第23話 正しさの代償
アルベルト・ルーヴェンは、夜の執務室に一人だった。
灯りは一つだけ。
机の上には、処理しきれなかった書類が残っている。
以前なら、
この時間にここまで溜まることはなかった。
「……判断は、間違っていない」
自分に言い聞かせるように、呟く。
聖女を中心に据える体制。
誰もが納得し、誰もが安心する選択。
婚約破棄も、その延長線上だった。
感情的な対立を避け、
摩擦を減らし、
柔らかい王宮を作る。
――正しかったはずだ。
書類を一枚、手に取る。
隣国との協定。
数字は、まだ崩れていない。
だが、文面の端々に、
以前にはなかった言い回しが混じっている。
慎重。
留保。
様子見。
信頼が、少しずつ削れている証拠。
「……俺は」
アルベルトは、視線を落とす。
自分は、判断をしてきた。
だが、その判断は――
誰かが整えた盤面の上でのものだった。
整える役目を担っていたのが、誰だったか。
答えは、もう浮かんでいる。
それでも、
あえて口にしなかった。
口にすれば、
“選んだ正しさ”が揺らぐから。
昼間の光景が、ふと脳裏をよぎる。
会議室で、誰も反対しなかった瞬間。
異論が出なかったことに、安堵した自分。
だが今なら、分かる。
あれは、納得ではない。
諦めだ。
誰も責任を負いたくない。
誰も矢面に立ちたくない。
だから、
一番“正しそうな選択”に流れただけ。
「……楽な道を選んだのは、俺だ」
その自覚が、胸に重く沈む。
厳しい判断をする人間を、
“冷たい”と感じたこともあった。
だが、
冷たかったのではない。
必要だったのだ。
アルベルトは、椅子に深く腰を下ろす。
あの時、
違う選択はできなかったのか。
答えは、否だ。
できなかった。
彼女を守るという選択は、
“その場の空気”に逆らうことだった。
摩擦を生み、
批判を引き受け、
嫌われる覚悟が必要だった。
自分には、それができなかった。
「……だから」
だから、彼女を切った。
正しさの名を借りて。
今さら、取り戻すことはできない。
彼女は怒っていない。
だからこそ、戻らない。
役目を終えた人間は、
同じ場所には戻らない。
それを、
自分は誰よりも理解しているはずだった。
机の引き出しを開ける。
奥に、古い覚え書きが残っていた。
字は、彼女のものだ。
簡潔で、要点だけを押さえた文。
「……ああ」
喉の奥で、息が詰まる。
この紙切れ一枚で、
どれだけの判断が楽になっていたか。
今なら、はっきり分かる。
自分は、
彼女の上に立っていたのではない。
彼女に、立たせてもらっていたのだ。
アルベルトは、そっと覚え書きを戻した。
謝るつもりはない。
謝罪は、
許される前提で差し出すものだ。
彼女は、もうこちらを見ていない。
「……選ばれなかったのは、俺だな」
静かな結論。
それを受け入れるには、
まだ時間が必要だ。
だが、
逃げ場はもうない。
正しさの代償は、
静かに、確実に支払われていく。




