第29話 選ばないという選択
書類は、すでに整理されていた。
署名をすれば、次の段階に進む。
しなければ、現状維持。
どちらも、間違いではない。
リリアーナ・エヴァレットは、机の上の書類から視線を外し、窓の外を見た。
第二王子カイエルの執務棟が、遠くに見える。
灯りは、まだ消えていない。
(忙しい人だ)
そう思うだけで、胸が動くことはない。
――依存ではない。
――期待でもない。
今の関係は、
必要な判断を、必要な距離で共有するものだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「お嬢様」
執事が、静かに声をかける。
「殿下からの書簡です」
「……置いてください」
封を切らなくても、内容は想像できた。
提案だろう。
将来の話だ。
地位。
役割。
立場。
彼は、誠実だ。
だからこそ、形を用意する。
だが――
形は、必ずしも答えではない。
書簡を開く。
予想通り、そこには
「今後の体制について、正式な形を検討したい」
とだけ書かれていた。
愛の言葉はない。
感情の押しつけもない。
それが、彼らしい。
リリアーナは、静かに紙を折り畳んだ。
「……今は、違う」
独り言のように、そう呟く。
誰かの隣に立つために、
今の自分があるわけではない。
誰かの欠けた部分を埋めるために、
選ばれたわけでもない。
ここに立っているのは、
必要だったからだ。
彼女は、返書を書いた。
短く、簡潔に。
現在の体制で、支障はありません。
形式を定めることは、今は必要ないと考えます。
拒絶ではない。
先延ばしでもない。
ただ、
選ばないという意思表示。
夕方。
第二王子のもとに、返書が届いた。
彼は目を通し、少しだけ口元を緩める。
「……らしいな」
不満はない。
焦りもない。
彼女が選ばない理由を、
彼は理解している。
そしてそれを、
尊重できる自分であることも。
夜。
リリアーナは、灯りを落とす前に、
もう一度だけ書類を見渡した。
どれも、
自分がいなくても回るものだ。
それが、理想だった。
「……これでいい」
誰かの人生を背負わない。
誰かの未来を決めない。
ただ、
必要な判断がある場所に、
一時的に立つ。
それが、彼女の選んだ在り方。
選ばれないことを恐れない。
選ばないことを、ためらわない。
それができるようになった時、
人はようやく自由になる。
リリアーナは、静かに息を吐いた。
物語は、
もう彼女を縛らない。
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