか」


 代表の声は、低い。怒鳴らないぶん、部屋の隅まで届いた。


「急いだ結果が、これだ」


 リリアーナは、あえて口を挟まなかった。壁際の椅子から、動きもしない。視線だけが、ベルナデッタに向けられる。


 責めない。庇わない。ただ、見ている。


 会議は、再度開かれる。


「責任は誰が取る」


 問いは、はっきりしている。今回は、空白ではない。位置は、決めた。


 だが、急がせたのは誰か。


「……私です」


 ベルナデッタが、立ち上がる。椅子を戻す手が、一度止まった。声は震えていない。


「前倒しを提案したのは私です」


「確認の時間を削ったのも」


 沈黙。アルノーは、拳を握る。爪が、掌に食い込んでいた。


「確認者は私です」


「見落とした責任は、私にもあります」


 逃げない。だが、分散もしない。それぞれが、自分の位置を示す。


 代表は、深く息を吐く。天井を一度見上げてから、二人を順に見た。


「罰ではない」


「修正だ」


 不足分は再交渉。追加負担は均等配分。責任は、議事録に明記。


 痛みはある。だが、崩壊ではない。


 会議後。ベルナデッタは、廊下で立ち止まる。壁に背を預けたまま、しばらく歩き出せなかった。


「……私は、また急ぎました」


「ええ」


 リリアーナは否定しない。


「止まるのが怖かった」


「ええ」


 それも、否定しない。


「急ぐことは、悪ですか」


 問いは、切実だ。


「いいえ」


 リリアーナは静かに答える。


「ですが、急ぐなら」


「“急がせた責任”も引き受けなければなりません」


 ベルナデッタは、目を閉じる。廊下の窓から、風が入ってくる。早さは力だ。だが、刃だ。持つなら、切られる覚悟がいる。


 夜。アルノーは、議事録を書き直していた。前の頁は破らず、線を引いて残した。


 ――前倒し提案者:ベルナデッタ・クロム


 ――確認責任者:アルノー・リーヴェルト


 文字は重い。書き終えて、彼はしばらくその二行を見ていた。だが、逃げていない。


 宿に戻ったリリアーナは、小さく息を吐く。窓を閉め、灯りを一つだけ残した。真似はできる。だが、急がせた罪まで引き受けられるかが、分水嶺だ。

同じ失敗を、二度書きました。


一度目は空白があったから。二度目は、位置は決めたのに、急がせた人が立たなかったから。似た形で転ぶところを見せないと、真似できないものが何なのか伝わりません。


リリアーナに口を挟ませなかったのは、ここで止めると彼女がまた唯一になるからです。責めず、庇わず、見ているだけ。いちばん厳しい立ち方だと思います。


急ぐことは悪ではない。ただ、急がせた責任も引き受けなければならない。この章の要はここでした。


次回、誰かが自分から立ちます。

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